ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1984年10月号)
スーパーソフトマガジン(ベーシックマガジン別冊付録)1984年10月号(第3巻第10号)のハイスコア集計店マップとなります。
総掲載店数は112店となりました。9月号の108店から微増し増加傾向は継続したものの、以後の掲載店総数はおおよそ100~110前後で推移するため、この辺りで掲載店数はほぼ上限に達したようです。
新規掲載店は以下となります。
・ナムコ系
プレイシティキャロット巣鴨店(東京都)
・その他
Y・Pエンゼル(岐阜県)
(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年10月号より)
80年台後半以降、全国のハイスコア集計店におけるいわば「頂点」として君臨したプレイシティキャロット巣鴨店がこの号で初めて誌面に登場しました。
巣鴨と聞くと一般の方は、地蔵通り商店街に代表される「おばあちゃんの原宿」をイメージすると思いますが、この店舗の存在によって古のゲーマーにとっては「ハイスコアラーの聖地」として記憶されることになります。
以下スコア欄を掲載します。
【チャレンジハイスコア 1984年10月】
(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年10月号より)
掲載店舗の増加に比例して休載表記や店舗欄未掲載が垣間見えるようになります。
当号では埼玉県の「マックスゲームセンター」および「セントラルパークPART-2」の2店が休載の後、翌11月号以降は掲載がされなくなります。
やはり休載が多い店舗は管理が行き届いていないためなのか、早々に掲載店から姿を消す傾向が強いようです。
トピック店舗:ゲームスペースミライヤ
トピック店舗ですが、チャレンジハイスコア初回掲載26店から、大田区蒲田の「ゲームスペースミライヤ」をピックアップします。
(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年1月号より)
2021年1月17日撮影
蒲田と言えば、当時のナムコ本社は蒲田から東急目蒲線(現在の東急多摩川線)で隣の駅、矢口渡が最寄りでいわば「お膝元」の場所です。
東急のホームがある蒲田駅西口を出ると、北側に1枚目写真のドン・キホーテ蒲田駅前店が営業していますが、かつてこの建物は丸井蒲田店でした。その丸井の地下1階にナムコがオープンさせたゲームセンターがこの「ゲームスペースミライヤ」です。
1985年当時の地図では丸井が確認出来ますが、テナント一覧は記載がなかったためミライヤの名称は確認出来ませんでした。
当時のナムコは、商業施設内店舗の「ナムコランド」と、都市型単独店舗の「キャロット」の2つのブランド名でゲームセンター展開を行っていましたが、それに次ぐロケーション形態の試金石としてミライヤを位置付けていたようです。近未来型の内装を施して従来店舗と差別化を図っていました。
ゲームスペース ミライヤ(東京都大田区:1982年8月頃)。国鉄、東急目蒲線・池上線(現:JR東日本・東急電鉄)の蒲田駅前、丸井百貨店が入居する第一醍醐ビルの地下に、日常の中の未来的非日常としてそれは突然現れた。それがナムコが現在と未来を結びつける店として作った実験店舗『ミライヤ』だ。 pic.twitter.com/o58ykawXsU
— ぜくう@Mr.ドットマン本 ドットワークス (@Area51_zek) July 18, 2020
当時の入口や店内の様子が紹介されています。逆L字型の入口看板にわずかに当時の面影を残しています。また地下への階段にはエスカレーターが設置されていたことが確認できますが現在は撤去されており、階段部の天井が不自然に半分だけ高さが異なっているのはエスカレーターの名残のようです。
階段を降りると現在は正面に居酒屋のテング酒場、右側にサイゼリヤが入居していますが、テング酒場の場所がミライヤであったことが確認出来ます。
その昔 蒲田にあったナムコのロケ「ミライヤ」のパンフレット。むかーし1度だけ行ったことあるんだけど、その次行こうと思ったらもうなかった… pic.twitter.com/L8b1Uo8am8
— S.Fujishima(pac) (@pacf) October 19, 2016
実験店舗だけあって店舗オリジナルのパンフレットも用意されていたようです。
オープン当時はナムコゲームの黄金期であったことも手伝いかなり話題となっていました。私もそうですが、実際にミライヤへ行ったことはなくとも店舗名だけは知っていたというゲーマーも多かったのではないでしょうか。
しかしナムコはこのミライヤのパッケージを全国展開することはしませんでした。
元々試験店舗という割り切りだったのでしょうか、オープンから3年程度の1985年7月には店舗をクローズしていたようで、ベーシックマガジンへのハイスコア掲載もそこでストップしています。場所も良かったので通常のキャロットへ転換して営業を続けるという方法もあったと思いますが、敢えてそうしなかったのは何か理由があってのことだったのでしょう。
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