マイコンベーシックマガジン1986年1月号(第5巻第1号)のハイスコア集計店マップとなります。
掲載店総数は102と少々回復しました。新規掲載が4件あり総数増に寄与しています。
・タイトー系
・その他
ゲームプラザ月光仮面(北海道)
ゲームインカナザワ(石川県)
ゲームセンター大野プレイランド(福井県)
(画像はいずれもマイコンベーシックマガジン1986年1月号より)
1986年は追ってゲーメストが創刊され、そちらでもハイスコア集計が開始されますが、ポツポツとゲーメスト誌上でも見かける店舗名が顔を出すようになります。
今回新規4店のうち、小樽市のゲームプラザ月光仮面を除く3店はゲーメストにおいても掲載履歴がある店舗です。
以下スコア欄となります。
(画像はいずれもマイコンベーシックマガジン1986年1月号より)
先月のエントリーでも触れましたが、1984年度中に掲載が開始された店舗で、85年末までに掲載を終了した店舗はナムコ系ロケーションでは履歴がある60店中6店(ハローススキノ、一番街、ミライヤ、すみのえ、流川、ゲームスペースサンデー)に留まっている一方、ナムコ系以外においては61店中24店が既に掲載が中止されています。
加えて今月の掲載を最後に姿を消した店舗も3店存在しています。(ゲームインJ&B、プレイランド赤い風船、パサディナ)
誌面常設コーナーとなってある程度時間も経過した1985年は最初に訪れた「中弛み」の時期だったのではないかと思われるのですが、
・ハイスコアとして認定される基準がまだ曖昧で、トップとして掲載されるスコアに価値を認めにくかった。
・まだ旧態依然としたゲームセンターが多く、スコアの管理が店舗によっては不充分だった。
上記のような要因が考えられそうです。
そして今月のトピック店舗。
ハイスコア創世記はこの店舗の存在を抜きにして語ることは出来ません。
「ゲームブティック高田馬場」を取り上げます。
(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年1月号より)
2021年5月29日撮影
現在でもアーケードビデオゲーム界隈では「ゲーセンミカド」の存在で知られる高田馬場ですが、1980年台のビデオゲームハイスコア創世記においてもこのお店がゲーマーに非常に高い知名度を誇っていました。
この店舗の知名度を高めた要因と言えば、ナムコの大ヒットタイトル「ゼビウス」とゼビウスを攻略したプレイヤー、そしてその攻略から生まれた同人誌「ゼビウス1,000万点への解法」の存在であったことは疑いないと思います。
2021年3月27日撮影
先日の「札幌・小樽ゲーセン物語展」に展示されていた「ゼビウス1,000万点への解法」の実物です。この後ゼビウスにて1,000万点を達成することが一つのステイタスとなり、また以後のハイスコア集計において1,000万点というスコアが到達点として広く認知されることとなります。
ゲームブティック高田馬場が最も盛り上がっていた時代の話は、下記ゲーム文化保存研究所内の記事「ゲームセンター聖地巡礼 1980~1990年台 高田馬場」に詳しく記載されています。
上記記事は2018年にアップされていますが、跡地である日高屋は2021年時点で既に写真の居酒屋へと変わっています。
そして1987年8月号のゲーメストにて東京のゲームセンター特集(シールハイク)が組まれていますが、写真付きで紹介されているため当時の店内の様子を垣間見ることが出来ます。
(ゲーメスト 1987年8月号より)
この頃には既に東京における聖地的存在はプレイシティキャロット巣鴨店へ移っており、記事中からもその栄光が過去のものになりつつあることを窺い知ることが出来ます。
当時や現在の写真を見て頂ければわかるように正直店内は狭く、特に80年台後半以降に増加した体感ゲーム筐体を導入する充分なスペースを確保出来なかったのではないでしょうか。これは高田馬場に限った話ではなく、都心部に多く存在した小規模なキャロット系店舗全般に言えることなのですが。
そして1990年9月号の掲載から伝統ある「ゲームブティック」の冠を改め「プレイシティキャロット高田馬場」に店名変更、1992年8月までスコア欄は継続していました。ゲーメストへの掲載履歴は無し。店舗は1996年に閉店しているとの情報です。
「ゲームブティック高田馬場」で検索すると上記ゲーム文化保存研究所の記事を始めとしてかなりの数がヒットする反面、「プレイシティキャロット高田馬場」を単独で扱っているページは殆ど存在しませんでした。いかに「ゲームブティック」としての存在が大きかったのかを物語っているように思います。