時は1997年。
就職後名古屋へ配属された私は、その時求人広告紙に度々目を通していました。
良く新卒が会社を辞めるタイミングで「3日、3か月、3年」と言われますが、丁度3年目に突入していた当時の私には色々と魔が差していたのかもしれません。
その広告紙内に、セガの東海地域(愛知、岐阜、三重県)のエリア店舗社員の募集を見つけてしまった私は、それに応募して内定をもらい、アルバイトスタッフとして勤務してからおよそ4年振りにセガの店舗で今度は社員として働くこととなります。
当時名古屋市名東区にあったセガの事務所で数日の研修と店舗見学を経て、最初に配属されたのが豊橋市にあった「セガワールドホリデイスクエア」でした。
2020年6月6日撮影(以下写真は全て同一日撮影)
このブログの「キャノン最前線&オレンジペコ その6」のエントリーで、「とある事情で北名古屋市から豊橋市に移った」と記しましたが、その理由は他でもなく、セガへ転職して豊橋市の店舗に配属されたためです。
写真の後方に高層建築物が見えていますが、これが当時は「ホリデイ・イン豊橋」というホテルで、その後「ホテル日航豊橋」→「ロワジールホテル豊橋」と経営母体と名称が変更されつつ現在も営業が続いています。基本はこのホテルを核とした商業施設なのですが、名前の元となったホリデイ・インが撤退後も施設名称は「ホリデイスクエア」のままとなっています。
現在の施設入口サインポールと施設案内図。
写真に写っている情報に違和感を感じる方もいらっしゃると思いますが、その理由は追って説明します。
施設案内図で黄色にて表示されている、現在のアミューズメント棟は1999年に新築オープンしているのですが、新築前の同じ場所にセガワールドホリデイスクエアは存在していました。
その建物は元々スケートリンクとして使用されていたため、平屋の広いフロア(確か500坪程度)に異常に高い天井が特徴的でしたが、建物自体が1997年時点で相当老朽化が進んでいたため雨が降ると外壁部分から漏水、雪が降った際には漏水個所から店内に降雪が起こるというありさまで、店舗の気密性は最悪。また天井の高さも相まってフロアの空調の効きが極度に悪く、夏場はフロアの気温は普通に30℃を超え、冬場は20℃に届かないことからスタッフは特例として店内でもジャンパーを羽織ることが認められていました。正直客として長時間店内に滞在するのは厳しい店舗だったと思います。
営業的には商業施設内に立地している大型店ということもあり、当時のセガ東海地域管轄店舗においても売上は上位に属している基幹店でした。平日に比して圧倒的に売上が高い週末に訪れる一般客層がメインターゲットのため、プライズ機やメダルゲームが主流の「当時のセガワールドっぽい」機種構成でしたが、ゲーム好きな社員やスタッフが週末を中心に対戦モノやバーチャロンを中心としてゲーム大会を実施しており、ささやかですがゲームファンを呼び込もうという施策も行っていました。
まあ私は対戦モノを一切プレイしない人間だったので殆ど関与はしませんでしたがw
また、敷地内に大型ホテルが立地していたため、夜間になると宿泊客の団体が店舗にやってくることが多々ありました。圧倒的に多かったのは外国人観光客で、インバウンドの概念が無かった20年前から外国人宿泊客の割合が大きかったのは、当時の「ホリデイ・イン」が収容力のある外資系ホテルであったこともそうですが、成田で入国した団体観光客が観光バスで京都等関西方面へ移動する際、豊橋という場所が東京と関西のほぼ中間に位置するため、中継地として選ばれやすかったことも起因していたようです。
当時の外国人団体で圧倒的に多かったのは中国系および中東系。
おおよそホテルカジノと勘違いして大騒ぎでメダルゲームをプレイし、最後に換金しようとカウンターへメダルを持ってくるものの換金出来ないため言い争いになるまでがセットで、換金不可の旨を説明するのが非常に面倒くさかった覚えがあります。日本だけですからねメダルゲームのシステムは。
こうして最初に配属されたセガワールドホリデイスクエアですが、大型店ということもあり事務専属のスタッフも在籍していたため伝票作成等の事務作業は専属スタッフが行い、アルバイトのシフト作成も別の社員の仕事だったため、営業時の金銭管理やスタッフ指導のような業務を除いては仕事内容はアルバイト時代とそれほど大きく変わったという印象はありませんでした。まだ入社したてだということもあり、他の社員の指導や監視が可能な店舗で仕事振りを確認しようという意図だったのだろうと思います。
その2へ続きます。