小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ゲームセンター回顧録 セガの中の人の時代 セガワールド上田 その1

私がセガへ入社した1997年当時、セガアミューズメント事業は当時のセガ・エンタープライゼス本体組織の一部であり、東海及び北陸の計6県の施設を運営する組織として名古屋市に「中部地区」が設けられていました。

 

それが2000年10月に、全国の施設を5地域に分割し各地域毎に管理運営を行う分社化が実施されます。

分割された5地域はそれぞれ「株式会社セガアミューズメント東日本/東京/東海/関西/西日本」として独立し、旧中部地区は「セガアミューズメント東海」として出発するのですが、他の地域と比較して管轄エリアが狭かったためか、旧西関東地区に属していた静岡県及び長野県についても、セガアミューズメント東海が管轄することとなります。

 

分社化当時セガワールド生桑に勤務していた私は、当然にしてセガアミューズメント東海所属となるわけですが、次の異動を命ぜられた店舗が、新たに東海のエリアとなった長野県の「セガワールド上田」でした。

 

私の前任店長がセガを退職することとなり、後任として私が赴任することとなったのですが、当時の社長が「あいつは一人で放っておいてもなんとかなるだろう」と考えていたことが私が人選された理由だったようです。

都心部に立地する店舗だと、周囲に別のセガ店舗もあるため社員間で交流したりする機会がありますが、長野県のような地方となると隣接するセガ店舗まで片道車で1時間以上とかがざらになります。

そうなると地域に縁のない社員は仕事がオフの日もアルバイトスタッフと遊ぶ位しかすることがなく、その環境に耐えられなくなって退職に至る場合が結構あったようですが、オフの日も一人で勝手に過ごしていた私はその心配はされていなかったようですw

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2020年7月25日撮影(以下写真は全て同一日撮影)

 

こちらも店舗は現役。生桑と同じく現在はセガワールド上田からセガ上田へと名称が変更されています。

 

店舗の目の前を走っている道路は国道19号上田バイパス。市街地からは離れており、中心部の上田駅からだと千曲川河岸段丘を徒歩で延々と登って約30分程度掛かり、店舗裏手から先は山に分け入るような場所に位置しています。

敷地にはセガの他に、ツタヤが同一建物で隣接。また現在リサイクルショップが入居している建屋には私が在籍していた当時はコートダジュールというカラオケ店でした。その他ローソンと中古ゴルフショップが立地しているのは当時から変化はありません。

 

店舗は2004年に増床及び改装工事が実施されており、現在は改装後の姿となっています。この改装には私も当時の店長として大いに関わっているため後述します。

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現在の1階フロア。プライズ、プリクラ及びキッズカードゲームコーナーが展開されています。以前は大型筐体タイトルや、初代三国志大戦のようなキラータイトルを設置していた時期もありましたが、現在は完全にファミリー向けにて統一されています。

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2階は改装前からビデオゲーム及びメダルゲーム中心。改装後も構成に変化はありませんが、大型筐体ものは現在は全て2階に設置されています。

 

既に改装後15年以上の歳月が流れているのですが、時間の経過の割には店内が綺麗に保たれている印象を持ちました。日々の清掃業務の賜物でしょうか。

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また、普通の2階建て建屋の店舗と異なる点として、2階にも入口が設けられています。

写真は2階入口を外から映したもので、入口前は駐車場となっています。丁度ツタヤのフロアの真上部分に当たります。

店舗裏手山側の傾斜がきつくなっていることを利用して、ツタヤの脇から坂道を伝って車で乗り入れられるようになっており、実質セガ専用の駐車場となっていました。2階設置のゲームタイトルが目的のお客様は最初からこちらに車を留め置く方が多かったようです。

 

その2へ続きます。