小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1985年5月号/トピック店舗:プレイシティキャロットハローススキノ店(北海道)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1985年5月号)

マイコンベーシックマガジン1985年5月号(第4巻第5号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

店舗数は114と先月に引き続き上限を維持。

新規掲載店が1店あります。

 

ナムコ

室蘭キャロットハウス(北海道)

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マイコンベーシックマガジン 1985年5月号より)

 

札幌市内に集計店を含めた多数の店舗展開をしていた当時のナムコですが、北海道内の地方都市にも既に掲載が始まっている小樽、函館に加えて室蘭が加わります。

また、ゲーメストに掲載された店舗を含めると苫小牧、釧路、旭川が追加され、道内に広範囲に店舗展開を行っていたことが窺えます。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1985年5月】

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マイコンベーシックマガジン1985年5月号より)

 

新規掲載が開始される一方で掲載中止の店舗も発生しています。

 

ナムコ系では室蘭キャロットの掲載が増えた北海道ですが、一方「プレイシティキャロットハローススキノ店」が今号が最後の掲載となりました。

 

また、今号で3号連続で休載表記だった東京都板橋区の「ゲームセンターUFO」、そして大阪駅前第3ビルの「センターロイヤル」は次号以降店舗欄から姿を消します。

 

https://twitter.com/royalgamecenter?s=20

掲載店から姿を消したセンターロイヤルですが、2021年4月現在も大阪駅前第3ビル地下1階で営業が続く「ロイヤルゲームセンター」として健在です。80~90年台のゲームセンターの光景を現在に残している貴重な店舗となっています。

 

また、兵庫県尼崎市の「マイコンゲームI.B」について、姉妹店として大阪府池田市の「ZONE(ゲームセンター・ゾーン)」でハイスコア登録が可能の旨が欄外に記されています。複数店舗の合同集計となった初めての例となります。

こちらは住所も記載されておりマップ上にプロットすることも可能なのですが、「店舗欄に記載された住所のみプロットの対象とする」ことを掲載ルールとしているため、マップ上には記載しないことにします。以後の合同集計店舗についても同一とします。

 

トピック店舗:プレイシティキャロットハローススキノ店

トピック店舗ですが、今回最終の掲載となった「プレイシティキャロットハローススキノ店」を取り上げることにします。

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(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年3月号より)

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2021年3月28日撮影

すすきのといえば札幌はおろか国内屈指の繁華街ですが、その真ん中にナムコのキャロットが存在した、といってもピンと来ないゲーマーの方も多いと思います。かくいう私もそうでした。

 

1983年12月号の別冊スーパーソフトマガジンにてハイスコア集計の開始が予告された際、当初掲載店27店のうちの1店としてノミネートされましたが、実際に掲載が開始されたのは1984年3月号から、そして今回の1985年5月号を最後に掲載店から姿を消すため掲載期間はわずか1年程度。それでは店舗の認識度が著しく低くなっていたことも頷けます。

ゼンリン住宅地図 札幌市中央区1985年より)

 

1985年の住宅地図ですが、すすきのと言ってもアーケード内に店舗が軒を連ねる狸小路側ではなく、周囲は居酒屋やスナックが中心。キャロットが入っていたビルも2階から5階までを居酒屋が占めており、飲みに来たサラリーマンの時間つぶしなどの需要を当て込んだ立地だったのかもしれませんが、当時の10代ゲーマーにとっては非常に近寄りずらい場所だったのではないかと想像できます。

アミューズメントライフ No.11(昭和58年10月20日号)より)

 

ベーマガのハイスコア集計やゲーメスト創刊以前の、日本で最初にアーケードゲームを中心に取り上げた商業誌「アミューズメントライフ(AMライフ)」誌上にすすきののゲームセンター特集記事があり、営業当時の貴重な写真が掲載されていました。

 

ナムコの店舗っぽくない入口のアーチや、店内にラウンジが設けられていたとの記述があり、場所柄完全にアダルトな客層を見越しているのですが、それ以上に注目なのが「3時(15時)~翌朝6時」という営業時間。

まだ改正風営法の施行前のため営業時間の制限がなかったことからこのような運営が可能だったのでしょうが、いろいろな意味でナムコロケらしくない店舗だったようです。

 

そして業界紙「ゲームマシン」を検索すると、全国縦断ゲーム場ルポとして1982年のすすきのが取り上げられていました。

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(ゲームマシンアーカイブ、1982年7月1日号より)

 

この時点ではキャロットと同じ住所の富士会館に「ゲームプラザ・ハロウィーン」が入居しており、キャロットになる以前からゲームセンターが存在したことが分かります。

 

つまりキャロットは「ゲームプラザ・ハロウィーン」の居抜きの可能性が高いのですが、ハロウィーン時代の詳細な運営や営業時間等は誌面からは確認出来ませんでした。

 

そして時を経て1986年に再度すすきのが特集されるのですが…

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(ゲームマシンアーカイブ、1986年7月15日号より)

 

1986年7月ではキャロットはおろか富士会館の位置にゲームセンターの表記が無く、この時点で既にキャロットは撤退済であったことが確認出来ます。

 

風営法が1985年2月13日から施行開始されゲームセンターの午前0時以降の営業に規制が掛かると、この立地で0時までに短縮された営業時間では苦戦することは必至だったのではないでしょうか。

短命だったこともあり、AMライフ誌及びベーマガのスコア欄以外では殆どその足跡を辿ることが出来ない店舗となっています。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1985年4月号

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