小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1985年11月号/トピック店舗:ゲームブティック高田馬場→プレイシティキャロット高田馬場店(東京都)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1985年11月号)

マイコンベーシックマガジン1985年11月号(第4巻第11号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店巣数は109となり減少傾向が止まったように見えますが、先月は0だった休載表記が今月は13店も存在しており、スコアが掲載されている店舗は実質96店と寧ろ前月を下回っています。新規掲載店はありません。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1985年11月】

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マイコンベーシックマガジン 1985年11月号より)

 

偶々今回のみ休載の店舗もありますが、休載全13店中9店が今回あるいは次回の掲載を最後に姿を消しています。これだけ多数の休載があるのは今号が最後で、以降1986年1月を最後に店舗欄の休載表記が使用されなくなります。

 

また、今回休載を最後に姿を消した店舗の中に兵庫県の「ゲームセンターシグマ」があります。

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 (スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年7月号より)

 

三木市志染町」という住所と「シグマ」という店舗名に覚えがあり確認した所、追ってゲーム基板を家庭で動作させるためのコントロールボックスを製造販売する「シグマ電子」と店舗の住所が一致しました。

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 (ゲーメスト 1990年1月号より)

 

ゲーメスト誌上によく広告を出していたので、見覚えのある方も多いのではないかと思います。ただ広告上には「ゲームセンターシグマ」の案内が掲載されていた覚えがないため、ハイスコア集計店を運営していた時期があったことは意外でした。店舗運営からは比較的早く撤退をしていたのかもしれません。

 

トピック店舗:ゲームブティック高田馬場→プレイシティキャロット高田馬場

そして今月のトピック店舗。

ハイスコア創世記はこの店舗の存在を抜きにして語ることは出来ません。

「ゲームブティック高田馬場」を取り上げます。

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 (スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年1月号より)

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2021年5月29日撮影

 

現在でもアーケードビデオゲーム界隈では「ゲーセンミカド」の存在で知られる高田馬場ですが、早稲田大学の最寄駅のため駅付近に形成された学生街にかつては多数のゲームセンターが林立していました。

ゼンリン住宅地図 新宿区1985年より)

 

特に駅改札を出て北西方向に伸びる「さかえ通り」にゲームセンターが複数存在していたのですが、その沿道にあったこのお店が1980年台のビデオゲームハイスコア創世記においてゲーマーに非常に高い知名度を誇っていました。

 

この店舗の知名度を高めた要因と言えば、ナムコの大ヒットタイトル「ゼビウス」とゼビウスを攻略したプレイヤー、そしてその攻略から生まれた同人誌「ゼビウス1,000万点への解法」の存在であったことは疑いないと思います。

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2021年3月27日撮影

 

先日の「札幌・小樽ゲーセン物語展」に展示されていた「ゼビウス1,000万点への解法」の実物です。この後ゼビウスにて1,000万点を達成することが一つのステイタスとなり、また以後のハイスコア集計において1,000万点というスコアが到達点として広く認知されることとなります。

 

ゲームブティック高田馬場が最も盛り上がっていた時代の話は、下記ゲーム文化保存研究所内の記事「ゲームセンター聖地巡礼 1980~1990年台 高田馬場」に詳しく記載されています。

igcc.jp

上記記事は2018年にアップされていますが、跡地である日高屋は2021年時点で既に写真の居酒屋へと変わっています。

 

そして1987年8月号のゲーメストにて東京のゲームセンター特集(シールハイク)が組まれていますが、写真付きで紹介されているため当時の店内の様子を垣間見ることが出来ます。

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ゲーメスト 1987年8月号より)

 

この頃には既に東京における聖地的存在はプレイシティキャロット巣鴨店へ移っており、記事中からもその栄光が過去のものになりつつあることを窺い知ることが出来ます。

当時や現在の写真を見て頂ければわかるように正直店内は狭く、特に80年台後半以降に増加した体感ゲーム筐体を導入する充分なスペースを確保出来なかったのではないでしょうか。これは高田馬場に限った話ではなく、都心部に多く存在した小規模なキャロット系店舗全般に言えることなのですが。

 

そして1990年9月号の掲載から伝統ある「ゲームブティック」の冠を改め「プレイシティキャロット高田馬場」に店名変更されます。

マイコンベーシックマガジン 1990年9月号より)

 

その後スコア欄は1992年8月まで継続していました。ゲーメストへの掲載履歴は無し。店舗は1996年に閉店しているとの情報です。

 

「ゲームブティック高田馬場」で検索すると上記ゲーム文化保存研究所の記事を始めとしてかなりの数がヒットする反面、「プレイシティキャロット高田馬場」を単独で扱っているページは殆ど存在しませんでした。いかに「ゲームブティック」としての存在が大きかったのかを物語っているように思います。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1985年10月号

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