ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1984年7月号)
スーパーソフトマガジン(ベーシックマガジン別冊付録)1984年7月号(第3巻第7号)のハイスコア集計店マップとなります。
総掲載店数は前月の46から60へと増加。ここから9月号までの3か月で一気に掲載店舗数が増加します。
以下新規掲載店リストです。
・ナムコ系
プレイシティキャロット流川店(広島県)
ヤングタウン(鹿児島県)
・セガ系
GAME SPOT 21(東京都)
GAME SPOT 21国分寺店(東京都)
プレイランド赤い風船(神奈川県)
パソピック(神奈川県)
ビデオインイセザキ(神奈川県)
・その他
マックスゲームセンター(埼玉県)
ゲームインJ&B(東京都)
ゲームファンタジー(東京都)
ゲームセンターセントラル鷹ノ台店(東京都)
ダイエーレジャーランド金沢店(石川県)
ビッグワン(大阪府)
ゲームセンター・シグマ(兵庫県)
(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年7月号より)
今回初めてセガ系の掲載店舗が出現しました。3件とも横浜市内のため申し合わせが存在したのかもしれません。またメーカー系列店以外から一気に7店の新規掲載が開始され、ほぼナムコ系オンリーだった店舗欄が徐々に変化してくるようになります。
(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年6月号より)
前号にて17店の追加が予告されていますが、今回追加店リストに含まれている店舗とそうでない店舗があります。翌月以降で掲載される店舗も含まれていますが、インフォがされたものの結局一度も掲載されないままだった店舗も存在します。
上記リスト内では、渋谷区代々木の「ウィステリア」が協力店として挙がっていますが誌面に店舗欄は一度も登場しません。また横浜市の「シーポート」は1984年8月号に店舗欄が現れるものの休載表記でスコアは掲載されず、以後は店舗欄さえ設けられていないため実質掲載されていないのと変わりはありません。
このような店舗のマップ上の扱いですが、予告はされたものの店舗欄が登場しなかった店舗は掲載無きものとしてプロットはしませんが、休載扱いとは言え一度でも店舗欄が設けられた場合はマップに位置を落とし込む方針で進めたいと思います。
以下スコア欄を掲載します。
【チャレンジハイスコア 1984年7月】
(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年7月号より)
掲載店の増加に伴い、これまで1ページ当たり最大8店の掲載だった構成が最大18店の掲載となり、個々の店舗欄はかなり小さくなりました。別冊時代は誌面サイズがB5のため、ベーシックマガジン本体にスコア欄が吸収されA4サイズに変更されるまでの期間は最も店舗欄が小さい時期だったと言えそうです。
トピック店舗:GAME SPOT 21
トピック店舗ですが、丁度今号からハイスコア欄に店舗欄が掲載開始され、また先日店舗ツイッターアカウントに以下のお知らせが発表され話題となった新宿の老舗「GAME SPOT 21」を取り上げます。
【お知らせ】
— GAME SPOT21新宿西口 (@gamespot_21) 2020年11月11日
突然で恐縮ですが
2021年1月中旬にSPOT21は閉店する事となりました。
日にちが決まり次第改めてお知らせ申し上げます。
あと2ヶ月程ではございますが何卒御付き合いよろしくお願い致します。#SPOT21 #ゲーセン #閉店
(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年7月号より)
2021年1月10日撮影
アーケードゲームファンの間では、「バーチャファイターの聖地」として有名になった店舗ですが、以前はハイスコア集計店だった時期があります。私も正直「バーチャのお店」というイメージしか持ち合わせておらず、集計店だった時期があったことは意外でした。
掲載期間を確認した所、1984年7月から1986年8月までの約2年間。ゲーメストがハイスコア集計を開始した頃には既にベーシックマガジン集計店から姿を消しているため、印象が薄いのも無理はないという所でしょうか。
(ゼンリン住宅地図 新宿区1985年より)
場所については説明不要なのですが、一応1985年当時の住宅地図となります。ビルテナント一覧が無いため地図上において店名は確認出来ませんでしたが、建屋の形状は変わっていませんね。また北側には「新宿スポーツランド」の文字も見えます。
「バーチャのお店」という印象しか持っていなかった私は、通勤通学で新宿を通過していたにも関わらずこれまで一度も入店したことが無かった(失礼)のですが、閉店の報を聞き、元集計店であったことの記録を残す目的で今回初めて来訪することと相成りました。1月中旬に閉店予定とのことだったので少々無理して訪れたのですが、撮影時点ではまだ具体的な閉店日時は決定していないようで、閉店に関する掲示は見受けられませんでした。
(その後1月20日に閉店となったことが確認されました。長期間の営業お疲れ様でした。)
閉店を控え既に機器が相当に撤去され非常に寂しい店内と化していましたが、昭和後期〜平成初期のゲームセンターを彷彿させる趣は十分に残されていました。だた、「店内が煙草臭い」という理由でゲームセンターへの入店が敬遠される昨今、その「趣」だけでは店舗を維持するのは厳しかったのかもしれません。こうしてまた一つかつての名店が姿を消していくことになります。
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