小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ゲームセンター回顧録 キャノン最前線&オレンジペコ その1

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2019年7月13日撮影(キャノン最前線移転前、駐車場が跡地)

 

名古屋市営地下鉄鶴舞線いりなか駅より徒歩1分。

内容的には少々面白みに欠ける現在の地元を離れ、再度名古屋地域の店舗へと話を戻します。

名古屋市の中心部から地下鉄で15分程度、この辺りまで来ると郊外で普段はそれ程人通りも多くない場所になりますが、いりなか(南山大)-八事(中京大、名古屋大)-塩釜口(名城大)の3駅は名古屋市内最大の学生街エリアで、学生を主客層にしたゲームセンターが連綿していたエリアでもあります。

その中でいりなかは、今回取り上げるキャノン最前線をルーツとしてスコアラー文化が根付いていた場所でした。

 

最大の売りは、学生街だけあって1プレイ50円の店舗が多く、財布に優しかったこと。

当然これはプレイ回数をこなす必要があるスコアラーには大きなメリットですが、当時はまだ隣の八事に名城線は無く、また名古屋市営地下鉄は昔から運賃が高かったため名古屋市内とはいえども交通の便が悪く、駐車場も無かったことから広域的にプレイヤーが集まるには少々不便だったことは否めません。

 

私が最初に愛知県豊田市に住んでいた時は、地下鉄を更に東へ進んだ名鉄豊田線の沿線民でしたが、高校の時は通学定期の関係で、名古屋に向かう際は愛知県の知立を回った方が時間は掛かるものの運賃が安いためあまりいりなかを通らず、予備校通いの時は既にイエローハット周辺のプレイヤーと遊ぶことが多くなりいりなかを素通りするようになったため、キャノン最前線時代は数える程度しか訪問していません。

 

その2へ続きます。