小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ゲームセンター回顧録 小樽・札幌ゲーセン物語展へ行ってきました その2

その1より)

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大型のポスター等の目立つ展示に目を奪われそうになる中、ブース正面に今回の展覧会の目的が綴られており、真っ先に目を通しました。

 

アーケードゲームという「製品」だけではなく当時のゲームセンターという「場所」にスポットを当てた試みとして、また「ゲーセンとそれを取り巻く文化について後世に残す」という今回の展示活動の意義は、同じ時代に同様の経験を経た人間として非常に共感できるものでした。

私も個人的にこのブログで「ハイスコア集計店マップ」を作成していますが、それも消えつつあるゲームセンター文化を何らかの形で残すために自分で出来ることを行っている過程であり、方法は異なれどベクトルは同じ方向を向いているのだな、と感じています。

 

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続いて、小樽市内のゲームセンターについてのマップによる位置表示と店名一覧です。

文学館を尋ねる前に小樽市内ハイスコア集計店の跡地巡りを行いましたが、既に市街地からは店舗はほぼ全滅しており時間の経過を痛感します。

私がこのブログで自身のゲームセンター経験を語っていることと同じようなストーリーが、小樽という街だけでなく全国各地に繰り広げられていたのだと感じます。

 

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そして「展示物」になるのは恐らく初めてではないかと思われるコミュニケーションノート。ハイスコア集計と並んでユーザーフレンドリーなゲームセンターに設置され、SNS無き時代はノート上の交流が店舗へ向かうモチベーションになっていた人も多かったのではないでしょうか。一部はそれが目的化し過ぎで「ノーター」と呼ばれる「ノートだけ読んでゲームしない人」の問題も生じさせるのですが…

SNSが普及する遥か以前からSNSのようなやり取りがゲームセンターで繰り広げられていたのですが、結果的にSNSにその機能を全て代替されてしまった感があります。

 

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ゲーム関係の書籍、出版物や同人誌の展示。
1985年以前のNG(ナムコ店舗ミニコミ誌)は結構貴重ではないでしょうか。
また「ゼビウス1,000万点への解法」の実物が展示されていました。伝説的なこの同人誌も私を含め実物は初めて見たという来訪者の方が殆どだったようです。

またベーシックマガジン・ゲーメストのハイスコア欄もプレイヤー間で競争が繰り広げられていた資料として北海道の店舗欄をメインに掲示されています。

 

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会場には「プレイアブル展示」としてアストロ筐体(横画面)とテーブル筐体(縦画面)が各1台展示され、自由に遊ぶことが出来ました。

テーブル筐体はなんとこの文学館の所有物だそうです。カフェ文化に関する展示を行った際に入手して所蔵されていたとか。

私が訪問した際に入っていた基板は「出たな!ツインビーコナミ1991)」と「鋼鉄要塞シュトラール(UPL1992)」でしたが、展示に関して許諾が取れたメーカーのタイトル内で定期的な入れ替えを行っていました。

シュトラールを約30年振りにプレイしましたが、当時カンストまでやってた時の面影は全く無く2面で終了しました(´・ω・`)

 

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最後に、今回の展示の企画者である@hilow_zero氏とお会いすることがが出来ました。

今回計らずもコロナ禍の最中での開催となってしまい御苦労も多かったと思いますが、メディア等で取り上げられる機会もあり地元のゲーマーの方々を中心としてかなりの反響があったようです。私がお伺いした時も私以外に常時2~3人の来訪が入れ替わりであり、また元ゲーマーの方がご家族を連れて来訪し、子供がプレイアブルのゲームに興じる姿も見受けられたそうです。

 

展示は無料スペースにて行われていたため、前述の通り入口で「ゲーセン展を見に来た」と申し入れれは展示を無償で閲覧することが出来ました。これについては有償展示とした方が良いのでは、との声もあり、実際に私も有償にするだけの価値があると思ったのですが、有償とするとプレイアブル展示となっているゲーム機に対して間接的に金銭を投入していることになり、風適法上の問題が発生してしまう可能性があるため難しかったとのこと。

プレイアブル筐体については、遊ぶことの出来るタイトルについても事前にメーカーや現在の権利所有者に確認の上了承が取れたタイトルのみの設置となっているのですが、文学館という公共のスペースでの展示となる以上どうしても風適法や著作権法を含めて法的にグレーな部分は避けなければならず、「アーケードゲーム」というコンテンツを文化的財産として展示展開する際の難しさを感じました。

 

また、展示品についてはゲーム基板も含めて殆どが個人所有物で、結果的に持ち主の嗜好が反映されてしまうため展示内容に偏りが生じてしまったとのこと。確かに展示品はどちらかと言えば80年台に寄っているため、現在50歳前後の層にはピンズドの展示となる反面、ストⅡ以降にゲームセンターに通い出した40歳以下の層には今一つピンと来ない展示だったのかもしれません。

 

これについては既に今年中に「第二回」の開催に向けて展示品の充実も含め準備を開始されているとのこと。

開催の際には改めてお伺いすること、そして私に協力できることがあれば遠慮なくお声掛け下さいとお伝えし、会場を後にしました。また北海道に向かう理由が出来ました。

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最後に、会場内に展示されていた地元誌の特集記事をアップします。

写真では読みずらいですが、一読頂ければ今回の展示に向けた想いを感じて頂けると思います。

次回も期待いたしております!

 

(4月13日訂正:@hilow_zero氏を「主催者」から「企画者」へ改めました。主催者は小樽文学館様となります。ご指摘頂き誠にありがとうございました。)

ゲームセンター回顧録 小樽・札幌ゲーセン物語展へ行ってきました その1

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過日、北海道小樽市小樽文学館にて実施された「小樽・札幌ゲーセン物語展」へ行って来ました。

 

これまで地元埼玉県以外に愛知県や長野県のゲームセンターについて回顧録を残していますが、北海道は旅行や仕事で向かった際にゲームセンターへ立ち寄ったことがあった程度で、特にこれまでの人生で深い縁があった場所という訳ではありません。

 

その私が今回こちらへ伺うことになったきっかけは2020年の9月に遡ります。

コロナ禍が若干落ち着いた2020年夏にGo Toトラベルキャンペーンが開始されましたが、その際に落ち込んだ北海道観光振興の一環として「HOKKAIDO LOVE!」プロジェクトが実施され、キャンペーンの一環としてJR北海道から管内全線が6日間、特急も含めて乗り放題の「HOKKAIDO LOVE! 6日間周遊パス」が破格の¥12,000にて販売されます。

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この機会を逃すまいと思った私は、9月の4連休でこの切符を使って北海道のハイスコア集計店跡地巡りを決行します。

 

予め当時のベーシックマガジンやゲーメストで店舗の住所を調査の上渡道したのですが、住所の記載が不完全で確実な場所を捕捉出来ない店舗もいくつか存在。情報を探していた所以下のサイトに辿り着くことになります。

 

seesaawiki.jp

こちらのサイトに店舗住所や営業当時の様子、店舗跡の状況といった地元の方だからこそ書き込める情報が集約されており非常に重宝したのですが、小樽・札幌ゲーセン物語展の企画者である@hilow_zero氏が展示の一環として作成したものであることを知るに至ります。

 

そして渡道期間中に小樽市や札幌市内の全ての集計店跡地を廻りきることが出来なかったこともあり、来年の1月実施であればその頃にはコロナ禍もある程度落ち着くだろうから、残りの跡地探訪を含めてゲーセン物語展にお邪魔しよう、と心に決めていたのでした。

 

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JR小樽駅

通ったのみであれば前回来訪したのは2017年7月ですが、駅を降りて散策となると恐らく1987年以来となるため、34年振りということになります。

 

会場の文学館に向かう前に、もう一つの目的である小樽市内のハイスコア集計店跡地を廻ります。

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ゲームポイントフリーウェイ小樽店跡

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ゲームプラザ月光仮面

 

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プレイシティキャロット小樽店跡

 

1987年に訪れた時には、小樽運河を散策の後にプレイシティキャロット小樽店に立ち寄っているのですが、跡地は既に建て替えられておりそこにゲームセンターがあったことを窺い知ることすら出来なくなっていました。

 

そして今回の会場である小樽文学館へ。

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建物の目の前に線路と踏切がありますが、これは1985年に廃止された旧国鉄手宮線の廃線跡で、北海道で最初に開通した鉄道の一部区間ということで史跡としてそのまま残されています。旧色内駅のホーム跡が文学館に隣接しており、セットで散策を楽しむことが出来ます。

hokkaido-labo.com

 

今回の展示は2階で実施されていました。無料展示のため1階入口で展示を見に来た旨を伝えればそのまま入場出来ますが、文学館の通常展示も見ることが出来る300円の入場券を購入して2階へ。

そして文学館展示室のドアを開けると、その一角に明らかに周囲と異なっている、しかし建物の雰囲気と相まってどこか懐かしい空間が展開されていました。

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その2へ続きます。

ゲームセンター回顧録 セガロケーション撤退に思う その4

今度は「受ける」GENDA側の考察です。

 

市井の方よりも多少は業界に対するアンテナが高いと思われる私でも、今回の株式譲渡まで「GENDA」という社名は聞いたことがありませんでした。創業は2018年とのことで、まだ2年程度では聞き覚えがないのも無理のないことです。これまで業務用ゲーム機のレンタルやオンラインクレーンゲーム事業、米国への子供向け遊戯施設展開といった事業を手掛けていたようですが、今回の買収で一気に企業規模を大きくすることとなりました。

 

経営陣は、イオンファンタジー企業価値を大きく向上させた実績のある創業者兼会長の片岡氏と、金融業界で辣腕を発揮してきた共同創業者兼社長の申氏の二人が両輪となっているようです。

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(月間アミューズメントジャーナル2020年11月号表紙)

社長の申氏は業界紙である「月間アミューズメントジャーナル」の表紙を飾りました。通常はゲーム機の写真が表紙を飾ることが多い業界紙において、アミューズメント業界関係者とは思えないその容姿が異彩を放っていました。

 

気になるのは、バックが投資ファンドであるということ。ファンドの出資先として設立された経緯が窺えます。セガエンタテイメントの買収に動いたのは、ファンドとして勝算があってのことなのでしょう。

そのシナリオは、イオンファンタジー時価総額を約5倍に引き上げた現会長の手腕をこちらでも発揮してもらい、ひいては企業価値の向上→株式上場と見て間違いないと思います。そのため今後時間の経過と共に、これまでのセガの運営とは異なる形で様々な施策が打ち出されてくると予想されます。

 

当然それはプラスな面もあります。

例えばセガのロケーションにおいては永らくコナミ製品がほぼ導入されてきませんでしたが、表向きにセガは経営から手を引いていることから今後GENDASEGA店舗にコナミ製品が積極的に導入される可能性は充分あり得ます。コナミが製品を販売をしてくれるのかどうかは別の話ですが…

 

しかし以下のようなデメリットを私は危惧しています。

 

まずは先に述べている「バックが投資ファンド」であるということ。

ファンドが描くシナリオ通りに企業価値が向上すれば良いのですが、ビジネスモデルとして目新しいものはなく、しかも全体が斜陽であるゲームセンター業界において、ファンドの目論見通りに物事が進まない可能性は充分に考えられます。

その際「ファンドが資金を引き揚げて事業を再度別の業者へ売却する」という事態が起こり得る訳で、価値の低下した事業の買い手が付かなければ清算、という最悪のシナリオが全く無いとは言い切れません。

 

そしてもう一つが「セガブランドを失うことによる影響」です。

これまでは「1部上場企業」としてのセガもしくは直接の子会社という看板があったため、その信用や資金力、運営能力を踏まえて店舗の出店が可能でした。

特に最近はゲームセンター単独出店ではなかなか収益性が上がらないため、集客力が高いショッピングセンターインストアに飲食提供等も含めた複合型の店舗を展開する例が増加しており、その出店に当たっては予めゲームセンター運営会社がプロポーザルを行い出店企業が選定される場合が多いようです。

www.sega-entertainment.jp

bandainamco-am.co.jp

ナムコは元々ショッピングセンター内店舗運営が強く、現在の施設一覧を見てもインストア型店舗が多数を占めている反面、都市型やロードサイド店舗主体だったセガはショッピングセンターへの出店は後発で、近年はインストア型店舗を徐々に増やしてはいるもののその割合はナムコに比べると明らかに低くなっています。

店舗数を絞っている最中で無闇矢鱈と出店出来ないこと、またナムコ等インストア主体で運営している業者と比較して運営ノウハウや新規出店案件に乏しいという事情はあると思われますが、それでもプロポーザルを行う際にセガのブランドが与える影響は決して小さくはないと思います。

 

ここからセガのブランドが外れるとどうなるのか。

企業名にセガの文字を残しているとは言え、資本的にほぼ無関係になったことが周知されており、上場企業の後ろ盾による信用力、コンテンツメーカーが持つ商品力や企画力を失った企業がこれまでと同様に新規出店を継続できるのかは疑問が残ります。

そこで現会長の手腕に期待が掛かる訳ですが、イオングループ関係会社としてグループのショッピングセンターに国内外を含めて優先的に出店可能なイオンファンタジーと、企業名にセガの名称が含まれるものの実質はファンドがバックのベンチャー企業では明らかに土俵が異なるため、恐らく一筋縄では行かないのではないでしょうか。

  

jamma.or.jp

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(社団法人 日本アミューズメントマシン工業協会 設立20周年記念誌 1990年台-3より)

かつてアーケードゲーム業界は、「不況知らず」と呼ばれ、実際に不況期においても市場を拡大してきました。それは定期的にヒット商品を市場に送り込んできた開発者、そしてコツコツと日銭を稼ぐゲームセンター運営関係者の不断の努力の賜物だと思います。

しかしアーケードゲームが持っていた商品的アドバンテージは徐々に失われ、またゲームセンターの稼得能力もコロナ禍で大きく減衰しているタイミングでの「セガのロケーション撤退」は、いよいよ業界が完全に縮小期へ突入するトリガーとなってしまうのでしょうか。

GENDA会長の片岡氏はtwitterで上記の発言をされています。先行きは決して安泰ではないと思いますが、元OBとして今後店舗、会社、そして業界を如何に活性化させていくのか興味深く見守りたいと思っています。

ゲームセンター回顧録 セガロケーション撤退に思う その3

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セガ秋葉原1号館 2020年10月25日撮影)

セガがロケーションビジネスから撤退することで、どのような影響が考えられるのか。

 

まずは「手放した」セガ側から考察してみます。

 

ロケーションビジネス撤退でセガが失うこととなる売上高はおおよそ年間400億であることを確認しています。セガの売上全体に占める比率は以前より大きく低下しており、ダメージは限定的と見る節もありますが、この400億が他の売上と大きく異なるのは、「その殆どが日銭としてキャッシュでダイレクトに入ってくる」ことにあります。

 

キャッシュは運転資金として即運用できることは勿論ですが、ゲーム制作において開発段階は初期コストを要します。コスト回収はゲームの発売後となるため、開発期間中の資金は何らかの形で調達しなければなりません。

最もポピュラーな資金調達と言えば「銀行からの融資」となりますが、銀行も当然ながら回収が厳しい会社へそう易々とは貸してはくれません。しかし現金収入が期待できるゲームセンターを多数運営していれは融資への敷居は確実に下がることが想定されます。

 

特に大手ゲームメーカーと分類されるセガタイトーそしてナムコがゲーム業界で生き残ってこれたのは、他メーカーと比較して多数のゲームセンターを運営していることで運転資金が確保され、また融資が受けやすくなるというメリットを享受出来たからではないかと考えます。

アーケードゲームメーカーは、大抵自社ロケーションを平行展開した経緯がありますが、大手3社ほど広域的に多数の店舗が展開できなかった中小メーカーは倒産や業務用からの撤退を余儀なくされました。一方カプコンも現在は業務用ゲームタイトルのリリースは少数となっており、一時業務用ゲーム機製造からの撤退が噂されましたがロケーションビジネスについては依然としてショッピングセンター店舗を中心として展開しており、店舗運営ビジネスを継続することにメリットがある裏付けとなっています。

そのメリットこそが「セガはロケーションを手放すことはない」と思う根拠となっていました。

 

しかし今回セガサミーホールディングスはロケーションビジネスを手放しました。

里美社長は以下記事内で「もともと軒先に機械を置いておカネを稼ぐということを創業の頃にやっていたという意味で、(歴史的な意味を持つ)基幹事業」との認識を持ちつつも、「もしこのままわれわれが持っていたとしても、大幅な店舗削減をしなければいけない」と店舗運営ビジネスは悲観的であることを語っています。
toyokeizai.net

確かに店舗の稼得能力が低下している現在、店舗施設やゲーム機といった資産を過剰に抱えておくことは固定費の増加に繋がるため経営的にプラスに作用しません。

 

資金においても上場企業である以上調達手段は存在するため、もはやゲームセンターからのキャッシュに頼る必要は全くないのかもしれません。

 

そして並行して、アーケードゲーム向け開発人員をソフトやアプリの開発に振り向けることも発表されました。

これらの一連の流れはつまるところ、「人、モノ、金」という経営の三要素を業務用ゲーム部門から大きく引き剝がすことを意味します。

アーケードゲーム開発事業は引き続き継続すると表明しているとは言え、今回の事業再編で完全にセガのメインストリームから外れてしまった業務用ゲーム事業が今後いかなる運命を辿っていくのか、何となくその結末が見え隠れしている気がしてなりません。

 

 その4へ続きます。

ゲームセンター回顧録 セガロケーション撤退に思う その2

セガが店舗を手放すことを確認した際、ロケーションビジネスの現状を確認するため、セガサミーホールディングスのIR情報をチェックしました。

 

ホームページ上では、丁度私が退職した2005年以降のデータを確認出来ました。

しかし古い年度において期末のグループ決算説明資料がアップされていないこと、また15年の間に子会社組織の改編が行われた結果、有価証券報告書内のアミューズメント施設事業売上のセグメントに変更があり、統一した資料から数字を拾い上げることが出来なかったため、2010年度を境に以下の2つの資料からデータを抽出しました。

・2005~2009年:セガサミーホールディングス(株)決算短信の「セグメント情報」

・2010年以降:セガサミーホールディングス(株)決算説明資料の「連結損益計算書

 

以下、アミューズメント施設事業における売上高、当期純利益、店舗数をグラフ化しています。売上高及び当期純利益の単位は百万円となります。

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(データは、2005~2009年までは決算短信、2010年以降は決算説明資料より抽出)

私が退職したのは2005年ですが、そこから2006年に掛けてはアミューズメント施設事業が好調な時期で、当時人気が絶頂だったムシキングや、女の子向けカードゲームの「おしゃれ魔女 ラブ&ベリー」もヒットしており、その恩恵を受けていた時期です。

 

しかしその人気が一巡した2007年に純利益が大きく落ち込み、2007年は何とか持ちこたえたものの2008、2009年と2年連続して施設事業セグメントとして大きな赤字を計上することとなります。2回目の希望退職者募集があったのが2009年のこと。あと4年頑張っていれば…(しつこい)

 

1999年のリストラの際は、ドリームキャストの躓きというコンシューマ部門における要因が大きかったと思いますが、2009年の際にはアミューズメント施設事業及びコンシューマ事業における営業損失が理由と明確に記載されており、特に既存店の売上落ち込みが大きかったようです。

この頃は私もセガを離れ、MJをプレイする程度しかゲームセンターへ行く機会が無かったのですが、ムシキングの後継「恐竜キング」もパッとせず、他の業務用タイトルも含めて自社ヒット製品が乏しかった時期に加え、コナミの大型メダルゲームが幅を利かせており商品構成でもハンデが大きかった時期ではないかと思います。

これを機に従来型の既存店整理が一層進行し、3年掛けて店舗を半減させた結果、2011年にようやく止血し再度利益を出せる状況に至ったことがグラフから見て取れます。2009年にセガからタイトーへ合計12店の運営移管がされましたが、これも恐らくは店舗整理の一環として実施されたのでしょう。

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(2020年6月6日撮影。2021年3月末で閉店が決まった、セガより譲渡された店舗のうちの一つタイトーステーション豊橋
 

ただ、2011年以降は若干の浮沈はあるものの、概ね200店の規模と400億程度の売上で推移しており、赤字計上した年度はあるものの傷口は小さく比較的安定して経営を推移させてきたことが窺えます。

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セガサミーホールディングス(株) 2020年3月期決算プレゼンテーションより抜粋)

 

エンタテイメントコンテンツ事業はセガサミーグループにおけるセガ社の担当領域であり、2020年3月の通期業績予想では総売上2460億に対してアミューズメント施設事業で430億、18%弱の割合となっています。

2005年度では35%程度を占めていたため、セガサミーグループ内におけるアミューズメント施設事業のウエイトが小さくなっていたのは紛れもない事実でしょう。

そして2020年度においてはコロナ禍による大幅な売上の低下が避けられない状況となり、またコロナ禍が明けた後にも以前と同様の売上見通しを立てられず将来性が薄いという経営判断が今回の事業譲渡へと繋がった、というのが大筋の見解ではないかと思います。

 

しかしそれでも売上400億です。

また、数字の部分だけでなくセガアミューズメント施設事業を失うことそのもの影響、そして譲渡されたGENDA側においてもセガが直接運営している時と比べると、いくらセガの名前を残しているとはいえ今後様々なマイナス部分が出てくるのでは、と個人的に危惧しています。その内容は次回で説明したく思います。

 

その3へ続きます。

ゲームセンター回顧録 セガロケーション撤退に思う その1

セガが「ロケーションビジネスから撤退する」というニュースを耳にしたのは、丁度セガ勤務時代の回顧録を書いている最中でした。

突然の発表に驚愕した私は直ぐにでもブログにこの話題を取り上げようとも考えましたが、勤務時代の回顧録途中に挟むのも中途半端なため、終了したこのタイミングで取り上げることと相成りました。

www.nikkei.com

報道直後にセガサミー公式からもプレスリリースが発表され、事実であることが判明します。

www.segasammy.co.jp

https://www.segasammy.co.jp/japanese/pdf/release/20201104_j_subsidiary_final.pdf

 (セガIRリポート、2020年11月4日号)

 

そして株式譲渡先の「GENDA」を含んだ正式な社名変更のインフォメーションが掲載され、2020年末をもって名実ともにセガとしてのロケーション運営は終焉を迎えることとなりました。

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(GENDA SEGA Entertainment ロゴ、同社ホームページより転載)
www.sega-entertainment.jp

(GENDA SEGA Entertainment  インフォメーション 12月30日号にて掲載)

 

セガサミーホールディングスが元々の運営子会社であるセガエンタテイメントの全株式を売却した訳ではなく、また社名変更に当たってセガの名称は残しているものの、セガが所有を続ける15%程度の株式ではもはや経営を大きく動かす力は持ち得ないでしょうから、業務用ゲームビジネスは今後も継続するというセガの「のれん」としての株式保持とみてほぼ間違いないでしょう。

 

自分にとって衝撃的だったのは、元勤務先企業が消滅したという事実ももちろんなのですが、セガが「祖業であるゲームセンター事業から手を引く」ことはあり得ないと思っていたからに他なりません。
60th.sega.com

セガの歴史を紐解いて見るとわかりますが、もともとセガはジュークボックスの輸入販売からスタートしており、「メーカー」よりも「ディストリビューター(販売代理店)」の事業が先行しています。

そのビジネスモデルは「ジュークボックスを飲食店や娯楽施設に設置し、機器のメンテナンスやレコードの入れ替えまでを行う。売上はオーナーと契約歩率で分配する」という内容が想像されます。現在の業務用ゲーム機や自販機で一般的な機器レンタル設置のモデルと恐らく大差はありません。

やがてジュークボックスの需要減少に伴い、ビジネスモデルや取引先も類似しているアーケードゲームのレンタルへと業務内容をシフトさせていったと考えれば、ジュークボックスのレンタル設置が祖業であり、その直接の血を引く業務用ゲーム機の機器設置事業が祖業に最も近いと言っても過言ではないと思います。

 

勿論「祖業」というだけでは、それこそジュークボックスが業務用ゲーム機に代わったようにその事業を維持し続ける理由にはなりません。

コロナ禍によって、ゲームセンタービジネスの業績悪化及びビジネスの先行き不透明さが浮き彫りになってしまったという事情があるとはいえ、業務用ゲームのビジネスを抱えていたからこそ浮沈の激しいゲーム業界においてこれまでセガが生き残れてこれたと思うため、多少の業績変動はあっても事業そのものから手を引くことはないと考えていました。

 

その2へ続きます。

私のアーケードゲーム履歴書 サイバトラー 特別編

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ハムスターがリリースをしているPS4、Switch向け「アーケードアーカイブス」シリーズに「サイバトラー」が2月18日に配信開始されました。

www.hamster.co.jp

www.hamster.co.jp

僭越ながら今回のサイバトラーではテストプレイヤーとしてお声掛け頂いたため、協力させて頂きました。

1993年リリースのタイトルなので四半世紀以上まともにプレイをしていなかったこともあり、リハビリを行うもテストプレイまでに何とか1コインクリア出来る程度にまで持っていくのが精一杯...スコア狙いをしていた全盛期には程遠いプレイでしたが、移植度として特に問題ないレベルであることは確認出来たと思います。

 

また、ゲームそのもののチェックとは別に操作デバイスについて要望させてもらっています。

弊ブログのサイバトラーその1でも記載しましたが特にこのゲームは操作系が特殊で、ゲーム中に使用する可能性がある入力として、

①ショット(Aボタン)連射無し:1面の攻撃で使用(連射するとショットが拡がらず攻撃力が落ちる)

②ショット(Aボタン)連射付き:3面以降の攻撃で使用するが、方向が固定できないため連射無しソードボタンを同時に押す必要がある。

➂ソード(Bボタン):連射があれば便利だが、連射付きショットの向きを固定するために連射無しソードも併用しなければならない。

 

上記を全て満たすためには、Aボタン(ショット)、Bボタン(ソード)共に連射有り、無しの計4ボタンを用意しなければなりません。

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(株式会社HORI リアルアーケードプロHAYABUSA 取扱説明書より)

その4ボタンをコンパネ上に配置しようとすれば、上記アケコン(RAP)においては

□:ショット連射なし

△:ショット連射付き

×:ソード連射なし

〇:ソード連射付き

のような配置になると思いますが、方向固定連射とするためには△と×を同時に押す必要があるため煩雑なボタン操作を求められます。

(ボタン操作で親指を普通に使う方はそれ程苦にしないかもしれませんが)

 

自分がプレイする場合は

□:ショット連射なし

△:ソード連射なし

R1:ショット連射付き

と配置していますが、それでも方向固定では△+R1という操作を行う必要があり、かつソードは手連射しなければなりません。

 

その煩わしいボタン入力を改善し少しでも遊び易くするため、いわば方向固定連射ボタン(ショット連射+ソードホールド)を設けられないか要望した所、見事にその機能を実装して頂けました。

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(2021年2月18日 ニコニコ生放送「第293回アーケードアーカーバー サイバトラースペシャル」より)

なんと私PS4もSwitchも持ち合わせておらず、実ソフトでの確認が出来ないため、ニコ生のボタン設定画面から画像を抽出しました。(ででおさんはモザイク加工させて頂きましたw)

 

画面ではR2ボタンに「ソード+ショット」の設定が表示されています。

連射なしだと普通の同時押しになりますが、このボタンに連射を設定すると画面下部注意書きにも記載されている通り、「ショットにのみ連射が反映」されるため、連射を設定し押しっぱなしにすることで「ショット連射+ソードホールド」の機能を有することになります。

 

以下は私の推奨設定です。

□:ショット連射なし

△:ソード連射付き(30連射)

R1:ソード+ショット連射付き(30連射)

ショット、ソード共に連射速度は最速の30連設定で問題ありません。

このボタンを活用することで、特に3面以降の攻略がスムーズに進むことと思いますので、敵に押されて苦労された方は是非お試し頂きたいです。

  

また手前味噌ですが、これまでのブログ記事で多少の攻略的な記事も載せておりますので合わせてご覧いただけると、テストプレイヤー冥利に尽きます。

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最後に、操作系の無茶な要望まで快く実装して頂いたハムスター様にこの場を借りて御礼申し上げます。誠にありがとうございました。

ゲームセンター回顧録 セガの中の人の時代 セガワールド上田 その6

上田の話題からは逸れますが、在籍中には何かと縁があった軽井沢のセガについて少々触れておきます。

 

上田から約40㎞、車を1時間程度走らせると日本を代表する避暑地、軽井沢に到着します。

軽井沢駅に面した場所には軽井沢プリンスショッピングプラザの敷地が広がっていますが、かつてこの中にもセガのゲームセンターが存在していました。

 

プリンスホテルセガは元々関係が深かったようで、品川プリンスホテル内では現在でもセガロケーションの営業が続いています。また苗場プリンスホテルではスキーシーズンになると期間限定でセガがホテル内にゲーム機を設置していたこともあったようです。

 

軽井沢も苗場同様のリゾート型店舗ですが、期間限定ではなくショッピングプラザ内のプリンスボウル建屋1階で通年営業されていました。

そのため他店同様に社員が店舗に常駐、アルバイトスタッフを雇用し店舗運営を行っていたのですが、夏休みのようなハイシーズンは店内にお客様が溢れる一方、閑散期の平日に訪れる方はまばら。ハイシーズンに合わせたスタッフ数を常時確保は出来ないため、私が上田へ赴任する以前から長期休暇になると営業所から社員がヘルプで軽井沢に入ってフロア業務に当たっていたようです。

 

そして夏休み期間中のある日、私は早番勤務で店をオープンさせた後に事務所で作業を行っていると、予告も無くエリアマネージャーの訪問。

上田の店舗スタッフが充分であることを確認すると「今から軽井沢へ行くぞ」と連れ出され、そのまま夜までヘルプをさせられたのが私にとって最初の軽井沢でした。

 

その後繁忙期となると度々ヘルプに向かうことになるのですが、上田のスタッフ運営が安定してからは、一部スタッフもローテーションで駆り出されるようになりました。当然交通費支給で本人了承の上行ってもらいましたが、冷静に考えれば随分と無茶なお願いをしていたものです。 

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(軽井沢・プリンスショッピングプラザ、フロアガイドより)

そして現在の施設案内を見ると、元々セガがあった場所にはナムコが入っているんですね。今回その事実を初めて知るに至りました。

合わせてセガが撤退していたことも知り得た訳ですが、予想される理由はあまり伝えるべき内容ではないと思われるためここでは触れません。ご了承をお願い申し上げます。

 

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結局セガワールド上田での赴任期間は3年半程度に及びました。これまでの店舗と比較して長期に渡ったため回顧録はその6まで掛かってしまいましたが、アルバイトスタッフや人間関係に恵まれたこともあり、これまでの勤務の集大成としてセガという会社の組織人としてのスタンスを守りながら店長としての色を出すことが出来た店舗だったと思います。そして2005年の秋、合わせて8年間勤めたセガを退職し現場を去ることになります。

 

リストラの時も含めて「辞めようかな」と思ったことは一度や二度ではありません。それは会社勤めをしている方であれば誰でも有ることと思います。

それが退職にまで至ったのは、その5で取り上げた店舗改装直後のイオンショッピングセンターオープンに伴う売上の低迷に後押しされてしまったせいではないかと感じています。

 

改装前にも近隣に競合店「アピナ上田インター店」がオープンし、商品構成で不利になった時がありましたが、運営努力で対応可能なことも多かったのでモチベーションが下がるということはありませんでした。

しかしイオンの時には人の流れが完全に変わってしまったため、私やスタッフの努力だけでは正直如何ともし難い状況でした。それが増築・改装直後のタイミングでやって来たため、多額のコストを掛けたことに対するプレッシャーが大きくなり、連日効果が薄い対応策を迫られることに耐えきれなくなってしまったんでしょう。まるで雪崩の前に無力な登山者のように。

 

深刻に考えず軽く受け流すことが出来れば違った道もあったんじゃないかと思いますが、セガの店舗という制約がある中においてゲームセンター運営に対する自分のポリシーを維持出来るのは上田レベルが限界で、それ以上となると会社から求められる店舗と自分の実現したい店舗のギャップに苦しむことになりそうかなと今となっては思うので、丁度良い引き際だったのではないかと感じています。

 

だた、四日市勤務時代に実施され、2回目は無いと思っていたリストラ実施に伴う割増退職金支給が私の退職後に再び実施されたと聞いて、そこまで耐えていれば良かったと非常に後悔しています。(ゲスい話)

 

これにてセガ勤務時代の回顧録は終了となります。長々とお付き合い頂きましてありがとうございました。

ゲームセンター回顧録 セガの中の人の時代 セガワールド上田 その5

その1で、2004年に店舗の改装を実施しており現在は改装後の姿であることを前振りしていましたが、今回はその改装時の話が中心となります。

 

1990年台からセガが郊外型店舗として全国展開していた「セガワールド」という店舗は、「2階建ての店舗で1階がファミリー・一般層向けのプライズゲームや大型筐体・プリクラ等、2階が固定客層向けビデオゲーム及びメダルゲームという構成で、店舗面積が250坪前後」というタイプが多く、2階にも入口があったという特徴はあるものの上田店もそのパッケージに近いものでした。

ただ、ダービーオーナーズクラブから始まった大型カード系ゲームやサテライトタイプのオンライン対応タイトルの台頭、またメダルゲームの大型化が進行するに連れ、言わば「セガワールド第一世代」である250坪程度の店舗では面積の不足が顕在化してきます。

そこで2000年頃になると、第一世代型で採算があまり良くない店舗の閉店を進める一方、300坪以上の面積を有する店舗を新規開店させるスクラップ&ビルドに加え、既存店の改装が進められるのですが、店舗面積不足に対する手当として上田では改装と同時に増築の工事が実施されました。

 

正確なスケジュールは記憶が曖昧なのですが、確か2004年のゴールデンウイークまで旧店舗で営業し一度閉店、1か月程度の増築及び改装期間を経て6月中旬に再オープンだったと思います。

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2020年7月25日撮影(以下写真は全て同一日撮影)

改装内容については、当時店長だった自分も当然色々と意見しています。

セガワールド第一世代型の店舗は、それまでの「ゲームセンターは暗くて入りにくい」という印象を払拭するため、店舗全体に渡って明るい内装に統一していることが殆どでした。

しかしこの頃になるとゲームセンターに対するマイナスイメージが減ってきたことに加え、敢えてフロアの照明を減らしたり間接照明を多用することで非日常間を演出する内装を当時台頭していた「ウェアハウス」や「ザ・サードプラネット」といったロケーションが採用し効果を上げていたこともあり、1階フロアはこれまでのコンセプトを踏襲するものの、2階については増床も伴うことから大きく雰囲気を変更することを選択しました。

 

上の写真は2階への階段踊り場から撮影していますが、2階部分の壁面は改装前は壁ではなく手摺となっており、2階から吹き抜け部分を見通すことができかつ外光が2階にも入る構造となっていました。ここを壁面とすることで1階と2階を分断し、また国道バイパス側へアピールするために壁面に装飾をするプランを主張することで現在のスタイルに決定したと記憶しています。

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そして現在の店舗では、上記写真のレンガ装飾が施されている柱より向こうが増床された部分となります。主にビデオゲーム系が設置されていることは増床オープン当時から変わっていません。設置されている筐体は随分と変わってしまいましたが。

 

実はこの部分、改装オープン当初は営業が出来ず1週間程度封鎖されていました。増床のため営業に供するには所轄署の確認許可が必要なのですがスケジュールが間に合わなかったため、やむを得ず元々のエリアのみで営業を開始したためです。

 

そうして6月に迎えた改装オープン。

あらかじめ新聞折り込み広告を行ってアピールしたのですが、集客のため開店時に広告持参で先着プレゼントを実施していました。その時配られた商品がこちら。

www.a-fromage.co.jp

こちらのチーズ工房にて作られたスイーツ「マスカルポーネシュー」を1日100個用意したのですが、生ものだけに事前に準備出来ないため、プレゼントのある日は朝8時に隣町まで30分程度車を走らせて商品を取りに行くのが自分の仕事でした。

ちなみにマスカルポーネシューはチーズと生クリームの濃厚な味わいで、その割に後味が残らないとても美味しいスイーツ。機会があれば是非食して頂きたい逸品です。(突然のグルメレポート)

 

そうした甲斐もあって、オープン時は増床部分が営業出来なかったにも関わらず前年比120%程度の売上を出し、疲労感の中にも手応えがあったことを良く覚えています。

 

ところが、増床部分も無事オープンし夏休み商戦本番に突入した8月、それまで順調に推移していた売上が突如と前年並みの数字に戻ってしまいます。

原因は市内にイオンの大型ショッピングセンターがオープンしたことでした。

ja.wikipedia.org

元々この場所にはショッピングセンターが存在していたのですが、2003年に建て替えにより閉店。再オープンがセガの改装から1か月後に重なったものです。

当時の商圏最大のショッピングセンターとなり、また上田市中心部から比較的近いためアクセスがセガワールドの場所よりはるかに良かったこともあり、オープン直後は特に週末の集客が目に見えて低下しました。

私が赴任してから固定客層の開拓を進めたとは言え、売上に占める割合は週末のファミリーや一般層に依る所が大きかったことも影響を際立たせてしましました。そりゃ行動範囲内に地域最大のショッピングセンターがオープンすれば普通はそちらへ出向きますよね…

 

その6へ続きます。

ゲームセンター回顧録 セガの中の人の時代 セガワールド上田 その4

2003年、大きな予告も無くとあるキッズ用カードゲームが入荷します。

特に騒がれていたタイトルではなかったのですが、このゲームが追って記録的な大ヒットとなろうとは最初は全く想像していませんでした。

そのタイトルとは「甲虫王者ムシキング」です。

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画像はSEGA VOICE (https://sega.jp/fb/segavoice/050331/home.html) より転載

このブログのメイン読者層には馴染みが薄いタイトルだと思いますが、店長としてこのゲームの運営にかなり入れ込んだ経緯があるため、個別で取り上げることにしました。

 

機器導入においてプロモーションがあったわけではなく、またキッズ向けゲームのため筐体も小ぶりでアイキャッチで目立つのは真ん中にあるカードリーダーくらいのため、正直最初に店舗に導入したときはそれ程売上が期待できるタイトルとは思いませんでした。実際最初の頃は1台でデイリー20~30回程度のプレイ数で、キッズゲームにしては上出来かな?という程度。

ただ導入から時間が経過しレアカードの存在がクローズアップされてくるとプレイ数は寧ろ上昇傾向となり、家族連れのお子様がプレイしている光景が目立つようになってきます。

 

このゲーム、甲虫同士の勝敗をじゃんけんで決するという内容なのですが、対戦に勝利するためにはステータスの強いレアな甲虫カードを所持することに加え、わざカードを合わせて使用することでじゃんけんを少しでも有利にするという戦略性の部分も持ち合わせています。

ある日、店内を巡回している時に何気なくゲーム状況を見ていた私はその戦略性に気付き、「このゲーム、カードを集めてCPU戦させるだけでなく、お子様同士で対戦させたら盛り上がるのでは?」と直感し、面白半分でゲーム大会を実施してみたところ、初回にして30人程度の参加者が集まり驚いたものです。

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ムシキング公式大会参加景品 画像はヤフオクより転載)

人気が出てくることで、追って写真のような大会参加者向けの専用景品や、優勝者にプレゼントされる専用カードといったツールも用意されるのですが、自分が始めた頃はツールは何も無く、手製の賞状をお渡しする程度だったと思います。

それでもかなりの集客に繋がったことに手応えを感じた私は、参加履歴のある方に大会実施の度にDMを送ったり、観戦用の外部モニターを設置したりと集客や運営の改善を進め、また大会数を重ねて実況も板についてきたことも手伝い、仕舞には「ムシキング博士」と称して用意した白衣を着込み子供たちの前で実況していました。まだ当時はいろいろとパワーが有りましたね。

大会は最も多い時には80人近い参加があったと思います。その時は開始から終了まで4時間程度を要したため大会終了後はヘトヘトになって事務所で暫く突っ伏していました。

 

そしてゲームの人気が頂点に達してくると、全国のセガロケーションにてゲーム大会等のイベントが拡がってくることになります。その前から運営ノウハウを蓄積した私は上田店が比較的スタッフ数に余裕があったことも手伝い、長野県の他店でイベントを実施する際に引っ張られて行くようになりました。県内他店で大会を行う際の進行・実況役に始まり、夏季に上信越自動車道のハイウェイオアシス佐久平に設置された「ムシキングワールド」の設営手伝い、東京銀座の銀座博品館に「ムシキングミュージアム」が出来た時の視察など、店舗外で活動する時間が増えてくることになります。


また全国大会も実施され、各店舗予選→地域予選と駒を進めて行くのですが、長野県は北陸エリアに含まれたため地域決勝の場所は金沢。そこに自店から代表として出場する子の応援のために休みを利用して金沢まで向かったりしたものです。

 

このようにセガ在籍時末期は相当な時間と労力をこのゲームに割いていたんだなと思い返しています。

まだムシキングのブームが続いていた2005年に私はセガを退職し、そこでムシキングとの縁は切れてしまったのですが、当時お店で遊んでいたお子様達の殆どが成人となっているはずで、もう私のことなんか覚えていないだろうなあと思いながら時間の経過を痛感しております。

 

その5へ続きます。