マイコンベーシックマガジン1990年10月号(第9巻第10号)のハイスコア集計店マップとなります。
掲載店総数は99で先月比-1、ついに100店を割り込んでしまいました。1987年6月以来となるため3年4か月振りとなります。新規掲載店も無く、ゲーメストが刷新で多数の新規掲載店を産んでいるのとは対照的です。
以下スコア欄となります。
(マイコンベーシックマガジン 1990年10月号より)
チャレハイ編集後記に触れられている「コズモギャングズ」はナムコが1990年に発売したエレメカです。その後「ザ・ビデオ」や「ザ・パズル」でビデオゲーム化することでキャラクターが広く知られることになります。
上記動画を見ればお分かり頂けると思いますがガンシューティングに近いゲーム性で、スコアラー御用達のお店では結構ハイスコア狙いにハマる方も多かったようです。集計の要望も届いていたようで、翌11月号において遂に史上初の「エレメカでのハイスコア集計」が実施されるに至ります。
しかし以後同様に集計対象となったエレメカはありませんでした。それこそ後年に登場したナムコの「パニックパーク」やセガの「タッチデウノー」シリーズあたりは集計してもよさそうな気がしますが、エレメカ扱いという理由で集計されなかったと記憶しています。前例はあったんですけどね…
続いてトピック店舗です。
ベーマガオリジナル26店のうちの一つにして長野県に存在した唯一のキャロット系店舗「BIG CARROT松本→プレイシティキャロット松本店」を取り上げます。
(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年1月号より)
2020年7月23日撮影
長野県第二の都市松本市、その玄関である松本駅を出て正面にある繁華街に立地していました。長野県はここ以外には「キャロット」の名前を冠するナムコ直営店舗が誌面上に登場しなかったこともあり、県内を代表するハイスコア集計店として存在感があったお店です。
写真ビルの地下1階で現在はカラオケ店のフロアになっています。
90年台後半に一度行ったことがあるのですが、階段で地下へ降りた先にあったと記憶しているため、4枚目写真のシャッターが降りている階段が出入口跡かと思いましたが、
(季刊NG4号より。@Area51_zek 氏のtwitterより転載)
この写真を見るとビル正面右側に地下に直接入れる出入口があったように見えるため、カラオケ店に改装した際にアーチも含めた地下への入口を撤去している可能性が高いと思われます。
オープンは1979年とのことで相当に歴史のある店舗です。
1984年1月のベーマガ掲載開始後、追ってゲーメストが創刊されるとそちらにも掲載がされます。
(ゲーメスト 1986年9月号より)
ゲーメスト初回掲載時は「プレイシティ松本店」と表記されていますが、次回以降は訂正されています。
その後しばらくはダブル掲載店となっていましたが、1989年2月号でそれまで一度も店舗欄を欠くことがなかったベーマガへの掲載が突如として止まり、ゲーメスト単独の掲載となります。しかし1991年8月号からは掲載を復活させ1997年7月号まで継続しました。
一方のゲーメストは休刊前最後の掲載となる1999年9月30日号まで継続、休刊で掲載は途絶えたもののアルカディアへ舞台を移し、閉店に伴い2001年12月号にて掲載が終了するという履歴が残っています。閉店日は2001年9月24日とのことです。
そのためゲーメストからアルカディアへの移行に伴う空白期間を含めると、ハイスコア掲載主要3誌に1984年1月から2001年12月まで実に17年間に渡ってスコアを刻み続けて来たことになります。掲載期間が長期になると常連の推移や店舗の運営方針によって掲載が止まってしまう例が多々ありますが、上手く世代交代が進んでいたことが裏付けられています。
私は仕事で2002年に長野県は上田市に赴任したのですがその際には既に閉店後だったため、長野赴任後に訪れることは叶いませんでした。しかしここの元常連の方に上田で声を掛けて頂きメンバーとの飲み会に加えてもらい、その後も毎年1回は飲んでいる縁が続いているため、不思議と無関係とは思えない店舗となっています。
現在の松本駅前は、キャロット閉店後に残っていたパチンコ店併設のゲームセンターも撤退し、20万都市の代表駅前にゲームセンターが1軒もないという状況になっています。(ここでいうゲームセンターはこのブログをお読みいただいている方々が定義しうるゲームセンターという意味です。)