ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1991年12月号)
マイコンベーシックマガジン1991年12月号(第10巻第12号)のハイスコア集計店マップとなります。
掲載店総数は92で先月比-1となります
新規掲載店が3軒あります。
・その他
新宿アシベ(東京都)
ゲームトライ(神奈川県)
ゲームランド(愛媛県)
(マイコンベーシックマガジン 1991年12月号より)
歴史あるライブハウスとして有名な新宿の「アシベ会館」にかつてゲームセンターがあり、ハイスコア掲載を行っていた時期があります。
歌舞伎町の深部に位置しているため、昼間ならともかく夜間に遊びに行くには結構難易度が高かったお店だったのではないでしょうか。
以下スコア欄を掲載します。
【チャレンジハイスコア 1991年12月】
(マイコンベーシックマガジン 1991年12月号より)
今月の注目ゲーム欄のトップを飾るのが「スターブレード」です。
初代ストリートファイターⅡ全盛期に、以後来るべきゲームの3D化において先行していたナムコが投入したスペースシューティングでした。
インパクトのある大型筐体外観と優れた演出で、ほぼストⅡ一辺倒となっていたロケーションにおいて特にナムコ系店舗では目玉商品の位置付けでしたが、
・大型筐体故の流通の悪さ
・納入当初は200円1プレイが標準だったため初プレイのハードルが高い
・連射は装備されておらず、連射しにくいトリガーの形状もあって連射装置が装備されていないとクリアも覚束ない
上記のような要因もあって連射装置を独自に装備した店舗では長期に渡ってプレイヤーが付いたものの、一般的な店舗ではゲームの面白さが理解されないまま撤去に至った事例が多かったのではないかと推察されます。
チャレハイ通信欄でも、プレイシティキャロット駒沢店が1プレイ300円設定だが連射装置を装備することで差別化を図っていますが、流石に300円は躊躇するものの1プレイ200円でも連射が標準装備されていればもっと幅広い層にゲームの良さが伝わっていたのではないかと思います。
トピック店舗:スペースキャンパスステーション/ゲームセンタータイリョウ
トピック店舗は引き続き宮城県の掲載店から「スペースキャンパスステーション」「ゲームセンタータイリョウ」の2軒をピックアップします。
【スペースキャンパスステーション】
(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年9月号より)
2022年9月18日撮影
【ゲームセンタータイリョウ】
(マイコンベーシックマガジン 1986年2月号より)
2022年9月18日撮影
最初に紹介する「スペースキャンパスステーション」ですが、タイトー系の店舗です。
掲載はベーマガ1984年8月号からスタートしましたが、掲載店が一気に40店以上増加したタイミングでタイトー系店舗だけでもここを含めて全国で13店、またプレイシティキャロット仙台店や宮城野原キャロットハウスとも同時の開始となっています。
場所は多数のゲームセンターが立地した仙台駅前及び名掛丁商店街からは離れており、仙台駅から10分程度歩いた商店街である「サンモール一番町」にありました。アーケードは掛かっているものの周辺はむしろオフィス街で、名掛丁商店街とは雰囲気が大きく異なっています。
1986年の住宅地図にて所在を確認しています。
2022年時点で入居していた「実興ビル」は既になく、周辺の小規模な建物と合わせて再開発され1,2階が商業スペースのマンションとなっています。写真ではランニングシューズ店である「SteP」のあたりが実興ビルの場所と思われます。
店舗名だけではタイトー系とは判断出来ないのですが、「ゲームマシン」誌1987年8月15日号にて、同一住所の店舗が「ウィルトークタイトー仙台店」として紹介されています。
(ゲームマシン 1987年8月15日号より)
記事によれば「約2年前に改装と同時に店の名前も変更」とあるため、改装を機にウィルトークの名称に変更されたと思われます。この情報をもとにタイトー系へと分類しています。
ベーマガへのスコア掲載は1984年8月~1986年5月号までなのですが、1987年8月時点で改装から約2年経過していたとなると、ハイスコア掲載中に既に店名が変わっていても不思議ではないのですが、スコア欄は最後まで「スペースキャンパスステーション」のままとなっていました。ゲームマシン誌の改装時期が相違しており実際は改装と合わせて掲載終了となったと考えるのが自然と思われるため要追跡調査となっています。
ゲーメストへのスコア掲載履歴はありませんが、「ランダムピックアップ」コーナーの仙台特集でウィルトーク時代の店舗が紹介されており、当時の店舗入口の写真も掲載されています。
(ゲーメスト 1987年7月号より)
そしてもう1店の「ゲームセンタータイリョウ」ですが、こちらは仙台から30㎞程度南下した阿武隈川沿いの城下町、角田市にありました。
市の代表駅として阿武隈急行の角田駅がありますが、市役所のある中心部からは1㎞程度離れており、その中心部から更に1㎞程南下した市街地の外れが該当住所です。角田城址から近く、周囲は市民会館や学校が位置しており文教地区の佇まいです。
1988年の住宅地図ですが、住所の場所は「大漁つり堀センター」となっています。
角田市は海に面しておらず、何故店舗名が「タイリョウ」だったのか疑問だったのですが謎が解けました。釣り堀に併設されたゲームセンターだったようです。
現在は写真のように釣り堀の形跡は全く残っておらず、周囲の土地も合わせて駐車場と化しています。
バッティングセンター併設のゲームセンターは多数ありましたが、釣り堀というのは珍しいと思います。地図を見ればわかりますが近隣には角田小学校があり、風俗営業法適用以降であれば営業許可が下りなさそうな場所ですが、釣り堀付帯施設として特に問題視はされていなかったのかもしれません。
ベーマガ誌面へは1986年2月号から登場、その後ゲーメストが創刊されるとこちらでも掲載が開始されダブル掲載店となります。
(ゲーメスト 1987年4月号より)
ゲーメスト初回掲載のスコアネームを見ると仙台の著名サークルの名前が多数ありますが、遠征でもされたのでしょうか。
もし鉄道で向かった場合、1987年6月末まで最寄駅である角田駅は旧国鉄の丸森線で、角田駅の本数はなんと1日5本しかありませんでした。
上記サイトに丸森線時代の最後の時刻表が掲載されていますが、この本数では仙台からそれほど離れていないと言え鉄道での訪問は至難の業です。
1987年7月より第三セクターである現在の阿武隈急行となり、本数も1日14本となるのですが、それでも決して便利とは言えず訪問難易度は高かったと思います。さすがに仙台勢の方々は車で向かわれたと思うのですが、実際はどうだったのでしょうか。
裏を返せば、このような地方中小都市でも80年台にはゲームセンターが存在し、かつハイスコア集計まで行なわれていたという事実を表しています。
誌面への掲載はコンスタントに続いていたのですが、ゲーメストが1988年9月号、ベーマガは同年10月号の掲載が最後となっています。ほぼ同時期のため閉店の可能性がありますが誌面へは特にその旨の記載はありませんでした。釣り堀としての情報も探してみましたが特に発見には至っていません。
【前記事】
ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年11月号
ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年11月号
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