ゲーメスト1989年1月号(通算第28号)のハイスコア集計店マップとなります。
まずは以下の画像から。
(ゲーメスト 1988年12月号より)
これはこの前の号のハイスコア欄に掲載されたいわば警告であり、これを契機として掲載を希望しているモチベーションの高い店舗へ入れ替えを図りたかったという意図が見て取れます。
その意図を反映してか年が変わって1989年に入ると少しずつ掲載店に動きが出てくるようになり、今号は新規掲載店が1店復活しました。掲載店総数は95。
・その他
(ゲーメスト 1989年1月号より)
2014年まで店舗が残っていた関西の有力店、チャレンジャー関大前店はこの号で最初に掲載がされました。関大前と、隣接している江坂、そして天六こと天神橋筋六丁目はゲームセンターが多数存在していたイメージがありましたが、関大前はこのチャレンジャーを最後に専業のゲームセンターは姿を消したようで、また江坂や天六も以前仕事で伺った際にゲームセンターが全滅していることを確認。全盛期を一度も拝むことが叶わなかったことをとても残念に思った記憶が蘇ります。
以下スコア欄となります。
(ゲーメスト 1989年1月号より)
めざせハイスコア!最終頁に「麻雀カメラ小僧」の差し込み記事があります。
ハイスコアとは全く無関係の脱衣麻雀ですが、記事頭にあるようにこの頃のゲーメストにとって主要広告主であった神田神保町の「ゲームコーナーミッキー」とも関連のあった三木商事がリリースしたため取り上げられたと想像されます。
(ゲーメスト 1989年1月号より)
それ以前のゲームセンターのスポンサーとしては山梨県の「ニュースターグループ」がありましたが、この頃はスコア欄は残っていたものの広告枠までは持たなくなっていたようです。反面ミッキーは毎号2頁の広告を入れており読者層に大きく店舗のアピールを行っていましたが、ハイスコア欄に店舗枠は掲載されませんでした。そしていざ店舗へ行ってみると…この話題はまた別の機会に取り上げることにします。
そしてトピック店舗ですが、ゲーメスト初期の埼玉県掲載店舗を取り上げます。
まずは、ハイスコア欄創設当初から掲載がされた、所沢市の「ポニーワールド・ザ・コング」から。
(ゲーメスト 1986年9月号より)
2020年5月31日撮影
西武新宿線新所沢駅前にパルコがあり、そのモールを出た直後に店舗がありました。
写真左側入口上部に設置されていたゴリラの看板が特徴的で、ゲーメスト誌面に写真も掲載されています。
(ゲーメスト 1987年3月号より)
住所はパルコと同一になっており、当初マップではパルコ内にマークを付けてしまっていたため位置を修正しています。
当時の住宅地図を見てもパルコの敷地外にある現在の建屋で間違いないことが確認されています。
店舗は2010年頃までは存続していた模様。撮影時点では鳥貴族になっていましたが現在は閉店しているようです。1階はパチンコ店が入居していたようですが撮影時は既に空きテナントとなっていました。
1986年9月号のゲーメストハイスコア集計開始から掲載されている歴史を持ちますが、当初は3号連続で休載するなど不安定気味で、そのままフェードアウトするかと思いきや1987年後半からは地道にスコア欄に店舗名を刻み続けていました。一時埼玉県唯一の掲載店だった時期を経て、現在のところ1996年までは掲載が続いていたことを確認しています。数か月でスコア欄から姿を消す店舗も珍しくない中、10年に渡りスコアを掲載し続け、かつ20年以上店舗を存続させてきたのは地元のプレイヤーの支持の賜物だったのかもしれません。