小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年4月号

マイコンベーシックマガジン1990年4月号(第9巻第4号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は110となりで先月比-3となっています。新規掲載店が1軒あります。

 

・その他

コミュニティスペースNTK(2店合同)(北海道)

マイコンベーシックマガジン 1990年4月号より)

 

コミュニティスペースNTKの新店オープンに伴い、ゲーメストは1990年3月号から2店合同として掲載が開始されていましたが、ベーマガでも同様の動きとなっています。

 

以下スコア欄となります。

マイコンベーシックマガジン 1990年4月号より)

 

ゲーメスト誌においては、ハイスコア欄と平行して「ヒットゲームBEST10」のコーナーを設け人気機種の動向を掲載していましたが、ベーマガアーケードゲーム専門誌ではないというスタンスからか特にそのようなコーナーはこれまで設けられていませんでした。今号からベーマガの誌面が変更されビデオゲームのヒットチャートのコーナーが開始されています。

マイコンベーシックマガジン 1990年4月号より)

専門誌であるゲーメストと比較すると個別のタイトルに割けるページ数が少ないという事情もあるのでしょうが、その分ヒットチャート欄は2頁を割いてランキングだけでなくインデックス的役割を持たせていたのではないかと思います。

 

こちらのランキングでも既にトップはファイナルファイトとなっていますが、記事内でファイナルファイトのことは一切触れずにグラディウスⅢの件に終始しています。注目度の高さに対して伴わないインカムという現実があり、非常に扱いずらいタイトルであったことが文面から何となく感じ取れてしまいます。

 

続いてトピック店舗へ移ります。

南九州方面のベーマガ初期のナムコ系掲載店舗から「プレイシティキャロットパーツボックス」をピックアップします。

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年1月号より)

2022年8月9日撮影

熊本市最大の商店街である下通アーケードを抜け、路面電車の走る通町筋へ出で向かって左側に「大劇会館」という複合レジャー施設があり、その中に存在しました。

熊本の地場百貨店である鶴屋や熊本市役所からも近く、建物の目の前が路面電車の停留所となっており立地は抜群と言えます。

ゼンリン住宅地図 熊本市西部1984年より)

 

1984年の住宅地図ですが、中央を横切る下通アーケード街の出口左手に大劇会館の文字が確認出来ます。

パチンコ店をキーテナントとし、映画館やゲームセンターを含んだ複合レジャービルで、ゲームセンター部分をナムコが担っていたと思われます。キャロットは2階での営業だったようです。

 

ビルは1969年に建築されているとのことですが、2016年の熊本地震で被災し、復旧に当たってリニューアル工事を行い建築時の外観を復元しているようです。90年台に一度外観を変更しているようなので、現在の写真の外観はむしろキャロットが入居していた時期に近いのかもしれません。

taigekikaikan.com

2022年3月末まではこのビル1階でパチンコ店の営業が続いていたようですが、4月からは休業しており8月時点でテナントは3階から5階に入居しているボウリング場だけとなっています。写真は昼間なのでそれ程目立ちませんが、夜間は1階が殆どシャッターが降りている状況だったためリニューアル後にしては淋しい印象でした。テナントを大々的に募集しているようなのでナムコさんもう一回ここでキャロット始めません?(近隣の桜町バスターミナル内に店舗構えたみたいだから無理か)

 

ハイスコア掲載はベーマガオリジナル26店の一つであり、1987年まではコンスタントにスコアの掲載がされていましたが、1988年に入ると掲載と休載を繰り返すようになり、1989年8月号の掲載が確認している時点では最後となっています。店舗は1996年頃まで存続をしていたようですが、正確な閉店時期は判明していません。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年4月号

ゲーメスト1990年4月号(通算第43号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

総掲載店舗数は先月から変化なく98のまま、今月は新規掲載もありません。

以下スコア欄となります。

 

ゲーメスト 1990年4月号より)

 

80年台後半のアーケードゲームシーンを語るにおいて外すことが出来ない横スクロールシューティング御三家の後継3作がいずれも期待値以下の結果となってしまった中、ヒットゲームのトップに躍り出たのはカプコンの「ファイナルファイト」です。

1989年がテトリスの年であるならば、1990年はファイナルファイトの年となりました。

 

また、テトリスの長期に渡ってのヒット継続、そして一時代を作ったシューティングゲーム代表作の後継タイトルが全てファイナルファイトの人気に敵わなかったことは、80年台においてゲームセンターの花形機種であったシューティングゲームがその座を譲る時が来たことの証左でもありました。

 

一方、動向が少なかったスコア掲載店について今号から動きがあります。

ゲーメスト 1990年4月号より)

 

この頃はゲーメストベーマガ共にほぼ掲載店の枠が一杯となっており、新たに掲載を希望する店舗は多数あったようですがいずれも要望には応えられない状況となっていたようです。

新規掲載希望店舗に対して特段の動きを示さなかったベーマガに対し、ゲーメストは集計店の入れ替えを予め誌面上で告知する方法を取ります。

実際に50号でかなりの数の新規掲載店が現れるのですが、この改定計画についてはその内容を追跡して行きたいと思います。

 

続いてトピック店舗へ移ります。

神奈川県の初期掲載店から「小野塚商店」及び「インベーダーハウストップ」の2店をピックアップします。

 

・小野塚商店

ゲーメスト 1986年9月号より)

2022年7月31日撮影

 

・インベーダーハウストップ

ゲーメスト 1987年1月号より)

2022年3月10日撮影

 

80年台にアーケードゲームをプレイしていた方々にとって、雑貨店や駄菓子屋の店先にゲーム機が設置されていたいわゆる「駄菓子屋ゲーセン」は非常にポピュラーだったと思います。

その殆どはお店の軒先に数台設定されたアップライト筐体や、多くとも10台未満のゲーム機が設置されているというものでしたが、儲かったからなのか店内の一部をゲーム機設置スペースとして専業ゲームセンターに近い形にしていたお店もありました。

 

横浜市磯子区の「小野塚商店」もそのような店舗の一つだったようですが、ハイスコア集計店として誌面に店舗名を掲載する所まで至った稀有な事例です。

 

付近に駅は無く、最も近い根岸線根岸駅からでも徒歩で20分以上は掛かると思われます。高校以上の学校施設も付近に無いことから完全に地元志向で、店の向かいに市営プールがあることから夏場はプールとセットで遊びに来るお子様が多かったのかもしれません。

ゼンリン住宅地図 横浜市磯子区1987年より)

 

地図上の場所は残念ながら現在は更地となっていました。

残されているポストに記載されている住所が店舗と一致したため、場所は間違いないと思われますが、住宅地図の建物の形と現在の跡地の形状が一致しないようにも見えます。

残っているコンクリートやブロック塀の雰囲気から、写真で車が3台止まっている箇所に店舗があったのではないかと推察します。

ゲーメスト 1987年1月号より)

 

早い段階から誌面にスコアを掲載していたこともあってかゲーメストとの関係が深いお店だったようで、誌面の横浜シールハイクでも店舗が取り上げられており僅かですが当時の店舗外観や様子を窺い知ることが出来ます。また別の号では店長のインタビュー記事が掲載されたこともありました。

 

1988年まではコンスタントに誌面にスコアが掲載されていましたが、1989年になると掲載される機会が大幅に減っていきます。この頃になると街の駄菓子屋がスコア掲載を続ける意義が乏しくなってきたのかもしれません。それでも1990年5月号まで掲載は継続されました。

 

もう一方の「インベーダーハウストップ」は藤沢市湘南台駅が最寄です。もともと通っていた小田急江ノ島線に加えて現在は横浜市営地下鉄相鉄いずみ野線が開通し、慶応大学SFCキャンパスも立地して藤沢市北部のターミナルを形成していますが、1987年当時は小田急しか通っておらず現在とは全く光景が異なっていたのではないかと思われます。

 

跡地は駅東口を出て徒歩10分程度の場所となります。

当時の住宅地図でも存在が確認出来ました。

ゼンリン住宅地図 藤沢市北部1987年より)

 

周囲は住宅地で、当時の住宅地図においてもお店は単独ではなく店舗兼住宅のように表記されています。現在も写真のように住宅となっていますが、1階の道路に面したシャッター上部に不自然な看板跡のようなものが存在するため、この場所で営業がされていたものの営業終了後に看板だけがそのまま残されているなのではないかと推察します。

 

掲載は1987年1月からスタートしますが、3月号掲載後に4,5月号と抜け、同年6月号の掲載を最後に姿を消しています。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年3月号

マイコンベーシックマガジン1990年3月号(第9巻第3号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は113で先月比-1。新規掲載店は先月に引き続き存在せずほぼ掲載枠上限で推移しています。

 

以下スコア欄となります。

マイコンベーシックマガジン 1990年3月号より)

 

最大で61店の掲載を誇ったナムコ系掲載店ですが、徐々にその数を減らしていき今号時点では41と2/3程度となっています。今号ではプレイシティキャロット笹塚店(東京)が姿を消し、また先月では分大キャロットハウス(大分)、プレイシティキャロット豊橋店(愛知)、ブックセンタースクラム(宮城)の3店が掲載を終えています。豊橋ゲーメストとの重複掲載だったのですが今号以降はゲーメストのみの掲載となりました。

 

また、山口県防府市の「ゲームランド・プールイン」ですが、今回チャレハイ通信欄に「ピエロ(山口)」「ドラゴンボール(徳山)」との3店合同となる旨が綴られていますが、防府以外の2店については現在確認している時点では一度も住所情報が出てこないため所在地が不明となっています。もし情報をお持ちの方が見えましたらコメントをお寄せ頂きたくお願い致します。

 

トピック店舗は引き続き兵庫県の初期掲載店から「マイコンゲームI.B」及び「ビデオインJOY」の2店を取り上げます。

 

マイコンゲームI.B

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年9月号より)

2022年6月18日撮影

 

・ビデオインJOY

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年11月号より)

2022年5月2日撮影

 

マイコンゲームI.B」は兵庫県の最も大阪寄りである尼崎市にあり、阪急神戸線園田駅前にある商店街内に位置していました。

駅北口を出て真北に伸びる商店街を進むと、右手に現れるスナック等の小規模店が集まった「第3三功ビル」という雑居ビルが跡地となります。

 

1985年の住宅地図において、ビル及び店舗の存在を確認出来ています。

ゼンリン住宅地図 尼崎市北部1985年より)

 

ビル1階に「ゲームセンターI.B」の文字があります。

 

現地調査を行った際、そのものずばりのビルが存在したためそこが跡地であると疑いを持たなかったのですが、写真では北に伸びる商店街と西側から伸びる道の交差点に面してビルがあるのに対し、当時の住宅地図では交差点より更に北側にビルが描かれています。

また、住宅地図では第3三攻ビル単独でコの字型の形状をしているのに対し、現在は第3三攻ビルおよびパロ園田ビルの2つを合わせてコの字型になっているようです。

2022年6月18日撮影

 

こちらの写真は「パロ園田ビル」入口ですが、形状や店舗案内の看板は第3三攻ビル側とほぼ同一であり、奥の通路で両ビルは繋がっています。

そのため元々は「パロ園田ビル」についても「第3三攻ビル」の一部であったのが、何かしらの理由でビルの名義が分割され現在に至っている模様です。よって「パロ園田ビル」側に店舗があった可能性があることを付記しておきます。

いずれにしろ場所も含めてもう少し調査を継続する必要がありそうです。

 

誌面への登場はベーマガ1984年8月号からスタート、1985年6月からは大阪府池田市の「ゲームセンターZONE」との2店合同集計となります。

マイコンベーシックマガジン 1985年5月号より)

マイコンベーシックマガジン 1985年6月号より)

2店合同集計はここが初めてだったようで、合同となる前月の5月号の時点で欄外に告知がなされ、以後1988年6月の掲載終了まで合同集計は継続していました。ZONEの住所は告知の時点で掲載されたのみで、店舗欄に現れることはなかったためマップにはプロットを行っていません。

 

そして一方の「ビデオインJOY」は神戸市内初の掲載店として1984年11月から掲載がスタートしました。JR、神戸市営地地下鉄の新長田駅が最寄となっています。

ゼンリン住宅地図 神戸市長田区1985年より)

 

地図の境目が入ってしまっていますが、境目付近にある「材料置場」の隣に「1Fゲームコーナー ビデオ・イン・ジョイ」の存在が確認出来ます。

 

住宅地図では付近に小型の建物が密集していますが、神戸市長田区は阪神淡路大震災の影響を最も大きく受けた場所で、復興に際し店舗のあった区画は現在「アスタプラザ」という再開発ビルへと変貌を遂げています。住宅地図左端に見える若松公園には復興のシンボルとして設置された原寸大の鉄人28号像があり、店舗跡地前の道は若松公園から南へ伸びるアーケード商店街も含めて現在は「鉄人ストリート」と命名されています。

そのため店舗の形跡は完全に消失しているため、写真は跡地付近と思われる箇所を掲載しています。

 

こちらは掲載期間は短く1985年8月をもってベーマガ店舗欄から姿を消しています。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年3月号

ゲーメスト1990年3月号(通算第42号)のハイスコア集計店マップとなります。

総掲載店舗数は98となり先月比+5と大きく増加しますが、新規は1店のみとなっています。

 

・その他

コミュニティスペースNTK2店合同(北海道)

ゲーメスト 1990年3月号より)

 

1987年1月号から「ゲームプラザNTK恵庭店」にて掲載がスタート、同年7月号より「コミュニティスペースNTK」として拡張移転の上掲載を継続していましたが、今度は移転ではなく既存店舗も営業を継続したまま新店を近隣にオープンさせ2店の合同集計となりました。そのため新規店と分類することは少々相応しくないかもしれませんが、掲載住所が新店となっているため新規掲載扱いとしています。

 

以下スコア欄となります。

ゲーメスト 1990年3月号より)

 

80年台後半のゲームシーンを語る上で外せない「横スクロールシューティング御三家(グラディウスダライアスR-TYPE)」の続編が全て出揃っています。(グラディウスⅢ、ダライアスⅡ、R-TYPEⅡ)1989年は殆ど初代テトリス一色だったため、大物タイトル続編に対しての期待度は相当に高かったことが想像されます。

しかし3タイトルとも前作、もしくは前々作を人気、営業的に超えることは叶いませんでした。現在一部界隈では人気があるグラディウスⅢですが、登場当時は展開の遅さや数々のバグ発生、そして止めとなった無敵技発覚と続き、その期待度の高さに反してプレイヤーはあっという間に離れてしまったのは事実です。

 

続いてトピック店舗へ移ります。

ゲーメスト初期は東京都内ハイスコア掲載店より「ゲームスカッシュ」「エースインターナショナル」の2店をピックアップします。

 

・ゲームセンタースカッシュ

ゲーメスト 1987年3月号より)

2021年12月29日撮影

 

・エースインターナショナル

ゲーメスト 1987年8月号より)

2022年1月22日撮影

 

ゲーメスト初期に東京都内のスコア掲載店が非常に少なかったことは1990年2月号の記事内でも記載しましたが、その中で多摩地区の小金井市に2軒の掲載店が確認されています。

 

「ゲームセンタースカッシュ」は、小金井市の代表駅である武蔵小金井駅前が最寄です。現在ドン・キホーテになっている長崎屋小金井店の裏手に存在しました。

ゼンリン住宅地図 小金井市1988年より)

 

長崎屋裏手付近の交差点角に「大沢ビル」1階に「インベーダースカッシュ」の存在が確認出来ます。

ビルはテナントは入れ替わっていますが2022年時点で現役で、写真1階の自転車店の場所が跡地ではないかと思われます。

1987年3月号にて初めて掲載され、6月号までは漏れなく掲載されていたものの7,8月号と店舗欄なし、9月号で再度掲載されたのが最後となっています。

 

もう一方の「エースインターナショナル」ですが、誌面記載の住所は小金井市武蔵野市の境界付近であり、場所的には東小金井駅武蔵境駅のほぼ中間となります。行ってみたところ住宅地内のアパートでした。写真のアパート銘板住所と誌面の住所は完全に一致しています。

ゼンリン住宅地図 小金井市1988年より)

 

当時の住宅地図では、丁度「梶野町2丁目」の表記左の「コーポマルエ」の場所が該当します。アパート自体は建て替えられていると思われますが区画は変わっておらず、アパートの先は袋小路です。

 

付近に東京電機大学亜細亜大学があり学生需要がありそうではありますが、この場所自体は袋小路に加えて周囲は完全な住宅地で他に商店も無いため、この場所にゲームセンターがあったとは全く思えません。恐らく「エース・インターナショナル」というのは運営会社名であり、店舗は別の場所にあったのではないかと想像されます。

 

こちらは1987年8月号が初掲載ですが9,10月号と掲載されず、11月号に掲載された後に姿を消しています。ゲームセンタースカッシュと掲載が一度も重なっていないことからスカッシュの運営会社がエースインターナショナルである可能性も考えられますが、誌面からはそれを確認出来ないため、もし店舗に関する情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら是非ともコメントを頂きたくお願い申し上げます。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年2月号

マイコンベーシックマガジン1990年2月号(第9巻第2号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は114で枠上限をキープしています。先月に枠が埋まったため掲載希望があっても直ぐには応えられないというコメントがあったこともあり、新規掲載はありません。

 

以下スコア欄となります。

マイコンベーシックマガジン 1990年2月号より)

 

トップスコア欄のコメント、集計タイトルが増加していたこともあり1990年に入ると尺が短くなっているのですが、特に今月のコメントからは少々投げやり感が感じられます。1989年のビデオゲームシーンを支えた初代テトリスの人気も一段落し、スコア欄に並ぶ新作を見ても目立つタイトルに乏しく全体的に停滞感が漂っています。

 

続いてトピック店舗です。場所を大阪府から兵庫県へと移します。

「ゲームセンター・シグマ」をピックアップします。

 

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年7月号より)

2022年5月1日撮影

 

関西方面初のメーカー系列外掲載店として前回紹介した関大前の「ビッグワン」と並んで1984年7月号から掲載された経緯があります。

場所は神戸から電車で40分程度離れた兵庫県三木市。人口8万人弱の神戸のベッドタウンなのですが、こちらの最寄駅である広野ゴルフ場前駅が所属する神戸電鉄粟生線は利用者の減少で廃線問題が取りだたされている始末。

 

そしてゴルフ場前の通り駅前は道路を挟んでゴルフ場となっており、線路の東側には開発された住宅街が広がっていますが、駅や店舗跡の場所からはその存在を視認できません。周囲は写真のように郊外の趣となっており、ドライブインならともかく40年近く前に単独のゲームセンターがここに存在したとはあまり思えない場所です。

 

1985年の住宅地図において店舗の存在が確認されています。

ゼンリン住宅地図 三木市1985年より)

 

テナントの配置表もあり、この位置関係が間違いなければ3階建て建屋の1階左下、写真の「アジアンスパイス&フードマート」の場所が該当します。店舗はそれ程広くなさそうで、当時の典型的な「街のゲームセンター」の風情だったのではないかと想像します。

 

ハイスコアは1985年7月号まで掲載された後、同年11月号の休載表記を最後に姿を消すのですが、住所及び店名の「シグマ」に見覚えがあったため確認した所、家庭でアーケードゲーム基板を動かすためのコントロールボックスを製造販売していた「シグマ電子」と住所が一致しました。

ゲーメスト 1988年5月号より)

ゲーメスト 1988年12月号より)

 

ゲーメスト誌に良く広告を出していたため、この社名で存在を認識していた方も多いのではないでしょうか。かくいう私もこちらでコントロールボックスを購入し、住所に見覚えがあったため気付くことが出来ました。

 

そしてゲーメスト広告を見る限りゲームセンター営業に関するインフォメーションは一切ないため、コントロールボックス関連商品の販売を開始した時点でゲームセンター店舗営業からは撤退していたのではないかと思われます。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年2月号

ゲーメスト1990年2月号(通算第41号)のハイスコア集計店マップとなります。

総掲載店舗数は93と一つ減りますが、新規は1店追加されています。

 

セガ

ハイテクセガ太田(群馬県

ゲーメスト 1990年2月号より)

群馬県太田市に2軒目の集計店として掲載が開始されますが、2ヵ月前の1989年11月号から掲載が開始された「ジャックアンドベティー」とその距離約50m。

店舗でハイスコア集計を行うことがまだ集客策として効果があると思われていた時代には、他店との競争のためか至近距離の店舗がこぞって集計を開始する例は時折見られました。店舗の郊外化が進行する以前は地方の駅前商店街にも複数のゲームセンターが存在しており、まだ活気があった時代を象徴しているようです。

それにしても1989年後半からこの1990年頭にかけて、新たな集計店の追加はほぼストップしているのに対してセガ系店舗だけは5店もの新規掲載がされています。(高崎、金沢、長浜、藤井寺、太田)セガ系店舗がスコア集計に理解があった最後の時期だったようです。一方で、大阪市の「ハイテクランドセガ杉本町」は今号で掲載店から姿を消します。

 

以下スコア欄となります。

ゲーメスト 1990年2月号より)


今号において「ハイスコア集計方法改正のお知らせ」としてスコア集計における幾つかのルールが明文化されました。

ベーマガでは1989年12月号において連射装置の使用が正式に認められる一方装置の有無で集計を分けることはされませんでしたが、ゲーメストベーマガとは異なりタイトルによって差が出る場合は装置の有無に分けて集計を行うこととなりました。連射装置否定派の店舗にも配慮した形となっています。

また、申請数が少ないため店舗別トップ数にカウントされなかった「ハイスコア番外地」が廃止され、マイナータイトルについてもトップの扱いは同等となります。敢えてこの番外地を狙っていたプレイヤーもいたようですが…

 

トピック店舗へと移ります。

先月に引き続きゲーメスト初期の東京都内の掲載店から「アポロ」及び「ジョイランド高島平」の2店をピックアップします。

 

・アポロ

ゲーメスト 1986年5月号より)

2022年1月22日撮影



・ジョイランド高島平

ゲーメスト 1986年5月号より)

2022年2月5日撮影

ゲーメスト初期は、巣鴨以外の都内ナムコ系店舗が殆どエントリーされなかった影響もあり、東京都下の掲載店が非常に少ない状況でした。今回紹介する2店はいずれも1986~87年初頭に掲載された貴重な都内の店舗です。

 

「アポロ」は1986年5月のゲーメスト創刊号から掲載された由緒ある店舗。

創刊号から1986年9月号まで店舗欄が4か月空いた影響で創刊号のみの掲載となった店舗も多い中、前回紹介した「ゲームプラザ・ザ・ゴリラ」共々掲載が継続されています。

 

最寄駅は西武新宿線の久米川。東村山市には東村山駅があるものの、市役所の最寄と乗り換え駅となっている程度でむしろ隣の久米川の方に市街地が形成されています。

駅南口を出て北西方向に伸びるスナックや小規模な居酒屋が集まるエリアを抜けて徒歩5分程度、駅付近の喧騒から少々離れた静かな場所が跡地です。

ゼンリン住宅地図 東村山市1987年より)

地図の境目の影響で分かりにくいですが、サンライズマンション東村山第三と道を挟んで隣接した場所に「ゲームセンターアポロ」の文字を確認出来ます。ゲームセンター単独の建屋だったようです。

ゲーメストへの掲載は1987年6月号までの1年となりました。東村山駅付近にも同じ「アポロ」というゲームセンターが存在したようですがこちらとの関係は不明です。閉店時期は不明で現在は写真のマンションになっています。

 

一方の「ジョイランド高島平」は店名からタイトー系へと分類しています。

都営三田線高島平駅を出て直ぐの「要ビル」に立地していました。高島平団地とは反対側になります。


ゼンリン住宅地図 板橋区1987年より)

当時の住宅地図でも「カナメビル」の存在が確認出来ますが、ビルテナント一覧が無いため地図上で店名の確認までは至りませんでした。隣接する「篠本ビル」は1枚目写真の角地に現在も残っているため、写真のパチンコ店の場所で間違いないと思われます。建屋は建て替えられているようです。

 

こちらは1987年3月号が初掲載ですが、4月号を飛ばして翌5月号の掲載が最後となり、目立ったスコアの実績無く姿を消しています。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年1月号

マイコンベーシックマガジン1990年1月号(第9巻第1号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は114と先月比+6の大幅増加。8ページの店舗欄枠上限である114に久し振りに到達しました。1987年3月以来となります。

新規掲載店は3店あります。

 

セガ

ハイテクセガ金沢(石川県)

 

・その他

スポーツセンターヤングパレス(千葉県)

アトラスシティ(東京都)

マイコンベーシックマガジン 1990年1月号より)

 

ハイテクセガ金沢は既にゲーメストへの掲載が1989年8月から開始されている一方、スポーツセンターヤングパレスはゲーメストへの掲載は3年以上遅れて1993年8月号からとなっています。

 

一方、アトラスシティはアトラスが初めてオープンさせた業務用ロケーションです。以後アトラスは「ムー大陸」「ゲームパニック」のブランドで直営ゲームセンターを展開していくことになります。

 

また、今号から「プレイシティキャロット静岡店」と「プレイシティキャロット両替町店」が合同集計となっています。両店は距離も近かったこともあって合同化へ舵を切り易かったと思われますが、ナムコロケ間の合同集計は静岡とゲーメスト甲府周辺以外に実施する場所はありませんでした。

 

以下スコア欄となります。

マイコンベーシックマガジン 1990年1月号より)

 

掲載店数が枠上限の114に到達したこともあり、今後参加の申し込みを行っても必ずしも希望には添えられない旨が通信欄に記載されています。

しかしこの後、114店の上限数で掲載されるのは翌号までとなり、以後掲載店は減少傾向を辿っていくことなります。

 

続いてトピック店舗です。

大阪府の初期掲載店より「ビッグワン」及び「ゲームプラザUFO」の2店をピックアップします。

 

・ビッグワン

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年7月号より)

2020年3月20日撮影

 

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年9月号より)

2022年3月19日撮影

 

「ビッグワン」は以前にピックアップしている「プレイシティキャロット関大前店」と同じく関西大学前の学生街に位置しています。

場所は関大前駅よりも大学の正門に近く、駅と正門を結ぶメインの通りから少し外れた場所にありました。

ゼンリン住宅地図 吹田市1984年より)

 

現在のGooglemapで地番を入力すると「西山荘」の場所がポイントされますが、その隣に「コピー ビッグワン」の表記が確認出来るためこちらを所在地とみなしています。現地でも西山荘の場所は普通の宅地で、写真の建物が住宅地図上のビッグワンの位置と一致します。

 

かつてコピー機が普及していなかった頃、学生向けにコピーを専門に行う商売が存在し、この周辺にも同様な店舗がいくつか見受けられます。コピー機と合わせてゲーム機も設置していたといった所でしょうか。

しかしハイスコアの掲載はベーマガ1984年7月号の1回のみとなりました。コピー業の片手間だったのかもしれませんが、周辺にキャロットやチャレンジャーと言ったハイスコアでも著名な店舗が林立しているため、プレイヤーが敢えてここを選択する理由は乏しかったかもしれません。

 

一方の「ゲームプラザUFO」は茨木市のJR茨木駅前商店街に立地していました。

住宅地図を確認すると、「マツヤビル」の場所が該当します。

(吉田地図 茨木市1988年より)

 

入手出来た地図が1988年のものなのですが、そちらには「ゲームプラザWELL TALK タイトー」の記載があります。場所は同一のため元からタイトー系店舗で、80年台後半にウィルトークタイトーに店名が変わったと判断しています。

 

追って取り上げることになりますが、同じ商店街を駅の方に20m程進んだ場所に「ソアラビル」という建屋があり、こちらはアミューズメントライフ誌及びゲーメスト創刊直後に掲載店となっていた「Pasadena 茨木店」が所在しています。Pasadena がアミューズメントライフ誌に掲載されたのは1984年6月号から、ゲームプラザUFOはベーマガ1984年8月号からとなっており、近隣で2店の掲載店がしのぎを削っていたことが想像されます。

 

しかしUFOは1985年に入ると休載が目立ち始め、最後にスコアが掲載されたのは1985年10月号まで、翌11月号は休載表記となり店舗欄から姿を消しました。ウィルトークタイトーになる前に掲載は終了してしまったようです。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年1月号

ゲーメスト1990年1月号(通算第40号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

総掲載店舗数は94で先月と同数。新規掲載も無くあまり動きがありません。

以下スコア欄となります。

ゲーメスト 1990年1月号より)

 

前回は取り上げられなかったのですが、1989年12月号を最後に大阪市の「ゲームハウス999」が掲載を停止しています。最初のハイスコア集計店舗である1986年9月号掲載の35店のうち、初回で集計店から離脱した茨木市の「Pasadena」を除くと唯一関西圏で掲載が継続されていましたが、大学の付近とはいえ最寄駅が遠く、プレイヤーが集まるには少々厳しい立地だったのではないかと思われます。

 

また今月のヒットゲームベスト10にて2位にランクインしているアイレムの「X-マルチプライ」ですが、「メーカーの要請によって特集を組めない」という不穏なコメントが記載されています。

ゲーメスト誌とアイレムの関係は、R-TYPEイメージファイトと言ったタイトルが誌面で大々的に取り上げられることでヒットした1987~1988年頃は良好を通り越し蜜月関係とも言えるレベルだったと思われますが、攻略記事が製品寿命を縮めていると判断されたのかこの「X-マルチプライ」から急速に態度を硬化させてしまいました。

結果的にX-マルチプライとR-TYPEⅡの両タイトルはゲーメスト誌上で攻略特集記事が組まれることはなく、紹介記事のみの掲載となりました。1991年になると関係が改善したのか再び攻略記事が組まれるようになるのですが、以後アイレムのタイトルが大きく誌面を飾ることは少なくなったと思われます。

90年台に入るとアイレムは80年台の勢いを失い徐々に凋落してしまうのですが、ゲーメストとの関係悪化はその切っ掛けとなる出来事だったのではないかという気がします。

 

続いてトピック店舗となります。

東京都内のゲーメスト初期単独掲載店より、「ゲームプラザ・ザ・ゴリラ」をピックアップします。

 

ゲーメスト 1986年5月号より)

2022年4月3日撮影

 

池袋のランドマークである「サンシャインシティ」ですが、敷地最深部の文化会館地下1階にかつて「サーカスサーカス」という大型のゲームセンターが入居していました。

ゼンリン住宅地図 東京都豊島区1986年より)

現在でも場所ははっきりとわかるサンシャインシティですが、一応1986年時点の住宅地図をアップします。なお文化会館テナント一覧にサーカスサーカスの文字はありませんでした。

 

サーカスサーカスは「ザ・ピエロ」と「ザ・ゴリラ」の2店で構成されており、双方を合わせた店舗面積は約2200㎡。現在ではこのレベルの広さを持つ店舗は珍しくないのでしょうが、サンシャインシティがグランドオープンした1978年から1980年台においては屋内でこの広さを持つゲームセンターは存在せず、「日本一広いゲームセンター」としてその存在が知られていました。

 

そして「ザ・ピエロ」が定置式の乗り物がメインでどちらかと言えば百貨店屋上のファミリー向けゲームコーナーの構成だったのに対し、「ザ・ゴリラ」はアーケードゲームをメインとしていたことから、当時のゲーマーにはサーカスサーカスやザ・ピエロではなくザ・ゴリラとしての認知が高かったことと思われます。ゲーメストへのハイスコア掲載もザ・ゴリラにて実施されています。

 

1987年3月号のゲーメストに店舗の特集記事が掲載されています。

ゲーメスト 1987年3月号より)

まだUFOキャッチャー登場前で最近のゲームセンターのようにプライズ機ばかりということはなく、メダルゲームも殆ど設置されていなかったようで、広い店内はビデオゲームを中心に最新ゲームからオールドタイトルに至るまで幅広くラインナップされていたようです。

 

ハイスコア掲載は1986年3月のゲーメスト創刊号から開始されましたが、掲載以前からこちらに足跡を残していたスコアラーが多数いらっしゃったことが記事中にて触れられています。

しかし掲載開始時には既に「プレイシティキャロット巣鴨店」がオープンしており、特に80年台後半のスコアシーンでは全国的な知名度を誇っていたため、こちらからハイスコアで目立った実績が生まれることは正直少なかったと思います。大型店の宿命な部分もありますが、プレイヤーにとって製品ラインアップだけではなくメンテナンス対応や連射装置の装備と言った「痒いところに手が届く」サービスが提供されないとプレイヤーを囲い込む所までは至らなかったのではないでしょうか。

 

それでもスコア掲載は長期に渡って続けられ、確認している時点ではゲーメスト1996年11月30日号まで継続しており、10年以上に渡ってスコア欄に店舗名を刻み続けました。店舗は1999年5月まで営業が続きましたが、現在は写真のようにトイザらスとなっています。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1989年12月号

マイコンベーシックマガジン1989年12月号(第8巻第12号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は108となり先月比+2の増加となりました。新規掲載店は4店を確認しています。

 

セガ

ハイテクランドセガ藤井寺店(大阪府

 

タイトー

ハイテクノーベル神保町(東京都)

 

・その他

プレイランドファンタジー宮城県

ゲームランドプールイン(山口県

マイコンベーシックマガジン 1989年12月号より)

 

山口県のゲームランドプールイン以外の3店はいずれもゲーメストとの重複掲載となっています。ハイテクランドセガ藤井寺店はゲーメストとほぼ同時掲載開始ですが、ハイテクノーベル神保町、プレイランドファンタジーの両店は1987年にはゲーメストでの掲載が開始されており、2年以上の間隔を置いてのスタートとなりました。

 

以下スコア欄となります。

マイコンベーシックマガジン 1989年12月号より)

 

トップページのコメントにおいて連射装置の件が触れられています。

1987年頃から一部の店舗で使用が開始された連射装置ですが、元々は装置普及前に問題となった「ボタン擦り行為」によるボタンやコンパネの破損防止、そして顧客サービスとしての導入だったのに対して、ハイスコアを狙うための必須アイテムの要素が徐々に大きくなってきます。

 

当時はパッケージとして装置が販売されていた訳ではなく、回路を作成したり回路図を入手して部品を揃え、ハンドメイドで作成していたためそのような能力を持ったスタッフやプレイヤーがいない、あるいは導入において管理者の許可が取れない店舗から「条件が違い過ぎる」との意見が寄せられていたようです。

これについて見城氏は一蹴。連射装置の使用はオフィシャルで認められることとなり、ベーマガでは最後まで連射装置の有無で集計部門を分けることは実施されませんでした。

 

連射装置や同時押しボタンのレベルであればスコアラー以外でもサービスを享受でき、店舗への満足度を高めたり他店との差別化アイテムとしてアピールできるため、導入を認めたことは適切だったと思います。

ただ、連射が必要なゲームにおいてハードへの対応が出来ない店舗がトップスコアに名を連ねることは難しくなったのは確かです。

またプレイヤーサービスとしての装置ではなく、様々な機能を備えたスコアを出すための装置へと変化して行った際に、「どこまで使用を認めるのか」という新たな問題が追って噴出してくることになります。

 

続いてトピック店舗となります。

堺市セガ系店舗「ゲームスポットイーストサイド」をピックアップします。

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年9月号より)

 

2022年6月18日撮影

最寄駅は南海高野線堺東駅となります。堺市の中心は堺東駅付近と南海本線堺駅に分かれており、歴史的な中心は堺駅ですが堺東駅の方が市役所が近く、駅併設の高島屋もあることから商業地として栄えているようです。

 

駅を出て正面に堺銀座商店街のアーケードが伸びており、その中に店舗は存在しました。

(吉田地図 堺市1985年より)

1985年の住宅地図では「ヤングタウン103」というビルの1階に存在を確認しています。
元々このビルは東宝の映画館がメインで、2階に「堺東宝 堺シネマ」の文字があります。1階のメインテナントとしてマクドナルドとセガが使用していたことが分かります。

 

当初の店舗名からはセガ系店舗と認識は出来ないのですが、1987年3月号から店舗名が「ハイテクセガ103」と変更になっていることからセガ系と判断しています。

マイコンベーシックマガジン 1987年3月号より)

 

ビルは2022年時点でも存在しており、名称も「ヤングタウン103」のままなのですが、オーナーは東宝から変わっているようです。写真のようにテナントはほぼ居酒屋系の飲食店へと変化していました。

 

スコアの掲載はベーマガ1984年9月号からスタート。大阪府の河内、和泉方面では最初の掲載店だったこともありプレイヤーも集まっていたようですが、1988年12月末までの掲載となりました。ゲーメストへの掲載履歴はありません。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1989年12月号

 

ゲーメスト1989年12月号(通算第39号)のハイスコア集計店マップとなります。

掲載店総数は94となり先月比-3と微減。新規掲載店が1店追加されています。

 

セガ

ハイテクランドセガ藤井寺店(大阪府

ゲーメスト 1989年12月号より)

大阪南部のハイスコア有力店としては、1990年代に入ると阪和線杉本町の「プレイシティNASA杉本町」が有名になりますが、その前にはこちら藤井寺のハイテクセガが全国トップをよく輩出していた印象があります。

 

以下スコア欄となります。

ゲーメスト 1989年12月号より)

 

ハイスコア伝言板コーナーのウィルトークタイトー高松店の欄に「遠征客が出した点数申告を受け付けずに地元客優先で誌面申請した」という趣旨の行為の是非について問われていますが、これもスコア集計初期に時折話題となっていました。

申告したのに地元民ではないという理由だけで却下されるのは申告したプレイヤーからすればたまったものではなく、そもそも地元客ではないとどのように判断されるのかと考えると、地元優先ではなく実質常連優先だったのでは?という話に繋がるため、店舗間で情報共有が広まってくるとこの手の話は店舗に対する評価として共有されていたのではないかと思います。

誌面でトップを競う上でハイスコア集計は「競技」になる訳ですが、常連を確保するための「手段」としてハイスコア掲載を行っていた店舗にとっては競技性よりも集客が重要となるため、その見解の相違がこのような事態を産んでいたと想定されます。まあ結果的に常連以外の申請を認めない店舗は掲載店から早々に姿を消していたのではないでしょうか。

 

続いてトピック店舗です。

一時は横浜市の代表的スコア掲載店として名を馳せた「プレイシャトー」をピックアップします。

 

ゲーメスト 1986年9月号より)

2022年2月12日撮影

 

横浜市随一の繁華街である伊勢佐木町通りに面したハイスコア掲載店は、ベーマガには「プレイシティキャロット伊勢佐木町店」「ビデオインイセザキ」の2店が登場していますが、ゲーメストでは上記2店のスコアは掲載されずこちらの「プレイシャトー」が唯一となりました。ベーマガでは1986年4月号から掲載が開始されていましたが、ゲーメストでは少々遅れて第2号である1986年9月号から掲載がスタートしました。

マイコンベーシックマガジン 1986年4月号より)

 

1985年の住宅地図では「泰光ビル」の2階に店舗名を確認出来ます。

ゼンリン住宅地図 横浜市中区1985年より)

 

現在の写真のビルには表記や銘板を確認出来なかったのですが、建て替えはされておらず泰光ビルのままであることを不動産情報から確認しています。撮影時は2階に上る階段は封鎖されており、また1階はテナントが撤退した状態で、入口や看板の形状から直近ではカラオケ店だったと判断しています。

 

この場所は関内駅方面から伊勢佐木町モールを10分程度進む必要があり、到達する前に上記2店の集計店や他のゲームセンターの前を通過することとなります。奥まった場所且つビルの2階という立地は必ずしも有利ではなかったと思われますが、その分プレイ代金を50円メインにしたり、ハイスコア集計やゲームグッズの販売を行うなどゲームファン層の集客に積極的だったことがゲーメストの横浜シールハイクの記事から確認出来ます。

ゲーメスト 1987年1月号より)

 

またゲーメストベーマガのハイスコアコーナー担当者、スコアラーを交えた「ハイスコア座談会」の会場となっていました。ゲーメストベーマガ共にその際の様子や討論の内容が記載されています。

ゲーメスト 1987年8月号より)

 

マイコンベーシックマガジン 1987年7月号より)

ベーマガの記事内に記されていますが、討論会の提案者が店舗の社長であったということに当時のお店の方向性が現れています。

ベーマガにてハイスコア集計が開始され、追ってゲーメストも創刊され軌道に乗りつつあった当時、どちらにもスコアを掲載していた店舗として主要顧客であったゲームファンやスコアラーに配慮しつつも、長時間プレイや永久パターンの使用といった店舗の売上に直結する問題とも向き合う必要があるため。スコアを管理するベーマガゲーメストの担当者から方針を明示してほしいという意思表示だったのではないでしょうか。もしハイスコアが「なんでもあり」というスタンスであれば店舗としてスコア集計を続ける価値はない、と思われていたのかもしれません。

 

実際にはハイスコア集計という競技性を担保するため、「設定は工場出荷時とする」「永久パターン発覚の場合は集計打ち切り」と言った現在まで続く普遍的なルールが確立していくことになります。

 

しかし「月1回実施予定」との記述がある座談会がこの後行われたという形跡はありませんでした。騒がしいゲームセンター店内で討論会を行うということに無理があったのかもしれせんが、「あまり活発な意見が出なかった」とあるように殆どが10代のプレイヤーにとってはまだテーマが重かったのかもしれません。皆若かったということですね…。

 

こうした店舗の活動や運営方針もあって、プレイシャトーは80年台後半の横浜の代表的ハイスコア集計店として全国トップスコアも度々輩出される店舗となります。1987年12月号の時点でゲーメストの全国トップ☆数は9個を数えています。(最終は23個)

1987年末には隣の川崎市に姉妹店がオープンしているようです。しかしこちらは掲載店とはなりませんでした。

マイコンベーシックマガジン 1988年3月号より)

ただこの頃からゲームファンに対するアピールは徐々にトーンダウンしていたようです。

ゲーメスト1987年3月号以外でベーマガも含めて店舗欄を欠いたことがなかったのですが、ベーマガは1990年2月号、ゲーメストは同3月号を最後に姿を消しました。ほぼ同時であることからスコアの集計掲載自体を中止したと考えられます。ハイスコア集計について熱弁を振るっていた社長が交替したのか運営方針が変わってしまったのかもしれませんが、こういう意欲的なお店はもっと大事にしなければならなかったのでは、と今更ながらに思うのです。