ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1991年9月号)
マイコンベーシックマガジン1991年9月号(第10巻第9号)のハイスコア集計店マップとなります。
掲載店総数は101と再び3桁の大台に戻す先月比+10の大幅増。
新規店も2軒を確認しています。
・その他
ゲームプラザセントラル日吉店(神奈川県)
ゲームセンター遊(新潟県)
(マイコンベーシックマガジン 1991年9月号より)
「ゲームプラザセントラル日吉店」は、これまで鷹ノ台・永福町の掲載履歴のあるセントラル系列店から、永福町店が89年10月号にて掲載中止しているため2年ぶりの登場となります。
以下スコア欄を掲載します。
【チャレンジハイスコア 1991年9月】
(マイコンベーシックマガジン 1991年9月号より)
今月の注目ゲーム欄において、東亜プランの「ヴィマナ」及びカプコンの「クイズ三国志」が共に全国トップ31名という大盤振る舞いとなっています。ループゲームとしては難易度が低いと言われた「ヴィマナ」と、前作の「クイズ殿様の野望」と稼ぎ方のノウハウが共通だったことで早く攻略された「クイズ三国志」が偶々同一タイミングとなったことで出現しました。
この頃になるとループゲームは鳴りを潜め、クリアもしくは2周エンドが主流となっていたこともありハイスコア的には複数プレイヤーが同時トップとなる「全国〇名達成」は少数、もしくは達成者が2桁に乗ることは稀になっていました。31名という人数が2タイトルも同時にトップ欄を飾ったのはこちらが最後になったのではないかと思われます。
トピック店舗:プレイシティキャロット仙台店
トピック店舗は四国を離れ東北は宮城県へ移ります。
最初はやはりこの店舗から、ということで仙台の名店「プレイシティキャロット仙台店」をピックアップします。
(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年9月号より)
2020年1月11日撮影
ハイスコア的にも多数のプレイヤーや店舗を輩出してきましたが、その歴史はここからスタートしたといっても決して過言ではないと思います。
場所は仙台駅前の超一等地。
2024年時点で仙台駅西口を出ると正面向かって右側に写真のパルコがありますが、ここは再開発で2008年に建てられたもので、再開発前にこの場所にあった「第一ビル」内に存在していました。
パルコは仙台駅からペデストリアンデッキで直結されていますが、再開発前の第一ビルも同様に直結しており店舗へのアクセスは抜群。その良好なアクセスに加え、当時としてはビルの1フロアを占める比較的面積の大きい店舗だったため、ナムコとしても基幹店の位置付けがあったようです。
プレイシティ キャロット仙台店(宮城県仙台市:1984年6月頃)。キャロット仙台店は1984年4月27日にオープン。仙台駅からペデストリアンデッキを歩いて徒歩1分、仙台駅前の第一ビル2Fに入居という好立地のロケで、開店即東北No.1の売上を叩き出したという。『季刊NG6号』より。#ゲーセンを語ろう pic.twitter.com/s2CxvYs9n8
— ぜくう@誰がパックマンを描いたのか 山下正 伝(委託) (@Area51_zek) July 9, 2020
上記ぜくう氏のツリーによれば、オープンは1984年4月末。ベーマガへのハイスコア掲載は1984年8月号からのため、恐らくはオープン当初からハイスコアの集計を行っていたのでしょう。場所の良さや店舗の広さで当時のナムコ東北地区No.1の売上を誇っていたようですが、ツリーの写真を見ると当時のゲームセンターのイメージとは対照的な明るく開放的雰囲気で、かつユーザーフレンドリーな運営もあり決して場所だけでその数字を達成していたのではないことが想像できます。
その後ゲーメストが創刊されると、1987年1月号からこちらにもハイスコア掲載が開始され東北初のダブル掲載店となります。
(ゲーメスト 1987年1月号より)
このダブル掲載にて80年代後半のハイスコアシーンを語る上でも欠かせない店舗となりました。まだ全国各地でハイスコア熱が高かった時代、東北地方においてはここと福島県郡山市の「ダイエーレジャーランド郡山店」が2大巨頭として君臨していたという印象です。
(ゲーメスト 1987年号7月号より)
こちらはゲーメスト1987年7月号に掲載された「ランダムピックアップ」内でのPCC仙台紹介の部分です。設置台数20~30台程度の小規模店が多かった時代に設置台数139台を誇り、また写真でもペデストリアンデッキから直接入れたことがわかります。この頃がPCC仙台店の全盛期だったのでしょう。
その全盛期に一度だけ旅行中に立ち寄った覚えがあります。恐らく乗り換えの待ち時間で途中下車して覗いたはずなのですが、当時の記録が全く残っていないため正確な時期は不明です。
その後上記ぜくう氏のツリー最後に写真がありますが、1988年12月に店舗の改装を行ったようで看板がリニューアルされています。改装直後はベーマガ、ゲーメスト共にスコア掲載は続けられましたが、先に掲載がストップしたのはベーマガで1990年6月号まで、そして程なくゲーメストも1990年8月号を最後に掲載を中止、およそ6年に渡る誌面掲載の歴史に終止符が打たれました。80年台後半から90年台頭に掛けてナムコ系店舗はゲームマニアの排除に舵を切ったため、改装を契機にその流れが顕在化してしまったのかもしれません。
また、2005年前後に仕事で仙台に良く行っていた時があるのですが、店名は「プリッズ仙台店」に変わっていたもののまだ営業が続いていました。
2005年6月20日撮影
たまたま写真を整理していたらデータが残っていたのですが、まさかこの写真が役に立つことになるとは思いもよりませんでした。
場所柄結構お客さんで振るわってはいましたが、至って普通のゲームセンターに変わっており少々センチメンタルな気持ちになった記憶が残っています。
そしてその2005年にプリッズとしても閉店し、建物取り壊しの上現在の様相となっています。キャロットとプリッズを合わせると約20年に渡る営業期間となりました。以後ナムコは仙台駅付近に店舗を構えることはなかったようです。
プレイシティキャロット仙台店が1992年にプリッズ仙台店に改装して来年で30年、そのプリッズが2005年に閉店して昨年で15年です。
— えくしび (@love_MC68000) January 1, 2021
普段自分から発信はしないのですが、今年は節目の年でもあるので当時工事中に譲っていただいた我が家の家宝、プレイシティキャロット仙台店の駅側入口看板を公開します。 pic.twitter.com/rzLSyQ23NX
最後に、キャロット改装工事の際に工事現場から廃棄予定の看板を譲り受け、自宅に飾られている方のポストを引用します。自分も見ているはずのあの看板がまだ残っていることに感銘しました。あの看板を裸のまま自宅へ持ち帰ることは仮に自分が同じ立場でも到底出来るとは思えず、店舗に対する愛情の深さを感じます。
ユーザーフレンドリーでゲーム好きを虜にした当時のナムコ直営店ですが時間の経過で店舗に関する情報も限られる中、仙台店については政令指定都市代表駅前というまたとない立地と、プリッズ時代も含めると比較的近年まで店舗が存続していたため、古き良き時代のナムコ直営店の雰囲気に最もアクセスしやすかったのではないでしょうか。そのため店舗名で検索すると他のキャロットと比べて多数の情報がヒットします。それだけこの店舗に魅了されたプレイヤーが多かったことの証左だと思います。
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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年8月号
ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年8月号
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