小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年4月号/トピック店舗:ゲームプラザ京都オリンピア(京都府)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1992年4月号)

ゲーメスト1992年4月号(第7巻第4号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は90で先月比+1、先月に6店登場していることもあり今月の新規掲載店はありません。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1992年4月】

ゲーメスト 1992年4月号より)

 

栃木県の今市ゲームセンターの店内スコアボード写真が掲載されていますが、ハイスコア全盛期のスコアボードはお店のアイデンティティとも言えるアイテムでした。

 

ホワイトボードに書かれているのみではなく、フォントを統一していたりゲームタイトルロゴがイラストになっていたりすると、店舗のスコアボードに対する意気込みが感じられたものです。

 

ただ90年台に入ってハイスコアから対戦ゲームへトレンドがシフトするにつれ、綺麗なスコアボードを店内で目にすることは次第に少なくなっていった気がします。

 

トピック店舗:ゲームプラザ京都オリンピア

 

トピック店舗は京都府の初期ゲーメスト掲載店から2回目、「ゲームプラザ京都オリンピア」をピックアップします。

 

ゲーメスト 1989年4月号より)

2024年8月11日撮影

 

阪急河原町駅付近の四条河原町交差点付近は京都市随一の繁華街が広がっており、数を大きく減らしてはいるものの現在もいくつかのゲームセンターが営業されています。

 

今回紹介する「京都オリンピア」もその一つですが、かつてハイスコア集計店として履歴が残っている店舗で2024年現在でも営業が継続している貴重な店舗です。

 

場所は京都の観光コースでも定番となっている新京極商店街の中にあります。

四条通り側から商店街を北上し、蛸薬師通りと交差する場所に3軒の店舗が並んでおりそのうちの1軒です。飛行機のオブジェが店舗のシンボルとなっており非常に目立つ存在となっています。

(精密住宅地図 京都市中京区1988年より)

 

1988年の住宅地図にて所在を確認しています。

この時点ではオリンピアに隣接した場所に「三和スターダスト」というゲームセンターとパチスロ店の「モナコ」が存在していますが、1981年の地図においてモナコもゲームセンターだったことを確認しているためかつては3軒のゲームセンターが並んでいたようです。

(ゲームマシン 1985年8月1日号より)

そして1985年8月1日号のゲームマシン誌「全国市街地ゲーム場 京都・河原町」において店舗紹介記事及び当時の店舗外観写真が掲載されています。飛行機オブジェは当時から健在でアイキャッチとして効果を上げていたようです。

 

この時点では店舗運営元が「京都オリンピア」となっていますが、その後こちらはゲームメーカー「ビデオシステム株式会社」の直営店として有名となります。恐らくはビデオシステム社が経営権を取得したものと思われます。

ゲーメスト 1989年3月号より)

 

そしてゲーメストへハイスコアが掲載されたのは1989年4月号からですが、その前月に人材募集、および直営店舗である京都オリンピアの紹介記事が掲載されていました。当時から店舗のシンボルだった飛行機オブジェの色は現在の緑ではなくピンクで、羽の部分に「KYOTO OLYMPIA」、そして中央にビデオシステム社ロゴのVマークのネオンサインが映っています。

 

店舗紹介記事を見ると、直営店ならではのロケテスト実施や、店舗サークルの設立といったゲーマー間のコミュニケーションの場として店舗を盛り上げていこうという意識が当時あったと思われます。ハイスコアの掲載もその施策の一環として開始されたと予想しています。

 

しかし初掲載から4か月後の1989年7月号をもってハイスコアの掲載は早々に中止されてしまいました。

1989年8月号では京都のゲームセンター紹介記事がありますが、地図上に店舗の場所は描かれているものの紹介文は掲載されていません。

ゲーメスト 1989年8月号より)

そのため、1985年以降のタイミングでビデオシステム社が京都オリンピアを取得し直営店とした後に、店舗運営の一環としてハイスコア掲載のようなゲームマニア向けの差別化を打ち出したものの効果が薄かったため中止、取材も受けることもしなかったという線が考えられると思います。

 

確かにただでさえ人通りの多い新京極商店街という最高の立地において、わざわざマニア層を店舗に呼び込む意義は低そうです。

ただゲーメスト誌面に広告記事を出してまでアピールを行った顛末については気になるところではあります。

 

その後ビデオシステム社は2000年以降企業としての活動をほぼ停止しており、京都オリンピアも再び経営権が売却されプリクラ専門店となって現在に至っています。また隣接していた三和スターダスト、モナコは共にガチャガチャ、プライズ、カード系のショップとなっており、いずれも風営法上ではゲームセンターへの分類となっているかもしれませんがビデオゲームの存在は皆無となっています。

 

そして店舗のシンボルとなっている飛行機のオブジェですが、珍しさに加えて非常に多くの人の目に留まる場所故に有名となり、一時は商店街の公式ウェブサイトにも紹介がされるほどでした。 

https://www.shinkyogoku.or.jp/store_info/olympia.html

(リンク切れ)

 

以前は上記リンクにて閲覧ができたのですが、現在はページが削除されているようです。また、2024年時点での新京極商店街振興組合公式ウェブサイト内ではオリンピアの存在は一切触れられていません。

www.shinkyogoku.or.jp

また「京都の人気ガチャガチャスポット」で検索すると、プリクラ専門店のはずであるオリンピアをガチャスポットとして取り上げている記事も存在します。

kyoto-information.com

店名は京都オリンピアで、紹介文も飛行機のオブジェを連想させる文言ですが写真はなぜか隣接している「ハリケーン寺町」を写しています。ガチャガチャ店の紹介であれば店舗名もハリケーンにすればよいと思うのですが…

 

新京極商店街HPから店舗紹介ページが消えていることも含め、なにか複雑な事情を抱えているような気がします。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年3月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年4月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年5月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年5月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年4月号/トピック店舗:ビッグキャロット京都店(京都府)

イスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1992年4号)

マイコンベーシックマガジン1992年4月号(第11巻第4号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

先月号にて掲載店を募集した効果で新たに5店が新規登録されていますが、総数は87で先月比-3とむしろ減少してしまいました。

 

セガ

プレイスポットすーるぽん(東京都

 

・その他

ゲームセンター二和エコー店(千葉県)

 

ゲームパレス(静岡県

 

プレイシティNASA杉本町店(大阪府

 

エグザス(福岡県)

マイコンベーシックマガジン 1992年4月号より)

 

渋谷は山手線高架下にあった「プレイスポットすーるぽん」ですが、セガ系の店舗であることを情報から把握しています。それにしても未だに「すーるぽん」という名称の由来を存じておりません。

 

関西のスコア有力店「プレイシティNASA杉本町」もベーマガへ登場、ゲーメストは1990年10月号から掲載されていたため1年半遅れとなりました。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1992年4月】

マイコンベーシックマガジン 1992年4月号より)

 

ストリートファイターⅡの「乱入対戦台」に続いて「通信台」という表現が登場しました。現在でも設置され続ける「筐体を2台使用して対面(隣接)に配置する」タイプの対戦台がこの頃から登場し、乱入対戦の敷居を大きく下げることによって対戦ムーブが爆発的に拡大することになります。

 

ここから対戦格闘ゲームの「対人対戦」黄金期が始まるのですが、結果的に従来型のタイトルはますます縮小傾向へと向かっていくことになります。

 

トピック店舗:ビッグキャロット京都店

 

ベーマガもトピックを京都に移します。

まずはこの店舗から、ということで「ビッグキャロット京都店」をピックアップします。

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年6月号より)

2024年8月11日撮影

1984年1月号のベーマガオリジナル26店には名を連ねなかったものの、同年6月号から京都府初のベーマガハイスコア掲載店として登録がされました。それからは京都のみならず関西地区における代表的なハイスコア掲載店としてその名を広く知られることになります。

 

場所は京都中心部の河原町通りと今出川通りが交わう河原町今出川交差点の付近で、今出川通りを東に進み鴨川を渡ると京阪・叡山電鉄出町柳駅があります。

写真の「ジョイシティプランタン」ビルの地下1階に店舗は存在していました。

(精密住宅地図 京都府上京区1990年より)


写真を見てもわかるように3階までが店舗となり、4階から上はマンションとなっています。1990年時点でキャロットの存在を確認していますが、ミスタードーナツ及び2階のインドアゴルフについては2024年時点でテナントが存続していることがわかります。

 

1992年頃に一度店舗を訪問したことがあります。

8枚目の地下1階を降りる階段、そして降りた先の9枚目写真の通路部分にキャロットがあった頃の面影を感じました。地下は現在複数のテナントにて使用されていますが元々はキャロットが全フロアを使用しており、階段を下りた先の廊下左手にある現在のダンススタジオのガラス越しに店内や筐体が見えていたことをうっすらと覚えています。

 

店舗オープンは1984年3月12日との情報です。ベーマガへの誌面掲載は1984年6月号からのためほぼ開店当初からハイスコアの集計、掲載を実施していたことになります。

ただビルの定礎は昭和54年(1979年)のため、ビル竣工当初からナムコが入っていたということではなさそうです。

 

そしてゲーメストが創刊されると、1987年1月号からこちらでも掲載を開始しダブル掲載店となります。この頃から90年台初頭あたりまでが特にハイスコア的に店舗の黄金時代と言えそうです。

ゲーメスト1987年1月号より)

 

最終的にゲーメストにおけるトップスコア獲得数である☆を175個獲得した有力店だっただけに、誌面における店舗紹介記事にも度々登場しています。

以下「ランダムピックアップ」の京都特集(1989年8月号)、および「行った!見た!強者どもの店(大阪、京都、愛知、青森、宮城)」(1990年11月号)の抜粋です。当時の店舗内外観や雰囲気の記録が残っています。

ゲーメスト 1989年8月号より)

ゲーメスト 1990年11月号より)

 

また「ゲーム文化保存研究所」の「ゲームセンター聖地巡礼『1980代 京都』前編」においても跡地の訪問や当時の店舗事情について語られています。

igcc.jp

しかし上記igccの記事内に「店長が交代してスコア集計が無くなるなどの方針転換があり、スコアラーがみな一乗寺の『GAME's WILL』に移った」とあるようにゲーメストは1993年5月号をもって掲載を終了しました。6年半程度の掲載期間となっています。

 

最終掲載となった1993年5月号ですが、ちょうど「GAME's WILL」がゲーメスト初掲載となった号であり、店舗欄も上下で隣接していました。新旧交代を象徴するような光景となっています。

ゲーメスト 1993年5月号より)

 

しかしベーマガへの掲載はその後も継続され、最終掲載は1995年5月号となっています。掲載は11年に及びました。1993年5月号以降に特にスコア掲載が停止していた期間がないことから、igccにおける「スコア集計の停止」という表現は必ずしも正しくない可能性があります。

 

正確な閉店時期は確認できていませんが、ナムコが1996年に京都の繁華街である河原町に6階建ての「ワンダータワー京都店」をオープンさせているため、その前には閉店していたことと予想しています。

web1.kcn.jp

こちらは6階にビデオゲームフロアが設けられ、ゲームファンの集客を志向した運営が行われた時期もあったようですがハイスコア集計店として名乗りを上げることはありませんでした。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年3月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年3月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年5月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年4月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年3月号/トピック店舗:ビデオインマツヤ丸太町店/ニューゲームビッグ(京都府)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1992年3月号)

ゲーメスト1992年3月号(第7巻第3号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は89で前月比+2となっています。

今月は一気に6店の新規掲載店が登場しています。

 

セガ

ハイテクセガとやの店&駅前店(新潟県

 

・その他

ゲームセンター101&遊(新潟県

 

アミューズメントスペースハスラー三重県

 

ゲームプラザニューヨーク(神奈川県)

 

ホワイトハウス箱崎店(福岡県)

 

春駒ゲームセンター(佐賀県

ゲーメスト 1992年3月号より)

 

新潟県の「ハイテクセガとやの店&駅前店」ですが、先月まで掲載されている「ハイテクセガ万代」の代替で掲載されたと想像しています。「新潟市花園1-4-6」という住所はJR新潟駅に近接した場所のため、駅前店の住所であろうと思われます。

また「とやの店」については新潟市の郊外に「鳥屋野」という字があることからそのエリアに存在したと思われますが、正確な住所は現時点では確認出来ていません。

 

いずれもこれまで掲載履歴のあるハイテクセガ万代、ハイテクセガ新潟のどちらの所在地にも該当しないため新規店扱いとしています。

 

しかしこの「とやの店&駅前店」での掲載は今号限りとなり、次号からは「ハイテクセガ万代店&駅前店」の掲載となってしまいます。

 

また今回、特に新規店の事前募集告知がされていないにも関わらず一気に掲載店が増加したのですが、「めざせハイスコア」タイトル部分に注釈がありました。

ゲーメスト 1992年3月号より)

 

通算50号(1990年10月号)にて大幅な掲載店の入れ替えが実施された際に、掲載希望を出しておきながら掲載がされなかった店舗があり今回フォローがされたといった所でしょうか。

 

その中でこちらも新潟市の「ゲームセンター101&遊」は、ベーマガではそれぞれ店舗欄を持っていましたがゲーメストでは合同集計として登場しています。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1992年3月】

ゲーメスト 1992年3月号より)

 

今月のスコア欄をめくると違和感があったのですが、ページの配置が間違っています。

 

106ページまでは良いのですが、107ページが106ページ末尾が神奈川県の店舗なのに対していきなり大阪府へ飛びます。しかもトップスコア欄の「君こそゲーメスト」は「その2」です。

一方「その1」は109ページに存在しているため、恐らくは107ページと109ページが入れ替わっているのですが、ルビはこの順番のため敢えてそのままアップしています。


トピック店舗:ビデオインマツヤ丸太町店/ニューゲームビッグ

 

トピック店舗は山梨から場所を変え、京都を取り上げます。

最初は「ビデオインマツヤ丸太町店」「ニューゲームビッグ」の2店をピックアップします。

 

【ビデオインマツヤ丸太町店】

ゲーメスト 1986年11月号より)

2024年8月11日撮影

【ニューゲームビッグ】

ゲーメスト 1987年1月号より)

2024年8月11日撮影

京都は学生の街でもあり、伴ってゲームセンターが多数立地していた場所でもあります。

最初に紹介する2軒はゲーメスト最初期において京都市内にてハイスコアを掲載していた店舗です。

 

「ビデオインマツヤ丸太町店」は、京都駅から東へ延び地下鉄も走る烏丸通りと、南北方向に走る丸太町通りの交差する烏丸丸太町交差点の付近にありました。地下鉄烏丸線丸太町駅が最寄となっています。交差点から北東方向には京都御所の敷地が広がっています。

(精密住宅地図 京都市中京区1988年より)

交差点に面して1階がマクドナルドとなっている「アオキ書店ビル」が現在も存在していますが、その隣の建物に「ビデオインマツヤ」を確認しています。2024年時点ではラーメン店になっています。

 

ゲーメスト誌面には1986年11月号から登場し、京都府初のゲーメスト掲載店となりますが、それ以前にアミューズメントライフ誌及びベーマガでの掲載履歴があります。

アミューズメントライフ 1984年8月号より)

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年10月号より)

アミューズメントライフ誌は1984年8月号における単発での掲載。店名が「ビデオインマツダ」となっていますが住所は一致しているため店舗名の誤植と判断しています。

 

またベーマガへは1984年10月号から誌面に登場しています。メーカー系店舗以外ではかなり早くから掲載が開始されていた歴史あるお店です。ゲーメストへの掲載をもってダブル掲載店となります。

 

しかし先行していたベーマガへの掲載は1988年2月号をもって終了、その後はゲーメストの単独掲載店となりますが、ゲーメストでも1988年は3,5,7~9月号において休載を発生させており、この頃は若干不安定な時期だったのかもしれません。

 

その後、ゲーメスト1989年8月号の地域店舗紹介記事「ランダムピックアップ」の京都編にて店舗が取り上げられています。

ゲーメスト 1989年8月号より)

 

当時の店舗内外観の貴重な写真が掲載されていますが、いかにも昔のゲームセンターの出で立ちを彷彿させています。記事内にもあるように改装が予定されていたようで、1989年9,10月は店舗欄を欠いていたことからこの期間にて改装が実施されたものと思われます。改装後の店舗内外観が記録された資料は発見に至りませんでした。

 

そして1990年12月号をもって誌面への掲載をストップしています。ベーマガ3年半、ゲーメスト4年、トータルでは約6年の掲載期間となりました。閉店は1990年台末という情報を発見しています。

 

そしてもう一軒の「ニューゲームビッグ」ですが、こちらは京都市郊外の左京区叡山電鉄一乗寺駅前から延びる通りに面していました。駅を出て通りを西方向へ向かうと程なく跡地に辿り着きます。

(精密住宅地図 京都市左京区1988年より)

 

1988年の住宅地図で所在を確認しています。周辺店舗の構成は変わっていますが、当時から付近は日常使いの商店と宅地が広がっていたようです。

 

現在一乗寺付近はラーメン店が林立し「一乗寺ラーメン街道」と呼ばれ京都随一のラーメン店激戦区として有名になっています。

kyoto-kanko.net

 

こちらもランダムピックアップの京都編にて店舗が取り上げられています。

ゲーメスト 1989年8月号より)

こちらは店舗外観の写真がありました。

 

2024年現在は写真のように鉄板焼き店となっていますが、この1フロアだけだとさすがに狭すぎると現地では思ったものの、2階にもフロア展開されていたことが記事から明らかになっています。2階の窓の形状で現在も建屋はそのままであることが確認出来ます。「向かいの古本店」は既になく、洒落た食堂となっていました。

ゲーメスト 1989年8月号より)

 

ちなみに記事内ではバスで向かったように記載されていますが、当時の誌面に掲載されていた京都周辺交通図を見ると叡山電鉄が孤立しており、まだ京阪鴨東線(三条~出町柳)が未開通だったことが分かります。鴨東線の開通は1989年10月5日のため、この記事が執筆されたのは開業数か月前。その頃は一乗寺へはバスでアプローチする方が便利で、叡山電鉄を使用する選択肢はあまりなかったのかもしれません。鴨東線開業までは駅前とはいえアプローチはあまり良くなかったものと思われます。

 

誌面へは1987年1月号と「ビデオインマツヤ」の次号から掲載されています。こちらはベーマガへ掲載されることはありませんでした。最終掲載は1990年8月号となっています。閉店時期は判明していません。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年2月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年3月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年4月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年4月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年3月号/トピック店舗:プレイシティキャロット甲府中央店(山梨県)

イスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1992年3号)

マイコンベーシックマガジン1992年3月号(第11巻第3号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は先月比+1の90となり90台を回復しています。

新規掲載店ですが、愛知県の「キャノン最前線」がゲーメストに続き岡崎市の住所で掲載されるようになったため新規店扱いとします。

 

・その他

キャノン最前線(愛知県)

マイコンベーシックマガジン 1992年3月号より)

 

ゲーメストでは1991年10月号から岡崎市の住所に変更となりましたが、ベーマガは1992年1月号までは名古屋市の住所にて掲載されていました。今月で両誌共に住所は岡崎市で統一されましたが名古屋の店舗が閉店したわけではなく、実質合同集計となっていたと思われます。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1992年3月】

 

マイコンベーシックマガジン 1992年3月号より)

 

コーナー末尾にチャレハイ参加店募集の案内が掲載されています。1991年3月号以来となります。

 

1991年は90~100店の範囲で推移していた店舗数ですが92年に入ると90を割り込み、再度募集がなされています。

ゲーメストは1年未満で掲載を終える店舗が少なかったのに対しベーマガは短期での掲載終了が結構な頻度で発生しており、伴って掲載店募集も度々行われることになります。


トピック店舗:プレイシティキャロット甲府中央店

トピックは甲府市のキャロット系店舗から3店目、「プレイシティキャロット甲府中央店」をピックアップします。

マイコンベーシックマガジン 1986年3月号より)

2024年7月13日撮影

甲府市中心市街地にある岡島百貨店前から旧甲州街道国道411号)を東に向かうと程なく跡地に到着します。住所は中央町ですが、商店街を抜けた場所にあり周囲は事務所の方が多いという場所です。

ゼンリン住宅地図 甲府市1987年より)

 

1987年の住宅地図にて存在を確認しています。店舗背後のNTT甲府電報・電話局が2024年時点でも健在のため特定しやすい場所になります。ただ周囲は更地となっている箇所が多く、この建屋のみが取り残されている風情です。

 

この店舗、2005年頃に仕事で甲府の町中を歩いていた時に偶然跡地を発見したのですが、その時には店舗の壁面(恐らく5枚目写真の箇所)に「PLAY AND GAME」の文字とキャロットの人参マークを消した跡がハッキリと残っており、店舗調査した際に残っていることを期待したのですが残念ながらその形跡はありませんでした。

 

誌面への掲載は1984年からスタートした甲府市内の他の2店より遅れて1986年3月号から開始されました。そのため他の2店より後にオープンした可能性があります。掲載をしていなかっただけかもしれませんが...

 

繁華街はすぐそこにあるのに微妙に距離を外した場所に店舗を構えるのは当時のナムコの出店方針が現れている印象です。岡島百貨店内にもナムコは店舗を持っていたため、自社競合を避ける意味合いもあったのかもしれません。

 

さてこれまで紹介してきた甲府市内のキャロット3軒ですが、ベーマガには単独で各店舗欄を持っていたもののゲーメストでは合同集計の体裁を取っていました。

ゲーメスト 1987年1月号より)

 

こちらの住所は当時のナムコ甲府事務所となっています。

事務所の住所も調査をしてきました。

2024年7月13日撮影

ゼンリン住宅地図 甲府市1987年より)

 

甲府市の市街地から東へ進み、山梨の景勝地である昇仙峡から流れ出る荒川を渡った場所になります。1987年における機山工業高校は現在は甲府城西高校と名前を変えています。建物はナムコが使用していた時から変わっていないと思われます。

 

そして備考欄にスコアが出された店舗名が記載されていますが、その中に「大丸富士見」の文字が見えます。

こちらはベーマガでも「富士見店」の名称で甲府中央店の備考欄にて登場しています。

マイコンベーシックマガジン 1987年1月号より)

 

住所情報等が一切無いため、「大丸 甲府」で検索してみると、甲府市及び近郊のパチンコ店及びボーリング場である「DAIMARU」がヒットします。

 

しかし現在の甲府市富士見町、もしくは富士見通り沿いにそれらしき施設は見当たらなかったため、以前存在したパチンコ店もしくはボーリング場併設のゲームコーナーだったのではないかと思われますが、当時の地図までは確認していないため要追跡となっています。

 

そしてゲーメストは1990年8月号をもって掲載終了となりました。

丁度掲載店の入れ替えでナムコ系店舗が大幅にゲーメスト誌上から姿を消した時期と重複しますが、朝日町キャロットがベーマガから姿を消したのが1990年8月号のため、合同掲載の解消に伴い誌面への掲載を停止したと考えるのが自然と思われます。

 

一方の甲府中央店は朝日町、善光寺が1991年までに次々とベーマガ誌面から姿を消す中で掲載が継続され、最終的には1993年8月号までの掲載を確認しています。閉店時期は不明ですが1996年の住宅地図には既に店舗は存在していませんでした。

 

最後に甲府市内のナムコ系キャロット店舗3店の位置関係を記した地図をアップします。

近隣にキャロットが存在せずその存在を知ることの叶わなかった地域が多数ある一方で、人口20万の都市にこれだけキャロットが密集していた甲府市はとても贅沢な場所だったと思わずにはいられません。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年2月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年2月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年4月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年3月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年2月号/トピック店舗:西銀座ゲームプラザ→電脳空間遊ing(山梨県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1992年2月号)

ゲーメスト1992年2月号(第7巻第2号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は87で先月比+1、今月も新規店はなく4か月連続で無しとなっています。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1992年2月】

ゲーメスト 1992年2月号より)

 

カプコンの「キャプテンコマンドー」がヒットゲームランキングに登場するのですが、出回りがとても少ないとのコメントがあります。

 

個人的にそこまで出回りが悪かった印象はないのですが、ストⅡと同一の基板を使用していただけに「キャプコマを入荷するならストⅡを増台した方が店が儲かる」という時期であったことは間違いなく、自社競合により流通が少なくなってしまったということであればストⅡ大ヒットにおける被害と言えなくもありません。

 

また、今号のハイスコア通信欄に気になる記述がありました。

ゲーメスト 1992年2月号より)

 

石川県の「ウィルトークタイトー金沢店」ですが、ファミコンSHOP「SHOP TAITO」オープンとあります。

 

タイトーが以前に通信カラオケ事業を行っていたことはあまりにも有名ですが、家庭用ソフトショップを手掛けていたことは初めて知りました。店舗業務複合化の一環だったのかもしれませんがここ以外に店舗は存在したのでしょうか。


トピック店舗:西銀座ゲームプラザ→電脳空間遊ing

トピック店舗は引き続き甲府市ゲーメスト掲載店から「西銀座ゲームプラザ→電脳空間遊ing」をピックアップします。

 

ゲーメスト 1990年11月号より)

2024年7月13日撮影

甲府市の中心街に位置していた店舗ですが、ここはまず当時の住宅地図から見て頂きたく思います。

ゼンリン住宅地図 甲府市1990年より)

 

繁華街の春日モールから折れたエル西銀座に面している松木田ビルの1階に店舗を確認しているのですが、この場所先月のトピック店舗で見覚えがありませんでしょうか。

ゼンリン住宅地図 甲府市1987年より)

 

先月紹介したニュースターグループ店舗のうち、「ゲームプラザ」と思しき店舗が松木田ビルの対面にあります。

1988年の同一場所地図もアップします。

ゼンリン住宅地図 甲府市1988年より)

 

この時点で1987年に存在したゲームプラザはパチンコ店となり消失、また松木田ビル1階にも西銀座ゲームプラザの文字がないため、「元々向かいにあったゲームプラザが移転の上『西銀座ゲームプラザ』となった」ということではなさそうです。

 

2024年現在でも写真のようにビルは健在でしたが、松木田ビルの名称は確認出来ませんでした。1階は市街地のゲームセンター跡地にありがちなガールズバーとなっています。

 

誌面への掲載はベーマガから開始されました。ゲーメストの1990年11月号に対し、ベーマガは1989年10月号からと1年程度先行していました。

マイコンベーシックマガジン 1989年10月号より)

初回掲載時のチャレハイ通信欄に「オープン1周年記念」とあるため開店は1988年だったようです。

 

ただ先行したベーマガは1991年4月号にて一度掲載を終え、以降しばらくはゲーメストの単独掲載店となりますが、6年近くも間を置いた1997年1月号にてベーマガへの掲載が復活、再度重複掲載店となるに至ります。

マイコンベーシックマガジン 1997年1月号より)

 

その後はゲーメストは1997年11月30日号、ベーマガは同12月号まで掲載された後、移転の上店舗名を「電脳空間遊ing」と改め掲載は継続されます。

ゲーメスト 1997年12月30日号より)

 

1987年の住宅地図にダイエー甲府店が見えますが、そのダイエーが業態変更したトポス甲府店の向かいに移転しています。旧店舗からは徒歩5分も離れていない場所です。

2024年8月10日撮影

ゼンリン住宅地図 甲府市1998年より)

 

1998年の住宅地図では、トポス甲府店の向かいにある「甲宝ビル」内に「遊ing」の表記を確認しています。写真は現在の甲宝ビルですが、定礎が平成9年(1997年)のため1997年に移転したという情報の裏付けとはなっています。

2024年8月10日撮影

ゼンリン住宅地図 甲府市2000年より)

しかし2000年の住宅地図においては、甲宝ビルとパチンコ店「春日天華」に挟まれた別の建物に遊ingがあるような表記となっており、現地を確認すると写真のようにこの区画の部分が春日天華の場所も含めて駐車場となっていることが分かります。

 

そのため遊ingが甲宝ビルの中にあるという1997年の住宅地図は表記ミスで、実際には甲宝ビルに隣接した別の建物内に存在したというのが真相ではないかと想像しています。間違い等ございましたらご指摘を頂きたくお願い申し上げます。

 

なお移転後にゲーメストへの誌面掲載を1998年4月30日~6月30日号と3か月連続で欠くのですが、店舗欄がないにもかかわらず個人申請ではない全国トップスコアが店名入りで掲載されているため店舗からのハイスコアは確認されていた形跡があります。

 

これがお店やプレイヤーの不興を買ったのか、ゲーメストは1998年8月30日号をもって掲載終了、以降は再びベーマガ単独掲載店へと戻りました。ベーマガへの掲載はチャレンジハイスコアの最終掲載である1999年3月号まで続いています。その後アルカディアへ引き継いで掲載されることはありませんでした。

 

結局ベーマガゲーメストトータルでは10年近く掲載を続けたこととなります。甲府市内の3軒のキャロットが90年以降順次誌面掲載を縮小する中、山梨県における代表的なスコア掲載店の地位を確立していた店舗だったと思います。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年1月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年2月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年3月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年3月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年2月号/トピック店舗:善光寺キャロットハウス→プレイシティキャロット善光寺店(山梨県)

イスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1992年2号)

マイコンベーシックマガジン1992年2月号(第11巻第2号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は89店で前月比-3、1991年2月号以来再び90店を割り込んでしまいました。新規掲載店は先月に続いてありません。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1992年2月】

マイコンベーシックマガジン 1992年2月号より)

 

ゲーメストの「ハイスコア通信」と比較すると、ベーマガの「チャレハイ通信」の方がコメントを寄せる店舗数が多いのは老舗の貫禄でしょうか。どちらのコーナーも当時のゲームや店舗の状況が伺える貴重な資料となっています。

 

そのハイスコア通信欄に今回初めてストリートファイターⅡの「乱入モード」という表現が現れました。

 

ストⅡシリーズの対戦は筐体を2台使用した「乱入対戦台」の登場でその後広く普及することになりますが、この時点ではまだそこまでは至っておらず、「その台でプレイしていれば遠慮なく隣で乱入しても良い」というレベルのものだったのではないでしょうか。

 

ただ大会等のイベントは別として、プレイしている人の隣でいきなり乱入するのはこの頃はまだ気が引ける時期だったと思います。

 

トピック店舗:善光寺キャロットハウス→プレイシティキャロット善光寺

トピックは前回に引き続き山梨県甲府市ナムコ系キャロットから「善光寺キャロットハウス→プレイシティキャロット善光寺店」をピックアップします。

 

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年9月号より)

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2020年3月20日撮影

 

甲府市内のナムコ系キャロット店舗としては朝日町キャロットハウスに次いで2番目に誌面への掲載が開始されました。

 

場所は甲府の市街地から東へ外れており、最寄りの善光寺駅甲府駅から2つ目の1時間に1~2本程度しか停車しないローカル線身延線の駅です。

 

付近を通る現在の国道411号は旧甲州街道で、城下町の旧街道沿いらしく店舗や住宅が並んでいますがキャロットの場所は国道には面しておらず、現地を見ると「本当にこの場所で間違いないのか?」と思わざるを得ない雰囲気となっています。

 

そして店舗住所は当初「甲府市善光寺町」としか記載されていなかったのですが、1984年11月号から地番まで記載されるようになりました。

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年11月号より)

 

この「善光寺町1-18-16」という地番ですが、現在の地図では該当する住所は存在しません。「善光寺1丁目18-16」であれば住所がヒットし、また当時の住宅地図においてもこの住所で店舗の存在が確認されています。

ゼンリン住宅地図 甲府市1987年より)

 

住所の場所に残っている建屋は健康食品会社が退去した跡地で、見る限り事務所用の構造で店舗として使用されていたようには見えないものの、この建屋で間違いないとの情報を頂いています。ただ駐車場入口の門扉部分は建屋と比較して新しいため、ここだけは手が加えられているように思います。

 

定礎があれば建築時期が把握できたのですが見当たらず、写真の建屋がいつからここに存在しているのかは不明です。

 

誌面への掲載はベーマガ1984年9月号から開始されました。

1990年8月号まで一度も休載を挟むことはありませんでしたが、同年9月号で初の休載となり、その後12月号にて店名が「プレイシティキャロット善光寺店」へ変更されています。

マイコンベーシックマガジン 1990年12月号より)

ただ変更直後の1991年1,2月号に再度休載となった後、3月号に掲載された際には「善光寺キャロットハウス」に店名が戻ってしまいました。そしてこの号を最後に掲載はストップします。

マイコンベーシックマガジン 1991年3月号より)

 

店名変更は改装と合わせて実施されることがほとんどですが、特に誌面に告知はなくまた変更に伴う休載期間もないことから、プレイシティキャロット表記が誤植の可能性も考えられます。情報をお持ちの方は是非ともコメントをお寄せ願います。

2024年7月13日撮影

 

そして最初の跡地訪問から4年後の2024年7月に再訪したところ、以前の建屋はそこにはなく写真のアパートに変貌していました。これでキャロットとしての面影は完全に消失するに至っています。

 

補足:記事リライト前のゲーメスト1988年7月号のエントリーの際に善光寺キャロットハウスについてコメントを頂いておりましたが、リライトに伴いコメントと記事の内容が合わなくなってしまったため当該コメント非表示とさせて頂いております。誠に申し訳ございません。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年1月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年1月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年3月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年2月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年1月号/トピック店舗:ニュースターグループ(山梨県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1992年1月号)

ゲーメスト1992年1月号(第7巻第1号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は86となり先月比-1、新規掲載店は3か月連続で無しとなっています。

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1992年1月】

ゲーメスト 1992年1月号より)

 

連射装置の有無別やキャラ別集計対応が始まると、ニューゲーム登場の際に対象タイトルにおける集計方法についてプレイヤーが疑問に思うのは当然で、ゲーメストでは専用ホットラインを設けて店舗やプレイヤーからの質問に回答していました。

ゲーメスト 1991年12月号より)

ゲーメスト 1992年1月号より)

 

先月号から告知されていたのですが、ホットラインなのに電話番号の記載が無かったというゲーメストらしいご愛敬。

 

また永久パターンや怪しいスコア情報(要はウソスコアの密告)も受け付けるとあります。実はこちらの方が重要だったんじゃ…おっとこんな時間に誰か来たようだ。

 

トピック店舗:ニュースターグループ

ゲーメストもトピック店舗を山梨県に移します。

 

甲府市内に複数店舗を展開していた「ニュースターグループ」をピックアップします。

ゲーメスト 1986年9月号より)

2024年7月13日撮影

こちらはハイスコア欄で目立ったスコアを輩出していたということはなかったものの、初期のゲーメストにおけるスポンサーとして誌面への露出が多かったため、ゲーメスト創刊直後の読者であれば山梨県民ではなくともその店舗名に聞き覚えがあるのではないかと思います。

 

「めざせハイスコア!」コーナーに初めて店舗欄が登場したのが1986年9月号なのですが、店舗運営会社社長へのインタビュー記事も同時に掲載がされています。

ゲーメスト 1986年9月号より)

まだゲームセンターが社会悪として認知されていた時代、特にゲーメスト誌はそのイメージを払拭すべく努力している店舗へのインタビューや、プレイヤーへの啓蒙活動、そして懸賞論文のようなプレイヤー側の意見表明の場を誌面上に度々設けていました。

 

この記事を契機として、以後ニュースターグループはハイスコア店舗欄とは別に、誌面内へスポンサーとして広告記事を掲載するに至ります。

ゲーメスト 1987年9月号より)

こちらの広告に本社住所として「甲府市城東2-10-22」の記載がありますが、ハイスコア欄の住所も当初は本社住所となっていました。

ゼンリン住宅地図 甲府市1987年より)

 

1987年の住宅地図でも該当住所に(有)ニュースターの文字がありますが本社所在地であり、現在は写真のように普通の住宅です。掲載当時からこの場所は店舗ではなかったと思われます。

 

そしてハイスコア店舗欄に「ニュースターグループ4店」とあるように、4店の店舗網をもってスコア掲載が行われていました。

1987年9月号の広告欄に「ニュースターグループ:ニュースター ゲームプラザ 上高地 京王」と記載されていますが、この4店がグループ店舗名称だった模様です。

 

その4店のうち、実質本店のような扱いだったと思われる「ニュースター」については、1991年7月号から店舗欄が「ハイテク遊園ニュースター」へと変わった際に店舗住所が記載されるようになったため、正確な場所を特定できています。

ゲーメスト 1991年7月号より)

ゲーメスト 1992年1月号より)

2024年7月13日撮影

ゼンリン住宅地図 甲府市1987年より)

 

1991年7月号のスコア欄から住所が「甲府市中央5-20-16」へと変わっていますが、この住所は該当する地番がなく、また近い住所にもゲームセンターが存在した形跡がありません。

 

1992年1月号から「甲府市国母5-20-16」へと住所が変更になりますが、こちらの住所では住宅地図にて「ゲームセンターニュースター」の存在を確認しています。「5-20-16」という地番が同一のため、町名の国母を誤って中央と表記していたのではないかと考えられることから、「国母5-20-16」をニュースターの所在地として扱うことにします。

 

ゲーメスト1986年9月号のインタビュー記事内に店舗外観の写真がありますが、店舗の周囲にはファーストフードやファミレス等のテナントが集合、隣接地にパチンコ店も含まれる郊外型のロードサイド店舗だったようです。現在は周辺テナントも全て取り壊され写真のように洋服の青山、およびしゃぶしゃぶ店のゆず庵となっており当時の形跡は一切残っていません。

 

店舗スコア欄についてはニュースター単独に移行した後も淡々と継続し、ゲーメスト誌が休刊となる前の実質最終号である1999年9月30日号まで維持し続けました。ゲーメストのハイスコア欄の歴史である13年に渡る掲載期間はプレイシティキャロット松本店と並んで最長となっています。その後アルカディア誌において店舗欄が復活することはありませんでした。

 

その後2005年頃に仕事で付近を通った際にはまだ営業されていたのですが、その頃は近隣に大型の郊外型ゲームセンターがオープンしておりこちらの外観からは場末感が感じられた覚えがあります。最終的にいつまで営業が継続していたのかは不明です。

 

その他の3店については店舗住所が一切記載されていないのですが、調査の結果「ゲームプラザ」「上高地」の2店についてはこちらと思しき場所を発見しました。

 

【ゲームプラザ】

2024年7月13日撮影

ゼンリン住宅地図 甲府市1987年より)

 

甲府市の中心街にある岡島百貨店前より南方向に延びる繁華街の春日通りから1本入った場所に「甲府ゲームプラザ」を発見しています。

現在はマンションとなっている旧ダイエー甲府店跡地の裏手になります。

 

現在は建物もなく駐車場となっています。

1990年の住宅地図では同一箇所に既にゲームプラザの表記はありませんでした。

 

上高地

2024年7月13日撮影

ゼンリン住宅地図 甲府市1987年より)

 

甲府駅前のロータリーに面した場所に発見しています。

1階がパチンコ店で2階がゲームセンターという昔は良く見かけた構成。

 

隣接した山交百貨店ヨドバシカメラに変わり、ロータリーも形状が変更になっていますがこの一画の建屋の並びは変わっていないようで、現在は写真のように1,2階は居酒屋、上層階はカラオケ店となっています。

 

なお「京王」店については店舗場所の特定に至りませんでした。

ご存知の方がいらっしゃいましたら情報をお待ちいたしております。

 

また、ゲーメスト1988年3月号から6月号に掛けて、ハイスコア欄の店舗名が「ニュースターグループ5店」となっています。

ゲーメスト 1988年3月号より)

 

こちらはゲーメスト1988年4月号のめざせハイスコア内広告欄にて、新店である「ゲームセンター・スターライト」の紹介記事が掲載されており、こちらが集計店舗に追加されたことによるものです。

ゲーメスト 1988年4月号より)

2024年7月13日撮影

ゼンリン住宅地図 甲府市1988年より)

 

こちらは広告内に店舗住所が掲載されたため場所の特定に至っています。

住所の場所は現在ファミリーマートと和菓子店の本社となっていますが、4枚目写真である和菓子店の入口及び駐車場部に建物基礎跡のようなコンクリート地肌とタイルの跡が残されており、この場所がもともとスターライトの入口だったのではないかと推察します。

 

ただこちらのスターライトはあまりスコアを集計する意義が見いだせなかったのか、僅か4か月で離脱し元の4店合同へと戻っています。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年12月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年1月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年2月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年2月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年1月号/トピック店舗:朝日町キャロットハウス(山梨県)

イスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1992年1号)

マイコンベーシックマガジン1992年1月号(第11巻第1号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店数は先月比±0で92のまま。

新規掲載店は無いのですが、栃木県の「今市ゲームセンター」が1988年2月号の掲載以来ほぼ4年振りに復活掲載を果たしています。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1992年1月】

マイコンベーシックマガジン 1992年1月号より)

 

当時のアーケードゲーマーにとって「フェリオスナムコ)と並んでデモを見ることが恥ずかしい」と言われた「ゼクセクスコナミ)」が注目タイトルのトップを飾っています。

 

正統派横スクロールシューティングにおいて80年台後半はトップポジションを堅持したコナミでしたが、特に「グラディウスⅢ」が永久パターンや無敵技発覚でケチが付いてしまったこともあり巻き返しを図るべく、当時最高峰のグラフィックと声優を起用したデモ演出等を引っ提げ送り出されたタイトルで、関係者の期待値も相当に高かったのではないでしょうか。

 

しかし結果はあまり芳しくなかったと思われます。

既にベルトスクロールアクションゲームの隆盛やストリートファイターⅡの大ヒットで、正統派の横スクロールシューティングゲームが受け入れられる余地はあまり残されてはいませんでした。

 

今号のチャレハイ通信における「ゲームプラザセントラル日吉店」の欄に「ゼクセクス3台入荷」とありますが3台稼働していた店舗を私はこれまで見たことは一度もありません。正直店舗は営業的にかなり痛い目にあったのでは、と今更ですが心配になります。


トピック店舗:朝日町キャロットハウス

トピック店舗は場所を山梨県へ移します。

 

甲府市内のナムコ系キャロットより「朝日町キャロットハウス」をピックアップします。

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年3月号より)

2024年7月13日撮影

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2020年3月20日撮影

 

最盛期にはナムコ系キャロットだけで市内に3軒の店舗を構えていた甲府市は、甲府駅の南側に山梨県庁、甲府市役所といった官公庁や中心市街地があることから駅南口が玄関の趣になっていますが、朝日町は裏手の甲府駅北側に位置しています。

 

その朝日町を南北方向に横切る朝日通りの沿道に店舗はありました。

甲府駅からは徒歩で10分程度の距離ですが、3軒あったキャロットの中では最も甲府駅から近い場所となっています。付近は住宅街で地域密着型商店街の趣ですが徒歩圏内に山梨大学があり、学生の来店が見込める場所だったのかもしれません。

ゼンリン住宅地図 甲府市1987年より)

1987年の住宅地図です。店舗に面している朝日通りは現在は時間帯北向き一方通行となっていますが、当時は対面通行たっだようです。

 

現在も建屋は当時のままのようで、キャロットのあった1階は訪問看護事業者の事務所となっています。

建物2階部分にある瓦屋根を模した造作はここ以外でも星が丘や経堂といった他のナムコ系キャロット店舗でも確認されており、当時のナムコが店舗の外装にて良く採用していたのではないかと想像しています。

 

スコア掲載はベーマガオリジナル26店にはノミネートされなかったものの、最初に掲載店が増加した1984年3月号からスタートしました。

その後1989年9月号まで一度も店舗欄を欠くことはありませんでしたが、10~12月号にて初めて3か月に渡る休載が生じます。

 

マイコンベーシックマガジン 1990年7月号より)

 

その後1990年7月号のハイスコア通信欄に近日改装の告知があり翌8月号が最終掲載となっていることから、恐らくは改装を機にスコアの掲載をストップしたと思われます。閉店時期は不明です。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年12月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年12月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年2月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年1月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年12月号/トピック店舗:ゲームランドキンコンカン/プレイランドアタック→ゲームランドアタック(宮城県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1991年12月号)

ゲーメスト1991年12月号(第6巻第12号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店数は87となり先月比-6と大きく減少。1991年は2,6,12月が87店でミニマムとなっています。新規掲載店は先月に引き続きありません。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1991年12月】

ゲーメスト 1991年12月号より)

 

ハイスコア通信欄に「古いゲームはいつごろまで集計するのか」という質問が寄せられており、それに対する編集部の回答があります。

 

担当者が担当してからのゲームについてはチェックがされており最も古いタイトルはSDI(1987年/セガ)が目安で、それ以前のタイトルについては「バイオのギネス(仮称)」に登録しているとのことですが、ここで唐突に「バイオのギネス」のコーナー名称が登場しました。

ゲーメスト 1988年11月号より)

 

3年前に上記にて集計開始が告知されたものの、全く動きがなくボツ企画と認識していたのですが、データベースとして作成がされていたのでしょうか。

 

そして今号以降において企画の開始やデータベースの公開は実施されなかったと思われます。もしデータベースが残っているようであれば何らかの形で公開されることを望みたいですが、権利等の問題もあり難しいのかもしれません。

 

トピック店舗:ゲームランドキンコンカン/プレイランドアタック→ゲームランドアタック

トピック店舗は再び仙台市内のゲーメスト掲載店へと戻ります。

「ゲームランドキンコンカン」「プレイランドアタック→ゲームランドアタック」の2軒をピックアップします。

 

【ゲームランドキンコンカン】

ゲーメスト 1987年9月号より)

2022年9月18日撮影

 

【プレイランドアタック→ゲームランドアタック】

ゲーメスト 1991年7月号より)

2022年9月18日撮影

 

仙台駅付近に集中していた仙台市のハイスコア集計店舗ですが、既に紹介している「ゲームコーナーロム」以外に仙台駅前以外の場所に存在していたゲーメスト掲載店が今回紹介する「ゲームランドキンコンカン」と「プレイランドアタック→ゲームランドアタック」の2店です。

 

「ゲームランドキンコンカン」は仙台駅から地下鉄南北線で2つ目、愛宕橋駅が最寄です。最も近い駅出口からは200m程度とアクセスは良く、また東北大や東北学院大学から比較的近いとあって学生客が主体だったようです。

ゼンリン住宅地図 仙台市若林区1990年より)

 

1990年の住宅地図となります。地下鉄愛宕橋駅から右下に延びる道路は当時は国道4号でしたが現在は指定を外れています。店舗前の道はそこまで狭くは無いものの一方通行で、駐車場もなさそうなため車での来店は不向きそうです。

 

ゲーメスト誌面への掲載は1987年9月号からスタートしました。特に大きな休載期間もなく順調に掲載を重ねつつ迎えた1992年5月号から店舗名が「ゲームランドキンコンカン&ドリーム」へ変更となっています。

ゲーメスト 1992年5月号より)

ここから合同集計となった「ドリーム」ですが、仙台駅付近に存在した「ゲームセンタードリーム」が該当すると思われます。

ゲーメスト 1993年11月号より)

 

この合同集計は1993年10月号まで継続しましたが、翌11月からはゲームセンタードリームの単独掲載となりました。そのためキンコンカンとしての掲載は約6年となっています。合同掲載期間中は一度もゲームセンタードリームの住所が掲載されたことはありませんが、推移から「ドリーム」は「ゲームセンタードリーム」のことを指しているものとして扱うこととします。

 

またトピック店舗は合同集計店を同一記事で紹介することが基本ですが、「ゲームセンタードリーム」については合同解消後も長期掲載となっているため、改めて単独でトピックとして取り上げることにします。

 

ちなみにキンコンカンは、ゲーメスト1993年10月号の誌面内「〇ゲ屋宅急便」コーナーの東北ツアーにて訪問履歴があり、記事として取り上げられていました。

ゲーメスト 1993年10月号より)

 

ここで営業時の貴重な店舗写真が掲載されていますが、合わせて「数日後には閉店してしまう仙台のキンコンカン」とのタイトル補足があり、既に閉店間近だったこととなります。ハイスコア欄がドリームのみとなったのはこの翌月からのため、単独掲載へ移行した理由がキンコンカンの閉店だったことが判明しています。

 

そして跡地は現在アパートとなっています。建物名で調べたところ竣工は2011年10月とのことで築10年を超える程度ですが、1993年の閉店後から現在のアパートに建て替えられる間の跡地がどうなっていたのかは不明です。現在の建物も間口が狭くかつ長い奥行きとなっており、当時の店舗形状を慮ることが出来ます。

 

そしてもう一方の「プレイランドアタック→ゲームランドアタック」ですが、仙台駅からだと直線距離で東向きに3㎞弱離れた宮城野区内にあり、最寄駅で言えば仙石線宮城野原駅地下鉄東西線卸町駅のどちらからも1㎞程度の場所となります。楽天モバイルパークの裏側を通っている東北本線の貨物線をくぐったあたりです。

ゼンリン住宅地図 仙台市宮城野区1993年より)

 

1993年の住宅地図にて「ラ・ポールビル」1階に店舗を確認しています。

現在も同じ場所に写真のビルが建っており、名称は確認出来なかったのですが恐らくは当時から建て替え等はされていないと思われます。

そして店舗跡地は「衝撃中心(ショッキングセンター)」というロカビリー系の雑貨店となっていました。

 

前述のように駅からはかなり離れており、付近にはバス停もありません。

現在の建物裏手には駐車場がありますが、1993年時点では「レストラン かもめ亭」があるため営業当時は駐車場が存在しなかった可能性が高いです。

 

周囲は完全に住宅街で、同じく店舗から1㎞程度の場所にある陸上自衛隊仙台駐屯地と、隣接した卸町付近に拡がっている卸売業者の従業員が主な客層だったのではないかと想像しています。

 

誌面掲載へはゲーメスト1991年7月号からスタートしました。

1993年4月号のハイスコア通信欄にて以下のコメントが掲載されています。

ゲーメスト 1993年4月号より)

「ゲームランドトップ」との合同集計開始について触れられていますが、住所等の情報は誌面に記載されません。

 

調査したところ、有志にて作成されている宮城県に過去存在したゲームセンターの場所をプロットした地図を発見しましたが、その中に「トップ」という店舗があるのを確認しました。

www.google.com

この場所が「ゲームランドトップ」に該当するのかどうかはこれだけでは判断できません。情報をご存知の方が見えましたらコメントをお願い申し上げます。

ただ合同集計を開始したのも束の間、1993年7,8月号と掲載開始後初めて店舗欄を欠き、9月号にて再度掲載されたもののそちらが最後の掲載となっています。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年11月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年12月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年1月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年1月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年12月号/トピック店舗:スペースキャンパスステーション/ゲームセンタータイリョウ(宮城県)

イスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1991年12号)

マイコンベーシックマガジン1991年12月号(第10巻第12号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は92で先月比-1となります

新規掲載店が3軒あります。

 

・その他

新宿アシベ(東京都)

 

ゲームトライ(神奈川県)

 

ゲームランド(愛媛県

マイコンベーシックマガジン 1991年12月号より)

 

歴史あるライブハウスとして有名な新宿の「アシベ会館」にかつてゲームセンターがあり、ハイスコア掲載を行っていた時期があります。

 

歌舞伎町の深部に位置しているため、昼間ならともかく夜間に遊びに行くには結構難易度が高かったお店だったのではないでしょうか。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1991年12月】

マイコンベーシックマガジン 1991年12月号より)

今月の注目ゲーム欄のトップを飾るのが「スターブレード」です。

初代ストリートファイターⅡ全盛期に、以後来るべきゲームの3D化において先行していたナムコが投入したスペースシューティングでした。

インパクトのある大型筐体外観と優れた演出で、ほぼストⅡ一辺倒となっていたロケーションにおいて特にナムコ系店舗では目玉商品の位置付けでしたが、

・大型筐体故の流通の悪さ

・納入当初は200円1プレイが標準だったため初プレイのハードルが高い

・連射は装備されておらず、連射しにくいトリガーの形状もあって連射装置が装備されていないとクリアも覚束ない

 

上記のような要因もあって連射装置を独自に装備した店舗では長期に渡ってプレイヤーが付いたものの、一般的な店舗ではゲームの面白さが理解されないまま撤去に至った事例が多かったのではないかと推察されます。

 

チャレハイ通信欄でも、プレイシティキャロット駒沢店が1プレイ300円設定だが連射装置を装備することで差別化を図っていますが、流石に300円は躊躇するものの1プレイ200円でも連射が標準装備されていればもっと幅広い層にゲームの良さが伝わっていたのではないかと思います。

 

トピック店舗:スペースキャンパスステーション/ゲームセンタータイリョウ

 

トピック店舗は引き続き宮城県の掲載店から「スペースキャンパスステーション」「ゲームセンタータイリョウ」の2軒をピックアップします。

 

【スペースキャンパスステーション】

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年9月号より)

2022年9月18日撮影

 

【ゲームセンタータイリョウ】

マイコンベーシックマガジン 1986年2月号より)

2022年9月18日撮影

 

最初に紹介する「スペースキャンパスステーション」ですが、タイトー系の店舗です。

掲載はベーマガ1984年8月号からスタートしましたが、掲載店が一気に40店以上増加したタイミングでタイトー系店舗だけでもここを含めて全国で13店、またプレイシティキャロット仙台店や宮城野原キャロットハウスとも同時の開始となっています。

 

場所は多数のゲームセンターが立地した仙台駅前及び名掛丁商店街からは離れており、仙台駅から10分程度歩いた商店街である「サンモール一番町」にありました。アーケードは掛かっているものの周辺はむしろオフィス街で、名掛丁商店街とは雰囲気が大きく異なっています。

 

ゼンリン住宅地図 仙台市中央部1986年より)

 

1986年の住宅地図にて所在を確認しています。

2022年時点で入居していた「実興ビル」は既になく、周辺の小規模な建物と合わせて再開発され1,2階が商業スペースのマンションとなっています。写真ではランニングシューズ店である「SteP」のあたりが実興ビルの場所と思われます。

 

店舗名だけではタイトー系とは判断出来ないのですが、「ゲームマシン」誌1987年8月15日号にて、同一住所の店舗が「ウィルトークタイトー仙台店」として紹介されています。

(ゲームマシン 1987年8月15日号より)

 

記事によれば「約2年前に改装と同時に店の名前も変更」とあるため、改装を機にウィルトークの名称に変更されたと思われます。この情報をもとにタイトー系へと分類しています。

 

ベーマガへのスコア掲載は1984年8月~1986年5月号までなのですが、1987年8月時点で改装から約2年経過していたとなると、ハイスコア掲載中に既に店名が変わっていても不思議ではないのですが、スコア欄は最後まで「スペースキャンパスステーション」のままとなっていました。ゲームマシン誌の改装時期が相違しており実際は改装と合わせて掲載終了となったと考えるのが自然と思われるため要追跡調査となっています。

 

ゲーメストへのスコア掲載履歴はありませんが、「ランダムピックアップ」コーナーの仙台特集でウィルトーク時代の店舗が紹介されており、当時の店舗入口の写真も掲載されています。

ゲーメスト 1987年7月号より)

 

そしてもう1店の「ゲームセンタータイリョウ」ですが、こちらは仙台から30㎞程度南下した阿武隈川沿いの城下町、角田市にありました。

 

市の代表駅として阿武隈急行角田駅がありますが、市役所のある中心部からは1㎞程度離れており、その中心部から更に1㎞程南下した市街地の外れが該当住所です。角田城址から近く、周囲は市民会館や学校が位置しており文教地区の佇まいです。

ゼンリン住宅地図 角田市1988年より)

 

1988年の住宅地図ですが、住所の場所は「大漁つり堀センター」となっています。

角田市は海に面しておらず、何故店舗名が「タイリョウ」だったのか疑問だったのですが謎が解けました。釣り堀に併設されたゲームセンターだったようです。

 

現在は写真のように釣り堀の形跡は全く残っておらず、周囲の土地も合わせて駐車場と化しています。

 

バッティングセンター併設のゲームセンターは多数ありましたが、釣り堀というのは珍しいと思います。地図を見ればわかりますが近隣には角田小学校があり、風俗営業法適用以降であれば営業許可が下りなさそうな場所ですが、釣り堀付帯施設として特に問題視はされていなかったのかもしれません。

 

ベーマガ誌面へは1986年2月号から登場、その後ゲーメストが創刊されるとこちらでも掲載が開始されダブル掲載店となります。

ゲーメスト 1987年4月号より)

 

ゲーメスト初回掲載のスコアネームを見ると仙台の著名サークルの名前が多数ありますが、遠征でもされたのでしょうか。

 

もし鉄道で向かった場合、1987年6月末まで最寄駅である角田駅は旧国鉄丸森線で、角田駅の本数はなんと1日5本しかありませんでした。

blog.livedoor.jp

上記サイトに丸森線時代の最後の時刻表が掲載されていますが、この本数では仙台からそれほど離れていないと言え鉄道での訪問は至難の業です。

 

1987年7月より第三セクターである現在の阿武隈急行となり、本数も1日14本となるのですが、それでも決して便利とは言えず訪問難易度は高かったと思います。さすがに仙台勢の方々は車で向かわれたと思うのですが、実際はどうだったのでしょうか。

 

裏を返せば、このような地方中小都市でも80年台にはゲームセンターが存在し、かつハイスコア集計まで行なわれていたという事実を表しています。

 

誌面への掲載はコンスタントに続いていたのですが、ゲーメストが1988年9月号、ベーマガは同年10月号の掲載が最後となっています。ほぼ同時期のため閉店の可能性がありますが誌面へは特にその旨の記載はありませんでした。釣り堀としての情報も探してみましたが特に発見には至っていません。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年11月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年11月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年1月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年12月号