小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ゲームセンター回顧録 岐阜オアシス その7

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【建屋外周】

建屋②、③の外周部は既に紹介しているので、その6で垣間見えた建屋④~⑥の外周部を観察します。

f:id:annaka-haruna:20190922122433j:plain写真(54)

正面メイン駐車場に立つ案内ポールで、背後に建屋⑥が見えます。

裏側へ廻ってみます。

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写真(55)

建屋⑥の外観はこのような形状。建屋内を無理矢理二層にしていたことからもわかるように、天井は高く、大きく突き出した屋根とその上に設置してあるネオン及びUFOのサインでバイパス側にアピールしています。

店舗内からも確認出来ましたが、建屋の周りには塗料缶が大量に…建屋の補修や塗装は自前で行っているのでしょうか。

そしてこの屋根の張り出した建屋の形状、なにか見覚えがありますよね。

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写真(56)

張り出した屋根部分を見上げてみると、右側隅に「ESSO」の文字を消した跡がはっきりと。

この建屋は元々はガソリンスタンドで、跡地をオアシスが使用していることで間違いないとの情報を頂きました。ありがとうございます。

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写真(57)

元ガソリンスタンド事務所部分と思われる建屋が左側で、右側は建屋④となります。左側はコナミ音楽ゲームが主に設置してあった場所で、建屋④は窓と扉の配置から艦これアーケードがある場所で間違いないようです。

そして写真55~57を改めて眺めて気付いたのですが…もとガソリンスタンドとなると給油スペースがあったはずなのですが、写真57のあたりに多少は場所があるものの給油車両を取りまわすのに充分な広さとは言えず、そして何より屋根の下に給油機が設置されているのが普通です。

つまり、もともと給油スペースとして屋根だけが存在していたものを、その四方に無理矢理壁を作成し建屋としたものが建屋⑥であるということを、今回このブログをまとめることで初めて気づきました。DDRクイズマジックアカデミーが設置されていた不自然な二階建て部分、もとは給油スペースだったんですね…

閉店したガソリンスタンドの再利用として、屋根の部分はそのまま残して駐車スペースにしたりしているのは良く見かけますが、壁面を作って建屋にしているという例は聞いたことが有りません。法律的に問題はないのか気になります。

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写真(58)

写真(57)でも見え隠れしていましたが、建屋④の前には大量の汎用筐体廃棄部材が積み重ねてあり、ここだけ見るととても営業している店舗の光景には見えません。丁度建屋⑥の陰に隠れる形となり、出入口も無いので人目には付きにくいですが…

汎用筐体も時間の経過で年々その数を減らし、特にブラウン管の修理が難しくなりつつあることから、スクラップ品から使用できる部品だけを取り出して後は廃棄しているのでしょうか。さすがにゲーム基板は捨てられていませんでした。

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写真(59)

そして最後に残った建屋⑤の外観。見ての通りに元パチンコ店そのままです。パチンコ店跡地がそのままゲームセンターになる光景は時折見られますが、わざわざ接続用の建屋④を造り、壁を抜いてまで既存店舗と接続して営業するという光景はあまり見られないのではないでしょうか。

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写真(60)

外装はパチンコ店時代をほぼそのままに、「GAME」と「オアシス」の文字だけを追加するという最低限の対応で済まされています。外装の一部に赤く塗りつぶしている箇所がありますが、これは画像の加工ではなく、元店名等が記載されていたものを隠しているように思われます。

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写真(61)

元々は独立している店舗のため当然入口はありますが、そこにはご覧のような張り紙がされた上で閉鎖されています。他の入口といっても実質建屋①の入口まで戻らなければなりません。

残念ながらネコとは和解出来なかった模様です。

 

これで現在も営業が続いている部分については全て網羅しました。

ゲーム機の設置面積を増やすために形振り構わず店舗を拡張してきた歴史と現状が多少なりとも伝われば幸いです。

そして地図には建屋⑦及び⑧を記載していますが、実は以前にオアシスだった場所が更に存在していました。最後にその建屋の紹介と、岐阜のゲームセンターが何故このような発展を遂げたのかについて触れたいと思います。

 

その8へ続きます。