小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1988年4月号

マイコンベーシックマガジン1988年4月号(第7巻第4号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

総店舗数は101で先月比-3となりました。新規掲載店は3か月振りでありません。

以下スコア欄となります。

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マイコンベーシックマガジン 1988年4月号より)

 

チャレハイ通信欄を眺めると、当時のナムコの目玉商品であったファイナルラップの入荷情報が多数あります。

減少傾向とは言え今号時点でまだ総掲載数の半数である50店をナムコ系ロケーションが占めているため、80年台前半と比較すると勢いの落ちていたナムコ製品において通信対戦という目玉機能を引っ提げて一世を風靡したファイナルラップがアピールされるのは自然と言えます。

 

一方、「ドラゴンクエストⅢ」の影響に関する文言もちらほらと。

これまでトップクオリティのゲームをプレイするためには業務用一択であったのが、この頃から徐々に家庭用のビッグタイトルの発売がプレイヤーにも店舗にも意識されるようになってきます。

 

引き続いてトピック店舗へ。

 

東京都多摩地区の初期ベーマガ掲載店から「ゲームスポット21国分寺店」及び「ゲームセンターセントラル鷹の台店」の2店を取り上げます。

 

・ゲームスポット21国分寺

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(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年7月号より)

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2021年12月29日撮影



・ゲームセンターセントラル鷹の台店

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(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年7月号より)

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2021年12月29日撮影


「ゲームスポット21国分寺店」は、既に紹介している新宿ゲームスポット21の姉妹店。

掲載開始は新宿と同時の1984年7月号でした。

 

大きなロータリーが整備された国分寺駅北口を出て東側に伸びる路地にあり、当時の住宅地図で確認するとパチンコ店の入ったビルの2階に位置していたようです。

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ゼンリン住宅地図 国分寺市1984年より)

現在は建て替えされており写真の「ヴィル・フランシェ」という高層階がマンションとなったビルになっています。

1986年8月で新宿のスポット21は掲載を中止していますが、こちらはその後の1987年4月まで掲載が継続しました。新宿店とは異なりバーチャファイターで有名になったということもなく、同居していたパチンコ店を含めて閉店時期は判明していません。

また、1986年6月~10月までの間、誌面店舗住所が「国分寺市本多4-3-10」となっています。

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マイコンベーシックマガジン 1986年6月号より)

 

こちらの住所を住宅地図で確認すると、駅から若干離れた住宅地の個人宅となっているため、一時的な店舗の移動等ではなく誤記誤植と判断します。

 

そして「ゲームセンターセントラル鷹の台店」はスポット21国分寺店と同じく1984年7月号から掲載開始。場所は西武国分寺線鷹の台駅から徒歩15~20分程度を要し、多摩美術大へ通じる道路の沿道に存在しました。

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ゼンリン住宅地図 小平市1984年より)

写真の「きぼん亭」が健在だったため、その隣の理髪店の場所が跡地と特定が出来ています。店舗そのものは跡地を見ても分かるように非常に小さかったようです。

写真や住宅地図を見ると住居が密集していますが、付近は多摩美大を始めとして複数の学校用地となっており、美大へ続くこの通りの沿道だけ商店や住居が固まっている場所となっています。駅から向かうのも距離があるため、美大生を始めとした周囲の学生をターゲットとしていたのではないかと想像します。

 

「セントラル」という店名は、現在でも八王子や浦安に店舗を構える「ゲームプラザセントラル」との関係が連想されます。セントラル自体はこの後に永福町や日吉がスコア集計店として掲載された履歴もあり、多摩地区に複数の店舗を持っていたことから恐らくその関係で間違いはないと思いますが、確定情報をお持ちの方はお寄せ頂きたくお願い申し上げます。

 

誌面への掲載は1986年10月号までとなりました。

当初は比較的近隣である東久留米、花小金井CHのプレイヤーが訪れていたこともあったようですが、やはり不便な場所と店舗の狭さは如何ともしがたかったのでしょうか。