小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年9月号/トピック店舗:プレイシティキャロット仙台店(宮城県)

イスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1991年9号)

マイコンベーシックマガジン1991年9月号(第10巻第9号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は101と再び3桁の大台に戻す先月比+10の大幅増。

新規店も2軒を確認しています。

 

・その他

ゲームプラザセントラル日吉店(神奈川県)

 

ゲームセンター遊(新潟県

マイコンベーシックマガジン 1991年9月号より)

 

「ゲームプラザセントラル日吉店」は、これまで鷹ノ台・永福町の掲載履歴のあるセントラル系列店から、永福町店が89年10月号にて掲載中止しているため2年ぶりの登場となります。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1991年9月】

マイコンベーシックマガジン 1991年9月号より)

 

今月の注目ゲーム欄において、東亜プランの「ヴィマナ」及びカプコンの「クイズ三国志」が共に全国トップ31名という大盤振る舞いとなっています。ループゲームとしては難易度が低いと言われた「ヴィマナ」と、前作の「クイズ殿様の野望」と稼ぎ方のノウハウが共通だったことで早く攻略された「クイズ三国志」が偶々同一タイミングとなったことで出現しました。

 

この頃になるとループゲームは鳴りを潜め、クリアもしくは2周エンドが主流となっていたこともありハイスコア的には複数プレイヤーが同時トップとなる「全国〇名達成」は少数、もしくは達成者が2桁に乗ることは稀になっていました。31名という人数が2タイトルも同時にトップ欄を飾ったのはこちらが最後になったのではないかと思われます。

 

トピック店舗:プレイシティキャロット仙台店

トピック店舗は四国を離れ東北は宮城県へ移ります。

 

最初はやはりこの店舗から、ということで仙台の名店「プレイシティキャロット仙台店」をピックアップします。

 (スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年9月号より)

f:id:annaka-haruna:20200110142444j:plain

f:id:annaka-haruna:20200110142536j:plain

2020年1月11日撮影

 

東北地方最大にして現在唯一の政令指定都市である仙台市

ハイスコア的にも多数のプレイヤーや店舗を輩出してきましたが、その歴史はここからスタートしたといっても決して過言ではないと思います。

 

場所は仙台駅前の超一等地。

2024年時点で仙台駅西口を出ると正面向かって右側に写真のパルコがありますが、ここは再開発で2008年に建てられたもので、再開発前にこの場所にあった「第一ビル」内に存在していました。

ゼンリン住宅地図 仙台市中央部1987年より)

 

パルコは仙台駅からペデストリアンデッキで直結されていますが、再開発前の第一ビルも同様に直結しており店舗へのアクセスは抜群。その良好なアクセスに加え、当時としてはビルの1フロアを占める比較的面積の大きい店舗だったため、ナムコとしても基幹店の位置付けがあったようです。

上記ぜくう氏のツリーによれば、オープンは1984年4月末。ベーマガへのハイスコア掲載は1984年8月号からのため、恐らくはオープン当初からハイスコアの集計を行っていたのでしょう。場所の良さや店舗の広さで当時のナムコ東北地区No.1の売上を誇っていたようですが、ツリーの写真を見ると当時のゲームセンターのイメージとは対照的な明るく開放的雰囲気で、かつユーザーフレンドリーな運営もあり決して場所だけでその数字を達成していたのではないことが想像できます。

 

その後ゲーメストが創刊されると、1987年1月号からこちらにもハイスコア掲載が開始され東北初のダブル掲載店となります。

f:id:annaka-haruna:20200223132111p:plain

ゲーメスト 1987年1月号より)

 

このダブル掲載にて80年代後半のハイスコアシーンを語る上でも欠かせない店舗となりました。まだ全国各地でハイスコア熱が高かった時代、東北地方においてはここと福島県郡山市の「ダイエーレジャーランド郡山店」が2大巨頭として君臨していたという印象です。

ゲーメスト 1987年号7月号より)

こちらはゲーメスト1987年7月号に掲載された「ランダムピックアップ」内でのPCC仙台紹介の部分です。設置台数20~30台程度の小規模店が多かった時代に設置台数139台を誇り、また写真でもペデストリアンデッキから直接入れたことがわかります。この頃がPCC仙台店の全盛期だったのでしょう。

 

その全盛期に一度だけ旅行中に立ち寄った覚えがあります。恐らく乗り換えの待ち時間で途中下車して覗いたはずなのですが、当時の記録が全く残っていないため正確な時期は不明です。

 

その後上記ぜくう氏のツリー最後に写真がありますが、1988年12月に店舗の改装を行ったようで看板がリニューアルされています。改装直後はベーマガゲーメスト共にスコア掲載は続けられましたが、先に掲載がストップしたのはベーマガで1990年6月号まで、そして程なくゲーメストも1990年8月号を最後に掲載を中止、およそ6年に渡る誌面掲載の歴史に終止符が打たれました。80年台後半から90年台頭に掛けてナムコ系店舗はゲームマニアの排除に舵を切ったため、改装を契機にその流れが顕在化してしまったのかもしれません。

 

また、2005年前後に仕事で仙台に良く行っていた時があるのですが、店名は「プリッズ仙台店」に変わっていたもののまだ営業が続いていました。

f:id:annaka-haruna:20200224125525p:plain

2005年6月20日撮影

 

たまたま写真を整理していたらデータが残っていたのですが、まさかこの写真が役に立つことになるとは思いもよりませんでした。

 

場所柄結構お客さんで振るわってはいましたが、至って普通のゲームセンターに変わっており少々センチメンタルな気持ちになった記憶が残っています。

 

そしてその2005年にプリッズとしても閉店し、建物取り壊しの上現在の様相となっています。キャロットとプリッズを合わせると約20年に渡る営業期間となりました。以後ナムコは仙台駅付近に店舗を構えることはなかったようです。

 

 

最後に、キャロット改装工事の際に工事現場から廃棄予定の看板を譲り受け、自宅に飾られている方のポストを引用します。自分も見ているはずのあの看板がまだ残っていることに感銘しました。あの看板を裸のまま自宅へ持ち帰ることは仮に自分が同じ立場でも到底出来るとは思えず、店舗に対する愛情の深さを感じます。

 

ユーザーフレンドリーでゲーム好きを虜にした当時のナムコ直営店ですが時間の経過で店舗に関する情報も限られる中、仙台店については政令指定都市代表駅前というまたとない立地と、プリッズ時代も含めると比較的近年まで店舗が存続していたため、古き良き時代のナムコ直営店の雰囲気に最もアクセスしやすかったのではないでしょうか。そのため店舗名で検索すると他のキャロットと比べて多数の情報がヒットします。それだけこの店舗に魅了されたプレイヤーが多かったことの証左だと思います。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年8月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年8月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年10月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年9月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年8月号/トピック店舗:ゲームスポットキング/ジョイフルATAGO(高知県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1991年8月号)

ゲーメスト1991年8月号(第6巻第8号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は89で先月日-1となっています。

新規掲載店は1店あるのですが...

 

・その他

遊ingポイントセオラ(滋賀県

ゲーメスト 1991年8月号より)

 

こちらは先月号まで掲載されていた「ジョイランドタイトー草津」と同一住所。

ゲーメスト 1991年7月号より)

 

そして先月号のハイスコア通信欄にジョイランドタイトー草津店の以下のコメントが掲載されていました。

ゲーメスト 1991年7月号より)

 

改装で店名が変わるとありますが、運営母体が変わるとは記載されていません。ただ店名からタイトーの文字が消えたことから恐らくは改装を機にタイトー直営店から離脱したものと思われます。

そのため純粋な新規掲載店と言う意味では語弊がありますが、マップ上では新規店舗として扱うこととしています。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1991年8月】

ゲーメスト 1991年8月号より)

 

店舗欄末尾にある長崎県は「サミーハウス」へのお見舞い欄ですが、雲仙普賢岳の噴火発生に伴うもの。

 

https://www.qsr.mlit.go.jp/unzen/outline/hunkasaigai.pdf

最も被害が大きかった場所は島原市街地よりも南側の水無川流域で、島原市南部と現在の南島原市の境界付近となり店舗への直接の被害は無かったようですが、地域への影響は甚大なものがありました。

 

見舞い文を掲載することは素晴らしいのですが、「平安な日々」という文言が誤植が象徴のゲーメストらしいというか何というか…「平穏」とか「平和」ならわかりますが。

 

トピック店舗:ゲームスポットキング/ジョイフルATAGO

 

トピック店舗は高知県初期の掲載店舗2回目。

「ゲームスポットキング」「ジョイフルATAGO」の2店を取り上げます。

 

【ゲームスポットキング】

ゲーメスト 1987年10月号より)

2023年5月4日撮影

 

【ジョイフルATAGO】

ゲーメスト 1987年10月号より)

2023年5月4日撮影

 

ゲーメスト初期(1987~1988年)の高知県のハイスコア掲載店4店のうち、残りの2軒はどちらもゲーメスト1987年10月号が初掲載となり、かつ中心繁華街の帯屋町やはりまや橋付近ではなく、JR高知駅から比較的近い場所という共通点があります。

 

最初の紹介する「ゲームスポットキング」ですが、JR高知駅前からとさでん交通の軌道と一緒にはりまや橋方面へ真っ直ぐ延びるはりまや通り沿いで、市内を横切る江の口川を渡る高知橋の北側袂にありました。駅からは路面電車電停1つ分、徒歩5分程度の距離となります。

セイコー社住宅地図 高知市1987年より)

 

1987年の住宅地図ですが、岡本旅館と隣接する「高砂別館」に縦書きで小さく店舗名が並んでおり、見えにくいですがその中に「ゲームスポットキング」の文字が確認出来ます。

セイコー社住宅地図 高知市1990年より)

 

1990年の住宅地図では高砂別館のテナント位置詳細があり、はりまや通り沿いに並んでいるテナントの最も高知橋側となる場所にあったことが分かります。

 

誌面への掲載は前述の通りゲーメスト1987年10月号から開始されますが、年内の1987年12月号を最後に掲載停止、誌面への登場は僅か3回に留まりました。1990年の地図にも残っているため掲載終了=閉店ではありませんが、いつまで店舗が存続していたのかは不明です。

 

そして現在は隣接していた岡本旅館を含めて取り壊され、跡地はセブンイレブンとなっています。写真に写っている椰子の並木は1987年の住宅地図でも丸印で描かれており昔から変わっていないようですが、それ以外には恐らく面影は残っていないであろうと推察されます。

 

そしてゲームスポットキングと同じく1987年10月号より掲載された「ジョイフルATAGO」ですが、こちらは高知駅前からJR土讃本線に沿って西へ進んだ場所にある「愛宕商店街」に位置していました。

セイコー社住宅地図 高知市1990年より)

1990年の住宅地図にて「TVゲームコーナージョイフル」の表記を確認、現在は写真のように空き地となっています。

隣接している「染殿 おがわ」の建物が健在だったことと、向かいのスーパーの場所が同様に空き地となっており、位置関係から写真の場所で間違いないと思われます。

 

店舗のある「愛宕商店街」は、同じ市内の帯屋町と比べると地元客中心の趣ですが、写真の「あたごまち」のアーチが随所にあり商店街のシンボルになっています。

2023年5月4日撮影

 

このアーチ、写真では右下部にローマ字で「ATAGO」のネオンがあるのですが、この青いフォントなんか見覚えがあるような…

 

こちらもゲーメスト1987年10月号から掲載開始され、高知市内におけるゲーメスト掲載店が3軒に拡大、ベーマガへは「高知プレイハウスイン」も掲載されていたため徒歩圏内で4軒ものスコア掲載店が林立することになります。

 

しかし「ゲームスポットキング」が同年12月号で早くも離脱した後、「メディアインオビヤ」も1988年5月号にて離脱、入れ替えで「ウィルトークタイトー高知店」が加わるものの1988年6,7月号の僅か2回の掲載に留まります。最後まで残った「ジョイフルATAGO」ですがこちらも1988年9月号をもって掲載終了し、4軒にて繰り広げられた高知市内のゲーメスト掲載店は1年程度で全て誌面から姿を消してしまいました。その後高知県ゲーメスト掲載店復活は1993年8月号まで待つことになります。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年7月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年8月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年9月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年9月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年8月号/トピック店舗:プレイハウスイン(ウィン)高知店(高知県)

イスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1991年8号)

マイコンベーシックマガジン1991年8月号(第10巻第8号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は91となり、先月比-10と大きく減少している一方で新規掲載は3軒存在、いずれも西日本方面から登場しています。

 

タイトー

ウィルトークタイトー和歌山店(和歌山県

 

・その他

ゲームスペース姫路店(兵庫県

 

ゲームプラザミッキー(広島県

マイコンベーシックマガジン 1991年8月号より)

 

先月を最後に掲載が止まっている店舗は5店のため、新規3店を擁する割に掲載店舗数が少ないのは偶々今号が掲載漏れになっていた店舗が多かったことに起因しているようです。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1991年8月】

マイコンベーシックマガジン 1991年8月号より)

 

今号から登場したウィルトークタイトー和歌山店ですが、ハイスコア通信欄に以下のコメントがあります。

マイコンベーシックマガジン 1991年8月号より)

初代ストリートファイターⅡの点数稼ぎは、オールパーフェクトを達成するとダブルKO、ドロー、1本は相手に与える等でラウンド消化数を増やす必要があるのですが、そういった行為を含む場合はハイスコアとは認めないとのローカルルールが存在したようです。今回の掲載スコアにおいても備考欄に「かせぎ無し」の文言があります。

 

そうなると全国トップを取ることはほぼ不可能となるため、スコアを掲載する意味があるのか?という話にも成りかねないわけですが、その店舗がローカルルールを重視しているのであればプレイヤーはそれに従うしかありません。

ただどこまでが「わざと」と判断されるのか基準が不明であり、トラブルを招きかねないルールであるとは思います。

 

過去の「常連のスコアを優先掲載する」ような事例と一緒で、ローカルルールを理解している常連のみがスコア掲載可能という排他的側面があるようにも思えるのですが、店舗からトップスコアを輩出することよりも常連へのアピールがスコア集計、掲載の目的になっていた店舗では、このような状況は結構存在していたようです。

 

トピック店舗:プレイハウスイン(ウィン)高知店

 

続いてトピック店舗ですが、高知県初のベーマガ掲載店である「プレイハウスイン(ウィン)高知店」をピックアップします。

 

マイコンベーシックマガジン 1986年4月号より)

2023年5月4日撮影

よく「日本3大がっかり名所」として札幌時計台、長崎オランダ坂と並んで高知市の「はりまや橋」の名前があがりますが、そのはりまや橋から至近距離で、店舗住所も「播磨屋町1-1-7」となります。

 

セイコー社住宅地図 高知市1987年より)

1987年の住宅地図ですが、はりまや橋から通じる親水公園と国道32号に挟まれた場所に「プレイハウスウィン」の存在を確認しています。市内を東西と南北にそれぞれ結ぶ路線が交差する土佐電気鉄道はりまや橋電停からも近く、立地は抜群と言えます。

現在は住宅地図上の「国際ホテル高知」の場所がそのまま「西鉄イン高知はりまや橋」となっており、プレイハウスウィンの場所も含めてホテルに隣接した数件分の区画が駐車場となっています。コカ・コーラの看板のある建物側面にうっすらと「和田写真館」の文字を上塗りした跡が確認出来るため、そこから1軒挟んだ駐車場の敷地が跡地になると思われます。

 

初掲載は1986年4月号で、高知県初のハイスコア掲載店となりました。

誌面に最初は「プレイハウスイン高知店」の店名で登場しますが、翌5月号からは「高知プレイハウスウィン」に表記が改められます。

マイコンベーシックマガジン1986年5月号より)

 

地図でもウィンの表記なのでこちらが正しい店名なのかと思いきや、1988年2月号からまたしても「プレイハウスイン」の表記に戻ってしまいます。

 

マイコンベーシックマガジン1988年2月号より)

 

その後は掲載終了まで「高知プレイハウスイン」の店名が継続しており、正直どちらが正式な店舗名なのか判断が付かないため現時点では店名を併記しています。正式な店舗名を御存知の方は情報をお寄せいただきたくお願いいたします。

 

高知市は1987年から88年にかけゲーメストへの掲載店が複数登場しますがいずれも短期間で掲載が終了する中で、こちらはベーマガのみとは言え淡々と掲載を継続し、1993年5月までの7年に渡る長期掲載店となっています。閉店時期は判明していません。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年7月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年7月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年9月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年8月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年7月号/トピック店舗:メディアインオビヤ/ウィルトークタイトー高知店(高知県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1991年7月号)

ゲーメスト1991年7月号(第6巻第7号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店舗数は90で先月比+3となりました。

新規掲載店が2店あります。

 

・その他

プレイランドアタック(宮城県

 

ファンタジアキャロットたまプラーザ店(神奈川県)

ゲーメスト 1991年7月号より)

 

ベーマガでは1991年5月号から登場した「ファンタジアキャロットたまプラーザ店」がゲーメストでもスコア集計が開始されダブル掲載店となります。

 

ファンタジア「キャロット」という店舗名はナムコ系を連想させますが、長崎県の「ゲームキャロット住吉」同様ナムコとは無関係であることを確認しています。

 

また、新規掲載ではありませんがゲーメスト初期では主要広告主でもあった山梨県の「ニュースターグループ4店」が、今月から「ハイテク遊園ニュースター」として合同集計を解除し単独店舗掲載となっています。

ゲーメスト 1991年7月号より)

 

そしてゲーメスト1987年1月号にで単発で掲載された「ゲームセンターダイエー」が「ゲームインDAIEI」と名称を変え実に4年半振りに再登場となっています。

ゲーメスト 1991年7月号より)

 

こちらは店舗名もそうですが住所も微妙に異なります。

 ゲームセンターダイエー:千葉県市川市南八幡4-1-3

 ゲームインDAIEI:千葉県市川市南八幡4-1-7

末尾地番の差異のみであり、住宅地図でも2軒店舗が存在した形跡は確認されていないため同一店舗として扱っています。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1991年7月】

ゲーメスト 1991年7月号より)

 

ゲーメストにおける「ヒットゲームBEST10」のランキングは、スコア掲載店からの申告を元に集計されていたため当時の人気状況をかなり正確に捉えており、そこで人気、インカム共に1000点満点で過去最高の900点以上の点数を叩き出したストリートファイターⅡというタイトルの当時の人気度を映し出しています。

 

そしてゲームの人気度はプレイヤーの多さにも直結、ハイスコアを狙うプレイヤーも多くも各キャラともに熾烈な争いが繰り広げられました。

 

現在対戦格闘ゲームのハイスコア狙いといってもなかなか理解され難いですが、ストⅡ発売当時はまだ2人「協力」プレイは認知されていたものの2人「対戦」プレイはドライブゲーム程度しか普及しておらず、ストⅡにおいても1人プレイでクリアを目指すという価値観が一般的でした。そのためゲーメストの攻略記事においても各キャラでクリアを目指す内容が主体となっています。

 

トピック店舗:メディアインオビヤ/ウィルトークタイトー高知店(高知県

 

四国シリーズで香川→愛媛と続いたトピック店舗は高知県へ場所を移します。

「メディアインオビヤ」「ウィルトークタイトー高知店」の2軒をピックアップします。

 

【メディアインオビヤ】

ゲーメスト 1987年7月号より)

2023年5月4日撮影

 

【ウィルトークタイトー高知店】

ゲーメスト 1988年6月号より)

2023年5月3日撮影

 

ゲーメスト初期において、スコア掲載が行われたものの1年以内の短期で中止された店舗が高知県は4店と比較的多数確認されています。

 

「メディアインオビヤ」は4店のうち最初の1987年8月号より誌面に登場しました。

「オビヤ」とは高知市中心街の帯屋町のことを指しており、店舗の面する帯屋町商店街は1枚目写真のように全蓋式アーケード街となっています。

セイコー社住宅地図 高知市1987年より)

1987年の住宅地図で所在を確認しています。文字が擦れていて見ずらいですが、赤枠内の左側に「メディアインオビヤ」の文字が見えます。

 

交差点に面するビル(住宅地図上の「オビヤ角ビル」)の隣の建屋のため、2枚目写真の3軒並びの中央、シャッターの閉まったビルの位置が該当箇所となります。2024年現在は高知県の就業支援センターとして使用されているようです。

 

こちらはタイトー系の店舗という情報があり、掲載ゲームタイトルもタイトー作品に寄っている面がありますが、現時点でまだ確証には至っていないためマップ上はタイトー系列店に分類していません。情報をお持ちの方は是非ともお寄せ下さい。

 

誌面へは前述の通りゲーメスト1987年8月号からスタートしますが翌9月号では早くも店舗欄を欠き、その後も時折休載を挟みつつ1988年5月号をもって姿を消しました。掲載期間は1年未満に留まっています。

 

そしてもう1軒の「ウィルトークタイトー高知店」は店舗名の如くまがいのないタイトー系列店です。

 

こちらは高知市郊外の朝倉地区に店舗を構えていました。

近隣に高知大学が立地しており、学生向けの需要があったものと思われます。

セイコー社住宅地図 高知市1990年より)

1990年の地図で存在を確認。地図左下が高知大学の敷地となります。現在建屋は女性向けフィットネスジムとなっています。

 

写真にも写っていますが、店舗の目の前に路面電車土佐電気鉄道、現在のとさでん交通)の軌道があり店舗の目の前を電車が通り抜けていきます。

 

1990年頃に高知駅から夜行列車に乗車する前に朝倉駅付近でゲームセンターを探してこちらに辿り着いています。大学が休み期間でかつ深夜帯であったことも手伝ってか店内の客はまばらだったと記憶しています。

 

誌面へは丁度「メディアインオビヤ」と入れ替わるようにゲーメスト1988年6月号から登場しますが、掲載は翌7月号までの僅か2か月間に留まりました。80年台のタイトー系店舗は掲載が不規則だったり短期で終了してしまう店舗が多かったのですが、こちらも同じような経緯となっています。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年6月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年7月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年8月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年8月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年7月号/トピック店舗:ウィルトークタイトー空港通り店→タイトーイン空港通り店(愛媛県)

イスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1991年7号)

マイコンベーシックマガジン1991年7月号(第10巻第7号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は101で先月比+3、再び3桁の大台を回復しました。

新規店は2軒あります。

 

・その他

ゲームコーナーたつみ(栃木県)

 

オキモト(広島県

マイコンベーシックマガジン 1991年7月号より)

 

広島市の「オキモト」ですが、店舗は2024年現在まだ健在のようです。

店舗は「沖本商会」で検索するとヒットしますが、写真を見る限りではゲームセンターというよりもゲーム機が置かれた駄菓子屋という印象です。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1991年7月】

 

マイコンベーシックマガジン 1991年7月号より)

 

期待通りの人気でスタートしたストリートファイターⅡですが、早くも対戦にスポットが向き始め、チャレハイ通信欄でも店舗大会の実施に関するコメントが見受けられるようになりました。

 

コーナー末尾に千葉県の「ゲームインDAIEI」における店舗大会の写真が掲載されていますが、対戦は2人が隣りあわせで行われておりまだ2台の筐体を使用する対戦台の登場には至っていないことが分かります。

 

トピック店舗:ウィルトークタイトー空港通り店

 

そしてトピック店舗は松山市タイトー系掲載店の最後を飾る「ウィルトークタイトー空港通り店→タイトーイン空港通り店」を取り上げます。


マイコンベーシックマガジン 1991年4月号より)

2023年5月1日撮影

 

松山市に合わせて4軒存在したタイトー系ハイスコア掲載店のうち、最後に誌面に登場した店舗となります。

 

「空港通り」の名前の通り、松山市街地から松山空港へ向かう県道18号線、通称空港通り沿いに位置していました。この通り沿いで営業している店舗や施設のほぼ全てが「空港通り店」を名乗っているため範囲はかなり広域となりますが、ここはまだ松山市街地の方が近い場所になっています。

ゼンリン住宅地図 松山市1988年より)

 

誌面掲載は1991年からですが、1988年の地図で既に店舗の存在が確認出来ます。

テナントを見ればわかる通り、店舗とは別に建物1階及び2階にタイトー社関連事務所も入居しており、営業拠点機能も兼ね備えていたようです。

 

2023年5月1日撮影

 

住宅地図のテナント配置で見ると、1988年当時は建物正面向かって右側、カラオケ店の場所が店舗跡となり、上記写真である左側は事務所として使用されていたと思われます。

 

誌面へはベーマガ1991年4月号が初登場となります。

タイトピア木屋町店がベーマガは同年1月号、ゲーメストは2月号にて掲載をストップしているため、入れ替わりで掲載が開始される形となりました。

 

ゲーメストへは、1991年12月号にてウィルトークタイトー大街道店と合同集計の形で登場します。

その後ベーマガも1992年7月号から大街道店と合同集計となります。

ゲーメスト 1991年12月号より)

マイコンベーシックマガジン 1992年7月号より)

しかしベーマガが合同集計を維持したのは僅か2か月に留まり、1992年9月号からは再び単独掲載へと戻ることになります。その後は1993年12月まで掲載が継続しました。

 

一方のゲーメストは1992年12月号まで1年間合同集計が続きますが、1993年に入るとこちらも単独掲載となります。

そして1996年1月30日/2月15日号からは店舗名が「タイトーイン空港通り店」に変更となっています。

ゲーメスト 1996年1月30日/2月15日号より)

その後掲載はゲーメストが休載となる1999年9月30日号まで継続したため、ベーマガゲーメストを含めると8年半の長期掲載店となっています。

 

こちらは営業当時の店舗ホームページがまだ閉鎖されず閲覧可能な状況で残っており、店舗内外の写真もあるため当時の雰囲気を感じることが出来ます。

http://www.dokidoki.ne.jp/home2/surrt/taito/

 

ページ内に店舗外観の写真がありますが、その写真を見ると店舗はウエストビル正面から見て左側となっており、右側となっている1988年の住宅地図とは異なっています。

タイトーインに店名を変更した際に建物左側へ移った公算が高いと思われますが、ご存知の方は是非ともコメントをお寄せください。

 

そしてホームページ内の「入荷状況/近況」によれば2000年10月に「年内にて移転予定」であることが記されており、2000年内にて閉店となっているようです。15年間の長期利用とあるためオープンは1985年であったこともわかります。

アルカディア誌がハイスコア集計を開始した2000年6月号時点ではまだ店舗は存続していたと思われますが、閉店が近いことが分かっていたためか復活掲載には至りませんでした。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年6月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年6月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年8月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年7月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年6月号/トピック店舗:タイトピア木屋町店/ウィルトークタイトー市駅店(愛媛県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1991年6月号)

ゲーメスト1991年6月号(第6巻第6号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は87となり先月比-4となっています。今月は新規掲載はありません。

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1991年6月】

 

ゲーメスト 1991年6月号より)

 

遂にゲーメストにおいてもストリートファイターⅡのスコア集計が開始されました。ベーマガ同様に初回からキャラ別集計という対応がとられています。

 

また通常のハイスコア通信とは別にストⅡ単独の通信欄が設けられるという異例の措置が取られています。まだ対戦に関するコメントは少数で、1人プレイでも台の空きがなかなか発生しない人気振りを垣間見ることが出来ます。

 

その他個別のタイトルで取り上げておきたいのが「ゆうゆのクイズでGO!GO!」です。

このタイトル、電源投入後最初のプレイで問題配置が毎回同一となるいわゆる「電源パターン」が発覚し、ベーマガではその使用はハイスコアに相応しくないとの理由で集計対象となりませんでしたが、ゲーメストではパターンの存在を匂わせつつ集計は行われました。

 

電源パターンの存在が確認されたタイトルは恐らくこれが最初で当初は物議を醸したようですが、以後同様のタイトルが次々と発覚したため、結局はテクニックとして装置使用と同様に電源パターンも受容されていくことになります。

 

トピック店舗:タイトピア木屋町店/ウィルトークタイトー市駅店

続いてトピック店舗です。

 

ゲーメストにて四国初掲載店となった松山市の「タイトピア木屋町」、および同じく松山市の「ウィルトークタイトー市駅店」の2軒をピックアップします。

 

【タイトピア木屋町店】

f:id:annaka-haruna:20200301212450p:plain

ゲーメスト 1986年9月号より)

f:id:annaka-haruna:20200301212916p:plain

2023年5月1日撮影

 

【ウィルトークタイトー市駅店】

f:id:annaka-haruna:20200326225033p:plain

ゲーメスト 1987年1月号より)

f:id:annaka-haruna:20200326225011p:plain

2023年5月1日撮影

 

松山の集計店はタイトー系店舗が存在感を示しており、同時に掲載された履歴はないもののゲーメストには4店舗(木屋町、市駅、大街道、空港通り)もの集計店が登録されています。その中でゲーメスト誌面に最初に掲載されたのが「タイトピア木屋町」となります。

ゼンリン住宅地図 松山市1988年より)

 

1988年の住宅地図にて存在を確認しており、入居していたフジファニチャービルは写真のように現存しています。営業当時は1階フロアの半分を使用していたようですが、現在は同一のテナントが1階をフルに使用しているようです。

 

場所は伊予鉄道市内線の木屋町電停が程近いですが、停留所から付近の広い道路まで抜ける路地の途中にあるお店という感じで、あまりゲームセンターが存在するような場所には思えないのですが、徒歩圏内に愛媛大学があるため学生の需要があったのかもしれません。

 

こちらはベーマガと重複掲載となっていますが、開始はゲーメストより早い1986年1月号からとなっています。

f:id:annaka-haruna:20210525074417j:plain

マイコンベーシックマガジン 1986年1月号より)

 

1986年のベーマガでは休載履歴は無く、同年9月からゲーメストへも掲載が開始されるものの1987年に突入すると両誌共に掲載は不定期気味となります。ゲーメストは1987年4月号の次は10月号となり5か月間、そしてその次は更に伸びて1988年6月号と実に8か月もの間隔が開きますが、ここからようやくコンスタントな掲載が開始され、1991年1月号まで継続しました。

 

一方のベーマガは1987年4月号にて一旦掲載がストップ、再登場は1989年11月号まで待つことになります。その後ゲーメストとほぼ同時期の1991年2月号を最後に掲載を停止しています。いずれも1987年~88年に掲載を欠いている時期があることから、店舗側の事情で常連が離れた等の不安定が時期が存在していたのかもしれません。また1991年頭で揃って掲載がストップすることから閉店が疑われるのですが、誌面には特にその旨の記述はありませんでした。

 

そして松山市タイトー系集計店でジョイランド松山、タイトピア木屋町に次いで3番目に掲載が開始された店舗が「ウィルトークタイトー市駅店」です。

松山市愛媛県、そして四国全体でも最も乗降客数が多い伊予鉄道松山市駅前にあったため、「市駅店」を名乗っています。

ゼンリン住宅地図 松山市1988年より)

こちらも入居していた建物は現存しています。住宅地図から1階で営業されていたことがわかりますが、写真のように1階は半地下の構造となっています。

 

店舗前の交差点東側は、大街道と並ぶ商店街である銀天街の入口があり人通りが多数あるのですが、交差点真下に地下道が通っているため人通りは殆どそちらに流れてしまい、駅前とは言え動線からは微妙に外れてしまっている感じがします。

 

こちらも木屋町と一緒で掲載は不定期でした。

当初から2~3か月程度間隔が空いての掲載が続いていましたが、1987年10月号から7か月間掲載が開き、1988年5月号で復活するものの長くは続かずに同年7月号を最後に姿を消すことになります。その後は木屋町及び大街道と、まだこの時点では現れていない空港通り店が掲載店として残って行くこととなります。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年5月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年6月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年7月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年7月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年6月号/トピック店舗:ジョイランド松山→ウィルトークタイトー大街道店(愛媛県)

イスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1991年6号)

マイコンベーシックマガジン1991年6月号(第10巻第6号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は98となり前月比-4とまた100店を割り込んでしまいました。

新規掲載店は1軒あります。

 

ナムコ

ゲームスポット市川店(千葉県)

マイコンベーシックマガジン 1991年6月号より)

 

ゲーメストでは1987~88年に掲載されていましたが、2年半の期間を経てベーマガに復活掲載となりました。今回ゲーメストへの掲載はされていません。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1991年6月】

マイコンベーシックマガジン 1991年6月号より)

 

遂にストリートファイターⅡが登場し、スコアの集計が開始されました。

先月から開始された冒頭の今月の注目ゲーム欄が早速威力を発揮し、初回集計から全8キャラクター別のハイスコア集計が行われています。

 

稼働開始直後は2台の筐体を対面配置するような「対戦台」は登場しておらず、対戦と言っても友人同士で隣に座ってプレイするレベルで、1人でクリアを目指したりスコアを狙うプレイスタイルが中心だったため、ハイスコア集計においても当初はプレイヤー層拡大の恩恵を受けることになります。

 

トピック店舗:ジョイランド松山→ウィルトークタイトー大街道店

続いてトピック店舗です。

 

舞台を愛媛県へ移し、松山市タイトー店舗群から「ジョイランド松山→ウィルトークタイトー大街道店」をピックアップします。

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年9月号より)

2023年5月1日撮影

 

松山市中心部には銀天街、大街道という2つの大きなアーケード商店街が有りますが、店舗名が示す通り大街道アーケード街の中にありました。地方の商店街はシャッター街化が進行して久しいですが大街道や銀天街は現在でも賑わいがあり、テナントが空いても比較的短期間で次の店舗が見つかる様で、ここの跡地も写真のように現在はスマートホンケース専門店が入居しています。

ゼンリン住宅地図 松山市1988年より)

 

1988年の住宅地図ですが、隣接しているカメラのキタムラが2023年時点で健在のため、写真の場所で間違いないと認識しています。

(注:以前は「カメラのキタムラ」の場所を跡地して記述しておりましたが、住宅地図確認の結果「スマートラボ」の場所が正式な場所と判明したため訂正しております。)

この店舗が現役時代に一度訪問したことがあります。恐らくは1990年代前半ではなかったかな…。現在の店構えでは2階への階段は恐らく店舗正面左側の独立したシャッター部分と思われますが、営業当時は店内に2階に上がる階段があり、2階のビデオゲームをプレイした記憶があります。

 

また、アーケード天井から吊るされている逆L字型のサインは商店街共通で、「WE'LL TALK TAITO」の文字が入っていたような覚えが薄っすらとあります。

 

誌面への掲載は、同時にタイトー系列の店舗が12店ノミネートされたベーマガ1984年8月号からスタートしていますが、その直前にAMライフ誌でも掲載が確認されています。

アミューズメントライフNo.18 1984年6月号より)

 

そしてゲーメストも創刊第3号である1986年11月号から掲載開始されダブル掲載店となります。

f:id:annaka-haruna:20200311225800p:plain

ゲーメスト 1986年11月号より)

 

この時点で、AMライフ、ベーマガゲーメストの3誌全てに掲載履歴を残したことになり、ハイスコア集計掲載に対する店舗のモチベーションの高さを感じます。

 

その後タイトーのCI戦略としてウィルトークの店名が登場しますが、ここも変更の対象となり店名が「WE'LL TALK TAITO大街道店」となります。ここで初めて店名に「大街道」の名称が現れることになります。

 

変更に関してはゲーメストが1987年3月号から、ベーマガはひと月遅れて4月号からとなっています。

f:id:annaka-haruna:20200311225854p:plain

ゲーメスト 1987年3月号より)

マイコンベーシックマガジン 1987年4月号より)

 

その後はベーマガゲーメスト共に大きな休載期間はなく、短期掲載に留まることが多いタイトー系店舗にあっては老舗の貫禄でコンスタントに掲載が続きますが、1991年12月にまずゲーメスト、追って1992年7月にはベーマガが同じ松山市内の「ウィルトークタイトー空港通り店」と合同集計となります。

ゲーメスト 1991年12月号より)

マイコンベーシックマガジン 1992年7月号より)

しかしベーマガは合同集計になったのも束の間、翌8月号を最後に空港通り店の単独掲載となり誌面から姿を消しました。ゲーメストは12月号まで合同が継続したものの、1993年に入るとこちらも空港通り店のみとなり、AMライフ誌から数えて10年弱続いた誌面へのスコア掲載を終えています。閉店時期は判明していません。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年5月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年5月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年7月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年6月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年5月号/トピック店舗:ウィルトークタイトー高松店→タイトーイン高松店(香川県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1991年5月号)

ゲーメスト1991年5月号(第6巻第5号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店数は91で先月比-1。

新規店はありませんが、相模原市の「ゲームセンターUFO」が今号から町田市へ住所が変更となっています。ベーマガ1991年4月号と同様です。

ゲーメスト 1991年4月号より)

 

ゲーメスト 1991年5月号より)

 

ベーマガゲーメスト共に合同集計開始の表記はありませんが、ゲーメストでは備考欄に本店、町田店、八王子の記載があるため実際には合同集計化していたようです。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1991年5月】

ゲーメスト 1991年5月号より)

 

今号で最も眼を引くのは「ハイスコア通信」欄なのではないでしょうか。

80年台におけるスコアラーの聖地であった「プレイシティキャロット巣鴨店」がスコア掲載をストップする旨の告知がされています。

ゲーメスト 1991年5月号より)

 

90年秋に店舗改装を実施していた巣鴨店ですが、その後91年1月号のハイスコア通信欄に「ハイスコア集計は今後とも続行いたします」と少々思わせぶりなコメントが掲載されていました。そこから僅か4か月で掲載ストップに至ることになります。

 

ただベーマガへの掲載は継続されました。

そのためスコア掲載そのものが中止されたわけではなく、ゲーメスト編集部と巣鴨店の間で何らかの軋轢が発生したことが原因と後に聞き及びます。

 

ゲーメスト 1991年3月号より)

ゲーメスト 1991年4月号より)

ゲーメスト 1991年5月号より)

そして掲載中止と前後して、かつてゲーメスト編集長を務めた植村伴北氏による全盛期のプレイシティキャロット巣鴨店を回想する記事が3回に渡って掲載されるのですが、記事の冒頭に「巣鴨店が新しい方針の下に大きく変貌した。私たちのとどまるべき場所はない。さらば巣鴨キャロット」と綴られており、この記事が両者を分かつ決定打となったのではないかと推察されます。

 

トピック店舗:ウィルトークタイトー高松店→タイトーイン高松店

 

トピック店舗となります。

香川県タイトー系店舗から「ウィルトークタイトー高松店→タイトーイン高松店」をピックアップします。

ゲーメスト 1987年9月号より)

 

2023年5月2日撮影

ナムコ系キャロット店舗が中心部に3軒存在した高松市ですが、タイトー系店舗も掲載店としてノミネートされています。

場所は「プレイシティキャロット常盤店」と同じくことでん瓦町駅前から延びる常磐町商店街内で、キャロットは商店街から折れた先に位置しているのに対しこちらは駅からも近い好立地でした。

ゼンリン住宅地図 高松市1988年より)

 

1988年の住宅地図ですが、隣接してパチンコ店の建屋があるもののパチンコ店のテナントという訳ではなさそうです。常盤キャロットは地図の左上ぎりぎりの位置にあり、歩いても2分程度の距離となります。

 

店舗から3軒隣に位置している「都まん本舗(地図上では「都まん」)」が健在のため、都まん本舗の場所から起算すると現在は隣接した「パチンコ トキワホール」同様に更地となっていることになります。上記写真3枚目が該当します。

 

ただ取り壊されたのはトキワホールのみで、住宅地図上で隣接している「リトルマーメイド さくらんぼ」と同一の建屋ということであれば4,5枚目写真のOVERS(古着屋)の場所が該当するのではないかと思われます。そのため地図と現地確認では正確な場所を特定できていないため、御存知の方がいらっしゃればコメントを頂きたくお願い申し上げます。

 

誌面への掲載はゲーメスト1987年9月号から開始されました。

時折休載を挟みつつ1989年1月号まで掲載が続いた後、8か月の長期休載を経て10月号にて復活するのですが、翌11月号のハイスコア通信欄に以下のコメントが掲載されます。

ゲーメスト 1989年11月号より)

 

「初めまして」のコメントがありますが、既に掲載履歴があるため初登場ではありません。一度掲載を終了したものの店舗管理者が変わり再開されたという所でしょうか。

 

そしてビデオ90台に加えメダル36台を設置していたとなると、5枚目写真のOVERSの場所では収まりきらないような気がします。

 

こうして復活掲載を遂げたにも関わらず、1990年4月号を最後としてゲーメスト誌上からは姿を消すのですが、店舗営業は継続しており3年後の1993年8月号から、今度はベーマガにて3回目のスコア掲載が開始されます。

マイコンベーシックマガジン 1993年8月号より)

 

そして1994年2月号からは店名が「タイトーイン高松店」に変更となりました。

ウィルトークという店舗名称が急激に姿を消しつつあった時期です。

マイコンベーシックマガジン 1994年2月号より)

 

そしてベーマガへの掲載は1995年5月にて終了しました。途中に複数回掲載中止期間が存在したものの、7年以上に渡りスコア集計を行っていたことになります。

ゼンリン住宅地図 高松市2000年より)

 

掲載終了後ですが2000年の住宅地図では存在を確認しています。隣接しているパチンコ店もまだ健在、向かいのダイエーはイオン系のファッションビルOPAとなっていますが、更に20年以上を経過した2024年現在ではOPAの跡地にマンション建設中、トキワホールの場所は更地となっており常磐町商店街の商業地としての地盤沈下が浮き彫りになっています。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年4月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年5月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年6月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年6月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年5月号/トピック店舗:ビッグキャロット高松店→プレイシティキャロット高松店(香川県)

イスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1991年5号)

マイコンベーシックマガジン1991年5月号(第10巻第5号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店数は102で先月比+2となり3桁をキープ。

掲載店募集の効果は継続しており、今月は11店もの新規掲載店があります。

 

ナムコ

弘前ハイローザスペースランド(青森県

 

セガ

ハイテクセガ東松山(埼玉県)

 

ハイテクセガ武蔵小山(東京都)

 

・その他

ガリバー熊谷(埼玉県)

 

ゲームインダイエイ(千葉県)

 

スター5(東京都)

 

ファンタジアキャロットたまプラーザ店(神奈川県)

 

プレイランド柏崎店(新潟県

 

キャノン最前線(愛知県)

 

チャレンジバンバン(愛媛県

 

ホワイトハウス箱崎店(福岡県)

マイコンベーシックマガジン 1991年5月号より)

 

この頃になると新規掲載でもゲーメストへの掲載履歴がある店舗が増加してきます。

今号から掲載の11店のうち、ベーマガ単独の掲載店は「ハイテクセガ武蔵小山」「スター5」「プレイランド柏崎店」の3店のみで、他の8店は時期が異なる場合もあるもののゲーメストへの掲載履歴を持っています。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1991年5月】

マイコンベーシックマガジン 1991年5月号より)

今号から装丁が一部変わり「今月の注目ゲーム」としてトップページに新作や話題のタイトルを大きく扱うようになりました。

この欄は以降「デカ文字」とスコアラーの間で呼称され、ここにスコアが掲載されることが一つの栄誉とみなされることとなります。

 

伴って誌面にはトップスコア欄が2ページ確保されることとなり、スコア掲載タイトルが増加したことからこれまでスコア解説欄外への掲載となっていたタイトルも無事スコア欄が確保されるに至ります。

 

また、先月のチャレハイ通信欄においてとあるキャロットにおける一部ゲームマニアの行動がスコア掲載を中止に至らしめた件が取り上げられていましたが、その一方で店舗の側も客に対する対応が以前と比べて冷ややかになり、居心地が悪くなっていることを問題提起しています。

 

特に都心店においてその傾向が強いことが指摘されていますが、不特定多数の来客が見込める都心店では一部マニアを囲い込むことのメリットが薄く、80年台後半頃から徐々にマニア排除へ舵を切った店舗が増えたことは事実です。

 

こればかりは程度の問題なので、プレイヤーは各々居心地の良い環境を求めて店舗を変え、ひいてはハイスコア集計店の推移として歴史に刻まれていくことになります。

 

トピック店舗:ビッグキャロット高松店→プレイシティキャロット高松店

 

トピック店舗です。

 

高松市3軒目のキャロット系店舗「ビッグキャロット高松店→プレイシティキャロット高松店」をピックアップします。

 

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年3月号より)

2023年5月2日撮影

 

80年台の最盛期、高松市は「プレイシティキャロット常盤店」「プレイシティキャロット藤塚店」そして今回紹介する「ビッグキャロット高松」が3軒同時に営業されており、ナムコフリークからすると非常に贅沢なエリアでした。

 

場所はアーケード街北部の片原町商店街に位置しており、ことでん片原町駅が最寄となります。

ゼンリン住宅地図 高松市1988年より)

1988年の地図にて所在を確認しています。

常盤店へは片原町から瓦町まで一駅、歩いても15分程度ですがその間はアーケード街が連続しており、日本一の総距離を誇る高松のアーケード街の大きさを実感できます。また常盤店から藤塚店までも15分程度のため、30分も歩けば3店舗すべてを周遊可能です。

 

誌面への掲載はベーシックマガジン1984年3月号からスタート、オリジナル26店には入りませんでしたが最初に追加掲載された16店には名を連ねています。

 

こちらも常盤店同様、ゲームマシン誌1984年2月15日号の記事「全国縦断ゲーム場ルポ」にて店内写真が掲載されていました。

(ゲームマシン 1984年2月15日号より)

ゲームマシン誌によれば、PCC常盤とBC高松は共に店舗面積20坪程度で、元々居抜き店舗をナムコが改装の上引き継いだ常盤店に対しBC高松は「店内は明るく清潔」と評されています。80年台当時、ジャスコダイエーといった大型店が軒を連ね煩雑な印象の常磐町商店街に面した常盤店よりも、地元商店が中心の片原町商店街に位置するBC高松の方が落ち着いた雰囲気の店舗だったのかもしれません。

 

しかしスコアの掲載については常盤店閉店よりも早いベーマガ1988年6月号にて一旦ストップします。

 

その後は潜伏をしていたのですが、5年後のベーマガ1993年7月号から店舗名を「プレイシティキャロット高松店」と変え再度掲載が開始されました。

ゲーメストにも1993年8月号にて誌面初登場となりダブル掲載店となります。

マイコンベーシックマガジン 1993年7月号より)

ゲーメスト 1993年8月号より)

ビッグキャロットからプレイシティキャロットへの名称変更の時期は不明ですが、80年台後半~90年台初頭にかけて「ビッグキャロット」「キャロットハウス」の名称がかなりの割合で「プレイシティキャロット」に改められており、その流れに沿ったものと思われます。掲載のなかった期間中もスコアの集計は続けられていたのでしょうか。

 

しかしベーマガは約1年後の1994年9月号を最後に誌面から姿を消しました。

ゲーメストは少々後の1994年10月15日号まで掲載が継続していますが、大きな差異ではありません。掲載終了に関するコメントは両誌共にありませんでした。

マイコンベーシックマガジン 1994年9月号より)

ゲーメスト 1994年10月15日号より)

 

掲載は終了したものの、営業は継続しており2000年の住宅地図でも存在を確認しています。しかしナムコ広報誌「NOURS」No.35 2001年冬号の「全国ナムコ店舗ガイド 高知・愛媛・香川・徳島編」には店舗の記載がないため、2000~2001年にて閉店しているようです。

ゼンリン住宅地図 高松市2000年より)

現在は「細谷ビル」自体が取り壊されており、写真のように矢板で囲われた空き地となっていました。

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年4月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年4月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年6月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年5月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年4月号/トピック店舗:プレイシティキャロット藤塚店(香川県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1991年4月号)

ゲーメスト1991年4月号(第6巻第4号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は92で先月比-2となりました。今月は新規掲載店はありません。

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1991年4月】

ゲーメスト 1991年4月号より)

 

さてこれまで「ビデオゲームパラダイムシフトを起こした1991年登場のあるタイトル」の名前を伏せていましたが、そのゲーム名は殆んどの方が理解されているのではないかと思います。

 

ストリートファイターⅡ(スト2)」です。

 

ゲーメスト誌上では1991年3月号の「てあたりしだいゲームリスト」にて初めて名前が登場していましたが、AOU全日本アミューズメント施設営業者協会連合会:当時)ショーにおける展示前に誌面にて紹介記事が組まれました。

ゲーメスト 1991年4月号より)

当時ゲーメストカプコンの蜜月関係があったとはいえ、発売前から誌面トップに紹介記事を置くほどに力点が置かれており、期待度の高さが窺えます。

 

そして発売後の人気度は30年以上が経過した現在でも良く知られるところですが、ハイスコアの世界においてもいろいろな意味でこのタイトルの影響を大きく受けることになります。

 

トピック店舗:プレイシティキャロット藤塚店

続いてトピック店舗です。

 

前回に引き続き四国のハイスコア掲載店から「プレイシティキャロット藤塚店」を取り上げます。

ゲーメスト 1987年5月号より)

2023年5月2日撮影

 

政令指定都市クラスを除いて、ナムコ系キャロット店舗が同一市内に3軒存在した場所が3箇所あります。山梨県甲府市静岡県静岡市(合併前)、そして香川県高松市です。

 

「プレイシティキャロット藤塚店」は高松市3軒目のキャロットとして誌面に登場しました。市内の他の2店「プレイシティキャロット常盤店」「ビッグキャロット高松」はベーマガの掲載からとなりましたが、藤塚店はゲーメストへの掲載からスタートしています。

 

場所は高松市中心部アーケード街のひとつである田町商店街を抜け、少々南に下った所です。既に紹介したプレイシティキャロット常盤店からは徒歩10分程度の距離です。まだ中心部からは近いですが周辺は雑居ビルと住宅の割合が大きく、人通りも多くはなさそうでゲームセンターがありそうな雰囲気には見えません。

ゼンリン住宅地図 高松市1988年より)

 

1988年の住宅地図にて所在を確認、ビルの名称は当時から変わっていないことがわかります。1階フロアは現在写真のように介護施設となっていました。

 

店舗のオープンは1986年11月とのことです。

当時の店内写真がナムコミニコミ誌「NG」に掲載されていたため、引用させて頂きます。

 

NG掲載の写真は店内から入口側を臨んでいますが、天高や扉の形状が現在の建屋と一致していることが確認出来ます。

 

そして誌面への掲載はゲーメスト1987年5月号からスタートしたため、オープンから半年程度経過しています。

 

その後1989年末から掲載を欠くことが増え、更に1990年5月号からは休載が連続し掲載終了を予感させましたが同年12月号にて店舗欄復活を遂げます。しかし長続きはせず1991年10月号を最後に姿を消しており、二度目の復活は叶いませんでした。

 

またキャロット系店舗にしては珍しくゲーメストのみの掲載店となっており、ベーマガへの記載履歴はありませんでした。

ゼンリン住宅地図 高松市1996年より)

 

閉店時期は不明ですが、1996年の地図ではゲームセンターではあるもののナムコが運営から既に撤退していたことが確認されています。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年3月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年4月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年5月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年5月号