マイコンベーシックマガジン1987年10月号(第6巻第10号)のハイスコア集計店マップとなります。
総掲載店は102となり先月比-2ですが、新規掲載は1店あります。
・その他
パソコンシティ2000(長野県)
(マイコンベーシックマガジン 1987年10月号より)
長野南信地域(伊那市、駒ケ根市、飯田市等)の集計店は、ゲーメストでは1986年5月の創刊時より「がらんがらん」がノミネートされていましたが、一方のベーシックマガジンにおいては1年以上遅れて今回の「パソコンシティ2000」が地域初となりました。
以下スコア欄となります。
(マイコンベーシックマガジン 1987年10月号より)
当時チャレンジハイスコアコーナーを担当されていた見城こうじ氏が全国各地のハイスコア掲載店を巡る「ゲームセンター放浪記」が掲載されています。この回は東北及び北海道編。
昔はゲームセンターの写真を撮る機会などほぼ無いに等しく、当時の店舗外観や店内がこのような形で記録として残されているのは非常に貴重ではないでしょうか。
また、チャレハイ通信のビッグキャロットTOC店欄に初めて「ターボ(連射装置)」の装着について記述があります。
特に80年台後半のシューティングゲーム全盛期においては、擦り連射によるボタンの破損やコンパネ傷付けが一部で問題となったためその解決と、プレイヤーサービスの向上として連射のような外部装置を取り付ける店舗が徐々に現れ始めますが、やはりナムコ系店舗がそのようなサービスでも先鞭を切っていたように思います。
続いてトピック店舗です。
先月はベーマガ初期のジャレコ系掲載店を取り上げましたが、続いてタイトー系店舗から東京都内の「ファンファクトリー高田馬場/中野」の両店をピックアップします。
・ファンファクトリー高田馬場
(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年9月号より)
2021年10月9日撮影
・ファンファクトリー中野
(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年9月号より)
2021年10月9日撮影
タイトー系店舗、特にハイスコア集計店となると「ウィルトークタイトー」のブランドが咄嗟に思い浮かびますが、このブランドが導入されたのは恐らく1980年台後半で、それ以前は名称に「ジョイ」が入っている店舗が多かったものの店舗名はまちまちだったようです。
その中で、東京都心部に今回取り上げる「ファンファクトリー」という名称で展開されていた店舗がいくつか存在したようで、その中で今回の高田馬場、中野の両店が掲載店として登録されていた履歴があります。
まずは高田馬場店ですが、こちらは既に紹介したナムコの有名店「ゲームブティック高田馬場」から道路を挟んで真反対の場所でした。写真の「東栄ビル」が該当しますが、ゲームブティックの場所は向かいの「第26東京ビル」になります。
(ゼンリン住宅地図 新宿区1985年より)
向かいがスコア界の有名店だったためかこちらはあまり目立ったスコアの掲載は無く、1987年4月号が最後の掲載となりました。
店舗はその後「ウィルトークタイトー高田馬場」「TILT高田馬場」「タイトーステーション高田馬場」と店舗名称を変えつつ2016年3月まで営業が続いていたことを確認しています。ウィルトーク時代にはゲーメストの「東京シールハイク」にも取り上げられ、当時の店内写真が掲載されています。
(ゲーメスト 1987年8月号より)
この「さかえ通り」はこの2店以外にもいくつか店舗が存在したゲームセンター街道でしたが、現在は全て姿を消しています。
そしてもう一方の中野は、JR中央線及び地下鉄東西線中野駅南口の駅前に立地していました。
(ゼンリン住宅地図 中野区1986年より)
1985年7月号まで住所が「中野区中野2-7-4」となっているのですが、駅前からかなり離れた紅葉山公園に近い住宅地がプロットされるため恐らく1985年8月号以降の「中野区中野2-25-4」が正しい住所であり、住宅地図でも存在が確認されたためこちらを正式な場所と判断しています。
丁度駅前ロータリーの角地、現在のバーガーキングの場所が該当するようです。
流石に1986年当時と比較するとビルテナントは全て入れ替わっています。
こちらは高田馬場よりも早い1986年5月号にて掲載は終了しています。その後はタイトーが撤退して別の業者による営業が2000年頃までは続いていた形跡がありますが、正確な閉店時期は不明です。