小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1984年5月号/トピック店舗:なんばCITYビッグキャロット(大阪府)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1984年5月号)

スーパーソフトマガジン(ベーシックマガジン別冊付録)1984年5月号(第3巻第5号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

今回は4月号と比較して2店集計店が増加するのですが、初めてナムコ系店舗以外から出現します。

 

・その他

プレイタウンユー&ユー駒沢店(東京都)

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プレイタウンユー&ユー三軒茶屋店(東京都)

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(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン付録⦆1984年5月号より)

 

マップを見ると全てナムコ系店舗のマーキングの中、東京にだけ別色が存在するので目立ちます。

ユー&ユー(YOU&YOU)はジャレコ系店舗の名称で、いわばこちらもメーカー直系店舗。ジャレコの本社が世田谷区の用賀だった関係でしょうか、今回集計が開始された両店は用賀と同じ東急新玉川線沿線の駒沢大学三軒茶屋で最寄駅は隣同士でした。

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画像はジャレコが1995年にリリースした「ゲーム天国」のデモ画面ですが、店舗名が「YOU&ME」と直系店舗名称から少々アレンジがされていますね。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1984年5月】

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(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン付録⦆1984年5月号より)

 

ジャレコ系2店追加以外は掲載店舗に変化はありません。
今回からスコア欄末尾に「GAME OVERコーナー」という名称で通信欄が設けられ、新規掲載店の告知や店舗情報を掲載するようになりました。早速更に3店の追加情報が載せられています。

しかし「GAME OVER」という名称は不評だったのか、以後通信欄は時折掲載されるものの「GAME OVERコーナー」というコーナー名は1984年11月号に使用されただけで以後使われることはありませんでした。

 

トピック店舗:なんばCITYビッグキャロット

集計店をマッピングする際、正確な位置の把握のため当時の住宅地図から場所を特定し現地調査を順次行っていますが、調査記録の公開も兼ねて今回から集計店跡地の現在を紹介するトピックを掲載します。

また自身の見聞や過去資料等から発掘されたエピソード等も合わせて紹介して行きます。

 

最初は大阪府ナムコ直営店「なんばCITYビッグキャロット」を取り上げることにします。

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(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン付録⦆1984年1月号より)

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2019年6月9日撮影(以後写真は全て同一日撮影)

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南海難波駅の高架下が商業施設の「なんばCITY」となっており、その施設内にキャロットが存在しました。スーパーソフトマガジン初回掲載集計店26店のうちの一つです。

 

実は昔愛知県在住だった際、関西へ遊びに行った時に一度訪問したことがあります。

高架ホームの先端部付近にあり、店舗の外に出ると階段を下に降りた記憶があったのですが、昔の月間NGに掲載された店舗外観および内装写真を発見、2階で間違いないことが確認されています。

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(1986年時点の店舗外観および内部。月間NG2号より。@Area51_zek 氏のツイッターより転載)

 

 

(吉田地図 大阪市南区1986年より)

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1986年当時の住宅地図と、現在のフロアガイドと及び現在の南館2階部分となります。

キャロットは当時のなんばCITYの先端部で、現在の飲食店街である「なんばこめじるし」の場所が該当するようです。

nambacity.com

駅直結ということもあって店舗の立地も抜群、且つ当時としてはかなり広い店舗面積を有していたこともあり、ナムコにおいても当時は関西の基幹店としての位置付けだったようです。

またハイスコア集計開始当初から掲載された歴史があるため、ベーマガ初期の関西地区代表店というイメージがありました。店舗欄は1988年5月号まで確認出来ましたが、そこで掲載はストップしています。

1988年4月にそれまでの「なんばCITYビッグキャロット」から、現在もナムコ直営店舗名称として使用されている「プラボ」の第一号店として「プラボエイビス」と名称が変更されており、時期が一致することからその際にスコア集計もストップしたと思われます。そして現在はなんばCITYの隣、元大阪球場跡地のなんばパークス内に場所を移してナムコロケの営業が続いています。

 

最後に当ブログを見て頂いている読者の皆様へお願いです。

トピック店舗に限らず、店舗の正確な位置情報、当時の店舗写真やエピソード等をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非ともコメント欄に情報をお寄せいただきたくお願い申し上げます。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1984年3,4月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1984年3,4月号

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1984年3,4月号)

スーパーソフトマガジン(ベーシックマガジン別冊付録)1984年3月及び4月号(第3巻第3号及び第4号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

最大の変化は集計店舗数です。1,2月号の26店から42店へと一気に増加しました。

 

ナムコ

プレイシティキャロット小樽店(北海道)

 

プレイシティキャロットハローススキノ店(北海道)

 

澄川キャロットハウス(北海道)

 

川沿キャロットハウス(北海道)

 

筑波学園キャロットハウス(茨城県

 

宇都宮キャロットハウス(栃木県)

 

プレイシティキャロット駒沢店(東京都)

 

東久留米キャロットハウス(東京都)

 

朝日町キャロットハウス(山梨県

 

ビッグキャロット静岡東店(静岡県

 

プレイシティキャロット豊橋店(愛知県)

 

プレイシティキャロット第4ビル店(大阪府

 

ビッグキャロットすみのえ店(大阪府

 

プレイシティキャロット福山店(広島県

 

ビッグキャロット高松店(香川県

 

プレイシティキャロット佐世保店(長崎県

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年3月号より)

 

今回増加した店舗も全てナムコ系店舗。42店全てが埋め尽くされるのはある意味壮観であり、またこれだけの店舗が短期間に名乗りを上げることが可能だった当時のナムコのロケーション管理の賜物と言えるのかもしれません。

 

集計開始予告に入っていた札幌市の「プレイシティキャロットハローススキノ店」は3月号から正式にノミネートされます。

また大阪市の「ビッグキャロットすみのえ店」は3月号時点で欄は出来ていますが次回から正式掲載になる旨が記載されており、実際のスコア掲載は翌4月号からとなっています。3月と4月の相違点はすみのえのスコア掲載の有無だけになっています。

 

以下3,4月号のスコア欄となります。

 

【チャレンジハイスコア 1984年3月】

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(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年3月号より)

 

【チャレンジハイスコア 1984年4月】

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(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年4月号より)

 

ナムコ系ゲームセンターの名称は当時「キャロット」の他にも、百貨店やショッピングセンターインストア店舗の「ナムコランド」が存在していましたが、この時点ではナムコランドの掲載は1店もありません。ナムコも当初は、都市型単独店舗でビデオゲームがメインのキャロット活性化策としてハイスコア集計を受け入れたのではないかと想像されます。

 

その影響は集計店の分布にも表れており、42店のうち札幌圏内で6店、東京都内で9店、大阪府内で6店と、キャロットという都市型単独店舗が立地可能な特定都市圏に集中している傾向があります。

その他地方でも県庁所在地レベルや大学が近隣にあり学生をターゲットとして出店した店舗ばかりのため、人口規模の小さい地方中小都市店舗の掲載が当初は殆ど無かったことが追ってハイスコア集計が開始されるゲーメストと大きく異なる点となっています。

 

この傾向は、ベーシックマガジンの掲載店増加と共にナムコ系店舗以外の掲載が増えることによって徐々に変わっていくのですが、後追いで集計を開始したゲーメストベーマガとは異なり当初から地方店舗を多数掲載したことも手伝い、「都市部の店舗はベーマガ、地方はゲーメスト」という印象を抱かせるものとなっている気がします。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1984年1,2月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1984年5月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1984年1,2月号

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1984年1,2月号)

スーパーソフトマガジン(ベーシックマガジン別冊付録)1984年1月及び2月号(第3巻第1号及び第2号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

前号である1983年12月号のスーパーソフトマガジン内でのハイスコア集計開始の予告記事を経て、1984年1月号から実際の集計及び誌面への掲載がスタートします。

予告記事においては、「SUPER HI-SCORE CORNER」と言う名称でしたが、実際に開始された際にコーナー名は「CHALLENGE HIGH SCORE!」に変更されました。このコーナー名が略称「チャレハイ」として定着していくこととなります。

 

また、1月号及び2月号の2号では掲載店に変化がないため、マップは共通となっています。マップをご覧いただければわかる通り、プロットされた店舗は全てナムコ系であり、この時点では他メーカー系列店や個人店は一つもありません。

 

ひとつ気になる点があります。

ハイスコア集計開始は電波新聞社からナムコに話が持ち掛けられ、ハイスコア掲載用のホワイトボードといった什器も電波新聞社側にて作成されたものと「ALLABOUTベーマガ」のイベントにて聞き及んでいますが、集計に協力した各店舗はそれ以前から店舗単位でスコアの集計を行っていたのかどうか?

1980年台前半のナムコ黄金時代は主にゲームタイトルで語られますが、ナムコ系ゲームセンターにおいては1983~87年頃までが最もユーザーフレンドリーだった時期と思います。その流れはベーマガでのハイスコア集計開始が契機なのか、それ以前からナムコの店舗は特別だったのかという点についてはあまり語られている機会やサイトって無いんですよね。店舗単位で違っていたのかもしれませんが、どのような経緯でナムコ系店舗が特別視されるようになったのかは非常に興味深いテーマではあります。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1984年1月】

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(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年1月号より)

 

上記が記念すべき第一回目のスコア集計店舗欄となります。

 

当初はマッピングだけとし、店舗欄を丸々アップすることは考慮していなかったのですが、マップだけでなく店舗欄を合わせて見て頂いた方が実感が湧きやすいのではないかと思い店舗欄もアップすることにしました。

 

また、スコアラー欄は徐々に「スコアネーム」と呼ばれるハンドルネームへと変化していくのですが、掲載当初は本名記載が多く、そのままブログに掲載すべきかどうかの判断に迷いました。

これについては、

・漫画やアニメのキャラ名等も含まれており、どこまでが本名であるか明確に判断が出来ない

・特に本名掲載となっている誌面は時間が経過しているものが多いため、直接的な影響は少ないであろうと判断

上記理由により特にマスクは施さずそのままアップすることにしました。ご了承をお願い申し上げます。

 

2月号は掲載店舗に変化はありませんが、データベース的意味を兼ねて以下アップします。

 

【チャレンジハイスコア 1984年2月】

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(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年2月号より)

 

予告では27店がリストアップされていますが実際に掲載開始されたのは26店。欠けている1店は札幌市の「プレイシティキャロットハローススキノ店」で、特に掲載がされていないことに対する案内はありません。ハローススキノ店は2か月後の1984年3月号から掲載が始まります。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1983年12月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1983年12月号

レトロゲームに関する情報が花盛りの昨今ですが、メディアやSNSが取り上げている情報といえば、当然と言えば当然ですがゲーム内容そのもののレビュー、プログラマーや作曲者などの開発者視点のものが殆どで、特にアーケードゲームにおけるプレイフィールドである「ゲームセンター」に関する記事や情報は非常に少ないのが現状です。

 

ただ、特に80年~90年代にアーケードゲームをプレイしていた我々のような世代は、ゲームそのものに惹かれてプレイしたのは勿論ですが、それが切っ掛けとなり日頃から通い詰め、プレイヤー同士が交流するゲームセンターという「場所」に惹かれるようになっていたのではないかと思います。

その頃の空気感を少しでも残すため、かつてのゲームセンターの回顧録をこのブログにまとめたりしていますが、いかんせん自身が通った範囲でしか詳細な内容は記載出来ません。何か普遍的なものを残せないか…と思い付いたのが、かつての雑誌掲載ハイスコア集計店舗をマッピングすることでした。

 

内容としては、マイコンベーシックマガジン、ゲーメストアルカディア誌等に掲載されていたハイスコア集計店舗の位置を、記載されている住所ベースでGOOGLE MAP上にプロットするだけの作業なのですが、以下の点で意義があるのではないかと思っています。

 

・店舗住所が記載されているため、過去にそこに店舗が確実に存在したことの証になる。また現在その場所がどうなっているのかを確認出来るし、店舗は無くてもその場所に行けば記憶が繋がることがある。

・「店舗にてハイスコアを集計する」という行為そのものがプレイヤーサイドに依拠しているため、集計していた店舗はプレイヤー寄りの運営を行っていた可能性が高い。結果として店舗のエピソードをいろいろと発掘出来る可能性がある。

 

そして誌面おいては、電波新聞社発行のマイコンベーシックマガジン別冊「スーパーソフトマガジン」にて「CHALLENGE HIGH SCORE!」コーナーとして1984年1月号からハイスコア集計が開始されることになるため、ここをスタート地点としてハイスコア集計店マッピングプロジェクトをスタートさせるのですが、まずはコーナー開始に関する布石について紹介したいと思います。

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(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1983年12月号より)

 

こちらは、ハイスコア集計が開始される直前の1983年12月号における「スーパーソフトマガジン」の表紙です。

 

1980年台前半のアーケードゲームナムコの黄金時代。その中において1983年頭に「ゼビウス」が登場し御存知のように大ヒットを記録しますが、既に1年近くが経過した12月に刊行された雑誌付録の表紙をまだゼビウスが飾っていることで当時の影響の大きさを窺うことが出来ます。

 

そして、ゼビウスのヒットに付帯して同人誌「ゼビウス1000万点への解法」に代表されるゲーム攻略系のコミュニティが勃興してくるのですが、そのコミュニティが目指していた「ゲームを攻略する→ハイスコアを狙う」というモチベーションと、店舗の差別化やプレイヤーへの動機付けを目的として一部のゲームセンターでローカルで実施されていた「ハイスコアの店内掲示」が融合し、それなら全国のゲームセンターでハイスコアを争うようにしたら盛り上がるのでは?と繋がっていくことで全国誌でハイスコア集計が開始される流れが生まれたのではないかと思います。

 

その流れは、当時パソコン向けにナムコアーケードゲームの移植を行っていた電波新聞社マイコンソフト)が、その関係をベースとしてゲームセンターにおけるハイスコア集計をナムコへ持ち掛けることで結実することになります。(2018年1月に開催された「ALL ABOUTベーマガ」のイベント内でそのような主旨の紹介があったと記憶しています。間違い等あればご指摘を頂きたくお願い申し上げます。)

akiba-pc.watch.impress.co.jp

 

「ALL ABOUTベーマガ」にもパネリストとして出席されていた大堀康祐氏の上記インタビューにも、ベーマガで全国ハイスコア集計開始に至る経緯が触れられています。

 

そして1983年12月号のスーパーソフトマガジンにおいて、初めてハイスコア集計の開始が予告されます。

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(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1983年12月号より)

 

「キャロット」という屋号はナムコが展開していたゲームセンターの名称であり、掲載が予告されている殆どの店舗がキャロットの名称を含んでいます。また屋号にキャロットの名前が入っていない3店についてもナムコ系店舗であることが確認されているため、掲載が予告された27店全てがナムコの関係しているゲームセンターとなっています。

このように、チャレンジハイスコアコーナーの最初は電波新聞社ナムコのタッグにてスタートしていることがお分かり頂けるのではないかと思います。

 

この集計予告を経て、1984年1月号の別冊から実際のハイスコア掲載がされるようになります。マッピングは次回の集計開始からスタートすることにします。

 

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1984年1,2月号

ゲームセンター回顧録 デイトナⅢよ永遠なれ! その3

その2より)

 

デイトナⅢの長い歴史の中ではほんの一時期に過ぎませんが、ここでは閉店を迎えるまでの最末期の頃の店舗の様子について触れておきたいと思います。

 

写真は全て2023年3月3,25.26日撮影

 

入口から入って店内全体を見渡します。

以前はメダルゲームも設置されていたことからも窺えるように店内はそこそこ広く、筐体は比較的余裕を持って配置されていました。

様々なプレイヤーが集まってもあまり干渉することが無かったのはこの店内の広さの賜物でした。

 

入口左手に鎮座するオールドタイトル2種。

ゲーム録画や配信の際は、広い場所が確保され機材の展開がしやすいこちらの場所が重宝されました。

ドンキーコングはここが定位置だったのですが、入口に近いこともあって地下に降りる階段の時点でプレイ音がよく聞こえており、その音でプレイヤーの腕前も判断出来たものです。

 

ダライアスバーストは私が出入りするようになった2018年には既に稼働していましたが、設置された時のエピソードが私が最初にデイトナで紹介頂いたスコアラー、cat氏のツイッターにあります。

 

発売直後から設置、とはいかなかったようですが、写真のように筐体周囲の遮蔽、2画面平行録画、そしてタイムレンタルなどプレイ環境が整備され、後発でありながらも固定層を掴んでいたように思います。

 

シューティングゲームは入口向かって右側の壁際に主に設置。

ケイブ系が多かったものの、それだけではなくプレイヤーの趣向やリクエストでバラエティに富むタイトルがどこからともなく用意されていました。

写真はガンバード2が2台設置されていた最末期。お店の開店直後ではこの2台のデモ画面がご覧のようにシンクロする光景を拝むことが出来ました。

 

そして突拍子も無く常連間で特定タイトルのムーブメントが起こることが多々ありましたが、その最たるものはグレート魔法大作戦だったのではないでしょうか。

キャラ別のハイスコア集計が始まったことも影響し、一時は3台常時稼働していたため「グレ魔テーマパーク」と呼ばれていたりしていたことも。

 

音ゲーは最末期はビートマニアⅡDXのみがバージョンアップされ、ポップンミュージックはファンタジアのままでしたがそれがかえって貴重だったようです。私が通い始めた頃はギターフリークスドラムマニアの旧バージョンも設置されていましたが程なく撤去され入口付近は広々としたスペースになりました。

 

店舗最深部は長らく「スパイクアウト」×4台の指定席でした。4台通信が貴重で固定客が付いていたのですが故障等もあったようで徐々に稼働台数が減少し、最後は写真のように特に他とは変わらないラインアップとなっていました。

 

そしてデイトナⅢを語るにおいて欠かせないぷよぷよ通。

ゲーム文化保存研究所の記事に2018年頃の店内写真がありますが、当時は対戦台2台常設、週末対戦会の際には3台以上に増設して運営されていたものの、コロナ禍の影響で対戦会開催が自粛されると台数を減らし、一時期は店内設置が無いという時期も。

最末期はシングル1台の常設が復活し、スコアアタック御用達となっていました。

 

対戦格闘ゲームは最末期のデイトナではあまりイメージが湧きにくい方が多いと思いますが、コロナ禍前は特にストリートファイターゼロ系やネオジオ系の対戦会が頻繁に実施されていました。格闘ゲームの全国イベントである「闘劇」の予選店舗だったこともあります。

 

そしてこのお店の特筆すべき点は、店舗公式サイトやSNSを一切持たなかったため、イベントの告知やプレイヤー向けサービスを外部へアピールすることを一切行わなかったことです。

 

最近の厳しい環境下でも営業を続けているビデオゲーム主体のゲームセンターは、店舗の認知向上のためにゲーム大会等のイベント運営やゲーム配信に力を入れています。

それ自体は決して悪いことではないのですが、店舗主導でイベントを実施すると店舗スタッフがイベント運営に手を取られるため、おおよそイベント対象機種以外の運営やメンテナンスが疎かになる弊害が有ったりするのですが、ここデイトナでは店舗は「裏方」に呈しており、イベント運営をプレイヤーに任せることで他の客層への影響を極力発生させないよう配慮がなされていたように感じます。

 

結果的にはイベントを運営するプレイヤー側に自主性が求められるのですが、運営側の要望に対して可能な限り環境面でバックアップを頂けたのではないでしょうか。

 

ただ、人数が集まる対戦会の実施はピンで来店することが普通のスコアラーと比べるとコロナ禍の影響を大きく受けてしまったように感じます。

2020年に入り本格的に始まったコロナ禍の影響はデイトナにも押し寄せ、緊急事態宣言の発令された4月~5月に掛けては店舗も一時休業を余儀なくされていました。

6月になると営業が再開されたのですが、3密を避けるために人数の集まる対戦会系のイベント実施が控えられるようになり、以前と比較して集客が落ちてしまったのは明らかでした。

 

その後コロナ前の100円=3枚だったメダル単価が、200円=5枚となり最終的には200円=3枚へと変更になりましたが、「店が無くなっては困る」との総意からスコアラー間では値上げは寧ろ歓迎されました。

2回目のメダル単価変更はコロナ禍も落ち着きを見せ始めた2022年末頃に行われたのですが、その理由が「電気代の向上」であったため、当座は大丈夫と思っていた矢先の突然の閉店発表が関係者に与えた衝撃はあまりにも大きく、閉店までの最後の1か月、特に毎週末は上の写真のように名残を惜しむプレイヤーが多数集い、店内はまるでアーケードビデオゲーム全盛期のような光景が繰り広げられていたのです。

 

ただ閉店に至った直接の理由は売上ではなかったことは確かなようです。いろいろと事情はあったようですが、店舗に通うだけの人間がその事情に抗えるはずも無く、皆大きな喪失感を抱えながら粛々と現実を受け入れるしかありませんでした。

 

 

最後に、閉店後に店内機械が搬出された際の光景がありましたので掲載します。

寂しい写真ですが、一時代と形容されているゲームセンターの良き時代を過ごせたこと、そして一癖も二癖もあるプレイヤーの要望に快く応えて頂き、そして長年に渡り居場所を確保頂いたデイトナⅢとオーナー、店長、そして関係者各位に深く感謝をしつつ記事を締めたいと思います。

 

デイトナⅢよ永遠なれ!

ゲームセンター回顧録 デイトナⅢよ永遠なれ! その2

その1より)

 

今回は「ハイスコアラーの視点から見たデイトナⅢ」について記します。

その1でも述べていますが、デイトナⅢがハイスコアの誌面掲載を開始したのは1999年まで遡ります。そのためこのお店に通い詰めた全てのスコアラーということではありませんが、特に最末期に私を含めたハイスコアラーがこの店舗が集うようになった経緯について触れていきたいと思います。

 

私は2000年頃からゲームセンターではネットワーク麻雀ばかりをプレイしてビデオゲームから遠ざかり、その後はingressに熱を上げていたりした時期もありましたが、2015年あたりから昔クリアしていなかったゲームを中心に再びビデオゲームに復帰するようになっていました。

 

最初は会社帰りに高田馬場へ寄ったり、週末に深谷まで出向いたりしていたのですが、ハイテクノーベル神保町時代のスコアラーの伝手で紹介してもらったのがデイトナⅢとの出会いです。

その日時は残念ながら記憶も記録も残っていないのですが、twitterのログを眺めた所2018年11月が最も古い訪問履歴として確認出来ています。

その後は通勤路の途中であり、馬場や深谷よりも自宅から近いことも手伝ってデイトナへ入り浸るビデオゲームライフが始まることになります。

 

写真は全て2023年3月3,25,26日撮影

 

デイトナへ行くようになって最初に衝撃を受けたのは「初代ドンキーコング」のスコアアタック。

海外版で面構成が違っていることを知らなかったためそちらも驚きでしたが、強制終了となるキルスクリーンまでにひたすら100点を絞り出し、そして積み上げていくプレイは自分の知っているドンキーコングとは全くの別物で、しばし見入っていたものです。

 

そして私が通い始めた2018年頃はまだ各地からスコアラーが集うという程の状況ではなく、埼玉県内在住のプレイヤーが以下に挙げる良好な環境でビデオゲームをプレイできる貴重な店舗としてホームとしていたという印象でした。

 

①基板の持ち込み

個人で所有しているゲーム基板を持ち込みで稼働させてもらえました。

基板を所持しているプレイヤーがいない時は、高井商会の基板レンタルを活用して調達するなどの対応もして頂けました。

 

②連射や特殊装備への対応

必要なタイトルに連射装置を付けて頂けるのは勿論のこと、タイトルによって必要となる連射速度の調整や切替、ボタンの増設や特殊操作ボタン設置、高機能連射装置のプレイしながらの設定調整も可能でした。

これは「行き着く所まで行き着いた」特殊装置使用時のコンパネです。某プレイヤー御用達。

レバー+6ボタン+スタートボタンの標準コンパネに合計で8個追加されたボタン、ロータリースイッチ、テンキーに加え、高機能連射装置は外部に露出しプレイ中に任意に調整できる仕様。隣のテーブルには電源と外部出力があり、PCを接続して動画の記録やマクロの送り込みまで行えるという代物で、一般のプレイヤーは何をやっているのか全くもって分からなかったことでしょう。

 

➂プレイ動画録画、配信環境の整備

もはやプレイの研究には欠かせない動画の撮影ですが、10台程度の録画機材は常設、録画タイトルの変更にも応じて頂けました。

その他個人で録画・配信機材を持ち込み接続するための外部出力がある筐体もあり、特にリアルタイム配信に活用されていました。

録画機材が3台重なったラック。

かつてはこの周辺はぷよ通の対戦会ツールで占められており、機材も対戦会3セットの録画のために設置されていたものだったと記憶しています。

 

そしてこれらの良好な環境が口コミやSNSで広まってくるにつれ、80年台のハイスコア欄を見ていたゲーマーなら誰でもそのスコアネームを聞いたことがある往年のスコアラーから期待の若手に至るまで、各地から徐々にプレイヤーが集まってくるようになります。

そこには80年台後半に誌上でしか名前を知り得なかったプレイヤーの方々と同じお店でゲームをプレイしているという、当時中高生だった自分からすれば夢のような光景が繰り広げられていたのです。

 

ただ、若い頃のそれこそ開店から閉店までゲームを続けるような気力・体力・集中力が保てなくなっている年相応の方々は、来店しても19時過ぎには皆があまりゲームをプレイしなくなります。そしておおよそ20時になると近所へ飲みに行くことが通例となり、毎週末のように宴が催されていました。恐らくは私も含めてゲームよりも寧ろこちらが主目的になってしまっていたかもしれません。

 

写真は店内に掲示されていた歴代のJHA(日本ハイスコア協会)にて、デイトナⅢから申請され全国トップスコアとして登録されたタイトル、プレイヤーの一覧です。JHA以前のゲーメストアルカディア時代に登録されたスコアは含まれていません。

 

wiki.denfaminicogamer.jp

JHAによるハイスコア集計は2016年3月からアルカディア誌の履歴を引き継いでスタートしていますが、そこから約7年にてこれだけのスコアがデイトナから輩出されたことになります。

それはここに集まったスコアラーの熱意と共にその環境を整えてくれたデイトナⅢという店舗があってこそのものだったと思います。

 

その3へ続きます)

ゲームセンター回顧録 デイトナⅢよ永遠なれ! その1

写真は全て2023年3月3,25.26日撮影

 

2023年3月26日、とあるゲームセンターがその歴史に終止符を打ちました。

その店舗の名は「デイトナⅢ」。

直近まで私がホームとしていたお店です。

 

 

閉店は2023年3月1日に突如と告知され、私と同じく店舗の常連であったD助氏のツイートからゲーセン閉店botに捕捉され広く周知されることとなりました。

 

まだ閉店から時間が経過しておらず喪失感に溢れており、回顧録など書きたくないのが本心なのですが、ここでこのお店の記録を残すことが自分の責務と思いエントリーすることとしました。

蕨駅東口駅舎です。

店舗住所は埼玉県川口市ですが、最寄駅が蕨駅のためほぼ全てのプレイヤーが「蕨デイトナ」と呼んでいました。

 

駅前通りを進むと写真の六叉路にあたるのですが、この交差点を斜めに横切る道が蕨市川口市の市境となっており、店舗は交差点を渡った先にあったため川口市でした。

 

そして程なく現れるこちらの「星野ビル」地下1階が店舗です。

ビル正面左側に専用の入り口が設けられています。

 

そして店舗入口部分。

ビル自体も年季が入っているのですが、こちらの入口も看板や装飾に時代を感じさせます。

ちなみに看板やアーチ部分にはネオン管や装飾用の電球が付いているのですが…

 

最末期はご覧のようにアーチ部の電球1個を除いて全て切れていました。

この店舗がいつオープンしたのか、正確な情報は把握していません。

ただハイスコア集計店として、ゲーメスト誌へ1999年7月15日号から掲載されたことを確認しているため、少なくとも20年以上は営業が続けられていたことになります。

ゲーメスト 1999年7月15日号より)

 

晴れてハイスコア掲載店としてデビューしたのも束の間、1999年9月30日号をもってゲーメスト誌が休刊となってしまうため、この時には僅か3回の掲載に留まりました。

その後ゲーメストの後継誌として創刊された月刊アルカディア誌によってハイスコア掲載は再開されますが、再開時には掲載は無く1年程度経過した2001年11月号から掲載が開始されています。

アルカディア 2001年11月号より)

 

ゲーメスト誌への掲載以前に近隣には「GAME INN SAM 蕨店」という店舗がベーマガ末期にハイスコア掲載店として名乗りを上げており、スコアラーはSAM、対戦や音ゲーデイトナと客層がある程度分かれていたようです。しかしSAMの閉店後はスコアラーもデイトナに流れ、追ってこちらもハイスコア掲載店として認知されることとなりました。

 

その頃私は関東におらず、またハイスコアからも若干距離を置いていた時期なのですが、当時店員有志で作成されていたデイトナⅢのホームページが存在していたことを確認しています。

そこは当時の設置機械の情報や店内写真の他にも、オフィシャルページでないことを良いことに常連スコアラーが当時店内に設置されていたメダルの競馬ゲーム(蕨競馬場とページ内で呼称されていました)の結果やメダル払い出し音ばかり気にしているとか非公式だからこそ書ける面白いネタが転がっており、よくページだけ眺めて笑っていた覚えがあります。

ページを閲覧出来れば当時の雰囲気を感じられる貴重な資料だったのですが現在はキャッシュさえも残っていないようで、残念でなりません。

 

その後店舗オーナーの変更やメダルゲームの撤去など紆余曲折があったようですが、スコアラーが集うお店としてはアルカディア2006年1月号にて個別店舗のハイスコア欄が廃止されて以降は若干沈静化していたようです。

 

そして以降この店舗は「ぷよぷよ通」の強豪プレイヤーが集う店として一躍全国区の知名度を誇ることになります。

igcc.jp

 

上記2018年の「ゲーム文化保存研究所」の記事に、当時のデイトナⅢの店内写真が数点掲載されています。

私がデイトナへ通い始めたのはこの頃ですが、ぷよぷよ通の対戦台が2セット常設されており、週末に対戦会が実施される時は更に増台されて多数のぷよらーが対戦に興じていました。

対戦台の付近には元コンパイル社長の仁井谷氏の色紙や対戦会実施時のタイムスケジュール等も掲示されており、上記igccの記事内にも薄っすらとその場所が写っています。

 

またぷよぷよ通以外でも、ときめきメモリアル対戦ぱずるだまや、対戦格闘系ゲームでも複数のタイトルで対戦会が行われていました。

 

プレイの録画や配信も可能で、筐体は時間制のレンタル、人数が多ければ増台対応も行ってくれたこの店舗の対応は、様々なプレイヤーのコミュニティを惹き付けて止まず、スコアラーのみならず多方面からその閉店を惜しむ声が上がったのも当然だったのです。

 

その2へ続きます)

私のアーケードゲーム履歴書 琉球 その6

その5より)

 

アーケードゲームとしては非常にマイナーな「琉球」ですが、元々このゲームはアスキー社の「ログインソフトウェアコンテスト」入賞作であり、パソコン版がアスキーから発売されたのがルーツとなっています。

そのため1990年当時としては珍しいパソコン→アーケードへの逆移植タイトルとなります。

タイトル画面に「Original video-game produced by ASCII CORPORATION」の文字が含まれているのはその逆移植の経緯によるものです。

 

https://www.gamepres.org/pc88/library/frame1.htm

https://www.gamepres.org/pc88/library/1989/1989_8.htm#ryukyu

 

上記「PC8801ゲームライブラリ」によれば、PC8801版の発売が1989年8月。その他PC用としてはPC9801,X68000,MSX2版も発売されている模様。

またPCエンジンゲームギアにて家庭用ハードでも販売された実績があります。

gamemanual.midnightmeattrain.com

 

上記「レトロゲームの説明書保管庫」にPCエンジン版の説明書画像がありますが、比較するとアーケード版ではかなりゲームシステムに手が加えられていることが確認出来ます。

オリジナルのPC版についてはシステム詳細が判明せず、またハードウェア毎にゲームルールが異なっている可能性がありますが、業務用が異なっている部分はおおよそ以下の内容となるのではないかと思われます。

 

①面数

②タイマー及びキャンセルの追加

➂EXTEND BONUSの扱いの相違(家庭用はクリア時にノルマ超過した点数は次の面から超過分のノルマが減算されるのに対し、業務用は点数が入るのみ)

琉球おみくじの追加(EXTEND BONUSが無いことへの救済?)

⑤ボーナスラインの扱いの相違(家庭用は斜めラインのみ固定なのに対し業務用はランダム要素を追加)

 

②のタイマーの追加は当然としても、➂についてはアーケード版でもシステムを継承して良かったような気がしますが…思考型パズルゲームはどうしてもプレイ時間が長くなりがちなので、一般のプレイヤーには6面辺りで終了するように難易度を調整した結果なのかもしれません。

結果的に高次面は高難易度となり、1コインクリアに30年以上を要するというタイトルになった訳ですが、当時の開発スタッフが1コインクリアを想定していたのかどうかは機会があれば是非尋ねてみたいところです。

 

さて、最後に私の20面クリアの動画をアップさせて頂き琉球編は終了とさせていただきます。お付き合い頂きましてありがとうございました!

 

youtu.be

私のアーケードゲーム履歴書 琉球 その5

その4より)

 

「攻略法」までは至りませんが、ゲームを進めるにあたって非常に有利になる裏技が3つ存在します。順に説明します。

 

1. 12ライン全てに何らかの役を完成させる

 

【画像①】

画像①のように、縦横斜め12ライン全てに何らかの役を完成させクリアすると、次の面でボーナスラインが発生します。

 

【画像②】

 

おみくじは2面クリアで初めて引けるため、通常では1面、2面ではボーナスラインは発生しないのですが、1面を全ライン役でクリアすることで2面からボーナスラインを出現させたのが画像②です。

 

3面以降はおみくじでボーナスラインが発生するので利用価値は下がるのですが、偶数面で条件を満たしておけばおみくじのはずれを無効化出来ます。また達成時は必ずボーナスラインが2本ないし3本発生することから、ボーナスラインが1本しか出現しないという状況を回避することが出来ます。

 

問題はオールラインを狙うと役の優劣よりもともかく役を作ることを重視しなければならないため、必然的に素点が低くなること。

そのため、確実にクリア可能となった時点からオールラインを組むことが可能かどうか思慮するようにしましょう。

 

2.琉球カードをセンターに設置する

 

琉球カードは有効ラインが4本となるフィールド中央への設置が理想とその4にて解説しましたが、設置することにより大きな副次的効果が得られます。

 

【画像➂】

琉球カードをセンターに設置してクリア

 

【画像④】

「副次的効果」が現れた次の面です。違いが分かりますか?

場所はLEFT CARD欄です。拡大します。

 

【画像⑤】

ストックカード最右列の色が微妙に異なっているのが分かると思います。

隣接部分を更に抽出します。

 

【画像⑥】

この色が変わっているストック列には琉球カードが含まれています。つまり、琉球カードをセンターに設置してクリアすることで次の面の琉球カードの所在列が分かるようになります。

ただ、分かるのは列までであり、列内のどの場所にあるかまでは判断出来ません。もっともストックは最大で14枚のため、列の最後尾が琉球カードだったとしても14枚掘れば辿り着くことが出来ます。

フィールド設置枚数は25枚ですから、最大14枚であれば毎回琉球カードを掘り出すことは十分可能です。そして掘った琉球カードを再度中央に設置すれば…

 

このネタは初めてこのゲームを1コインでクリアしたSALさんよりご教示頂きました。

この場にて改めて御礼申し上げます。

 

3.同一数字のカードを四隅に設置する

 

そして最も破壊力があるネタがこちらです。

 

【画像⑦】

フィールドの四隅に同じ数字(画像⑦の場合は10)を置いてクリアします。

 

【画像⑧】

ボーナスラインが出現しますが…

 

【画像⑨】

なんと全ライン2倍!

 

【同一数字を配置する場所】

改めて、上記図の色付けした位置を同じ数字のカードにしてクリアすると、次の面は12ライン全てがボーナスラインとなります。

偶数面で成立した場合はおみくじを引きますが、はずれを含めてどの絵柄であろうが問答無用で次の面は全ライン2倍です。

画像⑦では偶々12ライン全てに役が揃っているためこちらの条件も満たしていますが、12ライン揃っていなくても四隅の条件さえ満足していれば成立します。

 

まさに最強の裏技で、前述の2項と併せて1コイン20面クリア達成に大きく寄与することになりますが、破壊力が大きいだけに以下理由により成立が困難になっています。

 

まず、同一数字のカードが4枚現れない可能性が高いこと。

下段の2枚を設置して、3枚目までは出現したものの4枚目が最後まで出現せず成立しない、選択した数字と別の数字が4枚出現したが既に手遅れ、といった状況が頻発するためなかなか条件を達成させてもらえません。

 

また素点が下がるという問題もあります。

その4でも述べましたが、ペア系の役はストレート系と比べて素点が低くなります。そして四隅を同一数字とすることは、12ライン中6ラインで既にワンペアが成立しているため、必然的にストレート系の役を作れるラインは半数しか残っていないことになります。

そのため四隅に配置できてもそもそもステージクリアが出来なかった、ということも十分起こり得るのです。

 

ちなみに四隅に琉球カードを含めても条件が成立するかを試したことがありますが、残念ながらそれは否定されています。

 

四隅配置クリアが継続しているうちは良いのですが、途中で2倍が途切れるタイミングは間違いなくやってきます。その際でもステージクリアの可能性を探るべく、その4で説明している基本的なカード配置ノウハウを把握した上で臨むようにしましょう。

今から「このゲームをクリアしよう」という奇特な方がいらっしゃればの話ですが…

 

その6へ続きます)

私のアーケードゲーム履歴書 琉球 その4

その3より)

 

今回は「攻略編」ですが、思考型パズルゲームのため攻略法やパターンといったものは存在しません。

運ゲー」と言われれば確かにそうなのですが、少しでも運の要素を排して安定して先の面に進めるようになるための基本的考え方を以下3点紹介します。

 

1.狙う役は「ストレートフラッシュ」と「フルハウス

 

ネクストカードを見つつ揃えられそうな役を手当たり次第に揃えるやり方では、5面(ノルマ10,000点)あたりから先の面に進むことが厳しくなってきます。

高次面に進むためには、見えているネクストカードから高得点役を含んだある程度の完成形を意識する必要があります。その際に目標とすべき役が「ストレートフラッシュ」と「フルハウス」の2種類です。

 

【ストレートフラッシュ】

同一スート(絵柄)で5枚連続した数字の並び。得点が2,400点のためボーナスラインで完成させれば4,800点と10,000点のノルマであれば既に半分弱をクリアできます。

この役が重要なのは「完成出来ない場合のリスク回避がし易い」こと。

ツモが悪くあと1枚で役を揃えられない場合、ストレートフラッシュ狙いであればストレート、もしくはフラッシュを揃えることである程度ロスをリカバー出来ます。

A~10で構成されるロイヤルストレートフラッシュであれば得点は2,800点になりますが、ストレートフラッシュの延長と捉えばよく、役そのものを狙う必要はありません。

 

フルハウス

スリーカード+ワンペアのセット。得点は1,800点とストレートフラッシュよりは低いですが、ペア系の役ではスリーカードの800点から一気に上乗せされるため点効率が良い役です。

フォーカードまで持っていくと2,000点となりますが、フルハウスと200点の差異しかないため、フォーカードを構成する1枚を別のラインに使用して役のレベルアップを図った方が総点数が高くなる状況は頻繁に起こります。注意すべきポイントです。

 

ポーカーのミニマム役がワンペアのため、役が揃わないリスクが先行してペア系の役を揃えたくなるのですが、ラインに1つでもペアを作った時点でストレート、フラッシュ系の役を揃える可能性が潰えます。素点が高いストレート系の役を意識することでステージクリアの可能性は飛躍的に高まります。

 

2.完成形の考え方

 

1項で「完成形を意識する」必要があると述べましたが、完成形を想像するにあたり「どのラインに何の役を揃えるのか」を見えているカードやボーナスラインの位置で判断する必要があります。

 

その際の考え方は「早く完成可能なラインは横、ツモ期待に賭けるラインは縦(斜め)に作成する」が基本です。

カードは下段から順次積み上げられるため、カード待ちで下段を空けていると徐々にカードを置ける場所の選択肢が狭まってきます。縦もしくは斜めラインであればカードをめくれる回数が増えるため役を完成できる期待値が高くなります。

 

また、特にボーナスラインが縦と横でクロスしている場合、それぞれにどの役を作るのが良いかを考える必要が出てきます。

【図①】

例として図①のようなボーナスラインの配置(赤枠:左から2行目と下から2列目)だったとします。

 

【図②】

この2ライン共にストレートフラッシュで揃えようとすると、図②のようなカード配置になります。

これを揃えることは必ずしも不可能ではありませんが、連続した同一スートが9枚以上出現し且つ目的の場所に落とすことが出来る状況は非常に稀です。

 

【図➂】

そのため、クロスしているボーナスラインを有効に活用する場合には図➂のようなストレートフラッシュとフルハウスのような組み合わせとすれば比較的組み立てやすく、また使用できるカードの幅も拡がります。

 

【図④】

また、同一数字が4枚使用出来るとどうしても一直線に並べてフォーカードを狙いたくなるのですが、上記で解説した「フォーカードを構成する1枚を別のラインに使用して役のレベルアップを図る」ひとつの例として図④を提示しておきます。無数に応用が効くので意識することでカードを効率的に使用できるようになると思います。

3.琉球カードのポジショニング

常に使用できるとは限らないオールマイティの琉球カード。

しかし使用出来れば一気に展開が楽になります。

琉球カードを使用することを前提に完成形を組むことは、出現しなかった場合に致命傷となるため基本はしませんが、面の早い段階で出現した場合は効率的に琉球カード使用することを考慮に入れなければなりません。

以下の2点を意識すれば琉球カードの置き場所はスムーズに決定できます。

 

・ボーナスラインがクロスしている箇所

ボーナスラインがクロスしている場合、例えば上記図①のようにそれぞれストレートフラッシュを作成することは容易ではありませんが、クロスしている場所に琉球カードを設置出来れば全く異なるスート、数字で2種類のストレートフラッシュを組むことも可能となってきます。

 

【図⑤】

【図⑥】

ボーナスラインでストレートフラッシュ2本は破壊力がありますが、図⑥のように組めばツーペア400点が一気にフルハウス1,800点に化けます。

理想形は大事ですが、見えているカードから確実に高得点を作り出す方法も意識するようにしましょう。

 

・有効ライン数を優先する

カードは置く場所により以下3種類の有効ライン数に分類されます。

【2ライン:16箇所】

【3ライン:8箇所】

【4ライン:1箇所】

ボーナスラインの位置を考慮しないのであれば、琉球カードは縦横2ラインしか有効とならない場所よりは3ライン有効となる斜めライン上、そして4ラインが有効となるフィールド中央への設置が理想となります。

 

その5へ続きます)