小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

私のアーケードゲーム履歴書 琉球 その3

その2より)

 

続いてゲーム進行において説明を要するギミックについて説明します。

 

1.琉球カード

オールマイティカード。ストック53枚の中に必ず1枚含まれています。

 

メダルゲームのドローポーカーにおけるJOKERと同じ効果で、カードを置いた場所の有効ライン全てで効果があります。最高得点役のファイブカードはこのカード込みでないと作成することが出来ません。

画像では左下隅が琉球カードですが、カードが含まれる縦ラインはAのフォーカード、横ラインはクラブのロイヤルストレートフラッシュ、斜めは同じくクラブのストレートフラッシュとして判定されていることが分かります。

カードは53枚中25枚しか使用しないため、琉球カードを25枚に含むことが出来るかどうかでステージクリアの可能性は大きく変わってきます。

 

2.ボーナスライン

ゲームを進めていると、画像のように有効ラインが点滅していることがあります。

このラインは「ボーナスライン」で、完成させた役は点数が2倍となります。

上記では、横ラインの上から2,3列目と、縦ラインの左から4列目が該当します。

 

その面にボーナスラインが現れているかどうかは、ラウンド最初のクリアーポイント表示の際に「ボーナスライン[×2]」の表示があることで確認出来ます。

特に高次面においては、ボーナスラインにいかに高得点の役を完成させるかがクリアの成否を左右します。

 

3.琉球おみくじ

偶数面をクリアすると、「琉球おみくじ」を引くことが出来ます。

選択するカーソルは自動で動いているので、ボタンを押してくじ16枚から決定。

開いた時の絵柄により次面から以下の特典が得られます。

 

【雀】

400点+ボーナスライン発生

 

【玄】

800点+ボーナスライン発生

 

【虎】

1200点+ボーナスライン発生

 

【鳳】

1600点+ボーナスライン発生

 

【龍】

2000点+ボーナスライン発生

 

上記5絵柄は、表示されたボーナス得点が次の面のクリアポイントから減点され、かつ1~3本のボーナスラインがランダムで発生します。

ボーナスラインについては以降2面分発生するのが基本(例:2面クリアでおみくじを引くと4面まで)ですが、ごくまれに次の偶数面でボーナスラインが発生しないことがあります。

また、引いた直後の面のボーナスライン本数は1~3本ですが、2面後においては最低2本は発生しており1本しか発生しないという状況は確認されていません。

くじを引いた時に現れる文字の内容で出現するボーナスラインの本数等は決まっているのかもしれませんが、そこまで調査するには至っていません。

 

【獅】

この絵柄だけが特殊となっており、効果は以下の3種類に分類されます。

 

・太鼓

1000点+ボーナスライン発生

この場合のみ次の面のボーナスラインは「全ラインor1ライン」となります。どちらが選択されるかはランダムのようです。

 

・シーサー(単独)

3000点+ボーナスライン発生

 

・シーサー(2匹)

6000点+ボーナスライン発生

 

シーサーは3000or6000点と高いノルマダウン効果が得られます。ボーナスライン発生条件は通常5絵柄と同様のようです。

 

 

【はずれ】

はずれ。ノルマ減点もボーナスラインも発生しません。

ボーナスラインが発生しない(しかも以降2面分)という状況はこのゲームにとっては致命的で、6面あたりまでの序盤であればリカバーが効くこともありますが、高次面で引いたらほぼ死刑宣告となります。

今のところ14面クリア時まで出現が目撃されています。16,18面クリア時に出現するのかどうかは不明。

また「はずれは最大2枚まで」と解説されていたブログがありましたが、3枚出現した状況を確認しているためその可能性は打ち消されています。

 

またコンティニューをした際におみくじを引くことが出来ます。この時は流石にはずれは出現しないようです。

 

次回からはゲームの基本的攻略法に移ります。

 

その4へ続きます)

私のアーケードゲーム履歴書 琉球 その2

その1より)

 

続いてゲーム内容の説明です。

 

1.基本ルール

トランプのカード(♠、♣、♦、♥各13枚および琉球カード1枚の合計53枚)を、フィールドの5×5マスに落とし、縦・横各5ライン、斜め2ラインの計12ラインにポーカーの役を作ります。

 

【横:5ライン】

【縦:5ライン】

【斜め:2ライン】

 

2.基本操作及びストックカー

操作は

①レバーでカーソルを動かしストック4列からカードを選択

②決定ボタンで選択したカードをピックアップ

➂再度レバーでカードを落とす列を5列から選び、決定ボタンで落とす

落としたカードは下から順に積み上げられて行きます。

 

ストック列は各3枚までネクストカードが表示されていますが、①で選択可能なカードは下記画像の赤枠で囲った最下段の4枚のみです。

【選択可能なカード】

②の動作でカードを選択すると、その列最上段に新たなネクストカードが1枚出現するので、見えているカードは列のストックを使い切らなければ常に12枚となります。

 

各ストック列の残カードは、画面右側の「LEFT CARD」にて把握することが出来ます。

【ストック数(LEFT CARD)】

既に画面に表示されている各列最下段3枚はLEFT CARDには含まれません。上の画像では2,4列目のストックが上限となっており、これで11枚+見えている3枚で列の最大は14枚、各列のストック枚数は左から12,14,13,14で合計53枚のカードが割り振られていることとなります。

 

3.得点及びクリアポイント

カードをフィールドに落とし、該当12ラインにポーカーの役が揃えば得点となります。

【カード役及び得点一覧】

5カードが3,000点と最も高得点の役となりますが、当然ながら同一数字のカードは4枚しかないためオールマイティの琉球カード込みが必須条件となります。その他は通常のポーカー役と変わりはありません。

注意してほしいのは、ストレートとフラッシュの役の強さが通常と逆となっていること。本来のポーカーではフラッシュ>ストレートなのですが、琉球においてはストレート1,400点に対してフラッシュが1,000点のためフラッシュ<ストレートとなっています。点数で覚えてしまうためゲームへの影響は少ないのですが、違和感を覚える部分ではあります。

 

こうして53枚中25枚のカードをフィールドに落として完成した12ラインの役の点数の合計がクリアポイントを上回ればステージクリアとなります。

クリアポイント、及びステージ中のトータルポイントは画面左上に表示されています。

【クリアポイント】

 

各面のクリアポイントは以下となります。

【クリアポイント一覧】

注)琉面=19面 球面=20面

 

4.タイマー及びキャンセル

画面右上にはカードを一手戻せるキャンセルの残回数、及びタイマー表示があります。

キャンセルはゲームスタート時には3回分付与されており、シーサーが残数を表しています。カードをピックアップしている状態であればピックアップしたカードが元のストックの列へ、ピックアップしていない状態ならば直前にフィールドに落としたカードが同じく元のストック列へ戻されます。

 

スコア10,000点毎に1回の回復がありますが、残数は3回を超えることはありません。

 

このキャンセルのシーサー、よく見ると「見ざる、言わざる、聞かざる」のポーズしてるんですよね。芸が細かいですが琉球日光東照宮は全く関係ないような…

 

タイマーはゲームスタートからカウントが開始され、カードを落とす/キャンセルを使用するとゲージがフルに戻ります。ゲージは1目盛につき2秒で15ゲージのため1手の持ち時間は30秒となります。

ゲージが0になると、

・カードをピックアップしている場合:選択された列にカードを落とします。

・カードをピックアップしていない場合:カーソル位置のカードをピックアップし、若干の間を置いたうえで選択された列にカードを落とします。ピックアップしてから落とすまでの間にカード落下列を動かすことが出来ます。

 

5.クリアボーナス

各面は完成させた役の点数が加算されるのみのため、クリアボーナスについて解説します。

【EXTEND BONUS】

ステージクリアした際に、クリアポイントを上回った点数について得られるボーナスです。

例)クリアポイント6,000点、ステージクリア時のトータルスコアが8,000点の場合、クリアポイント超過分2,000点がEXTEND BONUSとなります。

 

【TIME BONUS】

残り時間に対して加算されるボーナス。

画面に残り時間は表示されませんが、前述のように1手あたりの制限時間は30秒、カード設置枚数が25枚のため、30×25=750秒からステージ開始と共に減算され、クリア時の残りタイム×10点として計算されていると思われます。

全てのカードを制限時間30秒一杯で選択しクリアした際には0点となったことを確認しています。

 

【CANCEL BONUS】

残りキャンセル回数×800点が加算されます。

 

基本的な操作、得点システムの紹介は以上となります。

 

その3へ続きます)

私のアーケードゲーム履歴書 琉球 その1

月刊アルカディアの休刊後、アーケードゲームのハイスコア集計はJHA(日本ハイスコア協会)のサイトにて継続されていますが、2021年10月17日付及び2023年1月15日付の集計にて全国トップを記録することが出来ました。

 

手前味噌ではありますが、トップを記念して該当タイトル「琉球」を取り上げることにします。

セガ/サクセス 1990年発売

 

最初の2021年10月17日付の集計は自身にとってゲーメスト1994年6月30日号以来、実に27年振りの全国トップとなっています。

www.jha-arcade.com

docs.google.com

ハイスコア:530,660(20面)

 

これ以前のスコアは、ゲーメスト1996年1月30日/2月15日号に掲載された「497,230(20面)」だったため、25年に渡り更新がされていなかったということになります。

ゲーメスト 1996年1月30日/2月15日号より)

 

このゲームは全20面なのですが、1996年当時のハイスコアは「20面」の表記であり「20面クリア」ないし「全面クリア」の表記はどこにもありません。そのため「20面はクリアされていない」という前提で申請しており、私のスコアも20面をクリア出来ていません。

 

その後、2022年7月18日付の集計にて、別のプレイヤーから遂に全20面をクリアしたスコアが申請されます。ハイスコア的には1990年の発売から2022年まで実に32年間「1コインクリアが達成されていない」ゲームだったのですが、その壁が打ち破られることとなりました。

個人的には初の1コイン全面クリアを目標としていたのですが、惜しくもそちらは達成ならず。せめて1コインクリア程度はと続行し、2023年1月15日付にて1コインクリア達成及びスコアの更新に至ったという経緯です。

docs.google.com

ハイスコア:581,750(全20面クリア)

 

2022年4月25日撮影

 

スコアを申請した某店には現時点で写真の状況で設置されています。まあ基板は私の持ち込みなので「もう引いて下さい」とお願いしなければ残して頂けるとは思いますが。インストは所持していなかったのですがなんと店長が入手して下さいました。感謝です。

スピーカーに付いているシーサーはリアル沖縄にて購入し、運気が上がるお守りとして取り付けております。

店舗に設置頂いた際、常連の名だたるスコアラーの方々でもこのゲームの存在をご存じなく、「初めて見た」という感想が殆どでした。アーケードゲームとしては非常にマイナーな部類に属すると思います。

 

(画像は http://blog.livedoor.jp/t198x_2/archives/40166000.html より拝借しました)

 

さてこのゲーム、内容はパズルゲームとなります。

インストラクションカードの「琉球ルール」にあるように、5×5マスのフィールドにトランプのカードを下段から積み上げて行き、縦横各5ライン、斜め2ラインの合計12ラインにポーカーの役を作ります。

実際のポーカー同様に役の難易度で素点があり、12ラインの点数合計が各面毎のクリアノルマを超えれば面クリアとなります。

操作はカード選択のレバーとカード決定及びキャンセルの2ボタン。アクションパズルではなく典型的な思考系パズルゲームのため、操作時間よりも思考時間の方が圧倒的に長く、ゲームを終了すると極度の疲労感と糖分の不足に見舞われることになります。

 

次回はゲームの遊び方について詳細をご紹介します。

 

その2へ続きます)

ゲームセンター回顧録 小樽・札幌ゲーセン物語展2へ行ってきました

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以前に弊ブログでも紹介させて頂いた「小樽・札幌ゲーセン物語展」ですが、その2が行われたため、再度会場の市立小樽文学館へお邪魔してきました。

 

訪問したのは2021年11月20日の土曜日。

パンフレットの表面には開催期間が「2021年7月17日~11月21日」と記載されていますが、裏面では終了日時が「10月3日」となっています。

これは2021年の全国的なコロナウイルスデルタ株の拡大を受けて小樽文学館も一時休館を余儀なくされ、休館期間分について開催期間が延長されたことに伴うものです。

私も当初は9月の連休に向かうつもりだったのですが、休館期間となってしまったことから延長期間内である11月の飛び石連休を使用してなんとか伺うことが叶いました。

 

コンセプトは前回と同一で、前回の反響が大きかったことを受け展示品やプレイアブルゲームタイトルを充実させた内容となっています。

そのため、開催への思いや展示の主旨といった部分は前回と共通していることから今回のエントリーでは省略し、変化のあった展示物を中心に紹介させて頂きます。

 

第一回の時の様子は下記にてエントリーしておりますので、よろしければ合わせてご覧下さい。

www.inu-inu-yeti.com

www.inu-inu-yeti.com

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前回は小樽駅が最初でしたが、今回は小樽の目抜き通りである「都通り商店街」の様子から。2021年11月下旬でコロナ禍がかなり落ち着き、前回訪れた2020年9月と比較すると人通りが多い印象がありました。

 

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前回のサインに「Ⅱ」の文字が加えられ、展示会の目的紹介についても前回を踏襲しつつ展示品の充実がなされたことが綴られています。

 

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今回会場で最も目に付いた展示物はこちら。歴代業務用グラディウス1~4までのポスターが一堂に並べられた光景はなかなかお目に掛かれるものではなく迫力がありました。

 

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ワルキューレファンの方が展示品を多数提供して頂いたとのことで、写真の冨士宏氏サイン入り原画を始めとして複数のグッズを展示。80年台後半のナムコヒロインと言えばやはりこのキャラですよね。

 

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「ラジオはアメリカン(ラジアメ)」と言えば当時のナムコフリーク御用達のラジオ番組ですが、パーソナリティがどなたの時代かで年齢やゲームの嗜好まである程度把握できてしまうような気がします。

ちなみに私は80年台後半の斎藤洋美さんの時代で、ナムコと言えば黄金期を経たあとのシステム1、2のタイトルがなじみの世代。これが大橋照美さんとなると80年台前半となり、ナムコ黄金期世代が該当するのではないかと思います。

30年前の斎藤さん、そして構成作家の鶴間さんの写ったグッズを非常に懐かしく眺めておりました。

 

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そしてタイトル数が大きく増加したプレイアブル筐体。チラシのリストにもあるように、今回は複数メーカーの許可を得ており前回と比較して充実したラインアップでした。私がお伺いした時にはマジェスティック12(タイトー)及びぷよぷよセガコンパイル)でしたが、まめにタイトルの入れ替えを実施されていたようで会場に足を運ぶ動機付けの一つになっていたのではないかと思います。

 

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そして前回に引き続き小樽市内のゲームセンターマップが展開され、市内主要店舗には店舗跡地の現在の光景と店舗解説文が追加されていました。店舗の跡地を写真に収めて掲示する方法は私のブログをリスペクト頂いたとのことで、非常に恐縮しております。

 

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そして展示物となったかつてのコミュニケーションノートと会場来場者のための雑記帳。私は地元ではないので場違いかなと思い前回も含めて書き込みは行っていませんが、代わりにこうしてブログに記すことで足跡とさせて頂きます。

今回はコロナ禍が落ち着いた展示期間最後の土日だったということもあり前回以上に来場者が途切れなかった印象です。

学芸員の方にもご挨拶が叶いました。アーケードゲームという娯楽に対し大げさではなく人生を賭していた我々のような世代の思いを、一見無関係である「文学館」という場所で伝える機会を設けて頂いたことに、この場をお借りして御礼申し上げます。

 

次回は来年3月頃から、通常の広い展示スペースを用いて「ゲーム本展(仮)」を企画されているそうです。何度も北海道まで足を運ぶのはなかなか厳しいものがありますが、状況が許せばまた小樽まで足を運んでみたいと思います。

ゲームセンター回顧録 小樽・札幌ゲーセン物語展へ行ってきました その2

その1より)

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大型のポスター等の目立つ展示に目を奪われそうになる中、ブース正面に今回の展覧会の目的が綴られており、真っ先に目を通しました。

 

アーケードゲームという「製品」だけではなく当時のゲームセンターという「場所」にスポットを当てた試みとして、また「ゲーセンとそれを取り巻く文化について後世に残す」という今回の展示活動の意義は、同じ時代に同様の経験を経た人間として非常に共感できるものでした。

私も個人的にこのブログで「ハイスコア集計店マップ」を作成していますが、それも消えつつあるゲームセンター文化を何らかの形で残すために自分で出来ることを行っている過程であり、方法は異なれどベクトルは同じ方向を向いているのだな、と感じています。

 

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続いて、小樽市内のゲームセンターについてのマップによる位置表示と店名一覧です。

文学館を尋ねる前に小樽市内ハイスコア集計店の跡地巡りを行いましたが、既に市街地からは店舗はほぼ全滅しており時間の経過を痛感します。

私がこのブログで自身のゲームセンター経験を語っていることと同じようなストーリーが、小樽という街だけでなく全国各地に繰り広げられていたのだと感じます。

 

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そして「展示物」になるのは恐らく初めてではないかと思われるコミュニケーションノート。ハイスコア集計と並んでユーザーフレンドリーなゲームセンターに設置され、SNS無き時代はノート上の交流が店舗へ向かうモチベーションになっていた人も多かったのではないでしょうか。一部はそれが目的化し過ぎで「ノーター」と呼ばれる「ノートだけ読んでゲームしない人」の問題も生じさせるのですが…

SNSが普及する遥か以前からSNSのようなやり取りがゲームセンターで繰り広げられていたのですが、結果的にSNSにその機能を全て代替されてしまった感があります。

 

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ゲーム関係の書籍、出版物や同人誌の展示。
1985年以前のNG(ナムコ店舗ミニコミ誌)は結構貴重ではないでしょうか。
また「ゼビウス1,000万点への解法」の実物が展示されていました。伝説的なこの同人誌も私を含め実物は初めて見たという来訪者の方が殆どだったようです。

またベーシックマガジン・ゲーメストのハイスコア欄もプレイヤー間で競争が繰り広げられていた資料として北海道の店舗欄をメインに掲示されています。

 

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会場には「プレイアブル展示」としてアストロ筐体(横画面)とテーブル筐体(縦画面)が各1台展示され、自由に遊ぶことが出来ました。

テーブル筐体はなんとこの文学館の所有物だそうです。カフェ文化に関する展示を行った際に入手して所蔵されていたとか。

私が訪問した際に入っていた基板は「出たな!ツインビーコナミ1991)」と「鋼鉄要塞シュトラール(UPL1992)」でしたが、展示に関して許諾が取れたメーカーのタイトル内で定期的な入れ替えを行っていました。

シュトラールを約30年振りにプレイしましたが、当時カンストまでやってた時の面影は全く無く2面で終了しました(´・ω・`)

 

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最後に、今回の展示の企画者である@hilow_zero氏とお会いすることがが出来ました。

今回計らずもコロナ禍の最中での開催となってしまい御苦労も多かったと思いますが、メディア等で取り上げられる機会もあり地元のゲーマーの方々を中心としてかなりの反響があったようです。私がお伺いした時も私以外に常時2~3人の来訪が入れ替わりであり、また元ゲーマーの方がご家族を連れて来訪し、子供がプレイアブルのゲームに興じる姿も見受けられたそうです。

 

展示は無料スペースにて行われていたため、前述の通り入口で「ゲーセン展を見に来た」と申し入れれは展示を無償で閲覧することが出来ました。これについては有償展示とした方が良いのでは、との声もあり、実際に私も有償にするだけの価値があると思ったのですが、有償とするとプレイアブル展示となっているゲーム機に対して間接的に金銭を投入していることになり、風適法上の問題が発生してしまう可能性があるため難しかったとのこと。

プレイアブル筐体については、遊ぶことの出来るタイトルについても事前にメーカーや現在の権利所有者に確認の上了承が取れたタイトルのみの設置となっているのですが、文学館という公共のスペースでの展示となる以上どうしても風適法や著作権法を含めて法的にグレーな部分は避けなければならず、「アーケードゲーム」というコンテンツを文化的財産として展示展開する際の難しさを感じました。

 

また、展示品についてはゲーム基板も含めて殆どが個人所有物で、結果的に持ち主の嗜好が反映されてしまうため展示内容に偏りが生じてしまったとのこと。確かに展示品はどちらかと言えば80年台に寄っているため、現在50歳前後の層にはピンズドの展示となる反面、ストⅡ以降にゲームセンターに通い出した40歳以下の層には今一つピンと来ない展示だったのかもしれません。

 

これについては既に今年中に「第二回」の開催に向けて展示品の充実も含め準備を開始されているとのこと。

開催の際には改めてお伺いすること、そして私に協力できることがあれば遠慮なくお声掛け下さいとお伝えし、会場を後にしました。また北海道に向かう理由が出来ました。

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最後に、会場内に展示されていた地元誌の特集記事をアップします。

写真では読みずらいですが、一読頂ければ今回の展示に向けた想いを感じて頂けると思います。

次回も期待いたしております!

 

(4月13日訂正:@hilow_zero氏を「主催者」から「企画者」へ改めました。主催者は小樽文学館様となります。ご指摘頂き誠にありがとうございました。)

ゲームセンター回顧録 小樽・札幌ゲーセン物語展へ行ってきました その1

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過日、北海道小樽市小樽文学館にて実施された「小樽・札幌ゲーセン物語展」へ行って来ました。

 

これまで地元埼玉県以外に愛知県や長野県のゲームセンターについて回顧録を残していますが、北海道は旅行や仕事で向かった際にゲームセンターへ立ち寄ったことがあった程度で、特にこれまでの人生で深い縁があった場所という訳ではありません。

 

その私が今回こちらへ伺うことになったきっかけは2020年の9月に遡ります。

コロナ禍が若干落ち着いた2020年夏にGo Toトラベルキャンペーンが開始されましたが、その際に落ち込んだ北海道観光振興の一環として「HOKKAIDO LOVE!」プロジェクトが実施され、キャンペーンの一環としてJR北海道から管内全線が6日間、特急も含めて乗り放題の「HOKKAIDO LOVE! 6日間周遊パス」が破格の¥12,000にて販売されます。

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この機会を逃すまいと思った私は、9月の4連休でこの切符を使って北海道のハイスコア集計店跡地巡りを決行します。

 

予め当時のベーシックマガジンやゲーメストで店舗の住所を調査の上渡道したのですが、住所の記載が不完全で確実な場所を捕捉出来ない店舗もいくつか存在。情報を探していた所以下のサイトに辿り着くことになります。

 

seesaawiki.jp

こちらのサイトに店舗住所や営業当時の様子、店舗跡の状況といった地元の方だからこそ書き込める情報が集約されており非常に重宝したのですが、小樽・札幌ゲーセン物語展の企画者である@hilow_zero氏が展示の一環として作成したものであることを知るに至ります。

 

そして渡道期間中に小樽市や札幌市内の全ての集計店跡地を廻りきることが出来なかったこともあり、来年の1月実施であればその頃にはコロナ禍もある程度落ち着くだろうから、残りの跡地探訪を含めてゲーセン物語展にお邪魔しよう、と心に決めていたのでした。

 

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JR小樽駅

通ったのみであれば前回来訪したのは2017年7月ですが、駅を降りて散策となると恐らく1987年以来となるため、34年振りということになります。

 

会場の文学館に向かう前に、もう一つの目的である小樽市内のハイスコア集計店跡地を廻ります。

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ゲームポイントフリーウェイ小樽店跡

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ゲームプラザ月光仮面

 

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プレイシティキャロット小樽店跡

 

1987年に訪れた時には、小樽運河を散策の後にプレイシティキャロット小樽店に立ち寄っているのですが、跡地は既に建て替えられておりそこにゲームセンターがあったことを窺い知ることすら出来なくなっていました。

 

そして今回の会場である小樽文学館へ。

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建物の目の前に線路と踏切がありますが、これは1985年に廃止された旧国鉄手宮線の廃線跡で、北海道で最初に開通した鉄道の一部区間ということで史跡としてそのまま残されています。旧色内駅のホーム跡が文学館に隣接しており、セットで散策を楽しむことが出来ます。

hokkaido-labo.com

 

今回の展示は2階で実施されていました。無料展示のため1階入口で展示を見に来た旨を伝えればそのまま入場出来ますが、文学館の通常展示も見ることが出来る300円の入場券を購入して2階へ。

そして文学館展示室のドアを開けると、その一角に明らかに周囲と異なっている、しかし建物の雰囲気と相まってどこか懐かしい空間が展開されていました。

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その2へ続きます。

ゲームセンター回顧録 セガロケーション撤退に思う その4

今度は「受ける」GENDA側の考察です。

 

市井の方よりも多少は業界に対するアンテナが高いと思われる私でも、今回の株式譲渡まで「GENDA」という社名は聞いたことがありませんでした。創業は2018年とのことで、まだ2年程度では聞き覚えがないのも無理のないことです。これまで業務用ゲーム機のレンタルやオンラインクレーンゲーム事業、米国への子供向け遊戯施設展開といった事業を手掛けていたようですが、今回の買収で一気に企業規模を大きくすることとなりました。

 

経営陣は、イオンファンタジー企業価値を大きく向上させた実績のある創業者兼会長の片岡氏と、金融業界で辣腕を発揮してきた共同創業者兼社長の申氏の二人が両輪となっているようです。

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(月間アミューズメントジャーナル2020年11月号表紙)

社長の申氏は業界紙である「月間アミューズメントジャーナル」の表紙を飾りました。通常はゲーム機の写真が表紙を飾ることが多い業界紙において、アミューズメント業界関係者とは思えないその容姿が異彩を放っていました。

 

気になるのは、バックが投資ファンドであるということ。ファンドの出資先として設立された経緯が窺えます。セガエンタテイメントの買収に動いたのは、ファンドとして勝算があってのことなのでしょう。

そのシナリオは、イオンファンタジー時価総額を約5倍に引き上げた現会長の手腕をこちらでも発揮してもらい、ひいては企業価値の向上→株式上場と見て間違いないと思います。そのため今後時間の経過と共に、これまでのセガの運営とは異なる形で様々な施策が打ち出されてくると予想されます。

 

当然それはプラスな面もあります。

例えばセガのロケーションにおいては永らくコナミ製品がほぼ導入されてきませんでしたが、表向きにセガは経営から手を引いていることから今後GENDASEGA店舗にコナミ製品が積極的に導入される可能性は充分あり得ます。コナミが製品を販売をしてくれるのかどうかは別の話ですが…

 

しかし以下のようなデメリットを私は危惧しています。

 

まずは先に述べている「バックが投資ファンド」であるということ。

ファンドが描くシナリオ通りに企業価値が向上すれば良いのですが、ビジネスモデルとして目新しいものはなく、しかも全体が斜陽であるゲームセンター業界において、ファンドの目論見通りに物事が進まない可能性は充分に考えられます。

その際「ファンドが資金を引き揚げて事業を再度別の業者へ売却する」という事態が起こり得る訳で、価値の低下した事業の買い手が付かなければ清算、という最悪のシナリオが全く無いとは言い切れません。

 

そしてもう一つが「セガブランドを失うことによる影響」です。

これまでは「1部上場企業」としてのセガもしくは直接の子会社という看板があったため、その信用や資金力、運営能力を踏まえて店舗の出店が可能でした。

特に最近はゲームセンター単独出店ではなかなか収益性が上がらないため、集客力が高いショッピングセンターインストアに飲食提供等も含めた複合型の店舗を展開する例が増加しており、その出店に当たっては予めゲームセンター運営会社がプロポーザルを行い出店企業が選定される場合が多いようです。

www.sega-entertainment.jp

bandainamco-am.co.jp

ナムコは元々ショッピングセンター内店舗運営が強く、現在の施設一覧を見てもインストア型店舗が多数を占めている反面、都市型やロードサイド店舗主体だったセガはショッピングセンターへの出店は後発で、近年はインストア型店舗を徐々に増やしてはいるもののその割合はナムコに比べると明らかに低くなっています。

店舗数を絞っている最中で無闇矢鱈と出店出来ないこと、またナムコ等インストア主体で運営している業者と比較して運営ノウハウや新規出店案件に乏しいという事情はあると思われますが、それでもプロポーザルを行う際にセガのブランドが与える影響は決して小さくはないと思います。

 

ここからセガのブランドが外れるとどうなるのか。

企業名にセガの文字を残しているとは言え、資本的にほぼ無関係になったことが周知されており、上場企業の後ろ盾による信用力、コンテンツメーカーが持つ商品力や企画力を失った企業がこれまでと同様に新規出店を継続できるのかは疑問が残ります。

そこで現会長の手腕に期待が掛かる訳ですが、イオングループ関係会社としてグループのショッピングセンターに国内外を含めて優先的に出店可能なイオンファンタジーと、企業名にセガの名称が含まれるものの実質はファンドがバックのベンチャー企業では明らかに土俵が異なるため、恐らく一筋縄では行かないのではないでしょうか。

  

jamma.or.jp

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(社団法人 日本アミューズメントマシン工業協会 設立20周年記念誌 1990年台-3より)

かつてアーケードゲーム業界は、「不況知らず」と呼ばれ、実際に不況期においても市場を拡大してきました。それは定期的にヒット商品を市場に送り込んできた開発者、そしてコツコツと日銭を稼ぐゲームセンター運営関係者の不断の努力の賜物だと思います。

しかしアーケードゲームが持っていた商品的アドバンテージは徐々に失われ、またゲームセンターの稼得能力もコロナ禍で大きく減衰しているタイミングでの「セガのロケーション撤退」は、いよいよ業界が完全に縮小期へ突入するトリガーとなってしまうのでしょうか。

GENDA会長の片岡氏はtwitterで上記の発言をされています。先行きは決して安泰ではないと思いますが、元OBとして今後店舗、会社、そして業界を如何に活性化させていくのか興味深く見守りたいと思っています。

ゲームセンター回顧録 セガロケーション撤退に思う その3

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セガ秋葉原1号館 2020年10月25日撮影)

セガがロケーションビジネスから撤退することで、どのような影響が考えられるのか。

 

まずは「手放した」セガ側から考察してみます。

 

ロケーションビジネス撤退でセガが失うこととなる売上高はおおよそ年間400億であることを確認しています。セガの売上全体に占める比率は以前より大きく低下しており、ダメージは限定的と見る節もありますが、この400億が他の売上と大きく異なるのは、「その殆どが日銭としてキャッシュでダイレクトに入ってくる」ことにあります。

 

キャッシュは運転資金として即運用できることは勿論ですが、ゲーム制作において開発段階は初期コストを要します。コスト回収はゲームの発売後となるため、開発期間中の資金は何らかの形で調達しなければなりません。

最もポピュラーな資金調達と言えば「銀行からの融資」となりますが、銀行も当然ながら回収が厳しい会社へそう易々とは貸してはくれません。しかし現金収入が期待できるゲームセンターを多数運営していれは融資への敷居は確実に下がることが想定されます。

 

特に大手ゲームメーカーと分類されるセガタイトーそしてナムコがゲーム業界で生き残ってこれたのは、他メーカーと比較して多数のゲームセンターを運営していることで運転資金が確保され、また融資が受けやすくなるというメリットを享受出来たからではないかと考えます。

アーケードゲームメーカーは、大抵自社ロケーションを平行展開した経緯がありますが、大手3社ほど広域的に多数の店舗が展開できなかった中小メーカーは倒産や業務用からの撤退を余儀なくされました。一方カプコンも現在は業務用ゲームタイトルのリリースは少数となっており、一時業務用ゲーム機製造からの撤退が噂されましたがロケーションビジネスについては依然としてショッピングセンター店舗を中心として展開しており、店舗運営ビジネスを継続することにメリットがある裏付けとなっています。

そのメリットこそが「セガはロケーションを手放すことはない」と思う根拠となっていました。

 

しかし今回セガサミーホールディングスはロケーションビジネスを手放しました。

里美社長は以下記事内で「もともと軒先に機械を置いておカネを稼ぐということを創業の頃にやっていたという意味で、(歴史的な意味を持つ)基幹事業」との認識を持ちつつも、「もしこのままわれわれが持っていたとしても、大幅な店舗削減をしなければいけない」と店舗運営ビジネスは悲観的であることを語っています。
toyokeizai.net

確かに店舗の稼得能力が低下している現在、店舗施設やゲーム機といった資産を過剰に抱えておくことは固定費の増加に繋がるため経営的にプラスに作用しません。

 

資金においても上場企業である以上調達手段は存在するため、もはやゲームセンターからのキャッシュに頼る必要は全くないのかもしれません。

 

そして並行して、アーケードゲーム向け開発人員をソフトやアプリの開発に振り向けることも発表されました。

これらの一連の流れはつまるところ、「人、モノ、金」という経営の三要素を業務用ゲーム部門から大きく引き剝がすことを意味します。

アーケードゲーム開発事業は引き続き継続すると表明しているとは言え、今回の事業再編で完全にセガのメインストリームから外れてしまった業務用ゲーム事業が今後いかなる運命を辿っていくのか、何となくその結末が見え隠れしている気がしてなりません。

 

 その4へ続きます。

ゲームセンター回顧録 セガロケーション撤退に思う その2

セガが店舗を手放すことを確認した際、ロケーションビジネスの現状を確認するため、セガサミーホールディングスのIR情報をチェックしました。

 

ホームページ上では、丁度私が退職した2005年以降のデータを確認出来ました。

しかし古い年度において期末のグループ決算説明資料がアップされていないこと、また15年の間に子会社組織の改編が行われた結果、有価証券報告書内のアミューズメント施設事業売上のセグメントに変更があり、統一した資料から数字を拾い上げることが出来なかったため、2010年度を境に以下の2つの資料からデータを抽出しました。

・2005~2009年:セガサミーホールディングス(株)決算短信の「セグメント情報」

・2010年以降:セガサミーホールディングス(株)決算説明資料の「連結損益計算書

 

以下、アミューズメント施設事業における売上高、当期純利益、店舗数をグラフ化しています。売上高及び当期純利益の単位は百万円となります。

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(データは、2005~2009年までは決算短信、2010年以降は決算説明資料より抽出)

私が退職したのは2005年ですが、そこから2006年に掛けてはアミューズメント施設事業が好調な時期で、当時人気が絶頂だったムシキングや、女の子向けカードゲームの「おしゃれ魔女 ラブ&ベリー」もヒットしており、その恩恵を受けていた時期です。

 

しかしその人気が一巡した2007年に純利益が大きく落ち込み、2007年は何とか持ちこたえたものの2008、2009年と2年連続して施設事業セグメントとして大きな赤字を計上することとなります。2回目の希望退職者募集があったのが2009年のこと。あと4年頑張っていれば…(しつこい)

 

1999年のリストラの際は、ドリームキャストの躓きというコンシューマ部門における要因が大きかったと思いますが、2009年の際にはアミューズメント施設事業及びコンシューマ事業における営業損失が理由と明確に記載されており、特に既存店の売上落ち込みが大きかったようです。

この頃は私もセガを離れ、MJをプレイする程度しかゲームセンターへ行く機会が無かったのですが、ムシキングの後継「恐竜キング」もパッとせず、他の業務用タイトルも含めて自社ヒット製品が乏しかった時期に加え、コナミの大型メダルゲームが幅を利かせており商品構成でもハンデが大きかった時期ではないかと思います。

これを機に従来型の既存店整理が一層進行し、3年掛けて店舗を半減させた結果、2011年にようやく止血し再度利益を出せる状況に至ったことがグラフから見て取れます。2009年にセガからタイトーへ合計12店の運営移管がされましたが、これも恐らくは店舗整理の一環として実施されたのでしょう。

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(2020年6月6日撮影。2021年3月末で閉店が決まった、セガより譲渡された店舗のうちの一つタイトーステーション豊橋
 

ただ、2011年以降は若干の浮沈はあるものの、概ね200店の規模と400億程度の売上で推移しており、赤字計上した年度はあるものの傷口は小さく比較的安定して経営を推移させてきたことが窺えます。

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セガサミーホールディングス(株) 2020年3月期決算プレゼンテーションより抜粋)

 

エンタテイメントコンテンツ事業はセガサミーグループにおけるセガ社の担当領域であり、2020年3月の通期業績予想では総売上2460億に対してアミューズメント施設事業で430億、18%弱の割合となっています。

2005年度では35%程度を占めていたため、セガサミーグループ内におけるアミューズメント施設事業のウエイトが小さくなっていたのは紛れもない事実でしょう。

そして2020年度においてはコロナ禍による大幅な売上の低下が避けられない状況となり、またコロナ禍が明けた後にも以前と同様の売上見通しを立てられず将来性が薄いという経営判断が今回の事業譲渡へと繋がった、というのが大筋の見解ではないかと思います。

 

しかしそれでも売上400億です。

また、数字の部分だけでなくセガアミューズメント施設事業を失うことそのもの影響、そして譲渡されたGENDA側においてもセガが直接運営している時と比べると、いくらセガの名前を残しているとはいえ今後様々なマイナス部分が出てくるのでは、と個人的に危惧しています。その内容は次回で説明したく思います。

 

その3へ続きます。

ゲームセンター回顧録 セガロケーション撤退に思う その1

セガが「ロケーションビジネスから撤退する」というニュースを耳にしたのは、丁度セガ勤務時代の回顧録を書いている最中でした。

突然の発表に驚愕した私は直ぐにでもブログにこの話題を取り上げようとも考えましたが、勤務時代の回顧録途中に挟むのも中途半端なため、終了したこのタイミングで取り上げることと相成りました。

www.nikkei.com

報道直後にセガサミー公式からもプレスリリースが発表され、事実であることが判明します。

www.segasammy.co.jp

https://www.segasammy.co.jp/japanese/pdf/release/20201104_j_subsidiary_final.pdf

 (セガIRリポート、2020年11月4日号)

 

そして株式譲渡先の「GENDA」を含んだ正式な社名変更のインフォメーションが掲載され、2020年末をもって名実ともにセガとしてのロケーション運営は終焉を迎えることとなりました。

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(GENDA SEGA Entertainment ロゴ、同社ホームページより転載)
www.sega-entertainment.jp

(GENDA SEGA Entertainment  インフォメーション 12月30日号にて掲載)

 

セガサミーホールディングスが元々の運営子会社であるセガエンタテイメントの全株式を売却した訳ではなく、また社名変更に当たってセガの名称は残しているものの、セガが所有を続ける15%程度の株式ではもはや経営を大きく動かす力は持ち得ないでしょうから、業務用ゲームビジネスは今後も継続するというセガの「のれん」としての株式保持とみてほぼ間違いないでしょう。

 

自分にとって衝撃的だったのは、元勤務先企業が消滅したという事実ももちろんなのですが、セガが「祖業であるゲームセンター事業から手を引く」ことはあり得ないと思っていたからに他なりません。
60th.sega.com

セガの歴史を紐解いて見るとわかりますが、もともとセガはジュークボックスの輸入販売からスタートしており、「メーカー」よりも「ディストリビューター(販売代理店)」の事業が先行しています。

そのビジネスモデルは「ジュークボックスを飲食店や娯楽施設に設置し、機器のメンテナンスやレコードの入れ替えまでを行う。売上はオーナーと契約歩率で分配する」という内容が想像されます。現在の業務用ゲーム機や自販機で一般的な機器レンタル設置のモデルと恐らく大差はありません。

やがてジュークボックスの需要減少に伴い、ビジネスモデルや取引先も類似しているアーケードゲームのレンタルへと業務内容をシフトさせていったと考えれば、ジュークボックスのレンタル設置が祖業であり、その直接の血を引く業務用ゲーム機の機器設置事業が祖業に最も近いと言っても過言ではないと思います。

 

勿論「祖業」というだけでは、それこそジュークボックスが業務用ゲーム機に代わったようにその事業を維持し続ける理由にはなりません。

コロナ禍によって、ゲームセンタービジネスの業績悪化及びビジネスの先行き不透明さが浮き彫りになってしまったという事情があるとはいえ、業務用ゲームのビジネスを抱えていたからこそ浮沈の激しいゲーム業界においてこれまでセガが生き残れてこれたと思うため、多少の業績変動はあっても事業そのものから手を引くことはないと考えていました。

 

その2へ続きます。