スーパーソフトマガジン(ベーシックマガジン別冊付録)1984年12月号(第3巻第12号)のハイスコア集計店マップとなります。
掲載店舗数は112と10月号の数字に戻したのですが、新規掲載店は以下1店に留まっています。
・ナムコ系
プレイシティキャロットなんば店(大阪府)
(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年12月号より)
既に掲載店となっている「なんばCITYビッグキャロット」とはその距離500m程度。「プレイシティキャロット道頓堀店」からは更に近い300m程度に位置していたことがマップからわかります。当時はまだナムコも都市型店舗として「キャロット」を積極的に出店していた時期だったと想像出来ます。
以下スコア欄となります。
(画像はいずれもスーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年12月号より)
ナムコ系店舗においては予告された「ビッグキャロットすみのえ」以外に掲載停止は出ていませんでしたが、長崎県の「ゲームスペースサンデー」が今号を持って掲載が終了し、ナムコ系では2店目の掲載離脱店となりました。しかしゲーメスト1986年9月号にてスコア集計が開始されるとそちらで掲載が再開されるに至ります。
またメーカー系列に属さない集計店で最初に掲載された2店のうち、葛飾区堀切の「ゲームセンターフェニックス」は今号で最後となりました。これまで休載は一度も無く、また最初に手を挙げているということは誌面への掲載に意欲的なお店だったと思われるのですが…
また広島の「鯉城」と鹿児島の「ヤング・タウン」は休載表記で次号以降復活せずフェードアウト。どちらも休載が目立っておりこちらは掲載停止は寧ろ時間の問題だったと言えます。
それにしても「鯉城」という店舗名、広島らしいと言えばそうですがゲームセンターの名称までカープになるんですね。
そしてトピック店舗ですが、初回掲載26店に戻って「プレイシティキャロット新宿店」「プレイシティキャロット一番街店」の双方をまとめてピックアップします。
①プレイシティキャロット新宿店
(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年1月号より)
2021年1月10日撮影
②プレイシティキャロット一番街店
(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年1月号より)
2021年1月10日撮影
両店の地図は同位置同縮尺なのですがその距離は200m足らず。靖国通りを挟んで新宿東口に2件のキャロットが存在していました。両店ともベーシックマガジン初回ハイスコア集計から名を連ねた歴史ある店舗です。
業界紙「ゲームマシン」において、1985年当時の店舗外観や店内の様子を写した記事がありましたので、以下2店分を抜粋します。
「プレイシティキャロット新宿店」
店舗外装及び1階フロアの様子。2階のダッキーダックは昔から変わっていないようです。
地下1階フロア内部。
マップ及び周辺店舗データ
(いずれもゲームマシンアーカイブ 1985年5月15日号より)
「プレイシティキャロット一番街店」
店内の様子。こちらは外観写真はありませんでした。1,2階を店舗が占めていたようです。
マップ及び周辺店舗データ
(いずれもゲームマシンアーカイブ 1985年4月1日号より)
新宿という場所柄、繁華街型店舗としてヤングアダルト層をメインターゲットとしており、周辺に林立する他店との差別化のため白を基調とした明るい内装と、ハイスコア集計のようなゲームファン向けサービスを推進していたことが伺えます。
ただ傾向が類似した店舗を近隣で2店並立して運営することが難しかったのか、一番街店については1985年7月号で店舗欄の掲載はストップ。新宿店にリソースを集中させる方策を取ったのでしょうか。
その後新宿店はゲームブティック高田馬場やプレイシティキャロット巣鴨店と並んで80年台における東京地域の代表的ナムコロケとしてゲームファンの間で語り継がれることになります。
「ゲーム文化保存研究所」サイト内の記事「ゲームセンター聖地巡礼」にも新宿キャロットが取り上げられています。新製品のロケテストなども実施されていたようです。
しかし90年台に突入し、ナムコのゲームファンに対するスタンスが変化してきた影響を受けたのか、ベーシックマガジンへのハイスコア集計は1991年1月号を最後にストップしました。店舗はその後も営業は続けられていましたが、聖地的なカリスマ性のある店舗からは遠ざかってしまったようです。