マイコンベーシックマガジン1986年2月号(第5巻第2号)のハイスコア集計店マップとなります。
掲載店総数は101店とほぼ横這い。新規掲載は2件あります。
・その他
ゲームセンタープラザ114(北海道)
ゲームセンタータイリョウ(宮城県)
(画像はいずれもマイコンベーシックマガジン1986年2月号より)
些細なことではありますが、今月から店舗欄の装丁が少々変更になり、すっきりとした印象になっています。
今回から掲載の宮城県は角田市のゲームセンタータイリョウ、追ってゲーメストへも掲載がされる店舗です。
店舗名からは「大漁」が想像されますが場所は全く海には面していません。店名で検索を掛けても角田市の店舗のことは全くヒットせず、プライズゲームに関する情報ばかりがヒットすることに時代を感じます。
以下店舗欄となります。
(画像はいずれもマイコンベーシックマガジン1986年2月号より)
前回のエントリーで「1985年は中弛みの時期だったのでは?」と記しましたが、全体的に掲載店が減少傾向だったことも踏まえ、初めてスコア欄の末尾に「チャレンジ・ハイスコア掲載ご希望の各店へ」としてインフォメーションが掲載されました。掲載店に送付される記入用紙の写しを元に記入方法や基本的なルールを説明しており、まだハイスコアを全国誌で集計することに対して理解が進んでいなかったことが窺えます。
気になるのが要領最後の注釈部分。
「1年以上、レギュラーでの掲載を希望されるお店は・・・」の表記があります。
店舗欄を設ける際には掲載期間は決まっておらず、閉店等による店舗からの申し入れや集計用紙が編集部へ届かなくなることによる自然消滅で掲載がされなくなるという認識だったのですが、今回の掲載店募集は「掲載を希望するお店は、誌面の記入用紙を参考に記入して編集部に送付すれば単発で誌面に掲載される」というものだったようです。
実際に次月から新規掲載店が大幅に増加するのですが、一部を除いてどの店舗もそれなりに掲載が継続しているため、次月以降に新規で掲載された店舗は殆どがレギュラー掲載を希望していたものと思われます。
トピック店舗へ移ります。
東京都下のナムコ直営店は、山手線沿線よりもむしろ郊外路線沿線への出店が目立ちました。その中でベーシックマガジン初回集計より名を連ねた「プレイシティキャロット西荻店」を取り上げます。
(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年1月号より)
2021年6月5日撮影
記念すべきベーシックマガジン初回掲載26店中の1店で、東京都の郊外店としてはこちらと世田谷区の経堂店が含まれていました。その後同様の郊外店が複数掲載され、ベーマガ初期の集計欄においては非常に目立つ存在となります。
その西荻店ですが、誌面掲載の住所をgoogle mapでサーチすると写真のセブンイレブン隣の「山屋ビル」がヒットします。
このビルの一階部分が居酒屋になっており、いかにも以前そこにキャロットがあったという風情なのですが、当時の住宅地図を確認した所セブンイレブンの場所で間違いないようです。(セブンイレブンも住所は同一となっています。)恐らくセブンになった際に建屋ごと取り壊されているのではないでしょうか。
山手線から外れた郊外とはいえ、一日乗車人数約45,000人(2019年)とかなりの数を誇る西荻窪駅前に存在した西荻店は、当時のナムコ都市部ロケーションでもかなり重要視されていた店舗だったようです。以下引用させて頂きます。
プレイシティ キャロット西荻店(東京都杉並区:1981年頃)。プレイシティキャロット・チラシの写真を撮りこぼしていたのでサルベージ。西荻店は1981年7月7日の開店で、その頃の写真でしょう。住民たちと描いたというウォールペイントが色鮮やかに甦る。#ゲーセンを語ろう #懐かしい写真 pic.twitter.com/p48zmpPb3D
— ぜくう@Mr.ドットマン本 ドットワークス (@Area51_zek) 2020年7月12日
郊外店は、雑居ビルのワンフロアでテナントとして営業されていた店舗が多かった中で、店舗単独の建屋であったことが写真から判断できます。
スコア集計については1984年1月の初回掲載から、1993年11月号を最後に姿を消しています。実質ほぼ10年に渡り掲載が継続し、80年台に掲載が開始された店舗だけで最盛期は10店以上を数えた東京都内のナムコ系店舗において、プレイシティキャロット巣鴨店を除いて最後まで誌面に残っていた店舗でもあります。
しかしスコア的に盛り上がっていたのは90年台初頭辺りまでで、対戦格闘ブームの到来と引き換えにスコア欄は徐々に寂しくなっていったことが誌面から伺えます。その後店舗はナムコからタイトーの運営に変わり「タイトーイン西荻」となりましたが、閉店時期は確認出来ませんでした。