小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年7月号

マイコンベーシックマガジン1990年7月号(第9巻第7号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は113と先月比+9の大幅増となり上限の114に近づいています。掲載店が減少傾向となったためか、5店の新規掲載店が追加されました。

 

セガ

ハイテクセガ広島(広島県

 

・その他

ジョイフルランドヒノーズ下井草店(東京都)

 

荏原ゲームコーナー(東京都)

 

アミューズ&レストメイヨー(兵庫県

 

ゲームセンターJOY呉店(広島県

マイコンベーシックマガジン 1990年7月号より)

 

90年台の東京における代表的ハイスコア集計店である「荏原ゲームコーナー」「ジョイフルランドヒノーズ下井草」が揃って誌面に登場しています。ゲーメストには1987年10月から登場していた荏原ゲームコーナーですが、ベーマガでは3年近く遅れての掲載開始となりました。

一方のジョイフルランドヒノーズ下井草がゲーメストに登場するのは、ハイテクノーベル神保町、ジョイランドタローとの3店合同となる1992年5月号まで待つことになります。

 

これでベーマガ誌上には町田、荏原、神保町、下井草の各店が出揃い、90年台のハイスコアシーンで度々その店名をトップスコア欄にて見掛けることになるのですが、その陰で80年台には多数を占めていた東京都内のナムコ系キャロット店舗が、スコアラーの拠点としての役割を終え徐々に店舗欄から姿を消していくことになります。

 

以下店舗欄となります。

マイコンベーシックマガジン 1990年7月号より)

 

スコア欄のトップに「パロディウスだ!」が登場、合わせて「グラディウスⅢ」は永久パターンの発覚で面数集計からも除外されてしまいました。ここで言う「永久パターン」は恐らく無敵技発覚の件と思われます。

流石にこの無敵技発覚は致命的で、2周エンドゲームになったとは言え骨のある2周目攻略が必要なパロディウスにトッププレイヤーは殆ど流れてしまい、グラディウスⅢは急速に店舗から撤去が進んでしまうことになります。

 

続いてトピック店舗へ移ります。

南九州のナムコ系掲載店も4店目、鹿児島県の「ヤング・タウン」をピックアップします。

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年7月号より)

2022年8月8日撮影

「ヤング・タウン」という店舗名称からはここがナムコ系のお店とは判断できないのですが、誌面記載の店舗住所を当時の住宅地図にて確認すると、ナムコの鹿児島事務所が該当します。

ゼンリン住宅地図 鹿児島市1985年より)

ゼンリン住宅地図 鹿児島市1984年より)

 

この場所に営業所と合わせてゲームセンターが併存していたという情報を頂いたため、ヤング・タウンを該当店としてナムコ系店舗として分類しています。

 

所在地である「児島ビル」は現在も存在しています。

現在の1階フロアは写真では駐車場に見えますが、奥が事務所となっており看板を出している不動産店が使用しているようです。

1984年のテナント一覧にはフロア階数の記載がないため、ナムコ事務所が何階に存在したのかは判断できませんが、1階の奥を営業所として使用し、現在の駐車場の部分が以前は店舗だったのではないかと想像しています。当時の状況をご存知の方がいらっしゃいましたら是非ともコメントをお寄せください。

 

こちらの誌面への掲載は他の南九州のナムコ系店舗から少々遅れてベーマガ1984年7月号からとなっています。

しかし9月号には早くも休載表記となり、10,11月号とスコア掲載がされたものの12月号に再度休載となった後に誌面から姿を消しているため、掲載期間は半年間のみに留まっています。1988年3月発行である「オールアバウトナムコⅡ」の「ナムコ直営ゲーム・センター一覧」には記載がないことから、それ以前に店舗としては営業を終了していた公算が大きいと思われます。

 

目の前の道路は鹿児島市電が通り、鹿児島大学からも比較的近いことから沿道にゲームセンターが立地していた形跡がありますが、この場所は路面電車の停留所のほぼ中間で、付近に商店も少ないことからあくまでも事務所の機能が主であり、店舗として運営維持されることはあまり想定されていなかったのかもしれません。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年7月号

ゲーメスト1990年7月号(通算第47号)のハイスコア集計店マップとなります。

総店舗数は92で先月比+1。50号の入れ替えを控え新規掲載は0かと思いきや、1店存在します。

 

・その他

扇が丘レジャーセンター(石川県)

ゲーメスト 1990年7月号より)

90年台以降の金沢を代表するハイスコア集計店はここで登場。他に掲載が開始された店舗が殆どないタイミングなので、掲載にプレイヤーの後押しがあったことが予想されます。

2014年まで営業が継続していたため、最近のプレイヤーでも店舗名を聞いたことがある方は結構いらっしゃるのではないでしょうか。

 

また掲載を終了する店舗が急速に目立つようになります。

確認している範囲でこの号が最後の掲載となった店舗は以下の通りです。

 

ナムコ

うすい百貨店ナムコスカイランド福島県

セガ

ハイテクセガ柏(千葉県)

ハイテクセガ新潟(新潟県

ハイテクセガ三宮(兵庫県

・その他

ヒノデベガス(宮城県

ゲームセンターアスター滋賀県

 

ダイエーレジャーランド郡山店から至近距離で、その陰に隠れがちだったうすい百貨店ナムコスカイランドですが、掲載店としてはこちらの方が継続しました。ただ1989年頃からは掲載は不定期気味になっていましたが…

ハイテクセガ新潟は単独掲載としてはこの号が最後ですが、追って同じ新潟市内のハイテクセガ万代と合同という形となって復活します。

 

以下スコア欄となります。

ゲーメスト 1990年7月号より)

そして「ハイスコア掲載店改訂計画のお知らせ」も4回目となります。

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ゲーメスト 1990年7月号より)

この時点で22店の新規掲載希望があったということですが、これが多いのか少ないのかは評価が分かれるところ。100店程度の誌面枠とすれば22店は結構な数ですが、当時のゲームセンターの数から考えると逆に「募集しても22店しか希望が集まらなかった」と捉えることも出来そうです。

 

トピック店舗は引き続き長野県から、初期に比較的短期の掲載に終わったマイナー店舗を2店を紹介します。

飯山市の「ゲームセンターヤマト」及び長野市の「ウエストサイド」をピックアップします。

 

・ゲームセンターヤマト

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ゲーメスト 1986年11月号より)

2020年9月10日撮影

 

・ウエストサイド

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ゲーメスト 1987年3月号より)

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2020年7月23日撮影

 

「ゲームセンターヤマト」の存在する飯山市長野市から北へ30㎞程北上した人口2万人程の小さな街。冬場は日本有数の豪雪地帯として知られます。その街の代表駅、JR飯山線飯山駅駅前通りに店舗は存在していました。
現在の地図では飯山駅は店舗からみて左下の南西方面に500m程度離れていますが、これは北陸新幹線が出来た時に駅を移転しているため。以前はこの店舗の前の道がそのまま駅正面へつながっていたと思います。

 

トップにはゲーメストのスコア欄を掲載していますが、こちらはベーマガ1986年11月号にも掲載されているためほぼ同時の掲載開始となっています。

マイコンベーシックマガジン 1986年11月号)

 

困ったことに、ゲーメストは住所が「飯山市南町17-1」となっているのに対してベーマガは「飯山市南町12-7」と異なっています。

ゼンリン住宅地図 飯山市1986年より)

当時の住宅地図を確認すると、「南町12-7」の建屋2階に「ヤマト」の記載を発見しているため、ベーマガの住所を正として現地確認を行っています。

建屋の外観から想像すると2階のアーチ型の窓がある場所が跡地ではないかと思われますが、2階に上がる階段があったであろう場所はドアが設けられ立ち入り禁止の張り紙がされていました。1階で喫茶店の営業が続いていますが他の部分は使用されている雰囲気はありません。建屋向かって右半分は元々住居部分となっていたようです。

 

ちなみに「南町17-1」も住所としては存在しており、店舗近くの信号角地となります。

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2020年7月23日撮影

 

もっともらしい建物のため当初こちらを所在地としてブログに記載しましたが、住宅地図と照合した結果住所が異なっていることが判明したため今記事にて訂正いたします。

 

誌面への記載はゲーメストベーマガ共に1986年11月号~1987年12月号の1年間程度となりました。閉店時期は判明しませんが、1996年の住宅地図には記載がないことが確認されています。

 

そしてもう一方の「ウエストサイド」はゲーメスト誌上で長野県長野市のハイスコア集計店舗として初めて登場しました。

誌面記載の「長野市安茂里竹の裏1770-5」という住所では、竹の裏という字名が既に存在しないようで場所がヒットしませんでした。

「安茂里1770-5」では写真のアパートがヒットするため、こちらを跡地と判断しています。恐らく店舗閉店後にアパートに建て替えられたと思われます。

ゼンリン住宅地図 長野市北部1988年より)

 

当時の住宅地図を確認すると、コイン洗車場等と敷地を同一としたドライブイン的な店舗だったようです。現在の写真では周囲には宅地が拡がっていますが88年当時は店舗の背後は殆どが田んぼ。地図右下にある信越本線の線路まで見通せたのではないかと思います。ここから徒歩15分程度の場所に安茂里駅がありますが、駅が開業したのは1985年のため駅が出来てから徐々に宅地化が進行していったようです。

 

 ゲーメストへの掲載は1987年3月~1988年3月とこちらも1年程度の期間に留まっています。県下第二の都市松本市が、プレイシティキャロット松本店の存在によってゲーメストへのハイスコア申請環境が整っていたのに対し、長野市はこちらの撤退以降、ゲーメスト集計店舗には恵まれない場所となってしまいます。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年6月号

マイコンベーシックマガジン1990年6月号(第9巻第6号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は102となり先月比-7と大きく減少していますが、新規掲載店は1店存在しています。

 

セガ

ハイテクセガ高崎(群馬県

マイコンベーシックマガジン 1990年6月号より)

 

ゲーメストには1989年7月号から既に掲載されていましたが、ベーマガへは1年遅れての開始となりました。

ゲーメストでは高崎市の掲載店はセガ以外にウィルトークモンテカルロが存在していましたが、ベーマガでは1986年末の「ゲームシティジル」掲載終了後3年半振りとなります。また群馬県全体でも高崎以外に桐生や太田といった両毛地域のお店が掲載を続けていたゲーメストに対し、ベーマガでは1988年1月号で終了した前橋市の「ファンフル」以来の掲載となっています。

 

以下スコア欄となります。

マイコンベーシックマガジン 1990年6月号より)

 

SNK初の直営ゲームセンターという情報を頂いた尼崎市の「ゲームインウエスタン」、そして同じく東大阪市の「ゲームセンターキャンディ」が揃って今号が最後の掲載となっています。ウエスタンは通信欄にコメントがある位なので今号が最終掲載のような雰囲気が無く、また2店同時であることから何か会社側の意向があったのかもしれません。

また仙台の名店であった「プレイシティキャロット仙台店」が今号で掲載を終了。同時掲載であったゲーメストよりも3か月早くなっています。前後して仙台市内の「ブックセンタースクラム」や「宮城野原キャロットハウス」も掲載を終了しており、仙台市から一気にナムコ系掲載店が姿を消すことになります。

 

続いてトピック店舗へ移ります。

南九州の初期ナムコ系店舗も3回目、宮崎市の「神宮前キャロットハウス」をピックアップします。

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年1月号より)

2022年8月10日撮影

神宮前の「神宮」とは宮崎神宮のことを指します。

広大な境内の前には路線バスの待機、転回所を含めたロータリーがありますが、ロータリーに隣接する「神宮プラザビル」1階がキャロットとなっていました。

 

宮崎市中心市街地からは直線距離で2㎞以上は離れています。

JR日豊線宮崎神宮駅がありますが、こちらも徒歩10分程度は掛かるため近隣に駅はありません。神社正面から宮崎市街地方面に参道が伸びていますが商店が林立しているという雰囲気ではなく、ロータリーに隣接してポツンと佇んでいるような立地となっています。

ゼンリン住宅地図 宮崎市北部1986年より)


1986年の住宅地図ですが、当時から近隣は店舗よりも住宅の方が多く、徒歩圏内にある文化公園も含めて周囲は文教地区といった佇まいです。駐車場も無かったようなので、この場所にゲームセンターを出店した動機が少々掴みにくい店舗ではあります。

 

1990年頃に一度店舗を訪問したことがあるのですが、バスを降りたら目の前にあったような記憶が残っていました。30年振りくらいで現地を再訪してその記憶が間違っていなかったことは確認出来たのですが、肝心の店内の印象が残っていません。何かゲームもプレイしていたはずなんですが…

 

誌面への掲載は同じ九州内の店舗として既に紹介している「プレイシティキャロットパーツボックス」「分大キャロットハウス」と並んでベーマガオリジナル26店に名を連ねています。そしてゲーメストにも1987年1月号から掲載されダブル掲載店となります。

ゲーメスト 1987年1月号より)

 

ゲーメスト掲載開始時の店長は女性の方だったようです。当時の写真やコメントからアットホームなお店の雰囲気が伝わってきます。(敢えて写真は伏せずにアップしています。)

この頃のナムコ直営店の雰囲気に魅了されたゲーマーは非常に多かったのではないでしょうか。

 

そしてナムコ系ハイスコア掲載店が誌面から次々と姿を消す中、確認している時点ではゲーメストは1997年5月30日/6月15日号、ベーマガは1997年9月号までの掲載を確認しており、ベーマガオリジナル26店の中では13年以上と最も長期に渡って掲載が続けられました。

また、他の「キャロットハウス」の名称でスタートした店舗の殆どが追って「プレイシティキャロット」への名称変更を経ているのに対し、ここだけは掲載期間の最後までキャロットハウスの名称が貫き通されたことも特筆すべきポイントなのではないかと思います。

 

閉店時期は不明ですが、ナムコ広報誌「NOURS」No.36 2002年春号の「全国ナムコ店舗ガイド 九州・沖縄編」には店舗の記載がないため、それ以前には閉店していたようです。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年6月号

ゲーメスト1990年6月号(通算第45号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店舗数は91となりで先月比-5と大きく数を減らしています。掲載店改訂計画の影響が徐々に出始めて来たようです。今月も新規掲載はありません。

以下スコア欄となります。

ゲーメスト 1990年6月号より)

 

そしてハイスコア掲載店改訂計画のインフォも3回目。

前回は応募における最低条件の提示程度でしたが、より具体的な条件が掲載されています。

ゲーメスト 1990年6月号より)

 

自身が過去に出入りしていたハイスコア集計店は、どこも店員が常駐し管理も行き届いている店舗が殆どで、それが当たり前と思っていたのですが、現実にはその当たり前が出来ていなかった店舗が多数存在したようです。

例えばスコア確認の連絡を店舗に入れたりすると、対応が高齢の店番従業員で話が全く通じなかったとか。管理が行き届いていないため申請されたスコアに対してのチェックも甘く嘘や真偽不明なスコアの温床となってしまい、では確認しようと店舗へ連絡すればけんもほろろな対応をされるという悪循環では、審査を厳しくするのはやむを得ないことと思われます。

 

また、このブログのトピックで店舗跡地を訪ねると、「本当にこの場所で間違いないのか?」という疑念が生まれることが有るのですが、郵送した集計用紙が宛先不明で返送されるということはそもそも店舗から連絡された住所そのものが間違っていたという可能性もあり、誤植の影響も含めて跡地探索を困難にしている要因にもなっています。

 

トピック店舗へ移ります。

前回に引き続き長野県の初期ゲーメスト掲載店から、「ビックバーン駒ケ根店」及び「ニシザワ双葉店ナムコランド」の2店をピックアップします。

 

・ビックバーン駒ケ根店

ゲーメスト 1986年11月号より)

2020年3月20日撮影

 

・ニシザワ双葉店 ナムコランド

ゲーメスト 1987年1月号より)

2020年3月20日撮影

 

前回の「がらんがらん」に引き続き、2店とも長野県は南信地域の掲載店となります。

「ビックバーン駒ケ根店」は「がらんがらん」と同じ駒ケ根市所在。1987年の住宅地図を確認した所、ボウリング場を中心とした複合レジャー施設だったようです。

ゼンリン住宅地図 駒ケ根市1987年より)

 

「ヒューマンプラザ」という建物名称になっていますが、ルーツは1972年にオープンした「駒ケ根グランドボウル」で、1984年から名称が変更になっています。

テナントリストにゲームセンターの文字は無く、「ハンバーガー ビックバーン」の表記が確認出来ますが、2階のボウリング場にゲームセンターが併設されていたと考えるのが自然と思われます。

 

写真を見ると「YAMAURA」の文字が確認出来ますが、ボウリング場運営もこの会社にて行われており、現在も資材管理センターとして敷地の使用は続いているようです。ボウリング場以外にもスキー場などレジャー施設の経営も行っていたようですが現在は全て撤退しているようで、同社のホームページからはその形跡を窺い知ることは出来なくなっています。

yamaura.co.jp

 

ハイスコアの掲載はゲーメスト1986年11月号の1回のみの留まりました。

 

一方の「ニシザワ双葉店ナムコランド」は、ナムコ系掲載店舗が一気に15店増加したゲーメスト1987年1月号が最初の掲載となっています。

 

こちらは伊那市の店舗となります。

場所は伊那北駅から若干北上した、丁度市街地が途切れるあたりの国道153号線飯田線を跨ぐ陸橋の袂付近となり、現在も「ニシザワマーケットプレイス双葉店」としてスーパーの営業が続いています。

(J.P.A.住宅詳細図 伊那市1990年より)

 

上は1990年の住宅地図ですが、テナントは記載されておらずナムコランドの存在を確認することは出来ませんでした。ただ以前店舗前を通る国道を通過した際、別館となっている現在のコインランドリー部分にゲーム機が設置されていた光景が見えた覚えがあります。そのためナムコランドはこの別館部分で営業されており、撤退後コインランドリーになったのではないかと想定しています。

 

(NOURSバックナンバー No.31 2000年12月号「全国ナムコ店舗ガイド 長野・山梨編」より)

 

こちらのスコア掲載は1987年3月号までの2回のみとなりました。ビックバーン駒ケ根店同様掲載期間は短期に留まっていますが、ナムコPR誌「ノワーズ」バックナンバーにて2000年11月時点では営業が継続していたことが確認されています。オープンは1977年とのことでかなりの老舗だったようです。閉店時期は判明していません。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年5月号

マイコンベーシックマガジン1990年5月号(第9巻第5号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は109で先月比-1、新規掲載店はありません。

以下スコア欄となります。

マイコンベーシックマガジン 1990年5月号より)

 

店舗の動向が少ない中、今号で最も目を引くのはトップスコアのコメント欄です。

1986年12月号からスコアの解説を記名にて行っていた見城こうじ氏が、今号にて担当から退く旨の記載がされています。

 

これまでトップスコア欄の解説に加え、全国のスコア集計店行脚などゲームそのものだけではなくお店やプレイヤーについても造詣が深かった氏ですが、1989年11月号からコメントがアシスタントとの連名となります。それがコーナーから降りることへの布石だったのかもしれません。

 

そして「降りる」という表現もそうですが、コメントからはどことなく無念さが感じられます。当時のアーケードゲームやゲームセンター、そしてハイスコア争いを取り巻く環境がどこか氏の思い描いていた方向と異なっていたのかもしれません。

 

続いてトピック店舗です。

前回に引き続き九州の初期ナムコ系店舗から「分大キャロットハウス」をピックアップします。

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年1月号より)

2022年8月10日撮影

1984年1月号及び2月号のチャレンジハイスコア欄では、店名が「大分キャロットハウス」と表記されています。
「分大」は大分大学の略称で、大分の誤植と解釈されてしまったのかもしれませんが、「分大キャロットハウス」が正式名称となります。

 

ハイスコアコーナー開始告知における店舗リストでは分大と記載がされており、また1984年3月号以降では店舗名が訂正されています。

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1983年12月号より)

 

そしてその店舗名の通り、近隣には大分大学が立地しています。

ただ大分の市街地からは相当距離が離れており、大学以外には店舗付近が学生向け物件も含め新興住宅街となっているものの周囲は郊外の山の中という印象で、基本的には学生目当てのお店と言えそうです。

ゼンリン住宅地図 大分市1985年より)

店舗向かいの「大分県職員研修所」は「大分県自治人材育成センター」として健在。大分大学の敷地は見えませんが地図範囲の北西方向に拡がっています。

また、JR豊肥本線の線路が地図の接続部から西側で消えてしまっていますが、もちろん連続しています。

 

現在は豊肥線に「大分大学前」駅がありますが、1985年当時はまだ駅がありませんでした。駅が開業したのは2002年のため、店舗へのアプローチは路線バスしかなかったことになります。

2022年8月10日撮影

 

写真は大分大学入口付近から大分大学前駅方面、及び大分大学前駅舎を撮影したもの。周囲は殆どが山林となっていることが分かります。

 

2022年8月10日撮影

 

そして駅を過ぎて写真の登り坂を上がった場所にキャロット跡地があります。ここを登って店舗に向かうのはなかなかの苦行です。分大生でなければ車やバイクを所持していないとここに行くというモチベーションは湧きにくいと思います。

 

こちらもベーマガオリジナル26店に名を連ねています。

ゲーメストへも1987年に1回だけですが掲載された履歴が残っています。

ゲーメスト 1987年10月号より)

ベーマガの方は特に大きな休載も無くコンスタントに掲載を続けていましたが、1990年2月号の掲載を最後に姿を消しています。90~91年頃に閉店したとの情報があるため、閉店による掲載終了の可能性が大きいと思われます。大学近隣店舗とは言え付近に駅も無かったこの立地では流石に集客が厳しかったのかもしれません。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年5月号

ゲーメスト1990年5月号(通算第44号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店舗数は96で先月比-2。先月に引き続き今月も新規掲載無しとなっています。

以下スコア欄となります。

ゲーメスト 1990年5月号より)

 

集計店舗にスポットを当てているためあまりハイスコアそのものについてコメントすることが少ない当ブログですが、あれだけの人気を誇りながら集計開始から3か月を経過してもまだファイナルファイト/ハガ―のクリア者が現れていません。

攻略される前はどのキャラでもクリアすることすら厳しかったことに加え、シューティングゲームでスコアを出すことへの特別感が強かったこともあってハイスコア的に当初はプレイヤーのマークが比較的甘かったのでは?という印象があります。

 

そして先月に引き続きハイスコア掲載店改訂計画の告知がされています。

ゲーメスト 1990年5月号より)

 

先月は告知のみでしたが、今月は参加における具体的要件が記されています。これまでの掲載店募集時における要件から特に大きな変化は無く、最低条件が提示されたのみとなっています。

 

続いてトピック店舗です。

場所を長野県に移し、ゲーメスト創刊号からスコアが掲載された「がらんがらん」をピックアップします。

 

ゲーメスト 1986年5月号より)

2022年4月30日撮影

 

ゲーメスト創刊号(1986年5月号)のハイスコアコーナー「目指せゲーメスト」に掲載された21店のうちの一つです。その殆どが短期間で掲載終了となる中、以前紹介した「ゲームプラザ・ザ・ゴリラ」と共に長期に渡ってスコアが掲載されました。

 

場所は長野県駒ケ根市。

長野県は北信(長野市等)、中信(松本市等)、東信(上田市等)、南信(飯田市等)のエリアに大きく分類されますが、飯田市に近い駒ケ根市は南信地域に属します。ゲーメスト初期は南信地域の店舗が比較的多数ノミネートされました。

 

1987年の住宅地図で存在を確認しています。喫茶店レンタルビデオ店と建屋、駐車場を共にした郊外店だったようです。JR駒ケ根駅からだと徒歩で15分程度は掛かるのではないかと思われます。

ゼンリン住宅地図 駒ケ根市1987年より)

 

地図上の南北方向で店舗に接する道路は、現在国道153号のバイパスとなっており中央分離帯ありの4車線道路となっています。バイパス整備のために周辺の土地状況は大きく変化しているようで、1枚目写真の信号、及び信号でバイパスと交差する道も87年時点では存在していません。

丁度、がらんがらん店舗のほぼ真西に鳥居の表記がありますがこの鳥居の存在を現地で確認しています。

2022年4月30日撮影

 

鳥居の前の道は4枚目写真の車止めの場所へと続いています。信号でバイパスと交差する道はこの鳥居の裏側を回り込むようになっています。

2022年4月30日撮影

 

こちらは現地にあった商工案内図ですが、87年住宅地図において「フジサワ理容室」の存在が確認出来るため、理容室から鳥居の前を通り車止めの箇所へと続く道(商工案内図では「(有)よろずや不動産」に接している細い道)が87年当時から存在した道であると判断できます。

 

そのため、状況を照らし合わせるとがらんがらんの建屋はバイパス工事により取り壊され、その後に現在の不動産店の建屋が建てられたのではないかと想定されます。もし異なっているようであればご指摘を頂きたくお願い申し上げます。

 

ちなみに、ゲーメスト創刊号では住所が「赤須町6-22」となっていますが、1986年9月号以降は「赤須東6-23」の表記となります。この住所を現在のGOOGLE MAPに入力すると信号角にある「(株)ヴォーグコーポレーション」の場所を指します。

2020年3月20日撮影

2022年4月30日撮影

 

この場所には写真の住所表記も存在したため、この建屋ががらんがらん跡地であると解釈し一度ブログに掲載したのですが、追って住宅地図を確認したところ場所が異なっていることが判明、再度現地を調査することとなってしまいました。以後は住所情報だけでなく、当時の住宅地図を確認しないと正確な場所は掴めないことを教訓として現地調査を行うようにしています。

 

また、ゲーメストから遅れること2年後の1988年5月号からはベーマガにもスコア掲載を開始しダブル掲載店となっています。

マイコンベーシックマガジン 1988年5月号より)

 

しかしベーマガは1991年2月号にて掲載ストップ、ゲーメストは引き続き掲載が継続されましたが、1993年3月号の掲載が最後となっています。国道バイパスは1997年から工事が着手されているようなので、恐らくその前には店は閉じられていたと思いますが正確な閉店時期は不明です。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年4月号

マイコンベーシックマガジン1990年4月号(第9巻第4号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は110となりで先月比-3となっています。新規掲載店が1軒あります。

 

・その他

コミュニティスペースNTK(2店合同)(北海道)

マイコンベーシックマガジン 1990年4月号より)

 

コミュニティスペースNTKの新店オープンに伴い、ゲーメストは1990年3月号から2店合同として掲載が開始されていましたが、ベーマガでも同様の動きとなっています。

 

以下スコア欄となります。

マイコンベーシックマガジン 1990年4月号より)

 

ゲーメスト誌においては、ハイスコア欄と平行して「ヒットゲームBEST10」のコーナーを設け人気機種の動向を掲載していましたが、ベーマガアーケードゲーム専門誌ではないというスタンスからか特にそのようなコーナーはこれまで設けられていませんでした。今号からベーマガの誌面が変更されビデオゲームのヒットチャートのコーナーが開始されています。

マイコンベーシックマガジン 1990年4月号より)

専門誌であるゲーメストと比較すると個別のタイトルに割けるページ数が少ないという事情もあるのでしょうが、その分ヒットチャート欄は2頁を割いてランキングだけでなくインデックス的役割を持たせていたのではないかと思います。

 

こちらのランキングでも既にトップはファイナルファイトとなっていますが、記事内でファイナルファイトのことは一切触れずにグラディウスⅢの件に終始しています。注目度の高さに対して伴わないインカムという現実があり、非常に扱いずらいタイトルであったことが文面から何となく感じ取れてしまいます。

 

続いてトピック店舗へ移ります。

南九州方面のベーマガ初期のナムコ系掲載店舗から「プレイシティキャロットパーツボックス」をピックアップします。

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年1月号より)

2022年8月9日撮影

熊本市最大の商店街である下通アーケードを抜け、路面電車の走る通町筋へ出で向かって左側に「大劇会館」という複合レジャー施設があり、その中に存在しました。

熊本の地場百貨店である鶴屋や熊本市役所からも近く、建物の目の前が路面電車の停留所となっており立地は抜群と言えます。

ゼンリン住宅地図 熊本市西部1984年より)

 

1984年の住宅地図ですが、中央を横切る下通アーケード街の出口左手に大劇会館の文字が確認出来ます。

パチンコ店をキーテナントとし、映画館やゲームセンターを含んだ複合レジャービルで、ゲームセンター部分をナムコが担っていたと思われます。キャロットは2階での営業だったようです。

 

ビルは1969年に建築されているとのことですが、2016年の熊本地震で被災し、復旧に当たってリニューアル工事を行い建築時の外観を復元しているようです。90年台に一度外観を変更しているようなので、現在の写真の外観はむしろキャロットが入居していた時期に近いのかもしれません。

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2022年3月末まではこのビル1階でパチンコ店の営業が続いていたようですが、4月からは休業しており8月時点でテナントは3階から5階に入居しているボウリング場だけとなっています。写真は昼間なのでそれ程目立ちませんが、夜間は1階が殆どシャッターが降りている状況だったためリニューアル後にしては淋しい印象でした。テナントを大々的に募集しているようなのでナムコさんもう一回ここでキャロット始めません?(近隣の桜町バスターミナル内に店舗構えたみたいだから無理か)

 

ハイスコア掲載はベーマガオリジナル26店の一つであり、1987年まではコンスタントにスコアの掲載がされていましたが、1988年に入ると掲載と休載を繰り返すようになり、1989年8月号の掲載が確認している時点では最後となっています。店舗は1996年頃まで存続をしていたようですが、正確な閉店時期は判明していません。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年4月号

ゲーメスト1990年4月号(通算第43号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

総掲載店舗数は先月から変化なく98のまま、今月は新規掲載もありません。

以下スコア欄となります。

 

ゲーメスト 1990年4月号より)

 

80年台後半のアーケードゲームシーンを語るにおいて外すことが出来ない横スクロールシューティング御三家の後継3作がいずれも期待値以下の結果となってしまった中、ヒットゲームのトップに躍り出たのはカプコンの「ファイナルファイト」です。

1989年がテトリスの年であるならば、1990年はファイナルファイトの年となりました。

 

また、テトリスの長期に渡ってのヒット継続、そして一時代を作ったシューティングゲーム代表作の後継タイトルが全てファイナルファイトの人気に敵わなかったことは、80年台においてゲームセンターの花形機種であったシューティングゲームがその座を譲る時が来たことの証左でもありました。

 

一方、動向が少なかったスコア掲載店について今号から動きがあります。

ゲーメスト 1990年4月号より)

 

この頃はゲーメストベーマガ共にほぼ掲載店の枠が一杯となっており、新たに掲載を希望する店舗は多数あったようですがいずれも要望には応えられない状況となっていたようです。

新規掲載希望店舗に対して特段の動きを示さなかったベーマガに対し、ゲーメストは集計店の入れ替えを予め誌面上で告知する方法を取ります。

実際に50号でかなりの数の新規掲載店が現れるのですが、この改定計画についてはその内容を追跡して行きたいと思います。

 

続いてトピック店舗へ移ります。

神奈川県の初期掲載店から「小野塚商店」及び「インベーダーハウストップ」の2店をピックアップします。

 

・小野塚商店

ゲーメスト 1986年9月号より)

2022年7月31日撮影

 

・インベーダーハウストップ

ゲーメスト 1987年1月号より)

2022年3月10日撮影

 

80年台にアーケードゲームをプレイしていた方々にとって、雑貨店や駄菓子屋の店先にゲーム機が設置されていたいわゆる「駄菓子屋ゲーセン」は非常にポピュラーだったと思います。

その殆どはお店の軒先に数台設定されたアップライト筐体や、多くとも10台未満のゲーム機が設置されているというものでしたが、儲かったからなのか店内の一部をゲーム機設置スペースとして専業ゲームセンターに近い形にしていたお店もありました。

 

横浜市磯子区の「小野塚商店」もそのような店舗の一つだったようですが、ハイスコア集計店として誌面に店舗名を掲載する所まで至った稀有な事例です。

 

付近に駅は無く、最も近い根岸線根岸駅からでも徒歩で20分以上は掛かると思われます。高校以上の学校施設も付近に無いことから完全に地元志向で、店の向かいに市営プールがあることから夏場はプールとセットで遊びに来るお子様が多かったのかもしれません。

ゼンリン住宅地図 横浜市磯子区1987年より)

 

地図上の場所は残念ながら現在は更地となっていました。

残されているポストに記載されている住所が店舗と一致したため、場所は間違いないと思われますが、住宅地図の建物の形と現在の跡地の形状が一致しないようにも見えます。

残っているコンクリートやブロック塀の雰囲気から、写真で車が3台止まっている箇所に店舗があったのではないかと推察します。

ゲーメスト 1987年1月号より)

 

早い段階から誌面にスコアを掲載していたこともあってかゲーメストとの関係が深いお店だったようで、誌面の横浜シールハイクでも店舗が取り上げられており僅かですが当時の店舗外観や様子を窺い知ることが出来ます。また別の号では店長のインタビュー記事が掲載されたこともありました。

 

1988年まではコンスタントに誌面にスコアが掲載されていましたが、1989年になると掲載される機会が大幅に減っていきます。この頃になると街の駄菓子屋がスコア掲載を続ける意義が乏しくなってきたのかもしれません。それでも1990年5月号まで掲載は継続されました。

 

もう一方の「インベーダーハウストップ」は藤沢市湘南台駅が最寄です。もともと通っていた小田急江ノ島線に加えて現在は横浜市営地下鉄相鉄いずみ野線が開通し、慶応大学SFCキャンパスも立地して藤沢市北部のターミナルを形成していますが、1987年当時は小田急しか通っておらず現在とは全く光景が異なっていたのではないかと思われます。

 

跡地は駅東口を出て徒歩10分程度の場所となります。

当時の住宅地図でも存在が確認出来ました。

ゼンリン住宅地図 藤沢市北部1987年より)

 

周囲は住宅地で、当時の住宅地図においてもお店は単独ではなく店舗兼住宅のように表記されています。現在も写真のように住宅となっていますが、1階の道路に面したシャッター上部に不自然な看板跡のようなものが存在するため、この場所で営業がされていたものの営業終了後に看板だけがそのまま残されているなのではないかと推察します。

 

掲載は1987年1月からスタートしますが、3月号掲載後に4,5月号と抜け、同年6月号の掲載を最後に姿を消しています。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年3月号

マイコンベーシックマガジン1990年3月号(第9巻第3号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は113で先月比-1。新規掲載店は先月に引き続き存在せずほぼ掲載枠上限で推移しています。

 

以下スコア欄となります。

マイコンベーシックマガジン 1990年3月号より)

 

最大で61店の掲載を誇ったナムコ系掲載店ですが、徐々にその数を減らしていき今号時点では41と2/3程度となっています。今号ではプレイシティキャロット笹塚店(東京)が姿を消し、また先月では分大キャロットハウス(大分)、プレイシティキャロット豊橋店(愛知)、ブックセンタースクラム(宮城)の3店が掲載を終えています。豊橋ゲーメストとの重複掲載だったのですが今号以降はゲーメストのみの掲載となりました。

 

また、山口県防府市の「ゲームランド・プールイン」ですが、今回チャレハイ通信欄に「ピエロ(山口)」「ドラゴンボール(徳山)」との3店合同となる旨が綴られていますが、防府以外の2店については現在確認している時点では一度も住所情報が出てこないため所在地が不明となっています。もし情報をお持ちの方が見えましたらコメントをお寄せ頂きたくお願い致します。

 

トピック店舗は引き続き兵庫県の初期掲載店から「マイコンゲームI.B」及び「ビデオインJOY」の2店を取り上げます。

 

マイコンゲームI.B

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年9月号より)

2022年6月18日撮影

 

・ビデオインJOY

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年11月号より)

2022年5月2日撮影

 

マイコンゲームI.B」は兵庫県の最も大阪寄りである尼崎市にあり、阪急神戸線園田駅前にある商店街内に位置していました。

駅北口を出て真北に伸びる商店街を進むと、右手に現れるスナック等の小規模店が集まった「第3三功ビル」という雑居ビルが跡地となります。

 

1985年の住宅地図において、ビル及び店舗の存在を確認出来ています。

ゼンリン住宅地図 尼崎市北部1985年より)

 

ビル1階に「ゲームセンターI.B」の文字があります。

 

現地調査を行った際、そのものずばりのビルが存在したためそこが跡地であると疑いを持たなかったのですが、写真では北に伸びる商店街と西側から伸びる道の交差点に面してビルがあるのに対し、当時の住宅地図では交差点より更に北側にビルが描かれています。

また、住宅地図では第3三攻ビル単独でコの字型の形状をしているのに対し、現在は第3三攻ビルおよびパロ園田ビルの2つを合わせてコの字型になっているようです。

2022年6月18日撮影

 

こちらの写真は「パロ園田ビル」入口ですが、形状や店舗案内の看板は第3三攻ビル側とほぼ同一であり、奥の通路で両ビルは繋がっています。

そのため元々は「パロ園田ビル」についても「第3三攻ビル」の一部であったのが、何かしらの理由でビルの名義が分割され現在に至っている模様です。よって「パロ園田ビル」側に店舗があった可能性があることを付記しておきます。

いずれにしろ場所も含めてもう少し調査を継続する必要がありそうです。

 

誌面への登場はベーマガ1984年8月号からスタート、1985年6月からは大阪府池田市の「ゲームセンターZONE」との2店合同集計となります。

マイコンベーシックマガジン 1985年5月号より)

マイコンベーシックマガジン 1985年6月号より)

2店合同集計はここが初めてだったようで、合同となる前月の5月号の時点で欄外に告知がなされ、以後1988年6月の掲載終了まで合同集計は継続していました。ZONEの住所は告知の時点で掲載されたのみで、店舗欄に現れることはなかったためマップにはプロットを行っていません。

 

そして一方の「ビデオインJOY」は神戸市内初の掲載店として1984年11月から掲載がスタートしました。JR、神戸市営地地下鉄の新長田駅が最寄となっています。

ゼンリン住宅地図 神戸市長田区1985年より)

 

地図の境目が入ってしまっていますが、境目付近にある「材料置場」の隣に「1Fゲームコーナー ビデオ・イン・ジョイ」の存在が確認出来ます。

 

住宅地図では付近に小型の建物が密集していますが、神戸市長田区は阪神淡路大震災の影響を最も大きく受けた場所で、復興に際し店舗のあった区画は現在「アスタプラザ」という再開発ビルへと変貌を遂げています。住宅地図左端に見える若松公園には復興のシンボルとして設置された原寸大の鉄人28号像があり、店舗跡地前の道は若松公園から南へ伸びるアーケード商店街も含めて現在は「鉄人ストリート」と命名されています。

そのため店舗の形跡は完全に消失しているため、写真は跡地付近と思われる箇所を掲載しています。

 

こちらは掲載期間は短く1985年8月をもってベーマガ店舗欄から姿を消しています。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年3月号

ゲーメスト1990年3月号(通算第42号)のハイスコア集計店マップとなります。

総掲載店舗数は98となり先月比+5と大きく増加しますが、新規は1店のみとなっています。

 

・その他

コミュニティスペースNTK2店合同(北海道)

ゲーメスト 1990年3月号より)

 

1987年1月号から「ゲームプラザNTK恵庭店」にて掲載がスタート、同年7月号より「コミュニティスペースNTK」として拡張移転の上掲載を継続していましたが、今度は移転ではなく既存店舗も営業を継続したまま新店を近隣にオープンさせ2店の合同集計となりました。そのため新規店と分類することは少々相応しくないかもしれませんが、掲載住所が新店となっているため新規掲載扱いとしています。

 

以下スコア欄となります。

ゲーメスト 1990年3月号より)

 

80年台後半のゲームシーンを語る上で外せない「横スクロールシューティング御三家(グラディウスダライアスR-TYPE)」の続編が全て出揃っています。(グラディウスⅢ、ダライアスⅡ、R-TYPEⅡ)1989年は殆ど初代テトリス一色だったため、大物タイトル続編に対しての期待度は相当に高かったことが想像されます。

しかし3タイトルとも前作、もしくは前々作を人気、営業的に超えることは叶いませんでした。現在一部界隈では人気があるグラディウスⅢですが、登場当時は展開の遅さや数々のバグ発生、そして止めとなった無敵技発覚と続き、その期待度の高さに反してプレイヤーはあっという間に離れてしまったのは事実です。

 

続いてトピック店舗へ移ります。

ゲーメスト初期は東京都内ハイスコア掲載店より「ゲームスカッシュ」「エースインターナショナル」の2店をピックアップします。

 

・ゲームセンタースカッシュ

ゲーメスト 1987年3月号より)

2021年12月29日撮影

 

・エースインターナショナル

ゲーメスト 1987年8月号より)

2022年1月22日撮影

 

ゲーメスト初期に東京都内のスコア掲載店が非常に少なかったことは1990年2月号の記事内でも記載しましたが、その中で多摩地区の小金井市に2軒の掲載店が確認されています。

 

「ゲームセンタースカッシュ」は、小金井市の代表駅である武蔵小金井駅前が最寄です。現在ドン・キホーテになっている長崎屋小金井店の裏手に存在しました。

ゼンリン住宅地図 小金井市1988年より)

 

長崎屋裏手付近の交差点角に「大沢ビル」1階に「インベーダースカッシュ」の存在が確認出来ます。

ビルはテナントは入れ替わっていますが2022年時点で現役で、写真1階の自転車店の場所が跡地ではないかと思われます。

1987年3月号にて初めて掲載され、6月号までは漏れなく掲載されていたものの7,8月号と店舗欄なし、9月号で再度掲載されたのが最後となっています。

 

もう一方の「エースインターナショナル」ですが、誌面記載の住所は小金井市武蔵野市の境界付近であり、場所的には東小金井駅武蔵境駅のほぼ中間となります。行ってみたところ住宅地内のアパートでした。写真のアパート銘板住所と誌面の住所は完全に一致しています。

ゼンリン住宅地図 小金井市1988年より)

 

当時の住宅地図では、丁度「梶野町2丁目」の表記左の「コーポマルエ」の場所が該当します。アパート自体は建て替えられていると思われますが区画は変わっておらず、アパートの先は袋小路です。

 

付近に東京電機大学亜細亜大学があり学生需要がありそうではありますが、この場所自体は袋小路に加えて周囲は完全な住宅地で他に商店も無いため、この場所にゲームセンターがあったとは全く思えません。恐らく「エース・インターナショナル」というのは運営会社名であり、店舗は別の場所にあったのではないかと想像されます。

 

こちらは1987年8月号が初掲載ですが9,10月号と掲載されず、11月号に掲載された後に姿を消しています。ゲームセンタースカッシュと掲載が一度も重なっていないことからスカッシュの運営会社がエースインターナショナルである可能性も考えられますが、誌面からはそれを確認出来ないため、もし店舗に関する情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら是非ともコメントを頂きたくお願い申し上げます。