小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ゲームセンター回顧録 セガの中の人の時代 セガワールド上田 その3

私が赴任した当時は、その2で記載したように明らかにファミリー向けに寄せていたセガワールド上田でしたが、2階のビデオゲームコーナーにはあまり普通のセガワールドに設置されていなさそうなオールドタイトルがいくつか稼働していました。

 

そのタイトルは、契約社員及びスタッフの一人が許可の上基板を持ち込み稼働させていたもので、当時のセガ直営店舗ではまず見られない光景でした。前任店長はあまり関与していなかったようです。

そのスタッフが、現在上田市中心部でオールドゲーム中心のゲームセンター経営を行っている、と言えばピンと来る方もいらっしゃると思います。店名は敢えて伏せておきます。

 

オールド基板を持ち込み稼働させるような契約社員及びスタッフが、私の元スコアラーという素性を知ることにそれ程時間は掛かりませんでした。こちらから喋った記憶はないんですけどね。

その情報はスタッフを通じて、以前にプレイシティキャロット松本店にてスコアラー活動を行っていた上田在住のプレイヤーに伝わることとなり、彼の方から私に声を掛けて下さいました。これが今でも続いている松本勢との出会いになります。

当時は既に松本キャロットは閉店後だったため、店舗へ伺うことは叶いませんでしたが、松本組の皆様を紹介頂いてからは定期的に上田の面子と一緒に松本へ遊びに向かうようになります。

 

また、スコアアタックについても基板持ち込みが暗黙で許されていたため、上田のプレイヤーが当時スコアを狙っていた「セクシーパロディウス」を用意してもらい実際に店舗からアルカディア個人申請で全国トップが生まれたり、「式神の城2」を確保した後にはコンバータを付けて外部機器持ち込みで録画可能な環境を整えたりしました。今から思えば結構やりたい放題やっていました。

 

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(画像は(株)哲信クリエイトサイトより転載)

そして店舗から生まれた全国トップスコアタイトルがもう一つあります。それが「アウトラン2SP」で、2005年にハートアタックモードにて個人申請による全国トップが確認されています。

これにはバージョンアップ前の「アウトラン2」の頃から布石があります。

アウトラン2はリリース当時2台がセガワールド上田へ導入されましたが、初代アウトランタイトルホルダーの方を始めとして複数のガチプレイヤーにお集まり頂き、台アベレージ売上が全セガ導入店中2位という快挙を成し遂げます。

仕舞には他店で稼働していた2台も移設され計4台体制に。台アベレージ売上は下がってしまったものの移設前の店舗と比較すれば倍以上のアベレージを叩き出していました。ガチ勢のプレイを見た頭文字Dプレイヤーがこぞってアウトラン2もプレイし始めた光景が印象的で、「上手い方のプレイは相乗効果を引き出す」ということを実感したゲームタイトルでした。

 

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ハイテクエンタテイメントアーサー跡地 2020年7月23日撮影

また長野県に赴任する前に、オレンジペコ常連の伝手で飯山市のハイスコア集計店「ハイテクエンタテイメントアーサー」に遠征する機会がありオーナーと面識があったのですが、上田へ赴任して挨拶に向かい以後オフになると度々遊びに行くようになりました。豊橋四日市なら気晴らしに名古屋へ遊びに行くことは容易でしたが長野となるとそうはいかないため、いくら一人の気ままさが好きとはいえ店舗や地域の環境に慣れていない時期には飯山に行くことで随分と助けられた気がします。

 

このように、これまでのセガ在籍5年弱の期間で元スコアラーであったことが人間関係に影響したことはほぼ無かったのに対し、一転して上田ではそこから生まれた新たな縁がかなりありました。おかげでこれまでの人生で無縁な地域だったにも関わらずプライベートでは殆ど寂しい思いはせずに済んだと思います。

 

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コインスナックM&M跡地 2020年7月25日撮影

 

また三重勤務時のオフにどっぷりと嵌っていたパチスロは、上田へ異動後は行き付けホールを探そうと思慮しているうちに全く行かなくなりそのままフェードアウト。代わりにMJが全国対戦バージョンにアップグレードするとそちらにシフトし、オフの日のゲームセンター通いが復活しました。

初代MJの時は設置店舗数が少なく、オフの日に店長自ら自店でサテライトを占領する訳にもいかないので、長野・佐久・松本・穂高・辰野といった県内設置店だけではなく、群馬の高崎、山梨の双葉、新潟の十日町まで遠征して打ちに行くような生活。MJ2以降になると設置店も増えたため県外まで出向く必要はなくなりましたが、それでも自宅から車を30分程度走らせた場所にあった小県郡丸子町(当時)の「コインスナックM&M」に午前中から向かい、夕方まで遊ぶと近くの温浴施設に行って風呂と食事を済ませ帰るようなオフの過ごし方が増えました。結局は一人が苦にならなくなるんですね。

 

その4へ続きます。