マイコンベーシックマガジン1985年1月号(第4巻第1号)のハイスコア集計店マップとなります。
これまで「スーパーソフトマガジン」という別冊内にて展開されていたチャレンジハイスコアのコーナーですが、1985年からベーシックマガジン本誌へ吸収されて掲載されるようになりました。
吸収された理由が、当時の書店で「別冊だけ引き抜かれる」行為が多発したためと確か「ALL ABOUT ベーマガ」のイベント内にて語られていたと思います。さもありなん。
掲載店総数は108と4店減少しました。新規掲載店は2店あります。
・その他
ゲームプラザぱっくんらんど(東京都)
ゲームプラザとよなか(大阪府)
(画像はいずれもマイコンベーシックマガジン1985年1月号より)
1984年のリリースされたナムコの「パックランド」を彷彿させる東京都北区の「ゲームプラザぱっくんらんど」ですが、ゲームと店舗のどちらが先に登場していたのが少々気になるところ。
また豊中市の新規掲載店も店舗名は「ゲームプラザ」の名称で偶然一致しています。しかしこちらの「ゲームプラザとよなか」は今号限りの掲載に留まっています。
以下スコア欄となります。
(画像はいずれもマイコンベーシックマガジン1985年1月号より)
2ページ目枠外に「ネットワークインタイトー」及び「プレイシティキャロット八戸店」休載の案内があるのですが、両店共にスコアはきちんと掲載されています。店舗名の誤植が疑われます。ちなみに先月掲載されたものの今月休載となっている店舗は旭川市の「アドベンチャー」及び八戸市の「レーサーランド」ですが、次号以降に特に訂正の旨はありませんでした。
また、前号及び前々号と店舗欄が存在しなかった「高崎キャロットハウス」。
今月休載表記とは言え店舗欄が復活しますが、結局掲載はこの号が最後となりました。ナムコ系ロケーションとしては3件目、オリジナル26店では初の掲載ストップとなっています。
トピックは前回の新宿に引き続き、東京都区内のベーマガ初回掲載26店の中から、「ビッグキャロット新橋店」を取り上げます。
(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年1月号より)
2021年3月13日撮影
新橋という場所でイメージされるのは、駅前のSL広場前でテレビのインタビューを受けるサラリーマンの姿ですが、そのSL広場に面した通りを挟んで真向かいにナムコのキャロットがあった、といってもキャロットの持っている店舗の雰囲気や客層が新橋という場所とあまりマッチしないのが80年台ゲーマーの感想なのではないでしょうか。
現在のビルの名称は異なっていますが、住所では写真のプロントの位置が該当します。
中2階及び地下1階がキャロットのフロアだったようです。
プロント店内を窺うと、自動ドアから連続して店内が数段高くなっており、また地下への階段も確認出来るため、プロントの場所そのままで間違いないようです。
「ゲームマシン」誌の1985年10月15日号に、当時の店内写真の掲載がありました。
(ビッグキャロット新橋店 地下1階の当時の様子)
(こちらは中2階の様子 いずれもゲームマシンアーカイブ 1985年10月15日号より)
当時の写真でも店内のサラリーマン風な客層の姿が目立ちます。
誌面上では当時の店長のインタビューも掲載されており、当初からコンセプトはサラリーマンがメインのアダルト志向で、以前はメダルゲームも設置されていたが今後再設置も検討する主旨の回答がなされています。ハイスコア集計店として掲載はされていたものの、立地的な特性からあまり当時のゲームファン層に対して積極的に訴求する店舗ではなかったと思われます。
そのため、ハイスコア掲載は1986年3月号までの2年程度でストップしました。1988年の東京CARROT MAPには店舗が掲載されているため、営業は集計中止後も継続していたようです。
2021年3月13日撮影
そして新橋のゲームセンターと言えば忘れてはならないのが「ニュー新橋ビル」の存在。以前紹介した大阪駅前第〇ビルと同様の等価交換による再開発ビルで、こちらもビル内に多数のゲームセンターが存在していたことで有名でした。
ゲームマシン誌上の新橋特集記事では、全盛期に近い頃のビル内ゲームセンター密集具合を窺うことが出来ます。
(いずれもゲームマシンアーカイブ 1985年10月15日号より)
キャロットと高架下の1店以外は全てビル内に集中しています。
2021年3月13日撮影
しかし2021年現在残っている店舗は2店のみ。しかも建て替え計画があるためビル自体の余命も迫っています。ゲームセンターの閉店も続出しているため目に焼き付けておきたい方は早めの訪問をお薦めします。