小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ゲームセンター回顧録 キャノン最前線&オレンジペコ その6

さて、名古屋におけるホームグランドを確立した私ですが、程なくとある事情で北名古屋市から同じく愛知県の豊橋市に移ることとなります。

常連との呑み待ち合わせ場所になりつつも毎週末のように遊びに行っていたオレンジペコですが、豊橋となると片道60㎞位あり、毎週末のように来れる状況ではなくなってしまいます。

また、時を同じくして一緒に遊んでいた学生スコアラーの一部が就職で名古屋を離れることになり、それに伴って私も次第に店舗から足が遠のいて行くことになります。

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ゲーメスト 1998年3月30日号より)

このあたりになると私もオレンジペコで何をプレイしていたかあまり記憶にありません。

そして、このスコア欄のトップを飾っているタイトルが、コナミが1998年にリリースしたドライブゲーム「レーシングジャム」。

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このゲーム、非常に流通が悪かったのですが、何を血迷ったかオレンジペコは、他に大型筐体は殆ど設置していないにも関わらず上記画像のバックギア付き5速シフト及びクラッチペダルまでを装備したスーパーデラックス筐体を真っ先に導入します。

デフォルトのプレイ料金は1プレイ300円だったため、タイムアタックで金が湯水の如く吸い込まれて行く光景は涙無しには見れませんでした(´;ω;`)

 

しかし、この筐体の導入が店舗にとって致命傷になったという説があります。最初こそスコアラーのお布施があるとは言え、結果的にはマイナーゲームを高値掴みさせられた格好になってしまいました。そしてその年の5月末で閉店を迎えてしまうことになります。

 

汎用筐体にコナミ製が多数納入されていたため、コナミ本体もしくはコナミに強い販社との付き合いがあったものと想像されますが、どうもレーシングジャムとビートマニアⅡDXのどちらを購入するか、という選択があったらしく、そこで後者を購入していればもう少し店舗の寿命は延びていたのではないかと思うと残念でなりません。

対戦格闘にあまり積極的ではなく、音ゲーも一切導入しなかった、ある意味硬派な店舗はこうしてひっそりと幕を閉じてしまったのでした。

 

その7へ続きます。