小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ゲームセンター回顧録 イエローハットと名古屋駅太閤通口の店舗群 その1

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ゲーメスト 1991年12月号より)

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2019年2月9日撮影

 

名古屋駅太閤通口から徒歩約10分(ゲームプラザイエローハット

写真の建物の1階が元イエローハットで、現在は飲み屋になっています。写真は建物の表側と裏側ですが、イエローハット時代はどちらからも出入りすることが可能な構造でした。2階から上のホテルは昔から変わっていません。

 

星ヶ丘キャロットハウスでナムコ直営店舗の存在とその店舗クオリティの高さを知ることになって程なく、名古屋駅付近にもナムコの店舗があるという情報を耳にします。その情報を元に名古屋駅界隈をあちこち探してみたのですがなかなかそれらしき店舗は発見出来ませんでした。

それもそのはず、私は名古屋駅付近の中心街である、今の施設で説明すると高島屋名鉄名古屋駅がある桜通口側ばかりを探していたから。

これから紹介するゲームプラザイエローハット及び周辺店舗群は、新幹線がある太閤通口側に立地しており、かつイエローハットは駅から少々離れた繁華街とは程遠い場所にあるため、初めて辿り着くまでにかなり苦労した覚えがあります。

 

なぜそんな場所にゲームセンターが多数立地出来たのか?と言えば、名古屋駅太閤通口は俗に「親不孝通り」と言われた予備校の集中地帯だったからに他成りません。新幹線から見える河合塾の校舎群でご存じの方も多いと思います。

 

イエローハットは、河合塾校舎群や代々木ゼミナール名古屋校を通り過ぎた裏手にあり、繁華街でもなく人通りもまばらなこの場所に出入りしていたのは昼間は殆どが学生や浪人生。そして夜になると名古屋のスコアラーが集まってきておりました。

ナムコの完全直営店ではなく店舗オーナーが別に存在しており、キャロットの名称を使用しなかったのはそれが原因かどうかは不明ですが、ハイスコア集計、連射装置やヘッドホン端子の改造、コミュニケーションノートの設置などコンセプトは明らかに当時のナムコがイニシアチブを持っていたゲームファン向けの店舗そのものでした。

 

かくして私も高校生となり、夏期講習などで予備校に通いがてら、この親不孝通り界隈に出入りすることになります。それは結果として名古屋までゲームをプレイしに向かう際には、星ヶ丘ではなく名古屋駅付近へ行くことに繋がっていくのでありました。

 

その2へ続きます。