現在は建屋①~⑥までとなっているオアシスですが、かつてはそれ以外にも営業していた場所がありました。
【建屋⑦】
オアシス建屋①正面駐車場の真反対に、現在は焼肉店となっている建屋が有りますが、以前はここもオアシスでした。私が仕事帰りに立ち寄っていた1990年代後半には既に存在しており、その当時はガソリンスタンドやパチンコ店はまだオアシスになる前だったため、最初に拡張された場所と言えそうです。
1階が駐車場、2階が店舗という構造は変わりませんが、オアシス時代は、写真のフェンスの場所がオープン構造で店名看板がある壁面がなく、自販機が数台設置されていたと記憶しています。
店内は普通にゲーム機が稼働していましたが、その中にピンボールが数台設置されていたことは確かです。メンテが非常に悪くまともにプレイできませんでしたが…
また、駐車場と道路を挟んでいたためか、後年の拡張のように増築で無理矢理既存店舗と接続することもされていませんでした。
【建屋⑧】
こちらは国道バイパスを挟んで反対の上り線側、写真のマッサージ店の建屋がオアシスでした。
同じオアシスとは言え、片側3車線の国道バイパス道路を挟んでおり中央分離帯にはフェンスが張られ、また横断歩道や歩道橋も存在しないことから実質完全な別店舗。ついでに覗きに行ける場所ではなかったため結局こちらには一度も入店せず仕舞で、雰囲気や設置機種については全く不明です。
また、国道21号を東に進んだ隣の各務原市にもオアシスの別店舗がありましたが、こちらも既に閉店しておりオアシスの名前を冠しているのは岐南町の本店だけとなって現在に至っています。
【オアシスの興亡】
オアシス(岐南、各務原)、ゲームプラザ童里夢(ドリーム)、だいおう、アイリン夢空間、岐阜レジャーランド穂積、そして少し外れてAGグランド、ファンタジアン柳津…
私が思い付く限りでこれだけのゲームセンターがひしめき合い、その多くが24時間営業を行っていた国道21号沿線。その最盛期は恐らくオアシスが周辺の閉店店舗を買収してゲーム設置面積を増やしていった2000年代前半ではないかと思われます。
では、何故オアシスを代表としてこのエリアのゲームセンターがここまで拡大を続けたのか。大きく3つの理由があると考えています。
①設置ゲーム機の大型化
音ゲーブームあたりから、既に汎用型ビデオゲームは衰退期を迎え、専用大型筐体への製品シフトが始まっていましたが、特にダービーオーナーズクラブから始まったサテライトタイプ大型筐体の収益が高まって以降、機械を設置する広い敷地面積の必要性から周辺閉店店舗の跡地買収と建屋増築、既存建屋の業態変更まで行って対応したのがオアシスと言えそうです。
他の店舗も大型筐体は導入しているとはいえ、オアシスのように半ば強引に店舗面積の拡張まで出来なかったことから、面積を広げることで大抵のゲーム機が設置されたオアシスはそれがアドバンテージとなる一方、周辺他店はバーチャファイター勢の聖地(だいおう)や、スコアラー御用達(アイリン夢空間)になることで店舗の個性化が進んでいきました。
②風営法解釈の甘さ
ゲームセンターは許可営業制であり、一部を除いては風俗営業法(風俗営業取締法→風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律)に規定された範囲で営業する必要があります。詳細は省きますが、その中には営業時間に関する規定があり、一般的な地域では午前0時以降の営業は出来ないため、24時間営業のゲームセンターというのは本来なら存在しないはずです。
ただ、法律の具体的運用については各県警の生活安全課に委ねられている面があり、地域によっては店舗の一部を閉めたり、営業する機種を限定して深夜時間帯や24時間営業を行うことが可能な場合があります。
どうも岐阜県は県警の運用方針が比較的甘かったようで、郊外店においては複合娯楽施設やドライブインの体裁で、店舗の一部を24時で締め切りにすることで24時間営業を行う店舗が比較的多く存在していたため、1990年代頃から「岐阜は深夜でもゲームを遊ぶことが出来る場所」という認知が広まっていたことは確かです。
③愛知県からのプレイヤー流入
各務原ー岐阜ー穂積ー大垣という街の並びで人口は約80万人程度。交通量の多い主要国道沿いとは言えそこまで多数のゲームセンターが林立可能な市場なのか?とも思えますが、木曽川を渡れば直ぐの愛知県は岐阜県程規制が緩くなく、0時以降もゲームが出来る店は多くなかったことから、特に深夜帯は愛知県からかなりのプレイヤー流入があったのは確実です。
名古屋市まで全て片側3車線で整備されている国道22号を使用すれは深夜ならおおよそ1時間以内で到達可能な距離のため、以前から知っている人は夜な夜な岐阜までゲームをするため車を走らせたりしていたようですが、特に麻雀格闘俱楽部がブームになってからは長時間プレイしたい層が台確保のため深夜だけではなく昼間から岐阜を目指していた状況もあったようで、岐阜県に入って最初に現れるオアシス本店はもっともその恩恵を受けていたのではないかと想像されます。
ただ、栄華を極めた岐阜のゲームセンター群も2005年に突如と逆風にさらされることとなります。そのきっかけは「愛知万博」の開催。
国際的なイベントが開催される際には、「来日客のイメージ向上」や「治安維持」を目的とした規制強化が行われることがままありますが、愛知万博実施の際も同様でした。
ゲームセンター業界においては、愛知県内にも少数存在していた深夜営業店舗が相当に規制の対象となり、24時にて閉店を余儀なくされる状況が発生。
その余波が岐阜県にも飛び火した結果、それまでなし崩し的に実施されていた24時間営業を中止する店舗が続出し、大きなウエイトを占めていた深夜営業における売上を一気に失うこととなります。
それ以降、店舗がひしめき合っていた岐阜地域からぽつぽつとゲームセンター閉店の報を聞くようになり、ソーシャルゲームの台頭によるアーケードゲーム業界の凋落で店舗の縮小が加速して現在に至ります。
現在聞き及んでいる情報で、国道21号沿いに残ったゲームセンターはオアシス本店と岐阜レジャーランド穂積のみの様です。そして消費税増税の影響が表れている昨今、突然に閉店予告を出す店が続出しており、営業面積の縮小や廃棄機材の放置状況などでわかるようにオアシスも決して安泰ではないと思います。文化財的価値すらあると思われるこの店舗を今のうちに是非一度目に留めて頂ければと思います。
特にゲームセンターは閉店後本当に跡形もなくなる場合が多いので…