1998年、セガワールドホリデイスクエアの閉店に伴い、次の赴任地となったのは三重県最大の街四日市市の「セガワールド四日市ガルボ」。市南側の工場地域に程近い場所に、イオンが運営する「パワーシティ四日市」というショッピングセンターがあり、そのテナントとして営業していました。
2020年7月24日撮影
「犬も歩けばイオンに当たる」とまで言われていたかは定かではありませんが、三重県、特に四日市市はイオンの前身である岡田屋発祥の地で、市内の至る所にイオンの店舗が存在しています。
「パワーシティ四日市」もイオンの施設のなのですが、他のショッピングセンターと異なっていたのは、「パワーシティ」の名称が示すように当時米国によく存在した「パワーセンター」という形態で、ショッピングセンターにありがちな大型、多階層の建屋は存在せず、駐車場の周囲を各テナントの個別の建屋が取り囲むような施設となっており、セガも複数存在した建屋の中のひとつでした。
「パワーセンター」の参考資料。日本ではあまり一般的ではないですね。
写真では「イオンタウン」となっていますが、2011年に「パワーシティ四日市」から「イオンタウン四日市泊」へ施設名が変更されています。そして2018年に一旦営業を終了して施設の全面建て替えを行い、大型の建屋の周囲を駐車場が取り囲んでいる一般的なショッピングセンターへと模様替えして2019年に再オープンしています。
さて、このセガ店舗が特筆すべき点はその「四日市ガルボ」という名称。
セガのテーマパーク事業と言えば、現在もお台場にて営業が続く「東京ジョイポリス」が想像されると思いますが、商圏の大きな大都市では「ジョイポリス」の名称で展開していたのに対し、スケールを小さくした小型テーマパークを「ガルボ」の名称にて平行展開していました。
セガのテーマパーク事業の展開経緯は上記「ガルボとジョイポリス」が詳しいので、転載させて頂きました。「ガルボ」という名称では四日市以外に、テーマパーク事業1号店の大阪ATCと、千葉の市川に存在していた模様です。
しかし中途半端なコンセプトが市場には受け入れられず、私が赴任した1998年の時点では既にテーマパークとしての営業は終了しており、普通の大型ゲームセンターと化していました。
建屋は2階建てで、大型アトラクションが設置されていた2階フロアは完全に閉鎖されお客様が立ち入ることは出来ず、アトラクションの残骸やツール類が放置され倉庫代わりとして使用されていました。ゲームセンターとしての営業は1階フロアのみで行われていましたが、テーマパークから業態変更する際にフロアに手が加えられたようで、2階を封鎖しても埋めきれない広いフロアにはビリヤードコーナーとカラオケ店「セガカラ屋」が新たに設けられていました。
当時のセガのアミューズメント施設は地域別で管理運営されており、中部地域は愛知県、三重県、岐阜県及び福井県、石川県、富山県の東海並びに北陸地域の6県を管轄していましたが、テーマパーク事業はセガ本社の直轄事業だったため、四日市ガルボのオープン時は恐らく当時のセガ中部地域は関与していない施設であったと思われます。
それがテーマパークとして撤退し普通のゲームセンターとなるにあたり、直轄から中部の管理へ変更されるのですが、封鎖されている2階部分も含めた広大な店舗の家賃は(テーマパーク撤退時に当時のイオンと交渉はされたと思いますが)引き継がれ、また恐らくゲームセンターへの改装時費用やテーマパーク時代の設備除却費用といったコストが上乗せされていたため、固定費負担が重く非常に利益率が低い店舗となっていました。
この「元テーマパークであったがための過大な設備」が、私を含めて当時ここで働いていた社員やスタッフに対して大きな負担を強いることとなっていたのです。
その2へ続きます。