小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1985年9月号/トピック店舗:澄川キャロットハウス(北海道)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1985年9月号)

マイコンベーシックマガジン1985年9月号(第4巻第9号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

総掲載数は108店と微減。新規掲載店は以下1店あります。

 

ナムコ

プレイシティキャロット京橋店(大阪府

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マイコンベーシックマガジン 1985年9月号より)

 

ぽつぽつと新規掲載店が現れる関東のキャロットに対して、関西の新規掲載は1984年12月の「プレイシティキャロットなんば店」以来となっています。関東と比較すると店舗数も少なかったこともあり関西は「キャロット信仰」が関東ほどは大きくなかったのではないかと思います。

 

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1985年9月】

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マイコンベーシックマガジン 1985年9月号より)

 

「チャレハイ・インフォメーション」に記載されているプレイシティキャロット道頓堀店の「ナムコミュージアム」ですが、愛知県のプレイシティキャロット豊橋店で1987年頃同じコーナーが展開されていました。

またゲームへのヘッドホン端子取り付けの案内も掲載。これも同じく愛知県の星ヶ丘キャロットハウスで確認しており、こういったサービスが水平展開されるのは当時のナムコ系ロケならではだった思います。

 

トピック店舗:澄川キャロットハウス

トピック店舗ですが、前回同様札幌市郊外のナムコ系店舗より「澄川キャロットハウス」をピックアップします。

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 (スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年3月号より) 

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2021年3月28日撮影

前回紹介した川沿キャロットハウスと同一の1984年3月から店舗欄の掲載が開始されており、また両店間の距離も道なりで5kmも離れていないため、兄弟店舗のようなイメージを勝手に持っていました。

ゼンリン住宅地図 札幌市南区1985年より)

 

しかしこちらは札幌市営地下鉄南北線の南側終点である真駒内のニつ手前、澄川駅から徒歩5分程度。付近に繁華街や学校は無く住宅地の立地であることが当時の住宅地図からも窺えます。川沿や赤い風車と違ってドライブイン的な要素もありませんでした。

しかしドライブインでよく見かけた麺類の自動販売機が店内に設置されていたとの情報を頂いており、やはり飲食環境は普通のゲームセンターに比べると充実していたようです。


www.youtube.com

 

カップヌードルの自販機がある店舗は結構見かけましたが、ドライブインでもないのにこれに近いタイプの麺類自販機があったゲームセンターはそれ程多くなかったのではないでしょうか。

 

また市内の他の直営店のビデオゲームプレイ料金がほぼ1プレイ100円だったのに対し、ここだけ1プレイ50円にて運営されていたようです。メーカー系店舗で完全50円は結構珍しいと思います。郊外店における地域性を重視したサービスだったのでしょう。

 

ベーシックマガジン誌面へのハイスコア掲載開始は川沿と一緒だったものの、終了は川沿よりも早く1987年4月号が最後の掲載となっています。

その後も店舗の営業は継続していましたが、1996年初めの豪雪で「雪の重みで建屋が物理的に」潰れてしまい閉店という不幸な幕切れを迎えることとなってしましました。

 

跡地は写真中央のコンクリート地肌が剥き出しになっているアパートの位置が該当します。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1985年8月号

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