マイコンベーシックマガジン1987年1月号(第6巻第1号)のハイスコア集計店マップとなります。
今月も店舗数は114と上限を維持。1件の新規掲載があります。
・タイトー系
(画像はマイコンベーシックマガジン1987年1月号より)
群馬県高崎市は、ベーマガオリジナル26店で「高崎キャロットハウス」が掲載店として登場以降、脈々と集計店が受け継がれて来た地域です。
高崎キャロットは1985年1月(この号は休載表示のためスコアが掲載されたのは1984年10月が最後)で姿を消しますが、その後は「ゲームシティジル」が登場し、ここが先月1986年12月を最後に掲載が止まると、今号から「ウィルトークタイトー」に引き継がれます。そしてこの後も複数の店舗で掲載店の歴史が刻まれて行くことになります。
以下スコア欄となります。
(画像はマイコンベーシックマガジン1987年1月号より)
先月にナムコ系店舗の掲載終了について記載しましたが、それ以外では先程紹介した高崎市の「ゲームシティジル」と、和歌山県は田辺市の「オートスナック・パーク」が掲載を終了しています。和歌山県の紀伊半島所在の集計店は非常に貴重なのですが、掲載は1年も続きませんでした。今月で姿を消す店舗はありません。
また、今月は「年間集計」としてゲームタイトル別に集計欄への登場回数がまとめられています。
(マイコンベーシックマガジン1987年1月号より)
スコア掲載回数のカウントのため、単純にゲームの人気と比較は出来ないとは思われますが、それでも上位5タイトルは当時を知る人間としてある程度納得できるラインナップではないでしょうか。
象徴的なのはトップ5にナムコの文字が無いこと。
掲載店舗の約半数を占めているため、自社タイトルをスコア欄に掲載するのに最も有利なはずなのですが、7位にようやくスカイキッドが入り、ベスト20まで広げてもあとは13位のトイポップしかありません。
ヒットタイトルの源平討魔伝が年後半の登場だったり、スコアのないリターンオブイシターが対象にならない等の理由はありますが、それを差し置いても1986年という年はナムコのソフトパワーの低下を物語る結果となっています。
続いてトピック店舗となります。
「プレイシティキャロット早稲田店」をピックアップします。
(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年9月号より)
2021年9月4日撮影
早大最寄りの学生街と言えば高田馬場が連想されますが、早大の校舎は高田馬場駅から15分程度歩いた西早稲田にあり、東西線の早稲田駅や都電荒川線の早稲田停留所が最寄になります。早稲田停留所の方が大学には近く、停留所付近にも商店が軒を連ねており、その中に存在していました。山手線の内側にある駅が最寄のキャロットは実はここだけという事実があります。
過去のゲームマシン誌に、営業当時の写真と地図がありましたので転載します。
(いずれもゲームマシンアーカイブ、1986年11月1日号より)
また、当時の住宅地図でも場所に相違がないことが確認されています。
(ゼンリン住宅地図 新宿区1985年より)
交通の便が都内にしては悪いこともあり、近隣であるゲームブティック高田馬場と比較するとスコアラー御用達店舗としての知名度は劣りますが、ある著名なスコアラーが最初にここを拠点としていた影響か、80年台後半~90年台頭に掛けて多数のハイスコアが生まれた歴史があります。
最後のスコア掲載は1993年7月。都内のキャロットでは掲載が長続きした店舗になります。主要駅や道路に面していない店舗立地条件や、場所柄学生がメイン客層となる状況もあり、スコア掲載終了後は対戦格闘系のゲームが主体となっていたようで、ゲーム大会の形式においてこちらが発祥による「早稲田式」という言葉を残しているようです。
早稲田式という言葉の参考資料。対戦格闘ゲームは疎いため全くもって詳細は分かりません。
こちらも2000年時点では存続しており、当時の写真がナムコ広報誌に掲載されています。
(NOURSバックナンバー No.29 2000年8月号「全国ナムコ店舗ガイド 東京編」より)
こちら早稲田店の紹介で、80年台に東京都内でスコア掲載されていたキャロットは1店をを除いて網羅しました。残った1店とは「プレイシティキャロット巣鴨店」。
巣鴨店はトピックで取り上げるレベルではとても収まらない店舗ですので、別の機会に改めて単独でまとめたいと思います。