ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1992年8月号)
ゲーメスト1992年8月号(第7巻第8号)のハイスコア集計店マップとなります。
掲載店総数は88で先月比+1、3店の新規掲載があります。
2か月連続の登場ですが、先月号の「プレイスポットサン」がウィルトークタイトー小田原店の代替と考えると純粋な新規店は1992年3月号以来5か月ぶりです。
・セガ系
・その他
ガリバー熊谷店(埼玉県)
オキモト(広島県)
(ゲーメスト 1992年8月号より)
「ハイテクセガ三島」は1991年9月号から登場の「ハイテクセガ東松山」以来1年ぶりのセガ系新規掲載店となるのですが、そのハイテクセガ東松山は今号をもって掲載が終了してしまいます。
あとの2店は共にベーマガにて先行で掲載されており、後追いで重複掲載店となっています。
以下スコア欄を掲載します。
【めざせハイスコア 1992年8月】
(ゲーメスト 1992年8月号より)
今月号のヒットゲームベスト10欄を眺めていて気付いたのが、データイーストの「ダークシールⅡ」がナムコ販売であったという点です。
80年台後半から90年台前半でナムコはカネコ(エアバスター)やビデオシステム(パイプドリームや闘神ブレイザーズ等)の販売元となっていたことは認識していましたが、データイーストのタイトルにも存在したことは初めて知りました。
確かにインストカードには「総販売元 namco」のステッカーがあります。稼働時の姿を見ていたはずなのですが全く気付きませんでした。
ちなみにハイスコア的には、永久パターン発覚でクリア統一となった初代ダークシールの二の轍は踏まない…と思いきやⅡでも発見され集計対象とはならず。ウルフファングに次いでの永久パターン発覚だけに、「うーん、やっぱりデコゲー」というコメントに皮肉が混じっています。
トピック店舗:ウィルトークタイトー→ウィルトークタイトー高崎1号店/ウィルトークタイトー高崎2号店
最初は「ウィルトークタイトー→ウィルトークタイトー高崎1号店」「ウィルトークタイトー高崎2号店」の2店をまとめてピックアップします。
(ゲーメスト 1987年4月号より)
2014年10月13日撮影
(ゲーメスト 1988年11月号より)
2014年10月13日撮影
「ウィルトーク」の名前が示す通り両店共にタイトー直営店です。
最初に誌面に登場したのは高崎1号店なのですが、この時にはまだ2号店は存在していなかったようで、店舗名称は「ウィルトークタイトー」のみの表記となっています。
(マイコンベーシックマガジン 1987年1月号より)
また誌面掲載はベーマガが先行して1987年1月号から開始されており、ゲーメストは若干遅れて1987年4月号からのスタートとなっています。そしてゲーメストは1987年9月号、ベーマガは1988年3月号から「ウィルトークタイトー高崎店」の表記へと変更になっています。
場所は「高崎キャロットハウス」と同じく高崎中央銀座商店街に位置していました。
1990年の住宅地図にて所在を確認しています。隣接していた「パチンコ王将会館」は現在建物がなく更地に。また高崎キャロットハウスはこの地図の上部枠外に位置していましたが既に地図上からは姿を消しています。
だた1990年時点は既に誌面へのスコア掲載を終了しており、ベーマガは1988年6月号まで、ゲーメストは同年10月号を最後に姿を消しています。ベーマガから通算しても2年弱の掲載期間に留まっています。
そして跡地は2024年時点でバー&ライブハウスとなっていますが、写真でもわかるようにアーケード天井から吊り下げられている店舗サインに「GAME TAITO INN」の表記が残っていました。そのためどこかのタイミングで「ウィルトークタイトー」から「タイトーイン」に店名が変更されているのですが、変更された時期やタイトーインとしての閉店時期は不明です。
ちなみに2006年の高崎中央銀座商店街に存在したゲームセンターの状況を記したブログを発見しましたが、タイトーインの店舗サインの場所には「モンテカルロ」が存在しています。
近隣の店舗が移転でこの場所にやってきたと思われるのですが、この「モンテカルロ」も移転前にハイスコア掲載店だった履歴があるためそちらで改めて詳細を取り上げたいと思います。
そしてもう一方の「ウィルトークタイトー高崎2号店」ですが、こちらは中央銀座商店街の一本隣である旧中山道に面した連雀町交差点の付近に存在しました。1号店からは徒歩で5分程度の距離となります。
(ゼンリン住宅地図 高崎市1990年より)
こちらも地図は1990年です。テナント一覧でも「ウェルトークⅡ」という表記となっているため2号店であることが何かしら外観から判断できたのではないかと推察されます。
2024年現在でビル名称は「イシイビル」から「寿ビル」へと変わっていますが、隣接する「金子園ビル」を取り囲む形状は変わっておらず、ビル躯体自体は当時のままと思われます。ただ2か所ある出入口の階段がどちらも後付けされたような不自然な外観となっており、ビルオーナーが変わり飲食店主体となった際に内外装に大きく手が加えられているであろうことから、ウィルトーク時代の痕跡は全く残っていないのではないでしょうか。
スコアの掲載はゲーメストで1号店が掲載を終了した翌月の1988年11月号から開始されました。そのため1号店と重複掲載はされていません。店長の交代やスコアを理解しているスタッフの異動といったなんらかの理由でスコアラーが1号店から離脱してきたのでしょうか。またベーマガへの記載は2号店では実施されませんでした。
その後1989年はコンスタントに掲載が続きますが、1990年に入ると休載が増加し、同年9月号が最終掲載となっています。1号店から続いていた高崎のタイトー系掲載店はトータル4年弱で幕を下ろすこととなりました。閉店時期は不明です。
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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年7月号
ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年8月号
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