小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1989年11月号

マイコンベーシックマガジン1989年11月号(第8巻第11号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店数は106となり先月比-3と減少しましたが、新規店舗が1軒あります。

 

・その他

マンモス城インベーダーハウス(大阪府

マイコンベーシックマガジン 1989年11月号より)

 

こちらの「マンモス城インベーダーハウス」ですが、先日現地調査に行った所、店舗跡地隣がとある方面で有名な店で笑ってしまいました。高槻市という住所からお察し下さい。

 

また新規掲載ではありませんが、1986年1月~1987年4月にて掲載されていた愛媛県の「タイトピア木屋町」が今号から2年7か月振りに復活掲載されています。こちらはゲーメストも1987~1988年は掲載が不定期だったため、店舗側の事情が働いていたのかもしれません。

 

以下スコア欄となります。

マイコンベーシックマガジン 1989年11月号より)

 

ゲーメストでは1989年7月から「プレイタウンYOU&YOU町田店」と合同集計となっていた町田市の「プレジャーキャッスル」ですが、ベーマガでは今号から合同開始となりました。ゲーメストからは4か月遅れということになります。

 

続いてトピック店舗へ移ります。

大阪のセガ系店舗から、阿部野橋の「アポロゲームセンター」をピックアップします。

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年9月号より)

2022年6月18日撮影

大阪は梅田、難波に次ぐターミナルである阿倍野天王寺に複合レジャービルアポロビル」が立地しています。建物は1972年にオープンしているのですが、セガは当初からテナントとしゲームセンターを運営していました。


sega.jp

上記「セガの歴史 1960-2020」内でも、1965年にセガが直営ゲームセンターの運営を開始し、1972年に初めてメダルゲーム機を設置した店舗として前身店舗である「アポロベガス」の紹介がされています。50年の歴史を刻む由緒ある店舗です。

当初はビルの6階にて営業がされていたようです。

1981年7月15日号、及び1986年5月1日号のゲームマシン誌に当時の店内写真が掲載されていますが、1986年の写真を以下抜粋します。

(ゲームマシン 1986年5月1日号より)

現在の6階フロアは写真のようにカラオケ店がメインとなっており、ゲームセンター時代のフロア配置は全くわからないのですが、記事を見ると「大きな窓から外の明かりを取り入れ」とあるため恐らくはガラス張りになっているあびこ筋に面した部分が店舗だったのではないかと想像します。

 

また1992年の住宅地図を確認した所、当時はまだ6階に位置していたようです。

ゼンリン住宅地図 大阪市阿倍野区1992年より)

 

その後はフロアを6階から3階へ移し、「セガワールドアポロ」としてセガによる運営が継続していましたが、セガが店舗運営から撤退している2022年6月時点ではまだ店舗名称は変更されていません。いずれはGIGOへと名称が変更されるものと思われます。

 

2022年6月18日撮影

 

またセガ以外にもゲームセンターがテナントとして入居していた時期があり、店舗調査を行った時点ではタイトーが4階フロアにてフランチャイズ店を展開していましたが、調査の翌日に閉店することが告知されていました。記録として写真をアップしておきます。

2022年6月18日撮影

スコアの掲載は1984年8月から開始されました。大阪駅前のロイヤル2店や心斎橋のゲームセンターニュー光と共にスタートしていることから大阪都心部のセガ系店舗で足並みを揃えたことが推察されます。

その後1986年に入ると休載が目立ち始め、1986年7月号掲載の後に1987年4月号にて単発で掲載された後に姿を消しています。大阪都心部はナムコ系も掲載期間の短さが目立っており、80年台末になると大阪環状線の内側にはゲーメストも含めてほぼハイスコア掲載店が存在しない状況になってしまいました。