主要駅近隣とは言え、立地は決して良くなかったイエローハットですが、ゲームの入荷は恐らく当時の星ヶ丘キャロットハウスよりも良かったのではないかと思われます。
私がイエローハットへ行くようになったのは80年代後半ですが、丁度その頃はセガ体感ゲームの全盛期。
2階への大型筐体搬入がほぼ不可能で、1階だけでは狭すぎる星ヶ丘と比べ、1階に広い間口を構えていたイエローハットには、
アフターバーナー(ダブルクレイドル)、パワードリフト、ヘビーウェイトチャンプといったセガタイトル群や、ウェックルマン24、またファイナルラップも発売当初4人同時で入荷し、店員氏が並んでいる客を整理しつつプレイ実況をされていた光景が思い浮かびます。
やはり予備校生を中心とした旺盛な需要に支えられていたのでしょう。
また、80年代後半は星ヶ丘に代わって名古屋スコアラー界のフロントラインであったことも間違いありません。
ゲーメストが創刊され、スコア集計がベーマガとゲーメストの2本立てとなっていた時代、双方で集計を実施していたイエローハットに対して星ヶ丘はゲーメストへの掲載は実施されず、製品の入荷状況とも相まってスコアラーは確実にイエローハットへ流れていました。
特に印象に残っているタイトルと言えば、基板タイトルで言えばSDI、ロストワールド、あと何といっても初代パロディウス。
当時鬼門だった2周目4面クリアに、スコアラーの皆様が血道をあげていた光景をいつも唖然としながら横目で眺めておりました。
(ゲーメスト 1990年4月15日号より)
この前後が私が最も出入りしていた時期でしょうか。
浪人中の身で、それこそ平日の朝からゲーセンに行っていた時期。(遠い目)
しかし当時の一線のスコアラーは雲の上の存在で殆ど交流は無く、もっぱら私と同様に予備校街に集まってきたゲーム好きの学生と店に設置されていたコミュニケーションノート上のやり取りで知り合い、一緒に遊んでおりました。
まだSNSはおろか携帯さえ普及していなかった時代、コミュニケーションノートを設置しているゲーセンは出自も年齢も異なる人たちがゲーム好きという理由だけで集まる、アナログ時代のサブカルチャー最先端の空間。全盛期でもあったハイスコア争いと共にその熱量をリアルに経験している我々の世代が、あの頃の残滓を求めて今もゲーセンに足を運んでいるのではないかと思います。
その3へ続きます。