小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年9月号

マイコンベーシックマガジン1990年9月号(第9巻第9号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は100ちょうどとなり、先月比-7と今月も大きく数字を減らしています。2ヵ月前の113から2ヵ月で一気に約1割が減少したことになります。また新規掲載は今月も無しとなっています。

 

以下スコア欄となります。

マイコンベーシックマガジン 1990年9月号より)

 

チャレハイ通信欄に「UFOキャッチャー入荷」のコメントがあります。最初のUFOキャッチャーブームはセガの「NEW UFO CATCHER」が販売された1991年以降と認識しているので、この頃はまだ本格的なブーム前であり設置機種は初代UFO CATCHERであろうと思われます。

大型筐体ものに目新しさが無くなり、テトリスのブームも沈静化したこの頃のビデオゲーム市場は少々頭打ちな感もあり、ビデオゲーム以外の収益を確保するためにプライズゲームが着目され始めた時期です。

当時のプライズゲームは店頭に1,2台設置されるだけで、まだビデオゲームがゲームセンターの主流であることに変わりはありませんでしたが、高い収益とメーカーのゲームセンター客層転換の意向も絡んでプライズゲームに店舗は着々と浸食されていくことになります。最もこれが無ければもっと早くにゲームセンターは滅んでいたのかもしれませんが。

 

トピック店舗へ移ります。

静岡県タイトー系掲載店から「ビデオインパズル」及び「ウィルトークタイトー三島店」の2店を取り上げます。

 

・ビデオインパズル

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年9月号より)

2021年2月20日撮影

 

・ウィルトークタイトー三島店

マイコンベーシックマガジン 1987年8月号より)

2021年5月2日撮影

 

「ビデオインパズル」は浜松市郊外にある佐鳴湖に面した高台に開発された新興住宅地を横切る道路沿いに位置します。店舗前の道路を南下すると前回紹介している「ナムコランド浜松西店」のある現在の「イオン浜松西店」に突き当たります。

ゼンリン住宅地図 浜松市1986年より)

 

1986年の住宅地図に存在を確認しています。周囲は殆どが住宅で、正面道路は片側2車線ありますが郊外幹線道路沿いによく見られるロードサイド型チェーン店の姿はほぼ無く、非常に閑静でここがゲームセンターの跡地とは想像しにくい場所です。

 

Twitterに営業当時の店舗外観写真がアップされていました。

店舗名称からはタイトー系の店舗と判別出来ないのですが、上記資料から店舗をタイトー系として分類することにしています。

「ゲーム&スナック」の看板もあるようにオープン時は軽食コーナーも設置されており、ドライブイン型の店舗を指向してしたようです。資料は見つかっていませんが、新風営法施行前は24時間営業が実施されていたのかもしれません。

現在は「グリーンジャケット」というゴルフ用品ショップとなっていますが、写真を比較するとパズル時代の建屋ではなく建て替えられているようです。

 

ハイスコアの掲載はベーマガ1984年8月号から開始されました。タイトー系の店舗が同時に多数エントリーされたタイミングです。ナムコ系ロケーション以外の初期掲載店が着々と店舗欄から姿を消す中で1987年2月号まで掲載は継続しました。閉店時期は不明です。

 

そしてもう一方の「ウィルトークタイトー三島店」は静岡県東部地域、三島駅前に面する商店街内に位置した都市型店舗となります。

ゼンリン住宅地図 三島市1989年より)

 

三島駅前から三島市中心市街地である旧東海道沿いの三島本町方面へ伸びる通り沿いに商店街が掲載されており、その途中にある現在の「第2コウワビル」が跡地となります。1989年当時の名称は「第二富士見ビル」となっておりの住宅地図では1階に「ゲームコーナー タイトー」の文字があります。

 

正面から見た建屋正面は写真を見て頂けるとわかりやすいですがかなり複雑な構造となっており、雑然と取り付けられた多数の看板が飲食店やスナックを中心とした駅前雑居ビルの雰囲気を醸し出しています。建物1階の奥へ伸びる通路がありますが、ゲームセンターが入れるような大きな容積の店舗が奥にはなさそうなので、恐らく正面左手の居酒屋「三ツ星マート」の場所に元々存在したのではないでしょうか。

 

誌面への掲載はベーマガ1987年8月号からスタート、87年11月号では初代ストリートファイターの全国トップを輩出する実績もありましたが、翌88年5月号までの短期の掲載に留まっています。三島市は同じ通り沿いに後日再びハイスコア掲載店が現れるのですが、少々間隔が空き90年台中盤まで待つことになります。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年9月号

ゲーメスト1990年9月号(通算第49号)のハイスコア集計店マップとなります。

翌50号の掲載店大幅入れ替えを控え、また7,8月号にて掲載を終了した店舗が多数発生した影響で、総掲載店数は82と前月比-9まで落ち込みました。

 

以下スコア欄となります。

ゲーメスト 1990年9月号より)

 

流石に今号の新規掲載店は0。

そして先々月、先月からさらに引き続いて以下の店舗が今号を最後に掲載店から姿を消しています。

 

ナムコ

サンペディックナムコランド(千葉県)

プレイシティキャロット琴似店(北海道)

プレイシティキャロット佐世保店(北海道)

プレイシティキャロット仙台店(宮城県

秋田キャロットハウス(秋田県

プレイシティキャロット島大前店(島根県

 

タイトー

ウィルトークタイトー高崎2号店(群馬県

 

・その他

アミューズメントマリオ(岡山県

 

ナムコ系ロケーションの大量離脱が目立ちます。

しかもサンペデックナムコランドやプレイシティキャロット琴似、仙台といった一時は地域の代表格だった店舗が含まれています。

琴似店はコーナー末尾の「ハイスコア通信」に店舗改装のコメントを入れている位なので、とても今号で掲載が終了するという雰囲気ではありません。

 

そして今回ゲーメストへの掲載は停止したものの、ベーシックマガジンには引き続き掲載を継続していた店舗がいくつか含まれているため、主にベーマガと重複掲載となっているナムコ系店舗に対して店舗枠確保のために掲載終了依頼がされたのではないかと推測しています。

 

またこの頃はナムコ黄金時代が終焉しつつあり、加えて当時のナムコロケーションは小規模店舗の整理(特に都市部及びその周辺のキャロット系店舗)とゲームファン向け店舗からの業態変化(平たく言えばゲームマニアの排除)を図っていたこともあって、スコアの掲載終了に店舗が同意しやすい時期だったのかもしれません。

 

続いてトピック店舗となります。

引き続き長野県の店舗から「ゲームタウンファンタジー」をピックアップします。

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ゲーメスト 1989年2月号より)

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2020年7月25日撮影

トピックはなるべく古い掲載店舗から取り上げることを心掛けておりますが、これまでの店舗と比べると掲載開始は少々遅れて1989年2月号からとなっています。

 

場所は丁度茅野市諏訪市の境目付近で、国道20号のバイパスが付近を通過しているものの川べりという場所も手伝い他の店舗はあまり周囲にありません。道路を挟んだ向かいにある山下清の記念館が異彩を放っています。

 

集計店としては相当な期間継続しており、確認している時点では1998年のゲーメスト末期においても集計が続けられています。

私が長野県に赴任していた2000年台初頭にも店舗は存在し、一度目の前を通った際に立ち寄ったのですが、パカパカパッションの曲が大音響で鳴り響いていた以外は閑散とした店内だった記憶が蘇ります。また3枚目写真のドラえもんのオブジェはその頃から置いてあったため、20年近く雨風に晒され続けていることになります。

麻雀クラブ「タッチ」の看板や外装が残っていることからもわかるように以前は雀荘が併設されていたようなのですが、私が店舗を覗いた際には麻雀卓は見当たらず、1階フロアは全てゲーム機だった覚えがあるため、2階が雀荘となっていた可能性が高いと思います。

 

そんな閑散としている状況が災いしたのか、麻雀格闘俱楽部がブームとなった頃に1階のゲームセンターを麻雀格闘俱楽部専門に模様替えし、店舗外装も併せて変更しているのですが、それも長続きはしなかったようで、現在は外装は当時のままサバイバルゲームグッズの専門店へとなっていました。

 

そのためドラえもんのオブジェ以外はゲームセンターだった形跡は残っていないのかと思いきや、3枚目写真の店舗看板にゲームセンター時代の唯一の形跡を発見しました。

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3枚目写真の看板部分の拡大ですが、上部ピエロのネオンサインに「GAME TOWN」の文字が残されています。建物自体が取り壊されるまで残り続けそうな雰囲気が漂ってますね…

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年8月号

マイコンベーシックマガジン1990年8月号(第9巻第8号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は107となり先月比-6と大きく減少。先月に5店追加されたこともあってか今月は新規掲載店はありません。

 

以下スコア欄となります。

マイコンベーシックマガジン 1990年8月号より)

 

チャレハイ通信欄に「NEOGEO入荷しました」コメントがちらほらとありますが、NEOGEO発売当初は6タイトル選択の筐体販売だけだっと記憶しているので小規模ロケーションにとっては結構な初期投資だったのではと推察されます。正直餓狼伝説がリリースされるまでのNEOGEOはヒットと言えるタイトルに乏しかったため、入荷当初の店舗での光景が何となく思い浮かんでしまいます。

 

また、「チャレハイ担当者の名を語りデマを流していた者がいる」との担当者からのコメントがあります。

SNSや携帯電話すら無い当時は、プレイヤー間の情報伝達と言えば直接店舗に出向いて設置されているコミュニケーションノートを用いることがポピュラーでしたが、ことハイスコアの状況確認においては店舗に直接電話を掛けることが普通に行われていました。内容から察するに「特定の地域の店舗にチャレハイ担当者の名前を騙って電話連絡を入れ、ハイスコアに関するデマ情報を流布する」といった行為があったようです。

 

ただ、上述のようにスコアの状況を確認するために電話連絡を入れるということであれば理解出来るのですが、チャレハイ担当者の名を騙ってどのようなデマ情報を流すのかが今一つピンときません。文面からは「担当者がスコアを改竄している」という情報を流していたと推察されますが、それを行うことでデマ情報を流した当人にどのようなメリットがあったのかが理解できないのです。自店のスコアが他店に敗北したので、「他店のスコアは嘘スコアで、特定の店舗(プレイヤー)にトップを取らせるために担当者が便宜を図った」あるいは「自店のスコアが担当者に嘘スコア認定され、トップに掲載されなかった」といった所なのでしょうか。

 

トピック店舗へ移ります。

静岡県浜松市の「ナムコランド浜松西店」をピックアップします。

マイコンベーシックマガジン 1986年12月号より)

2021年7月24日撮影

 

浜松市の中心街から西へ数キロほど進むと、写真の「イオン浜松西ショッピングセンター」があります。現在の建屋は2002年に建築されたものですが、それ以前は「ジャスコ浜松西店」として営業されており、ナムコがテナントとして展開されていました。最寄駅はJR東海道線の高坂駅ですが駅からは徒歩で30分程度離れています。新幹線に乗っていると下りの進行方向右手に店舗が見えるため、場所を認識している方もいらっしゃるのではないかと思います。

 

ゼンリン住宅地図 浜松市1986年より)

1986年の住宅地図ではテナント表記が2階までとなっています。前述のように2001年に一旦建物は閉鎖され、周辺の土地も合わせて拡幅の上2002年に再開業しているため、現在の建屋は当時の建屋とは異なっています。

 

2000年8月時点では店舗は存続しており、当時のナムコ広報誌「NOURS」にも店舗情報が掲載されています。そして現在も隣の敷地に「イオンスポーツクラブ浜松西店」が存在していますが、かつてはここにボーリング場「ピンポップ・レーン」が存在しており、併設ゲームコーナー「PRID'S浜松西店」と併せてナムコにて運営されていました。

(NOURSバックナンバー No.30 2000年9月号「全国ナムコ店舗ガイド 神奈川・静岡編」より)

 

この「PRID'S浜松西店」ですが、古のナムコフリークであれば誰もが聴いていたと思われるナムコ提供のラジオ番組「ラジオはアメリカン」にて、リスナーとの交流イベントとして行われた「ふれ愛キャンペーン」の舞台の一つとなった場所です。

www.webzakki.com

 

上記サイトで紹介されている「ラジアメ」の本「モアイの鼻血」によれば、1989年11月3日に浜松でのイベントが開催されています。当時愛知県にいた私はこのイベントに出向いているのですが、その前年に東京都の聖蹟桜ヶ丘にて開催されたイベントにも参加しており、その時の記憶とごっちゃになってしまっていてあまり浜松の印象が残っていません。帰りに薄暗い中高坂の駅まで歩いたことだけは何となく記憶しているんですが…

 

肝心のハイスコア掲載についてですが、結局ベーマガ1986年12月号に1回掲載されたのみに留まりました。2000年9月時点で営業されていたことから、2001年の施設閉鎖まで営業は続いていたことと思われます。隣接するPRID'S浜松西店はハイスコア掲載店としてエントリーされたことはありませんでした。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年8月号

ゲーメスト1990年8月号(通算第48号)のハイスコア集計店マップとなります。

総掲載店舗数は91となり先月比-1。先月に大量の掲載終了があったにも関わらずほぼ横這いとなっています。

そして今月も先月に続き、1店の新規掲載店舗があります。

 

セガ

ハイテクセガ長岡(新潟県

ゲーメスト 1990年8月号より)

前にも述べましたが、1989年6月号(33号)から1990年10月(50号)にかけての期間は新規掲載店舗が少ない時期なのですが、セガ系店舗だけが新規掲載を増やしています。まだセガ系店舗がスコアラーにも比較的寛容だった最後の時期だったように思えます。

 

一方で今月にて掲載を終了する店舗については先月同様に大量に存在します。

 

ナムコ

プレイシティキャロットIN甲府甲府周辺集計)(山梨県

プレイシティキャロット久留米店(福岡県)

 

セガ

ハイテクセガ平岸(北海道)

 

・その他

ゲームセンターニューチャンピオン(岡山県

ニューゲームビッグ(京都府

TVプレイハウス ミッキーハウス(岡山県

アビニョン宮城県

プレイランドファンタジー宮城県

ゲームプラザサンシャイン(千葉県)

 

 「スーパーハングオンセガ/1987)」のハイスコア争いで名を馳せた「ハイテクセガ平岸」と「ゲームセンターニューチャンピオン」の両店が同時にスコア集計店から姿を消すという事態が発生しています。

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ゲーメスト 1988年5月号より)

上記のスーパーハングオン集計打ち切り(ミニライドオンタイプのみスコアラーからの申し入れで翌月から集計続行)以降、ハイテクセガ平岸はどことなくハイスコア熱がトーンダウンしてしまった感がありましたが、ハイスコア集計初回から掲載され特に目立った休載期間も存在せず、コンスタントに全国トップスコアも輩出し続けていたゲームセンターニューチャンピオンは、今号で突如と掲載を中止した形となってしまいました。

 

以下スコア欄となります。

ゲーメスト 1990年8月号より)

 

また、「ハイスコア掲載店改訂計画のお知らせ」については先月の第4弾が最後の掲載となっており、今号には特段の記載はありませんでした。

 

続いてトピック店舗です。

ゲーメスト長野県掲載店も第4回目、伊那市の「がらん3」を取り上げます。

 

ゲーメスト 1987年10月号より)

2022年9月10日撮影

 

長野県伊那市中心市街地は、飯田線伊那市駅から隣の伊那北駅の間に広がっていますが、「がらん3」は伊那北の駅前にありました。名前を見ればお分かりいただけるようにゲーメスト1990年5月号のトピック店舗にて紹介した「がらんがらん」の姉妹店となります。

 

(J.P.A.住宅詳細図 伊那市1990年より)

 

1990年の住宅地図ですが、駅前ロータリーを出て正面左手直ぐの「伊那北ビル」1階に「ガラン3」の記載が確認出来ます。

ただ住宅地図では建物正面に信号はなく、隣接して「シナノヤ・ビル」という建屋も存在しており写真の現況と一致しないのですが、現在の「伊那市道二条線」が整備された際に信号を移設かつ隣接した建屋は取り壊され、現在のように伊那北ビルの側面が露出するようになったと思われます。

1階は現在スナックとなっていますが、入口扉が沿道から少々奥まった位置にあります。スナックとして改装する際に壁と扉が設けられたのではないかと想像します。スナックになる前に使用されていたと思われる電飾看板の跡がそのままになっていますが、かつてはこの電飾に「がらん3」の文字が入っていたのかどうかが気になります。

入口の間口は狭いですが写真のように奥行は比較的深いため、そこまで狭い店舗ではなかったのではないでしょうか。

 

掲載はゲーメストからスタートしていますが、がらんがらん同様にベーマガへも遅れて掲載が開始されています。

マイコンベーシックマガジン 1989年9月号より)

 

そして掲載はゲーメストが1991年1月、ベーマガは1991年5月号までとなっており、ゲーメストの方が先に終了しています。1993年までゲーメストへの掲載を継続したがらんがらんとは対象的です。閉店時期は不明です。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年7月号

マイコンベーシックマガジン1990年7月号(第9巻第7号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は113と先月比+9の大幅増となり上限の114に近づいています。掲載店が減少傾向となったためか、5店の新規掲載店が追加されました。

 

セガ

ハイテクセガ広島(広島県

 

・その他

ジョイフルランドヒノーズ下井草店(東京都)

 

荏原ゲームコーナー(東京都)

 

アミューズ&レストメイヨー(兵庫県

 

ゲームセンターJOY呉店(広島県

マイコンベーシックマガジン 1990年7月号より)

 

90年台の東京における代表的ハイスコア集計店である「荏原ゲームコーナー」「ジョイフルランドヒノーズ下井草」が揃って誌面に登場しています。ゲーメストには1987年10月から登場していた荏原ゲームコーナーですが、ベーマガでは3年近く遅れての掲載開始となりました。

一方のジョイフルランドヒノーズ下井草がゲーメストに登場するのは、ハイテクノーベル神保町、ジョイランドタローとの3店合同となる1992年5月号まで待つことになります。

 

これでベーマガ誌上には町田、荏原、神保町、下井草の各店が出揃い、90年台のハイスコアシーンで度々その店名をトップスコア欄にて見掛けることになるのですが、その陰で80年台には多数を占めていた東京都内のナムコ系キャロット店舗が、スコアラーの拠点としての役割を終え徐々に店舗欄から姿を消していくことになります。

 

以下店舗欄となります。

マイコンベーシックマガジン 1990年7月号より)

 

スコア欄のトップに「パロディウスだ!」が登場、合わせて「グラディウスⅢ」は永久パターンの発覚で面数集計からも除外されてしまいました。ここで言う「永久パターン」は恐らく無敵技発覚の件と思われます。

流石にこの無敵技発覚は致命的で、2周エンドゲームになったとは言え骨のある2周目攻略が必要なパロディウスにトッププレイヤーは殆ど流れてしまい、グラディウスⅢは急速に店舗から撤去が進んでしまうことになります。

 

続いてトピック店舗へ移ります。

南九州のナムコ系掲載店も4店目、鹿児島県の「ヤング・タウン」をピックアップします。

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年7月号より)

2022年8月8日撮影

「ヤング・タウン」という店舗名称からはここがナムコ系のお店とは判断できないのですが、誌面記載の店舗住所を当時の住宅地図にて確認すると、ナムコの鹿児島事務所が該当します。

ゼンリン住宅地図 鹿児島市1985年より)

ゼンリン住宅地図 鹿児島市1984年より)

 

この場所に営業所と合わせてゲームセンターが併存していたという情報を頂いたため、ヤング・タウンを該当店としてナムコ系店舗として分類しています。

 

所在地である「児島ビル」は現在も存在しています。

現在の1階フロアは写真では駐車場に見えますが、奥が事務所となっており看板を出している不動産店が使用しているようです。

1984年のテナント一覧にはフロア階数の記載がないため、ナムコ事務所が何階に存在したのかは判断できませんが、1階の奥を営業所として使用し、現在の駐車場の部分が以前は店舗だったのではないかと想像しています。当時の状況をご存知の方がいらっしゃいましたら是非ともコメントをお寄せください。

 

こちらの誌面への掲載は他の南九州のナムコ系店舗から少々遅れてベーマガ1984年7月号からとなっています。

しかし9月号には早くも休載表記となり、10,11月号とスコア掲載がされたものの12月号に再度休載となった後に誌面から姿を消しているため、掲載期間は半年間のみに留まっています。1988年3月発行である「オールアバウトナムコⅡ」の「ナムコ直営ゲーム・センター一覧」には記載がないことから、それ以前に店舗としては営業を終了していた公算が大きいと思われます。

 

目の前の道路は鹿児島市電が通り、鹿児島大学からも比較的近いことから沿道にゲームセンターが立地していた形跡がありますが、この場所は路面電車の停留所のほぼ中間で、付近に商店も少ないことからあくまでも事務所の機能が主であり、店舗として運営維持されることはあまり想定されていなかったのかもしれません。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年7月号

ゲーメスト1990年7月号(通算第47号)のハイスコア集計店マップとなります。

総店舗数は92で先月比+1。50号の入れ替えを控え新規掲載は0かと思いきや、1店存在します。

 

・その他

扇が丘レジャーセンター(石川県)

ゲーメスト 1990年7月号より)

90年台以降の金沢を代表するハイスコア集計店はここで登場。他に掲載が開始された店舗が殆どないタイミングなので、掲載にプレイヤーの後押しがあったことが予想されます。

2014年まで営業が継続していたため、最近のプレイヤーでも店舗名を聞いたことがある方は結構いらっしゃるのではないでしょうか。

 

また掲載を終了する店舗が急速に目立つようになります。

確認している範囲でこの号が最後の掲載となった店舗は以下の通りです。

 

ナムコ

うすい百貨店ナムコスカイランド福島県

セガ

ハイテクセガ柏(千葉県)

ハイテクセガ新潟(新潟県

ハイテクセガ三宮(兵庫県

・その他

ヒノデベガス(宮城県

ゲームセンターアスター滋賀県

 

ダイエーレジャーランド郡山店から至近距離で、その陰に隠れがちだったうすい百貨店ナムコスカイランドですが、掲載店としてはこちらの方が継続しました。ただ1989年頃からは掲載は不定期気味になっていましたが…

ハイテクセガ新潟は単独掲載としてはこの号が最後ですが、追って同じ新潟市内のハイテクセガ万代と合同という形となって復活します。

 

以下スコア欄となります。

ゲーメスト 1990年7月号より)

そして「ハイスコア掲載店改訂計画のお知らせ」も4回目となります。

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ゲーメスト 1990年7月号より)

この時点で22店の新規掲載希望があったということですが、これが多いのか少ないのかは評価が分かれるところ。100店程度の誌面枠とすれば22店は結構な数ですが、当時のゲームセンターの数から考えると逆に「募集しても22店しか希望が集まらなかった」と捉えることも出来そうです。

 

トピック店舗は引き続き長野県から、初期に比較的短期の掲載に終わったマイナー店舗を2店を紹介します。

飯山市の「ゲームセンターヤマト」及び長野市の「ウエストサイド」をピックアップします。

 

・ゲームセンターヤマト

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ゲーメスト 1986年11月号より)

2020年9月10日撮影

 

・ウエストサイド

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ゲーメスト 1987年3月号より)

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2020年7月23日撮影

 

「ゲームセンターヤマト」の存在する飯山市長野市から北へ30㎞程北上した人口2万人程の小さな街。冬場は日本有数の豪雪地帯として知られます。その街の代表駅、JR飯山線飯山駅駅前通りに店舗は存在していました。
現在の地図では飯山駅は店舗からみて左下の南西方面に500m程度離れていますが、これは北陸新幹線が出来た時に駅を移転しているため。以前はこの店舗の前の道がそのまま駅正面へつながっていたと思います。

 

トップにはゲーメストのスコア欄を掲載していますが、こちらはベーマガ1986年11月号にも掲載されているためほぼ同時の掲載開始となっています。

マイコンベーシックマガジン 1986年11月号)

 

困ったことに、ゲーメストは住所が「飯山市南町17-1」となっているのに対してベーマガは「飯山市南町12-7」と異なっています。

ゼンリン住宅地図 飯山市1986年より)

当時の住宅地図を確認すると、「南町12-7」の建屋2階に「ヤマト」の記載を発見しているため、ベーマガの住所を正として現地確認を行っています。

建屋の外観から想像すると2階のアーチ型の窓がある場所が跡地ではないかと思われますが、2階に上がる階段があったであろう場所はドアが設けられ立ち入り禁止の張り紙がされていました。1階で喫茶店の営業が続いていますが他の部分は使用されている雰囲気はありません。建屋向かって右半分は元々住居部分となっていたようです。

 

ちなみに「南町17-1」も住所としては存在しており、店舗近くの信号角地となります。

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2020年7月23日撮影

 

もっともらしい建物のため当初こちらを所在地としてブログに記載しましたが、住宅地図と照合した結果住所が異なっていることが判明したため今記事にて訂正いたします。

 

誌面への記載はゲーメストベーマガ共に1986年11月号~1987年12月号の1年間程度となりました。閉店時期は判明しませんが、1996年の住宅地図には記載がないことが確認されています。

 

そしてもう一方の「ウエストサイド」はゲーメスト誌上で長野県長野市のハイスコア集計店舗として初めて登場しました。

誌面記載の「長野市安茂里竹の裏1770-5」という住所では、竹の裏という字名が既に存在しないようで場所がヒットしませんでした。

「安茂里1770-5」では写真のアパートがヒットするため、こちらを跡地と判断しています。恐らく店舗閉店後にアパートに建て替えられたと思われます。

ゼンリン住宅地図 長野市北部1988年より)

 

当時の住宅地図を確認すると、コイン洗車場等と敷地を同一としたドライブイン的な店舗だったようです。現在の写真では周囲には宅地が拡がっていますが88年当時は店舗の背後は殆どが田んぼ。地図右下にある信越本線の線路まで見通せたのではないかと思います。ここから徒歩15分程度の場所に安茂里駅がありますが、駅が開業したのは1985年のため駅が出来てから徐々に宅地化が進行していったようです。

 

 ゲーメストへの掲載は1987年3月~1988年3月とこちらも1年程度の期間に留まっています。県下第二の都市松本市が、プレイシティキャロット松本店の存在によってゲーメストへのハイスコア申請環境が整っていたのに対し、長野市はこちらの撤退以降、ゲーメスト集計店舗には恵まれない場所となってしまいます。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年6月号

マイコンベーシックマガジン1990年6月号(第9巻第6号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は102となり先月比-7と大きく減少していますが、新規掲載店は1店存在しています。

 

セガ

ハイテクセガ高崎(群馬県

マイコンベーシックマガジン 1990年6月号より)

 

ゲーメストには1989年7月号から既に掲載されていましたが、ベーマガへは1年遅れての開始となりました。

ゲーメストでは高崎市の掲載店はセガ以外にウィルトークモンテカルロが存在していましたが、ベーマガでは1986年末の「ゲームシティジル」掲載終了後3年半振りとなります。また群馬県全体でも高崎以外に桐生や太田といった両毛地域のお店が掲載を続けていたゲーメストに対し、ベーマガでは1988年1月号で終了した前橋市の「ファンフル」以来の掲載となっています。

 

以下スコア欄となります。

マイコンベーシックマガジン 1990年6月号より)

 

SNK初の直営ゲームセンターという情報を頂いた尼崎市の「ゲームインウエスタン」、そして同じく東大阪市の「ゲームセンターキャンディ」が揃って今号が最後の掲載となっています。ウエスタンは通信欄にコメントがある位なので今号が最終掲載のような雰囲気が無く、また2店同時であることから何か会社側の意向があったのかもしれません。

また仙台の名店であった「プレイシティキャロット仙台店」が今号で掲載を終了。同時掲載であったゲーメストよりも3か月早くなっています。前後して仙台市内の「ブックセンタースクラム」や「宮城野原キャロットハウス」も掲載を終了しており、仙台市から一気にナムコ系掲載店が姿を消すことになります。

 

続いてトピック店舗へ移ります。

南九州の初期ナムコ系店舗も3回目、宮崎市の「神宮前キャロットハウス」をピックアップします。

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年1月号より)

2022年8月10日撮影

神宮前の「神宮」とは宮崎神宮のことを指します。

広大な境内の前には路線バスの待機、転回所を含めたロータリーがありますが、ロータリーに隣接する「神宮プラザビル」1階がキャロットとなっていました。

 

宮崎市中心市街地からは直線距離で2㎞以上は離れています。

JR日豊線宮崎神宮駅がありますが、こちらも徒歩10分程度は掛かるため近隣に駅はありません。神社正面から宮崎市街地方面に参道が伸びていますが商店が林立しているという雰囲気ではなく、ロータリーに隣接してポツンと佇んでいるような立地となっています。

ゼンリン住宅地図 宮崎市北部1986年より)


1986年の住宅地図ですが、当時から近隣は店舗よりも住宅の方が多く、徒歩圏内にある文化公園も含めて周囲は文教地区といった佇まいです。駐車場も無かったようなので、この場所にゲームセンターを出店した動機が少々掴みにくい店舗ではあります。

 

1990年頃に一度店舗を訪問したことがあるのですが、バスを降りたら目の前にあったような記憶が残っていました。30年振りくらいで現地を再訪してその記憶が間違っていなかったことは確認出来たのですが、肝心の店内の印象が残っていません。何かゲームもプレイしていたはずなんですが…

 

誌面への掲載は同じ九州内の店舗として既に紹介している「プレイシティキャロットパーツボックス」「分大キャロットハウス」と並んでベーマガオリジナル26店に名を連ねています。そしてゲーメストにも1987年1月号から掲載されダブル掲載店となります。

ゲーメスト 1987年1月号より)

 

ゲーメスト掲載開始時の店長は女性の方だったようです。当時の写真やコメントからアットホームなお店の雰囲気が伝わってきます。(敢えて写真は伏せずにアップしています。)

この頃のナムコ直営店の雰囲気に魅了されたゲーマーは非常に多かったのではないでしょうか。

 

そしてナムコ系ハイスコア掲載店が誌面から次々と姿を消す中、確認している時点ではゲーメストは1997年5月30日/6月15日号、ベーマガは1997年9月号までの掲載を確認しており、ベーマガオリジナル26店の中では13年以上と最も長期に渡って掲載が続けられました。

また、他の「キャロットハウス」の名称でスタートした店舗の殆どが追って「プレイシティキャロット」への名称変更を経ているのに対し、ここだけは掲載期間の最後までキャロットハウスの名称が貫き通されたことも特筆すべきポイントなのではないかと思います。

 

閉店時期は不明ですが、ナムコ広報誌「NOURS」No.36 2002年春号の「全国ナムコ店舗ガイド 九州・沖縄編」には店舗の記載がないため、それ以前には閉店していたようです。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年6月号

ゲーメスト1990年6月号(通算第45号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店舗数は91となりで先月比-5と大きく数を減らしています。掲載店改訂計画の影響が徐々に出始めて来たようです。今月も新規掲載はありません。

以下スコア欄となります。

ゲーメスト 1990年6月号より)

 

そしてハイスコア掲載店改訂計画のインフォも3回目。

前回は応募における最低条件の提示程度でしたが、より具体的な条件が掲載されています。

ゲーメスト 1990年6月号より)

 

自身が過去に出入りしていたハイスコア集計店は、どこも店員が常駐し管理も行き届いている店舗が殆どで、それが当たり前と思っていたのですが、現実にはその当たり前が出来ていなかった店舗が多数存在したようです。

例えばスコア確認の連絡を店舗に入れたりすると、対応が高齢の店番従業員で話が全く通じなかったとか。管理が行き届いていないため申請されたスコアに対してのチェックも甘く嘘や真偽不明なスコアの温床となってしまい、では確認しようと店舗へ連絡すればけんもほろろな対応をされるという悪循環では、審査を厳しくするのはやむを得ないことと思われます。

 

また、このブログのトピックで店舗跡地を訪ねると、「本当にこの場所で間違いないのか?」という疑念が生まれることが有るのですが、郵送した集計用紙が宛先不明で返送されるということはそもそも店舗から連絡された住所そのものが間違っていたという可能性もあり、誤植の影響も含めて跡地探索を困難にしている要因にもなっています。

 

トピック店舗へ移ります。

前回に引き続き長野県の初期ゲーメスト掲載店から、「ビックバーン駒ケ根店」及び「ニシザワ双葉店ナムコランド」の2店をピックアップします。

 

・ビックバーン駒ケ根店

ゲーメスト 1986年11月号より)

2020年3月20日撮影

 

・ニシザワ双葉店 ナムコランド

ゲーメスト 1987年1月号より)

2020年3月20日撮影

 

前回の「がらんがらん」に引き続き、2店とも長野県は南信地域の掲載店となります。

「ビックバーン駒ケ根店」は「がらんがらん」と同じ駒ケ根市所在。1987年の住宅地図を確認した所、ボウリング場を中心とした複合レジャー施設だったようです。

ゼンリン住宅地図 駒ケ根市1987年より)

 

「ヒューマンプラザ」という建物名称になっていますが、ルーツは1972年にオープンした「駒ケ根グランドボウル」で、1984年から名称が変更になっています。

テナントリストにゲームセンターの文字は無く、「ハンバーガー ビックバーン」の表記が確認出来ますが、2階のボウリング場にゲームセンターが併設されていたと考えるのが自然と思われます。

 

写真を見ると「YAMAURA」の文字が確認出来ますが、ボウリング場運営もこの会社にて行われており、現在も資材管理センターとして敷地の使用は続いているようです。ボウリング場以外にもスキー場などレジャー施設の経営も行っていたようですが現在は全て撤退しているようで、同社のホームページからはその形跡を窺い知ることは出来なくなっています。

yamaura.co.jp

 

ハイスコアの掲載はゲーメスト1986年11月号の1回のみの留まりました。

 

一方の「ニシザワ双葉店ナムコランド」は、ナムコ系掲載店舗が一気に15店増加したゲーメスト1987年1月号が最初の掲載となっています。

 

こちらは伊那市の店舗となります。

場所は伊那北駅から若干北上した、丁度市街地が途切れるあたりの国道153号線飯田線を跨ぐ陸橋の袂付近となり、現在も「ニシザワマーケットプレイス双葉店」としてスーパーの営業が続いています。

(J.P.A.住宅詳細図 伊那市1990年より)

 

上は1990年の住宅地図ですが、テナントは記載されておらずナムコランドの存在を確認することは出来ませんでした。ただ以前店舗前を通る国道を通過した際、別館となっている現在のコインランドリー部分にゲーム機が設置されていた光景が見えた覚えがあります。そのためナムコランドはこの別館部分で営業されており、撤退後コインランドリーになったのではないかと想定しています。

 

(NOURSバックナンバー No.31 2000年12月号「全国ナムコ店舗ガイド 長野・山梨編」より)

 

こちらのスコア掲載は1987年3月号までの2回のみとなりました。ビックバーン駒ケ根店同様掲載期間は短期に留まっていますが、ナムコPR誌「ノワーズ」バックナンバーにて2000年11月時点では営業が継続していたことが確認されています。オープンは1977年とのことでかなりの老舗だったようです。閉店時期は判明していません。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1990年5月号

マイコンベーシックマガジン1990年5月号(第9巻第5号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は109で先月比-1、新規掲載店はありません。

以下スコア欄となります。

マイコンベーシックマガジン 1990年5月号より)

 

店舗の動向が少ない中、今号で最も目を引くのはトップスコアのコメント欄です。

1986年12月号からスコアの解説を記名にて行っていた見城こうじ氏が、今号にて担当から退く旨の記載がされています。

 

これまでトップスコア欄の解説に加え、全国のスコア集計店行脚などゲームそのものだけではなくお店やプレイヤーについても造詣が深かった氏ですが、1989年11月号からコメントがアシスタントとの連名となります。それがコーナーから降りることへの布石だったのかもしれません。

 

そして「降りる」という表現もそうですが、コメントからはどことなく無念さが感じられます。当時のアーケードゲームやゲームセンター、そしてハイスコア争いを取り巻く環境がどこか氏の思い描いていた方向と異なっていたのかもしれません。

 

続いてトピック店舗です。

前回に引き続き九州の初期ナムコ系店舗から「分大キャロットハウス」をピックアップします。

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年1月号より)

2022年8月10日撮影

1984年1月号及び2月号のチャレンジハイスコア欄では、店名が「大分キャロットハウス」と表記されています。
「分大」は大分大学の略称で、大分の誤植と解釈されてしまったのかもしれませんが、「分大キャロットハウス」が正式名称となります。

 

ハイスコアコーナー開始告知における店舗リストでは分大と記載がされており、また1984年3月号以降では店舗名が訂正されています。

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1983年12月号より)

 

そしてその店舗名の通り、近隣には大分大学が立地しています。

ただ大分の市街地からは相当距離が離れており、大学以外には店舗付近が学生向け物件も含め新興住宅街となっているものの周囲は郊外の山の中という印象で、基本的には学生目当てのお店と言えそうです。

ゼンリン住宅地図 大分市1985年より)

店舗向かいの「大分県職員研修所」は「大分県自治人材育成センター」として健在。大分大学の敷地は見えませんが地図範囲の北西方向に拡がっています。

また、JR豊肥本線の線路が地図の接続部から西側で消えてしまっていますが、もちろん連続しています。

 

現在は豊肥線に「大分大学前」駅がありますが、1985年当時はまだ駅がありませんでした。駅が開業したのは2002年のため、店舗へのアプローチは路線バスしかなかったことになります。

2022年8月10日撮影

 

写真は大分大学入口付近から大分大学前駅方面、及び大分大学前駅舎を撮影したもの。周囲は殆どが山林となっていることが分かります。

 

2022年8月10日撮影

 

そして駅を過ぎて写真の登り坂を上がった場所にキャロット跡地があります。ここを登って店舗に向かうのはなかなかの苦行です。分大生でなければ車やバイクを所持していないとここに行くというモチベーションは湧きにくいと思います。

 

こちらもベーマガオリジナル26店に名を連ねています。

ゲーメストへも1987年に1回だけですが掲載された履歴が残っています。

ゲーメスト 1987年10月号より)

ベーマガの方は特に大きな休載も無くコンスタントに掲載を続けていましたが、1990年2月号の掲載を最後に姿を消しています。90~91年頃に閉店したとの情報があるため、閉店による掲載終了の可能性が大きいと思われます。大学近隣店舗とは言え付近に駅も無かったこの立地では流石に集客が厳しかったのかもしれません。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1990年5月号

ゲーメスト1990年5月号(通算第44号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店舗数は96で先月比-2。先月に引き続き今月も新規掲載無しとなっています。

以下スコア欄となります。

ゲーメスト 1990年5月号より)

 

集計店舗にスポットを当てているためあまりハイスコアそのものについてコメントすることが少ない当ブログですが、あれだけの人気を誇りながら集計開始から3か月を経過してもまだファイナルファイト/ハガ―のクリア者が現れていません。

攻略される前はどのキャラでもクリアすることすら厳しかったことに加え、シューティングゲームでスコアを出すことへの特別感が強かったこともあってハイスコア的に当初はプレイヤーのマークが比較的甘かったのでは?という印象があります。

 

そして先月に引き続きハイスコア掲載店改訂計画の告知がされています。

ゲーメスト 1990年5月号より)

 

先月は告知のみでしたが、今月は参加における具体的要件が記されています。これまでの掲載店募集時における要件から特に大きな変化は無く、最低条件が提示されたのみとなっています。

 

続いてトピック店舗です。

場所を長野県に移し、ゲーメスト創刊号からスコアが掲載された「がらんがらん」をピックアップします。

 

ゲーメスト 1986年5月号より)

2022年4月30日撮影

 

ゲーメスト創刊号(1986年5月号)のハイスコアコーナー「目指せゲーメスト」に掲載された21店のうちの一つです。その殆どが短期間で掲載終了となる中、以前紹介した「ゲームプラザ・ザ・ゴリラ」と共に長期に渡ってスコアが掲載されました。

 

場所は長野県駒ケ根市。

長野県は北信(長野市等)、中信(松本市等)、東信(上田市等)、南信(飯田市等)のエリアに大きく分類されますが、飯田市に近い駒ケ根市は南信地域に属します。ゲーメスト初期は南信地域の店舗が比較的多数ノミネートされました。

 

1987年の住宅地図で存在を確認しています。喫茶店レンタルビデオ店と建屋、駐車場を共にした郊外店だったようです。JR駒ケ根駅からだと徒歩で15分程度は掛かるのではないかと思われます。

ゼンリン住宅地図 駒ケ根市1987年より)

 

地図上の南北方向で店舗に接する道路は、現在国道153号のバイパスとなっており中央分離帯ありの4車線道路となっています。バイパス整備のために周辺の土地状況は大きく変化しているようで、1枚目写真の信号、及び信号でバイパスと交差する道も87年時点では存在していません。

丁度、がらんがらん店舗のほぼ真西に鳥居の表記がありますがこの鳥居の存在を現地で確認しています。

2022年4月30日撮影

 

鳥居の前の道は4枚目写真の車止めの場所へと続いています。信号でバイパスと交差する道はこの鳥居の裏側を回り込むようになっています。

2022年4月30日撮影

 

こちらは現地にあった商工案内図ですが、87年住宅地図において「フジサワ理容室」の存在が確認出来るため、理容室から鳥居の前を通り車止めの箇所へと続く道(商工案内図では「(有)よろずや不動産」に接している細い道)が87年当時から存在した道であると判断できます。

 

そのため、状況を照らし合わせるとがらんがらんの建屋はバイパス工事により取り壊され、その後に現在の不動産店の建屋が建てられたのではないかと想定されます。もし異なっているようであればご指摘を頂きたくお願い申し上げます。

 

ちなみに、ゲーメスト創刊号では住所が「赤須町6-22」となっていますが、1986年9月号以降は「赤須東6-23」の表記となります。この住所を現在のGOOGLE MAPに入力すると信号角にある「(株)ヴォーグコーポレーション」の場所を指します。

2020年3月20日撮影

2022年4月30日撮影

 

この場所には写真の住所表記も存在したため、この建屋ががらんがらん跡地であると解釈し一度ブログに掲載したのですが、追って住宅地図を確認したところ場所が異なっていることが判明、再度現地を調査することとなってしまいました。以後は住所情報だけでなく、当時の住宅地図を確認しないと正確な場所は掴めないことを教訓として現地調査を行うようにしています。

 

また、ゲーメストから遅れること2年後の1988年5月号からはベーマガにもスコア掲載を開始しダブル掲載店となっています。

マイコンベーシックマガジン 1988年5月号より)

 

しかしベーマガは1991年2月号にて掲載ストップ、ゲーメストは引き続き掲載が継続されましたが、1993年3月号の掲載が最後となっています。国道バイパスは1997年から工事が着手されているようなので、恐らくその前には店は閉じられていたと思いますが正確な閉店時期は不明です。