小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1984年9月号/トピック店舗:ゲームコーナーエース(愛知県)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1984年9月号)

スーパーソフトマガジン(ベーシックマガジン別冊付録)1984年9月号(第3巻第9号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

総掲載店数は101から108と、前月に比べると鈍くなるものの引き続き増加傾向が続きます。

新規掲載店は以下となります。

 

セガ

ゲームスポットイーストサイド(大阪府

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タイトー

ドリームイン河原町京都府

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・その他

セントラルパークPART-1(埼玉県)

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セントラルパークPART-2(埼玉県)

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ゲームコーナーU.F.O(愛知県)

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プレイシティドンキーハウス(愛知県)

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ゲームコーナーエース(愛知県)

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プレイプラザハスラー(愛知県)

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ゲームセンターニュースター(三重県

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カントリーボーイ(広島県

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(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年9月号より)

 

先月号の記事でも述べましたが、横浜市の「シーポート」は初回掲載の8月号が既に休載で、以降再び登場することはありませんでした。

また、京都市河原町タイトー系列店「ジョイプラザ21」も同様に8月号のみの掲載となりましたが、今号で代わりに同じくタイトー系の「ドリームイン河原町」が登場しており、実質代替の役目を果たしています。

 

(ゲームマシンアーカイブ、1985年8月1日号より)

 

「ジョイプラザ21」「ドリームイン河原町」共々上記の「ゲームマシン」資料でタイトー系店舗であることが確認されています。

 

また、愛知県から一気に4店、三重県に1店と中京地区からの追加掲載が目立っています。中京圏は元々メーカー系列店が非常に弱いエリアで、特にナムコの店舗が少なかったこともあり掲載店舗数が伸び悩んでいたのですが、フォローが入った形となりました。

しかし名古屋市内に限定すれば集計店は星ヶ丘キャロット以外は依然0店で、都市規模の割に集計店数には恵まれない地域だったと思います。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1984年9月】

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(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年9月号より)

 

巻末の「ゲームマニアのためのTVゲーム評論誌『BGM』参上!」の欄が目立ちます。

「良質のTVゲームとは?」「マニア、メーカー等の高い評価をうけてきた」「真のゲームマニアでなければ読みこなせない」と大言壮語な文言が並んでいますが、いかなる内容だったのか気になる所です。

 

トピック店舗:ゲームコーナーエース

トピックですが、今回新規掲載された愛知県4店の中から、江南市の「ゲームコーナーエース」をピックアップします。

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(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年9月号より)

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2020年7月26日撮影

 

愛知県江南市は、名古屋から名鉄犬山線の特急で30分弱の名古屋のベッドタウンの一つです。

市の代表駅である江南駅から徒歩で10分程度の県道沿いに店舗がありました。

ゼンリン住宅地図 江南市1986年より)

当時の住宅地図では雑居ビル1階テナントとなっていますが既にビルが存在しません。誌面記載の住所では3軒の建屋が並んでいる場所が該当します。

 

愛知県の著名なハイスコア集計店といえは、ベーシックマガジンに最初から掲載された星ヶ丘キャロットハウスと、80年台後半からはイエローハットが台頭してきますが、イエローハットが有名になる以前はこのゲームコーナーエースから高いレベルのスコアが輩出されていました。

それもそのはずで、追ってこちらのスコアラー層がイエローハットに活動の中心をシフトしていった経緯があるためです。

 

建屋は明らかに建て替えられており面影は全く残っていないのですが、当時の店舗外観を記録した写真をベーシックマガジン誌上に発見しました。

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マイコンベーシックマガジン1987年3月号、「見城こうじのゲームセンター放浪記」より)

 

実はこの店舗がハイスコア集計店という事実を知らない時に一度訪問したことがあるのですが、観音開きの入口ドアを開けると店内にはテーブル筐体中心に30台弱のマシンが設置されていた小さな店舗だった記憶があります。記事の写真を見て私の持っていた店舗の記憶がおおよそ間違っていなかったことが確認出来ました。

 

そして私が偶々訪問した時、店内に設置されていた任天堂VS筐体にこのタイトルが稼働していたことをはっきりと覚えています。

www.youtube.com

サン電子ファミコンソフト「マドゥーラの翼」アーケード版。

ここ以外でお目にかかったことはなく正式販売には至らなかったようです。偶然ロケテストに遭遇したのでしょうか。

 

そしてサン電子といえば、江南市は元本社所在地であり、ここから比較的近い場所に同社江南事業所が現存しています。

www.sun-denshi.co.jp

 

そのため実はゲームコーナーエースはサン電子の直営店で、「マドゥーラの翼」はその製品テストで設置されていたと個人的に結び付けているのですが、実際はどうだったのかご存知の方がいらっしゃれば情報をお待ちいたしております。

 

ベーシックマガジンハイスコア欄にはこの1984年9月号から掲載が開始され、1987年7月号まで3年弱継続しました。私が訪問したのは1987年頭のはずなので、その当時はまだ集計店だったことになります。

そして翌1987年8月号からは、ゲームコーナーエースと入れ替わりベーシックマガジンハイスコア欄にイエローハットが登場します。(ゲーメストは1987年7月号より)

その前後で閉店したのか、スコアラーが店舗から排除された等の事情があったのではないかと思われます。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1984年8月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1984年10月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1984年8月号/トピック店舗:プレイシティキャロット道頓堀店(大阪府)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1984年8月号)

スーパーソフトマガジン(ベーシックマガジン別冊付録)1984年8月号(第3巻第8号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

総掲載店数は60から一気に101と40店以上増加、一気に店舗欄が華やかになります。

以下新規掲載店リストです。42店を数えています。

 

ナムコ

函館キャロットハウス(北海道)

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プレイシティキャロット仙台店(宮城県

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宮城野原キャロットハウス(宮城県

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日立キャロットハウス(茨城県

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亀戸キャロットハウス(東京都)

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プレイシティキャロット烏山店(東京都)

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プレイシティキャロット早稲田店(東京都)

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大船キャロットハウス(神奈川県)

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善光寺キャロットハウス(山梨県

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プレイシティキャロット両替町店(静岡県

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プレイシティキャロット黒崎店(福岡県)

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プレイシティキャロット久留米店(福岡県)

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ゲームスペースサンデー(長崎県

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セガ

ゲームインフォルム(東京都)

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スターロイヤル(大阪府

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センターロイヤル(大阪府

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ゲームセンターニュー光(大阪府

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アポロゲームセンター(大阪府

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タイトー

パサディナ(北海道)

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レーザーランド(青森県

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ネットワークインタイトー岩手県

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スペースキャンパスステーション(宮城県

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ファンファクトリー高田馬場(東京都)

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ファンファクトリー中野(東京都)

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ジョイプラザ上大岡(神奈川県)

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ニュービバアメリカン(新潟県

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ビデオインパズル(静岡県

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ゲームプラザUFO(大阪府

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ジョイプラザ21(京都府

(画像無し)

 

ジョイランド松山(愛媛県

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・その他

アドベンチャー(北海道)

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ゲームシティジル(群馬県

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ゲームプラザ荏原店(東京都)

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ゲームセンターUFO(東京都)

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シーポート(神奈川県)

(画像無し)

 

フェニックス武生(福井県

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ダイエーレジャーランド高岡店(富山県

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ビデオインスポーツタッチダウン三重県

 

フラッシュイントヨタ(愛知県)

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マイコンゲームI.B(兵庫県

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鯉城(広島県

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ジョイパック西新(福岡県)

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(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン付録⦆1984年9月号より)

 

8月号のスコア欄については画像の状態が悪いため掲載しません。

国立国会図書館アーカイブでもこの号だけが欠落していました。

店舗欄は翌9月号から抽出しています。

 

ジョイプラザ21、及びシーポートの2店はこの1回のみの掲載で終了しているため、店舗欄を抽出することが出来ませんでした。

また、7月号が初掲載だった大阪府吹田市「ビッグワン」は今号で休載表記も無くフェードアウト。こちらが2軒目の掲載終了店となっています。

 

今回、ナムコセガジャレコに続いてタイトー系店舗が集計店に初登場します。

ナムコ系店舗は「キャロット」のブランドでほぼ統一されていたため分かりやすいのに対し、当時のセガタイトー系店舗はまだ店舗名称の統一を図る以前のためメーカー区分の判断が難しいのですが、資料等から確認出来た範囲で分類しています。異なる分類があればご指摘を頂きたくお願い申し上げます。

 

トピック店舗:プレイシティキャロット道頓堀店」

前回は店舗閉店の関係から東京の店舗を挟みましたが、再び関西へ戻りナムコ系オリジナル掲載店26店から、「プレイシティキャロット道頓堀店」をピックアップします。

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(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年1月号より)

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2022年5月3日撮影

大阪ミナミエリアのナムコ系店舗では、以前紹介した「なんばCITYビッグキャロット」と共に1984年1月からスコアが掲載されたお店です。グリコ看板のある戎橋から道頓堀商店街沿いに東へ向かい、かに道楽本店や食い倒れ人形といった最も振るわっている有名ポイントを抜けた場所となります。

(吉田地図 大阪市南区1986年より)

 

店舗住所は「道頓堀1丁目5-9」ですが、写真の「昭和大衆ホルモン」の入っているビルと隣の「牛魔」のビルが双方とも同一住所となっています。ただ1枚目写真のファミリーマートが入っているビルが「柴田ビル」として健在で、住宅地図ではその2軒隣のビルに「ゲームカーロット」の表記(間違いなく表記ミス)があることから、昭和大衆ホルモンのビルが跡地と判断しています。

 

住宅地図に地下1階の表記がありますが、店舗正面に地下への階段が見当たらないため最初は地下への入口が存在する隣のビルが跡地ではないかと疑いましたが、道頓堀側からビル裏側を確認すると地下1階の存在が確認出来ました。キャロットも1階から道頓堀方向へ下がっているような構造だったようですが、現在の店内の構造は残念ながら外観から窺い知ることは出来ませんでした。

 

ゲームマシン誌に、店舗現役時代の外観画像が掲載されています。

(ゲームマシン 1984年9月1日号より)

同誌によるとオープンは1983年6月とのことで、スコア掲載開始時点ではまだオープンして半年程度しか経過していなかったことになります。都市型店舗はナムコセガタイトーと比べると後発だったこともあり道頓堀商店街のど真ん中の店舗は期待値が高かったことが予想されますが、周囲に競合店も多い場所で且つ店舗規模では徒歩圏内になんばCITYビッグキャロットがあるため、こちらを選んで遊ぶプレイヤーは正直それ程多くはなかったのではないでしょうか。

そのためゲーマーにおいても知名度は今ひとつだったようで、ベーマガへのスコア掲載は1987年3月号を持って終了。そして1988年3月発行の「オールアバウトナムコⅡ」巻末の「ナムコ直営ゲーム・センター一覧」には既に道頓堀店の文字が無いことから、実質営業期間が5年未満の短命な店舗であったことが判明しています。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1984年7月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1984年9月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1984年7月号/トピック店舗:GAME SPOT 21(東京都)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1984年7月号)

スーパーソフトマガジン(ベーシックマガジン別冊付録)1984年7月号(第3巻第7号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

総掲載店数は前月の46から60へと増加。ここから9月号までの3か月で一気に掲載店舗数が増加します。

以下新規掲載店リストです。

 

ナムコ

プレイシティキャロット流川店(広島県

 

ヤングタウン(鹿児島県)

 

セガ

GAME SPOT 21(東京都)

 

GAME SPOT 21国分寺店(東京都)

 

プレイランド赤い風船(神奈川県)

 

パソピック(神奈川県)

 

ビデオインイセザキ(神奈川県)

 

・その他

マックスゲームセンター(埼玉県)

 

ゲームインJ&B(東京都)

 

ゲームファンタジー(東京都)

 

ゲームセンターセントラル鷹ノ台店(東京都)

 

ダイエーレジャーランド金沢店(石川県)

 

ビッグワン(大阪府

 

ゲームセンター・シグマ(兵庫県

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年7月号より)

 

今回初めてセガ系の掲載店舗が出現しました。3件とも横浜市内のため申し合わせが存在したのかもしれません。またメーカー系列店以外から一気に7店の新規掲載が開始され、ほぼナムコ系オンリーだった店舗欄が徐々に変化してくるようになります。

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(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年6月号より)

 

前号にて17店の追加が予告されていますが、今回追加店リストに含まれている店舗とそうでない店舗があります。翌月以降で掲載される店舗も含まれていますが、インフォがされたものの結局一度も掲載されないままだった店舗も存在します。

上記リスト内では、渋谷区代々木の「ウィステリア」が協力店として挙がっていますが誌面に店舗欄は一度も登場しません。また横浜市の「シーポート」は1984年8月号に店舗欄が現れるものの休載表記でスコアは掲載されず、以後は店舗欄さえ設けられていないため実質掲載されていないのと変わりはありません。

 

このような店舗のマップ上の扱いですが、予告はされたものの店舗欄が登場しなかった店舗は掲載無きものとしてプロットはしませんが、休載扱いとは言え一度でも店舗欄が設けられた場合はマップに位置を落とし込む方針で進めたいと思います。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1984年7月】

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(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年7月号より)

 

掲載店の増加に伴い、これまで1ページ当たり最大8店の掲載だった構成が最大18店の掲載となり、個々の店舗欄はかなり小さくなりました。別冊時代は誌面サイズがB5のため、ベーシックマガジン本体にスコア欄が吸収されA4サイズに変更されるまでの期間は最も店舗欄が小さい時期だったと言えそうです。

 

トピック店舗:GAME SPOT 21

トピック店舗ですが、丁度今号からハイスコア欄に店舗欄が掲載開始され、また先日店舗ツイッターアカウントに以下のお知らせが発表され話題となった新宿の老舗「GAME SPOT 21」を取り上げます。

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(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年7月号より)

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2021年1月10日撮影

 

アーケードゲームファンの間では、「バーチャファイターの聖地」として有名になった店舗ですが、以前はハイスコア集計店だった時期があります。私も正直「バーチャのお店」というイメージしか持ち合わせておらず、集計店だった時期があったことは意外でした。

掲載期間を確認した所、1984年7月から1986年8月までの約2年間。ゲーメストがハイスコア集計を開始した頃には既にベーシックマガジン集計店から姿を消しているため、印象が薄いのも無理はないという所でしょうか。

ゼンリン住宅地図 新宿区1985年より)

場所については説明不要なのですが、一応1985年当時の住宅地図となります。ビルテナント一覧が無いため地図上において店名は確認出来ませんでしたが、建屋の形状は変わっていませんね。また北側には「新宿スポーツランド」の文字も見えます。

 

「バーチャのお店」という印象しか持っていなかった私は、通勤通学で新宿を通過していたにも関わらずこれまで一度も入店したことが無かった(失礼)のですが、閉店の報を聞き、元集計店であったことの記録を残す目的で今回初めて来訪することと相成りました。1月中旬に閉店予定とのことだったので少々無理して訪れたのですが、撮影時点ではまだ具体的な閉店日時は決定していないようで、閉店に関する掲示は見受けられませんでした。

(その後1月20日に閉店となったことが確認されました。長期間の営業お疲れ様でした。)

 

閉店を控え既に機器が相当に撤去され非常に寂しい店内と化していましたが、昭和後期〜平成初期のゲームセンターを彷彿させる趣は十分に残されていました。だた、「店内が煙草臭い」という理由でゲームセンターへの入店が敬遠される昨今、その「趣」だけでは店舗を維持するのは厳しかったのかもしれません。こうしてまた一つかつての名店が姿を消していくことになります。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1984年6月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1984年8月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1984年6月号/トピック店舗:プレイシティキャロット第4ビル店(大阪府)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1984年6月号)

スーパーソフトマガジン(ベーシックマガジン別冊付録)1984年6月号(第3巻第6号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

店舗数は46と、前号の44から微増しました。5月号の「GAME OVERコーナー」にて告知されていた3店が新たに追加されています。

 

ナムコ

ビッグキャロット京都(京都府

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・その他

ゲームコーナーニューオリンピア(東京都)

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ゲームセンターフェニックス(東京都)

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(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年6月号より)

 

今号にて初めてメーカー系列店舗以外から2店の集計店が出現します。

一方、新規3店に対して純増が2店に留まっているのは、大阪府の「ビッグキャロットすみのえ店」が早くも集計店から離脱したため。こちらが離脱第一号となります。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1984年6月】

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(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年6月号より)

 

先月の「GAME OVERコーナー」を見て頂ければ確認出来るのですが、当初は同じ大阪府の「プレイシティキャロットガムガム」に変わって「ビッグキャロット京都」が掲載開始されると記載されているのですが、今号にてガムガムではなくすみのえであったことが欄外にて訂正されています。

 

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(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年5月号より)

 

永らくと言っても掲載はわずか3回、しかも最初の1回目は店舗枠だけでスコアは記録されていないため実質は2回のみだったのですが…ナムコ系といえども店舗間で掲載には温度差があったということでしょう。

 

トピック店舗:プレイシティキャロット第4ビル店

トピック店舗は前回に引き続き大阪の初期ナムコ系店舗から、「プレイシティキャロット第4ビル店」をピックアップします。

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(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年3月号より)

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2019年6月15日撮影


 JR大阪駅の南側に、「大阪駅前第1~第4ビル」という雑居ビル群があります。

1970~80年台初頭にかけて大阪駅前再開発により建築されたもので、当時の再開発手法でよく行われた等価交換(再開発前に存在していた地権者をそのままビル内の地権者として割り当てる)により行われており、それによって入居した特に地下1,2階に存在する多数の小型店が特徴的です。

同一手法として建てられた施設として東京では「ニューしんばしビル」が有名で、雰囲気も非常に似通っていますが、規模としてはビルが4棟もあるこちらがはるかに大きなものとなっています。

 

このビル群には多数のゲームセンターが立地していたのですが、そのうち第4ビル内にナムコのキャロットが存在しました。記載されている住所は「B2-25」のため、現在のフロア割ではボディサロンと美容室に分割されており、2枚目写真通路の左手手前のテナント2軒分が跡地となるようです。

 

ゼンリン住宅地図 大阪市北区南部1990年より)

1990年の住宅地図においても地下2階に存在が確認されています。区画ではB2-24も含まれており、店舗が拡張された可能性も考えられます。

 

誌面への掲載はベーマガ1984年3月からスタートしますが、1986年11月号を最後にストップしています。ただ店舗の営業は継続しており、追ってゲーメストの2部集計店として再度誌面掲載された履歴があります。

ゲーメスト 1999年7月15日号より)

 

この号で実に13年振りの誌面掲載となるのですが、1999年9月30日号を持ってゲーメストが休刊するため僅か3回の掲載に留まってしまいました。

店舗は2008年まで存続していたようです。結構最近まで営業が続いていたんですね。

 

大阪には「キタ」と呼ばれる大阪駅周辺、梅田を中心としたエリアと、「ミナミ」と呼ばれるなんば駅周辺のエリアが二大繁華街として位置づけられますが、昔のナムコ系店舗においてはミナミの代表店が前回紹介した「なんばCITYビッグキャロット」だったのに対し、キタの代表店が「プレイシティキャロット第4ビル店」だったというイメージです。ただなんばCITYは現役時に来訪が叶ったのに対し、第4ビルの来訪は叶いませんでした。大阪駅付近は結構回ったのですが、第4ビルの場所が掴めなかったんですよね...

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(ゲームマシンアーカイブ1984年12月15日号より)

 

このビル群のゲームセンター全盛期における資料を当時の業界紙「ゲームマシン」から発見しました。「国鉄大阪駅」の表記が時代を感じさせます。

最大で20件近くのゲームセンターがひしめき合っていたのですが、キャロットも含めて閉店が進み、現在残っている店舗は3~4件と寂しくなってしまいました。生き残っている店舗には第3ビル地下1階の「ゲームセンターロイヤル」が含まれていますが、こちらも追ってベーマガハイスコア集計店として登録されるため、別の機会に取り上げることになると思います。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1984年5月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1984年7月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1984年5月号/トピック店舗:なんばCITYビッグキャロット(大阪府)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1984年5月号)

スーパーソフトマガジン(ベーシックマガジン別冊付録)1984年5月号(第3巻第5号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

今回は4月号と比較して2店集計店が増加するのですが、初めてナムコ系店舗以外から出現します。

 

・その他

プレイタウンユー&ユー駒沢店(東京都)

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プレイタウンユー&ユー三軒茶屋店(東京都)

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(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン付録⦆1984年5月号より)

 

マップを見ると全てナムコ系店舗のマーキングの中、東京にだけ別色が存在するので目立ちます。

ユー&ユー(YOU&YOU)はジャレコ系店舗の名称で、いわばこちらもメーカー直系店舗。ジャレコの本社が世田谷区の用賀だった関係でしょうか、今回集計が開始された両店は用賀と同じ東急新玉川線沿線の駒沢大学三軒茶屋で最寄駅は隣同士でした。

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画像はジャレコが1995年にリリースした「ゲーム天国」のデモ画面ですが、店舗名が「YOU&ME」と直系店舗名称から少々アレンジがされていますね。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1984年5月】

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(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン付録⦆1984年5月号より)

 

ジャレコ系2店追加以外は掲載店舗に変化はありません。
今回からスコア欄末尾に「GAME OVERコーナー」という名称で通信欄が設けられ、新規掲載店の告知や店舗情報を掲載するようになりました。早速更に3店の追加情報が載せられています。

しかし「GAME OVER」という名称は不評だったのか、以後通信欄は時折掲載されるものの「GAME OVERコーナー」というコーナー名は1984年11月号に使用されただけで以後使われることはありませんでした。

 

トピック店舗:なんばCITYビッグキャロット

集計店をマッピングする際、正確な位置の把握のため当時の住宅地図から場所を特定し現地調査を順次行っていますが、調査記録の公開も兼ねて今回から集計店跡地の現在を紹介するトピックを掲載します。

また自身の見聞や過去資料等から発掘されたエピソード等も合わせて紹介して行きます。

 

最初は大阪府ナムコ直営店「なんばCITYビッグキャロット」を取り上げることにします。

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(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン付録⦆1984年1月号より)

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2019年6月9日撮影(以後写真は全て同一日撮影)

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南海難波駅の高架下が商業施設の「なんばCITY」となっており、その施設内にキャロットが存在しました。スーパーソフトマガジン初回掲載集計店26店のうちの一つです。

 

実は昔愛知県在住だった際、関西へ遊びに行った時に一度訪問したことがあります。

高架ホームの先端部付近にあり、店舗の外に出ると階段を下に降りた記憶があったのですが、昔の月間NGに掲載された店舗外観および内装写真を発見、2階で間違いないことが確認されています。

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(1986年時点の店舗外観および内部。月間NG2号より。@Area51_zek 氏のツイッターより転載)

 

 

(吉田地図 大阪市南区1986年より)

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1986年当時の住宅地図と、現在のフロアガイドと及び現在の南館2階部分となります。

キャロットは当時のなんばCITYの先端部で、現在の飲食店街である「なんばこめじるし」の場所が該当するようです。

nambacity.com

駅直結ということもあって店舗の立地も抜群、且つ当時としてはかなり広い店舗面積を有していたこともあり、ナムコにおいても当時は関西の基幹店としての位置付けだったようです。

またハイスコア集計開始当初から掲載された歴史があるため、ベーマガ初期の関西地区代表店というイメージがありました。店舗欄は1988年5月号まで確認出来ましたが、そこで掲載はストップしています。

1988年4月にそれまでの「なんばCITYビッグキャロット」から、現在もナムコ直営店舗名称として使用されている「プラボ」の第一号店として「プラボエイビス」と名称が変更されており、時期が一致することからその際にスコア集計もストップしたと思われます。そして現在はなんばCITYの隣、元大阪球場跡地のなんばパークス内に場所を移してナムコロケの営業が続いています。

 

最後に当ブログを見て頂いている読者の皆様へお願いです。

トピック店舗に限らず、店舗の正確な位置情報、当時の店舗写真やエピソード等をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非ともコメント欄に情報をお寄せいただきたくお願い申し上げます。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1984年3,4月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1984年3,4月号

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1984年3,4月号)

スーパーソフトマガジン(ベーシックマガジン別冊付録)1984年3月及び4月号(第3巻第3号及び第4号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

最大の変化は集計店舗数です。1,2月号の26店から42店へと一気に増加しました。

 

ナムコ

プレイシティキャロット小樽店(北海道)

 

プレイシティキャロットハローススキノ店(北海道)

 

澄川キャロットハウス(北海道)

 

川沿キャロットハウス(北海道)

 

筑波学園キャロットハウス(茨城県

 

宇都宮キャロットハウス(栃木県)

 

プレイシティキャロット駒沢店(東京都)

 

東久留米キャロットハウス(東京都)

 

朝日町キャロットハウス(山梨県

 

ビッグキャロット静岡東店(静岡県

 

プレイシティキャロット豊橋店(愛知県)

 

プレイシティキャロット第4ビル店(大阪府

 

ビッグキャロットすみのえ店(大阪府

 

プレイシティキャロット福山店(広島県

 

ビッグキャロット高松店(香川県

 

プレイシティキャロット佐世保店(長崎県

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年3月号より)

 

今回増加した店舗も全てナムコ系店舗。42店全てが埋め尽くされるのはある意味壮観であり、またこれだけの店舗が短期間に名乗りを上げることが可能だった当時のナムコのロケーション管理の賜物と言えるのかもしれません。

 

集計開始予告に入っていた札幌市の「プレイシティキャロットハローススキノ店」は3月号から正式にノミネートされます。

また大阪市の「ビッグキャロットすみのえ店」は3月号時点で欄は出来ていますが次回から正式掲載になる旨が記載されており、実際のスコア掲載は翌4月号からとなっています。3月と4月の相違点はすみのえのスコア掲載の有無だけになっています。

 

以下3,4月号のスコア欄となります。

 

【チャレンジハイスコア 1984年3月】

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(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年3月号より)

 

【チャレンジハイスコア 1984年4月】

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(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年4月号より)

 

ナムコ系ゲームセンターの名称は当時「キャロット」の他にも、百貨店やショッピングセンターインストア店舗の「ナムコランド」が存在していましたが、この時点ではナムコランドの掲載は1店もありません。ナムコも当初は、都市型単独店舗でビデオゲームがメインのキャロット活性化策としてハイスコア集計を受け入れたのではないかと想像されます。

 

その影響は集計店の分布にも表れており、42店のうち札幌圏内で6店、東京都内で9店、大阪府内で6店と、キャロットという都市型単独店舗が立地可能な特定都市圏に集中している傾向があります。

その他地方でも県庁所在地レベルや大学が近隣にあり学生をターゲットとして出店した店舗ばかりのため、人口規模の小さい地方中小都市店舗の掲載が当初は殆ど無かったことが追ってハイスコア集計が開始されるゲーメストと大きく異なる点となっています。

 

この傾向は、ベーシックマガジンの掲載店増加と共にナムコ系店舗以外の掲載が増えることによって徐々に変わっていくのですが、後追いで集計を開始したゲーメストベーマガとは異なり当初から地方店舗を多数掲載したことも手伝い、「都市部の店舗はベーマガ、地方はゲーメスト」という印象を抱かせるものとなっている気がします。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1984年1,2月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1984年5月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1984年1,2月号

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1984年1,2月号)

スーパーソフトマガジン(ベーシックマガジン別冊付録)1984年1月及び2月号(第3巻第1号及び第2号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

前号である1983年12月号のスーパーソフトマガジン内でのハイスコア集計開始の予告記事を経て、1984年1月号から実際の集計及び誌面への掲載がスタートします。

予告記事においては、「SUPER HI-SCORE CORNER」と言う名称でしたが、実際に開始された際にコーナー名は「CHALLENGE HIGH SCORE!」に変更されました。このコーナー名が略称「チャレハイ」として定着していくこととなります。

 

また、1月号及び2月号の2号では掲載店に変化がないため、マップは共通となっています。マップをご覧いただければわかる通り、プロットされた店舗は全てナムコ系であり、この時点では他メーカー系列店や個人店は一つもありません。

 

ひとつ気になる点があります。

ハイスコア集計開始は電波新聞社からナムコに話が持ち掛けられ、ハイスコア掲載用のホワイトボードといった什器も電波新聞社側にて作成されたものと「ALLABOUTベーマガ」のイベントにて聞き及んでいますが、集計に協力した各店舗はそれ以前から店舗単位でスコアの集計を行っていたのかどうか?

1980年台前半のナムコ黄金時代は主にゲームタイトルで語られますが、ナムコ系ゲームセンターにおいては1983~87年頃までが最もユーザーフレンドリーだった時期と思います。その流れはベーマガでのハイスコア集計開始が契機なのか、それ以前からナムコの店舗は特別だったのかという点についてはあまり語られている機会やサイトって無いんですよね。店舗単位で違っていたのかもしれませんが、どのような経緯でナムコ系店舗が特別視されるようになったのかは非常に興味深いテーマではあります。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1984年1月】

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(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年1月号より)

 

上記が記念すべき第一回目のスコア集計店舗欄となります。

 

当初はマッピングだけとし、店舗欄を丸々アップすることは考慮していなかったのですが、マップだけでなく店舗欄を合わせて見て頂いた方が実感が湧きやすいのではないかと思い店舗欄もアップすることにしました。

 

また、スコアラー欄は徐々に「スコアネーム」と呼ばれるハンドルネームへと変化していくのですが、掲載当初は本名記載が多く、そのままブログに掲載すべきかどうかの判断に迷いました。

これについては、

・漫画やアニメのキャラ名等も含まれており、どこまでが本名であるか明確に判断が出来ない

・特に本名掲載となっている誌面は時間が経過しているものが多いため、直接的な影響は少ないであろうと判断

上記理由により特にマスクは施さずそのままアップすることにしました。ご了承をお願い申し上げます。

 

2月号は掲載店舗に変化はありませんが、データベース的意味を兼ねて以下アップします。

 

【チャレンジハイスコア 1984年2月】

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(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年2月号より)

 

予告では27店がリストアップされていますが実際に掲載開始されたのは26店。欠けている1店は札幌市の「プレイシティキャロットハローススキノ店」で、特に掲載がされていないことに対する案内はありません。ハローススキノ店は2か月後の1984年3月号から掲載が始まります。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1983年12月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1984年3,4月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1983年12月号

レトロゲームに関する情報が花盛りの昨今ですが、メディアやSNSが取り上げている情報といえば、当然と言えば当然ですがゲーム内容そのもののレビュー、プログラマーや作曲者などの開発者視点のものが殆どで、特にアーケードゲームにおけるプレイフィールドである「ゲームセンター」に関する記事や情報は非常に少ないのが現状です。

 

ただ、特に80年~90年代にアーケードゲームをプレイしていた我々のような世代は、ゲームそのものに惹かれてプレイしたのは勿論ですが、それが切っ掛けとなり日頃から通い詰め、プレイヤー同士が交流するゲームセンターという「場所」に惹かれるようになっていたのではないかと思います。

その頃の空気感を少しでも残すため、かつてのゲームセンターの回顧録をこのブログにまとめたりしていますが、いかんせん自身が通った範囲でしか詳細な内容は記載出来ません。何か普遍的なものを残せないか…と思い付いたのが、かつての雑誌掲載ハイスコア集計店舗をマッピングすることでした。

 

内容としては、マイコンベーシックマガジン、ゲーメストアルカディア誌等に掲載されていたハイスコア集計店舗の位置を、記載されている住所ベースでGOOGLE MAP上にプロットするだけの作業なのですが、以下の点で意義があるのではないかと思っています。

 

・店舗住所が記載されているため、過去にそこに店舗が確実に存在したことの証になる。また現在その場所がどうなっているのかを確認出来るし、店舗は無くてもその場所に行けば記憶が繋がることがある。

・「店舗にてハイスコアを集計する」という行為そのものがプレイヤーサイドに依拠しているため、集計していた店舗はプレイヤー寄りの運営を行っていた可能性が高い。結果として店舗のエピソードをいろいろと発掘出来る可能性がある。

 

そして誌面おいては、電波新聞社発行のマイコンベーシックマガジン別冊「スーパーソフトマガジン」にて「CHALLENGE HIGH SCORE!」コーナーとして1984年1月号からハイスコア集計が開始されることになるため、ここをスタート地点としてハイスコア集計店マッピングプロジェクトをスタートさせるのですが、まずはコーナー開始に関する布石について紹介したいと思います。

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(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1983年12月号より)

 

こちらは、ハイスコア集計が開始される直前の1983年12月号における「スーパーソフトマガジン」の表紙です。

 

1980年台前半のアーケードゲームナムコの黄金時代。その中において1983年頭に「ゼビウス」が登場し御存知のように大ヒットを記録しますが、既に1年近くが経過した12月に刊行された雑誌付録の表紙をまだゼビウスが飾っていることで当時の影響の大きさを窺うことが出来ます。

 

そして、ゼビウスのヒットに付帯して同人誌「ゼビウス1000万点への解法」に代表されるゲーム攻略系のコミュニティが勃興してくるのですが、そのコミュニティが目指していた「ゲームを攻略する→ハイスコアを狙う」というモチベーションと、店舗の差別化やプレイヤーへの動機付けを目的として一部のゲームセンターでローカルで実施されていた「ハイスコアの店内掲示」が融合し、それなら全国のゲームセンターでハイスコアを争うようにしたら盛り上がるのでは?と繋がっていくことで全国誌でハイスコア集計が開始される流れが生まれたのではないかと思います。

 

その流れは、当時パソコン向けにナムコアーケードゲームの移植を行っていた電波新聞社マイコンソフト)が、その関係をベースとしてゲームセンターにおけるハイスコア集計をナムコへ持ち掛けることで結実することになります。(2018年1月に開催された「ALL ABOUTベーマガ」のイベント内でそのような主旨の紹介があったと記憶しています。間違い等あればご指摘を頂きたくお願い申し上げます。)

akiba-pc.watch.impress.co.jp

 

「ALL ABOUTベーマガ」にもパネリストとして出席されていた大堀康祐氏の上記インタビューにも、ベーマガで全国ハイスコア集計開始に至る経緯が触れられています。

 

そして1983年12月号のスーパーソフトマガジンにおいて、初めてハイスコア集計の開始が予告されます。

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(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1983年12月号より)

 

「キャロット」という屋号はナムコが展開していたゲームセンターの名称であり、掲載が予告されている殆どの店舗がキャロットの名称を含んでいます。また屋号にキャロットの名前が入っていない3店についてもナムコ系店舗であることが確認されているため、掲載が予告された27店全てがナムコの関係しているゲームセンターとなっています。

このように、チャレンジハイスコアコーナーの最初は電波新聞社ナムコのタッグにてスタートしていることがお分かり頂けるのではないかと思います。

 

この集計予告を経て、1984年1月号の別冊から実際のハイスコア掲載がされるようになります。マッピングは次回の集計開始からスタートすることにします。

 

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1984年1,2月号

ゲームセンター回顧録 デイトナⅢよ永遠なれ! その3

その2より)

 

デイトナⅢの長い歴史の中ではほんの一時期に過ぎませんが、ここでは閉店を迎えるまでの最末期の頃の店舗の様子について触れておきたいと思います。

 

写真は全て2023年3月3,25.26日撮影

 

入口から入って店内全体を見渡します。

以前はメダルゲームも設置されていたことからも窺えるように店内はそこそこ広く、筐体は比較的余裕を持って配置されていました。

様々なプレイヤーが集まってもあまり干渉することが無かったのはこの店内の広さの賜物でした。

 

入口左手に鎮座するオールドタイトル2種。

ゲーム録画や配信の際は、広い場所が確保され機材の展開がしやすいこちらの場所が重宝されました。

ドンキーコングはここが定位置だったのですが、入口に近いこともあって地下に降りる階段の時点でプレイ音がよく聞こえており、その音でプレイヤーの腕前も判断出来たものです。

 

ダライアスバーストは私が出入りするようになった2018年には既に稼働していましたが、設置された時のエピソードが私が最初にデイトナで紹介頂いたスコアラー、cat氏のツイッターにあります。

 

発売直後から設置、とはいかなかったようですが、写真のように筐体周囲の遮蔽、2画面平行録画、そしてタイムレンタルなどプレイ環境が整備され、後発でありながらも固定層を掴んでいたように思います。

 

シューティングゲームは入口向かって右側の壁際に主に設置。

ケイブ系が多かったものの、それだけではなくプレイヤーの趣向やリクエストでバラエティに富むタイトルがどこからともなく用意されていました。

写真はガンバード2が2台設置されていた最末期。お店の開店直後ではこの2台のデモ画面がご覧のようにシンクロする光景を拝むことが出来ました。

 

そして突拍子も無く常連間で特定タイトルのムーブメントが起こることが多々ありましたが、その最たるものはグレート魔法大作戦だったのではないでしょうか。

キャラ別のハイスコア集計が始まったことも影響し、一時は3台常時稼働していたため「グレ魔テーマパーク」と呼ばれていたりしていたことも。

 

音ゲーは最末期はビートマニアⅡDXのみがバージョンアップされ、ポップンミュージックはファンタジアのままでしたがそれがかえって貴重だったようです。私が通い始めた頃はギターフリークスドラムマニアの旧バージョンも設置されていましたが程なく撤去され入口付近は広々としたスペースになりました。

 

店舗最深部は長らく「スパイクアウト」×4台の指定席でした。4台通信が貴重で固定客が付いていたのですが故障等もあったようで徐々に稼働台数が減少し、最後は写真のように特に他とは変わらないラインアップとなっていました。

 

そしてデイトナⅢを語るにおいて欠かせないぷよぷよ通。

ゲーム文化保存研究所の記事に2018年頃の店内写真がありますが、当時は対戦台2台常設、週末対戦会の際には3台以上に増設して運営されていたものの、コロナ禍の影響で対戦会開催が自粛されると台数を減らし、一時期は店内設置が無いという時期も。

最末期はシングル1台の常設が復活し、スコアアタック御用達となっていました。

 

対戦格闘ゲームは最末期のデイトナではあまりイメージが湧きにくい方が多いと思いますが、コロナ禍前は特にストリートファイターゼロ系やネオジオ系の対戦会が頻繁に実施されていました。格闘ゲームの全国イベントである「闘劇」の予選店舗だったこともあります。

 

そしてこのお店の特筆すべき点は、店舗公式サイトやSNSを一切持たなかったため、イベントの告知やプレイヤー向けサービスを外部へアピールすることを一切行わなかったことです。

 

最近の厳しい環境下でも営業を続けているビデオゲーム主体のゲームセンターは、店舗の認知向上のためにゲーム大会等のイベント運営やゲーム配信に力を入れています。

それ自体は決して悪いことではないのですが、店舗主導でイベントを実施すると店舗スタッフがイベント運営に手を取られるため、おおよそイベント対象機種以外の運営やメンテナンスが疎かになる弊害が有ったりするのですが、ここデイトナでは店舗は「裏方」に呈しており、イベント運営をプレイヤーに任せることで他の客層への影響を極力発生させないよう配慮がなされていたように感じます。

 

結果的にはイベントを運営するプレイヤー側に自主性が求められるのですが、運営側の要望に対して可能な限り環境面でバックアップを頂けたのではないでしょうか。

 

ただ、人数が集まる対戦会の実施はピンで来店することが普通のスコアラーと比べるとコロナ禍の影響を大きく受けてしまったように感じます。

2020年に入り本格的に始まったコロナ禍の影響はデイトナにも押し寄せ、緊急事態宣言の発令された4月~5月に掛けては店舗も一時休業を余儀なくされていました。

6月になると営業が再開されたのですが、3密を避けるために人数の集まる対戦会系のイベント実施が控えられるようになり、以前と比較して集客が落ちてしまったのは明らかでした。

 

その後コロナ前の100円=3枚だったメダル単価が、200円=5枚となり最終的には200円=3枚へと変更になりましたが、「店が無くなっては困る」との総意からスコアラー間では値上げは寧ろ歓迎されました。

2回目のメダル単価変更はコロナ禍も落ち着きを見せ始めた2022年末頃に行われたのですが、その理由が「電気代の向上」であったため、当座は大丈夫と思っていた矢先の突然の閉店発表が関係者に与えた衝撃はあまりにも大きく、閉店までの最後の1か月、特に毎週末は上の写真のように名残を惜しむプレイヤーが多数集い、店内はまるでアーケードビデオゲーム全盛期のような光景が繰り広げられていたのです。

 

ただ閉店に至った直接の理由は売上ではなかったことは確かなようです。いろいろと事情はあったようですが、店舗に通うだけの人間がその事情に抗えるはずも無く、皆大きな喪失感を抱えながら粛々と現実を受け入れるしかありませんでした。

 

 

最後に、閉店後に店内機械が搬出された際の光景がありましたので掲載します。

寂しい写真ですが、一時代と形容されているゲームセンターの良き時代を過ごせたこと、そして一癖も二癖もあるプレイヤーの要望に快く応えて頂き、そして長年に渡り居場所を確保頂いたデイトナⅢとオーナー、店長、そして関係者各位に深く感謝をしつつ記事を締めたいと思います。

 

デイトナⅢよ永遠なれ!

ゲームセンター回顧録 デイトナⅢよ永遠なれ! その2

その1より)

 

今回は「ハイスコアラーの視点から見たデイトナⅢ」について記します。

その1でも述べていますが、デイトナⅢがハイスコアの誌面掲載を開始したのは1999年まで遡ります。そのためこのお店に通い詰めた全てのスコアラーということではありませんが、特に最末期に私を含めたハイスコアラーがこの店舗が集うようになった経緯について触れていきたいと思います。

 

私は2000年頃からゲームセンターではネットワーク麻雀ばかりをプレイしてビデオゲームから遠ざかり、その後はingressに熱を上げていたりした時期もありましたが、2015年あたりから昔クリアしていなかったゲームを中心に再びビデオゲームに復帰するようになっていました。

 

最初は会社帰りに高田馬場へ寄ったり、週末に深谷まで出向いたりしていたのですが、ハイテクノーベル神保町時代のスコアラーの伝手で紹介してもらったのがデイトナⅢとの出会いです。

その日時は残念ながら記憶も記録も残っていないのですが、twitterのログを眺めた所2018年11月が最も古い訪問履歴として確認出来ています。

その後は通勤路の途中であり、馬場や深谷よりも自宅から近いことも手伝ってデイトナへ入り浸るビデオゲームライフが始まることになります。

 

写真は全て2023年3月3,25,26日撮影

 

デイトナへ行くようになって最初に衝撃を受けたのは「初代ドンキーコング」のスコアアタック。

海外版で面構成が違っていることを知らなかったためそちらも驚きでしたが、強制終了となるキルスクリーンまでにひたすら100点を絞り出し、そして積み上げていくプレイは自分の知っているドンキーコングとは全くの別物で、しばし見入っていたものです。

 

そして私が通い始めた2018年頃はまだ各地からスコアラーが集うという程の状況ではなく、埼玉県内在住のプレイヤーが以下に挙げる良好な環境でビデオゲームをプレイできる貴重な店舗としてホームとしていたという印象でした。

 

①基板の持ち込み

個人で所有しているゲーム基板を持ち込みで稼働させてもらえました。

基板を所持しているプレイヤーがいない時は、高井商会の基板レンタルを活用して調達するなどの対応もして頂けました。

 

②連射や特殊装備への対応

必要なタイトルに連射装置を付けて頂けるのは勿論のこと、タイトルによって必要となる連射速度の調整や切替、ボタンの増設や特殊操作ボタン設置、高機能連射装置のプレイしながらの設定調整も可能でした。

これは「行き着く所まで行き着いた」特殊装置使用時のコンパネです。某プレイヤー御用達。

レバー+6ボタン+スタートボタンの標準コンパネに合計で8個追加されたボタン、ロータリースイッチ、テンキーに加え、高機能連射装置は外部に露出しプレイ中に任意に調整できる仕様。隣のテーブルには電源と外部出力があり、PCを接続して動画の記録やマクロの送り込みまで行えるという代物で、一般のプレイヤーは何をやっているのか全くもって分からなかったことでしょう。

 

➂プレイ動画録画、配信環境の整備

もはやプレイの研究には欠かせない動画の撮影ですが、10台程度の録画機材は常設、録画タイトルの変更にも応じて頂けました。

その他個人で録画・配信機材を持ち込み接続するための外部出力がある筐体もあり、特にリアルタイム配信に活用されていました。

録画機材が3台重なったラック。

かつてはこの周辺はぷよ通の対戦会ツールで占められており、機材も対戦会3セットの録画のために設置されていたものだったと記憶しています。

 

そしてこれらの良好な環境が口コミやSNSで広まってくるにつれ、80年台のハイスコア欄を見ていたゲーマーなら誰でもそのスコアネームを聞いたことがある往年のスコアラーから期待の若手に至るまで、各地から徐々にプレイヤーが集まってくるようになります。

そこには80年台後半に誌上でしか名前を知り得なかったプレイヤーの方々と同じお店でゲームをプレイしているという、当時中高生だった自分からすれば夢のような光景が繰り広げられていたのです。

 

ただ、若い頃のそれこそ開店から閉店までゲームを続けるような気力・体力・集中力が保てなくなっている年相応の方々は、来店しても19時過ぎには皆があまりゲームをプレイしなくなります。そしておおよそ20時になると近所へ飲みに行くことが通例となり、毎週末のように宴が催されていました。恐らくは私も含めてゲームよりも寧ろこちらが主目的になってしまっていたかもしれません。

 

写真は店内に掲示されていた歴代のJHA(日本ハイスコア協会)にて、デイトナⅢから申請され全国トップスコアとして登録されたタイトル、プレイヤーの一覧です。JHA以前のゲーメストアルカディア時代に登録されたスコアは含まれていません。

 

wiki.denfaminicogamer.jp

JHAによるハイスコア集計は2016年3月からアルカディア誌の履歴を引き継いでスタートしていますが、そこから約7年にてこれだけのスコアがデイトナから輩出されたことになります。

それはここに集まったスコアラーの熱意と共にその環境を整えてくれたデイトナⅢという店舗があってこそのものだったと思います。

 

その3へ続きます)