マイコンベーシックマガジン1990年9月号(第9巻第9号)のハイスコア集計店マップとなります。
掲載店総数は100ちょうどとなり、先月比-7と今月も大きく数字を減らしています。2ヵ月前の113から2ヵ月で一気に約1割が減少したことになります。また新規掲載は今月も無しとなっています。
以下スコア欄となります。
(マイコンベーシックマガジン 1990年9月号より)
チャレハイ通信欄に「UFOキャッチャー入荷」のコメントがあります。最初のUFOキャッチャーブームはセガの「NEW UFO CATCHER」が販売された1991年以降と認識しているので、この頃はまだ本格的なブーム前であり設置機種は初代UFO CATCHERであろうと思われます。
大型筐体ものに目新しさが無くなり、テトリスのブームも沈静化したこの頃のビデオゲーム市場は少々頭打ちな感もあり、ビデオゲーム以外の収益を確保するためにプライズゲームが着目され始めた時期です。
当時のプライズゲームは店頭に1,2台設置されるだけで、まだビデオゲームがゲームセンターの主流であることに変わりはありませんでしたが、高い収益とメーカーのゲームセンター客層転換の意向も絡んでプライズゲームに店舗は着々と浸食されていくことになります。最もこれが無ければもっと早くにゲームセンターは滅んでいたのかもしれませんが。
トピック店舗へ移ります。
静岡県のタイトー系掲載店から「ビデオインパズル」及び「ウィルトークタイトー三島店」の2店を取り上げます。
・ビデオインパズル
(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年9月号より)
2021年2月20日撮影
(マイコンベーシックマガジン 1987年8月号より)
2021年5月2日撮影
「ビデオインパズル」は浜松市郊外にある佐鳴湖に面した高台に開発された新興住宅地を横切る道路沿いに位置します。店舗前の道路を南下すると前回紹介している「ナムコランド浜松西店」のある現在の「イオン浜松西店」に突き当たります。
1986年の住宅地図に存在を確認しています。周囲は殆どが住宅で、正面道路は片側2車線ありますが郊外幹線道路沿いによく見られるロードサイド型チェーン店の姿はほぼ無く、非常に閑静でここがゲームセンターの跡地とは想像しにくい場所です。
Twitterに営業当時の店舗外観写真がアップされていました。
ビデオ イン パズル(静岡県浜松市:1983年頃)。浜松市にあった郊外型のタイトーロケーション。暮れなずむ雰囲気と、お店の概観と看板の形状、ゲーム&スナックの文字が素敵! 溢れ出る80's感! 2021年1月現在のネット検索では情報がヒットしませんでした。#ゲーセンを語ろう #懐かしい写真 pic.twitter.com/6eB2uQZRd6
— ぜくう@アーケード没ゲー本 好評発売中! (@Area51_zek) January 25, 2021
店舗名称からはタイトー系の店舗と判別出来ないのですが、上記資料から店舗をタイトー系として分類することにしています。
「ゲーム&スナック」の看板もあるようにオープン時は軽食コーナーも設置されており、ドライブイン型の店舗を指向してしたようです。資料は見つかっていませんが、新風営法施行前は24時間営業が実施されていたのかもしれません。
現在は「グリーンジャケット」というゴルフ用品ショップとなっていますが、写真を比較するとパズル時代の建屋ではなく建て替えられているようです。
ハイスコアの掲載はベーマガ1984年8月号から開始されました。タイトー系の店舗が同時に多数エントリーされたタイミングです。ナムコ系ロケーション以外の初期掲載店が着々と店舗欄から姿を消す中で1987年2月号まで掲載は継続しました。閉店時期は不明です。
そしてもう一方の「ウィルトークタイトー三島店」は静岡県東部地域、三島駅前に面する商店街内に位置した都市型店舗となります。
三島駅前から三島市中心市街地である旧東海道沿いの三島本町方面へ伸びる通り沿いに商店街が掲載されており、その途中にある現在の「第2コウワビル」が跡地となります。1989年当時の名称は「第二富士見ビル」となっておりの住宅地図では1階に「ゲームコーナー タイトー」の文字があります。
正面から見た建屋正面は写真を見て頂けるとわかりやすいですがかなり複雑な構造となっており、雑然と取り付けられた多数の看板が飲食店やスナックを中心とした駅前雑居ビルの雰囲気を醸し出しています。建物1階の奥へ伸びる通路がありますが、ゲームセンターが入れるような大きな容積の店舗が奥にはなさそうなので、恐らく正面左手の居酒屋「三ツ星マート」の場所に元々存在したのではないでしょうか。
誌面への掲載はベーマガ1987年8月号からスタート、87年11月号では初代ストリートファイターの全国トップを輩出する実績もありましたが、翌88年5月号までの短期の掲載に留まっています。三島市は同じ通り沿いに後日再びハイスコア掲載店が現れるのですが、少々間隔が空き90年台中盤まで待つことになります。