小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ゲームセンター回顧録 イエローハットと名古屋駅太閤通口の店舗群 その3

他のスコア集計店(特にナムコ系の店舗)と異なっていたイエローハットならではの光景として、以下を記憶しています。

 

①ハイスコアボード

よく「プレイシティキャロット巣鴨」のハイスコアボードが綺麗だったことが語られていますが(私も見たことがあります)、イエローハットのボードも負けず劣らず綺麗なものでした。店員氏がゲームタイトル部分をイラスト入りで作成していたことも一緒。こういうものが写真で残っていないのは今から思えば勿体ない限りです…

また、ハイスコアボードとは別に「テトリスカンスト達成者ボード」が初代テトリス全盛期に設置されており、カンスト達成して達成時のライン数を申請するとボードに名前および達成ライン数を記載して貰えました。達成後もライン数の自己ベストを更新すれば都度書き換えて貰えるシステム。

トップクラスのスコアを出してメインのスコアボードに名前を載せるのは大変でしたが、こちらであれば結構気楽に名前を店内に掲載して貰えたため、丁度良いモチベーションになっていたのではないかと思われます。

 

②謎のテーブル筐体群

正面入口側に大型筐体系やピンボールが並び、他のビデオゲームは当初テーブル筐体がメインだったのですが、アップライトタイプのナムココンソレット筐体が主流になって以降も、反対入口側には多数のテーブル筐体が残存していました。

その大半が実は脱衣麻雀で、どうも店舗オーナーが名古屋が本社のダイナックス(後の中日本→テクノトップ)と関係があったらしく、その絡みで設置されていた模様で、ナムコ系の店舗にはあまり見られない光景ではありました。

お昼時になると、予備校生群がこのテーブル筐体で近所の弁当屋で買ってきた弁当を広げて食べており、午後になると皆授業に帰って行ったものです。

脱衣麻雀以外の通常ゲームタイトルもテーブルでいくつか稼働しており、テーカンワールドカップはテーブル筐体が残った関係で店舗に設置され続け、長期間に渡り対戦を楽しむことが出来ました。またナムコロケではほとんど見かけなかったゲイングランドセガ)や、バルキューブ(メトロ)のようなマイナーゲームが時折設置されていたのは、オーナーサイドの設置基板だったからなのかもしれません。

 

③店舗向かいのカラオケ店

正面入口を出て真反対の建物の1階(写真はありませんが、現在個室ビデオの桃太郎がある場所)がカラオケ店となっており、そこもイエローハットが運営していました。オーナー経営なのかナムコも噛んでいたのかは不明ですが、店員氏は共通となっていました。

こちらはゲームよりも前に店を閉めていた記憶があります。

 

調べてみたところ、イエローハットの閉店は2000年8月とのこと。もう20年近く経つんですね…

私が頻繁に通っていたのは1996年位までで、オレンジペコにホームを移したことや知り合いの店員氏も店を離れていたこともあり、末期は殆ど訪問した記憶がありません。

 

そして、このブログ内でも既に何回が名前が出ていますが、イエローハットとは全く無関係なのに場所がすぐ近くのため何かとセットにされ易かった「トンガ王国→ゲームボックスQ2」のこともこの界隈を語るうえでは避けて通れません。次回からはそちらを取り上げようと思います。

 

その4へ続きます。