ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1992年5月号)
マイコンベーシックマガジン1992年5月号(第11巻第5号)のハイスコア集計店マップとなります。
掲載店総数は90となり先月比+3となりました。
今月も4店の新規掲載があります。
・その他
八千代プレイランドカーニバル(千葉県)
ゲームズウィル(京都府)
(マイコンベーシックマガジン 1992年5月号より)
90年台のハイスコア集計店においては著名な4店が顔を揃えています。
「八千代プレイランドカーニバル」「チャレンジャー関大前」はゲーメストの後追いとなっていますが、「アイリン夢空間」「ゲームズウィル」の2店はゲーメストに先行して掲載が開始されました。
当時のゲーメストは掲載店の入れ替えが少なく安定しており、スコア有力店でも比較的掲載がされ易かったベーマガから掲載をスタートさせ追ってゲーメストの枠を確保するといった光景が時折見受けられました。
以下スコア欄を掲載します。
【チャレンジハイスコア 1992年5月】
(マイコンベーシックマガジン 1992年5月号より)
注目タイトルであるハイスコアトップページの「デカ文字」を飾るのはデータイーストの「ウルフファング」です。1989年リリースの「空牙」続編ですが自機は戦闘機からロボットとなり、縦スクロールから横スクロールへと変化しているため実質は全くの別ゲームとなっています。
装備のカスタマイズでそれぞれに名称を持つトータル64種類もの機体から自機を選択できる斬新なシステムを持ち、演出も優れていたことで当時の特にロボット好きゲーマーの心を鷲掴みにし、対戦格闘ゲーム一辺倒となりかけていたビデオゲームに新風を起こしましたが、ハイスコア的には程なく永久パターンが発覚したため集計打ち切りとなってしまい、盛り上がりに欠くことになってしまった悲運のタイトルでした。
永久パターンがなければともすれば現在でもゲームを嗜み続けている方がいても不思議ではないタイトルです。つくづく永久パターンの発覚(とそれを事前に察知できなかったメーカー)が残念でなりません。
トピック店舗:ジョイプラザ21/ドリームイン河原町
トピックは京都市の初期ベーマガ掲載店舗から、タイトー系列の「ジョイプラザ21」および「ドリームイン河原町」の2店を取り上げます。
【ジョイプラザ21】
(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年8月号より)
2024年8月15日撮影
【ドリームイン河原町】
(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年9月号より)
2024年8月15日撮影
両方とも京都市中心部の河原町通に面しており、お互いの距離は100m程度しか離れておらず徒歩でも数分は掛かりません。
冒頭で2軒ともにタイトー系列に分類するとしていますが、その根拠は以下のゲームマシン誌の記事によるものです。
(ゲームマシン 1985年8月1日号より)
ゲームマシン1985年8月1日号の「全国市街地ゲーム場 京都・河原町」によると、今回紹介する2店は赤枠となり、共に運営はタイトーとなっています。また河原町界隈だけでタイトー系列店舗が全部で5店存在していたことがわかります。
最初にベーマガ誌面に掲載されたのはジョイプラザ21です。1984年8月号にて初登場となりましたがこの号のみの単発掲載に留まりました。(そのため店舗欄が現状は状態の悪い画像しかありません。ご了承下さい。)
場所は四条河原町交差点から河原町通を北上、河原町三条との丁度中間付近となります。
(精密住宅地図 京都市中京区1981年より)
1981年時点で店舗は存在しており、またタイトーの関西事業所も兼ねていたようです。
「ドリームイン河原町」もこの時点で既に存在、位置関係把握のためこちらは青枠にて地図上に記載しました。
そして1984年9月号から「ドリームイン河原町」の掲載が開始されますが、前述の通りジョイプラザ21は8月号単独掲載のためドリームイン河原町とは重複せず、実質掲載店が代替されたことになります。
その後ドリームイン河原町単独での掲載が継続しますが長続きはせず、スコアが記入された店舗欄は1985年7月号が最後、その後8,9,11月号は休載表示となり姿を消しています。スコア掲載は1年程度に留まりました。
(ゲームマシン 1985年8月1日号より)
また1985年時点の両店店内光景がゲームマシン誌に掲載されていますが、四条河原町交差点に近く新しめのアップライト筐体の姿も見え、河原町周辺におけるタイトー系店舗の顔とまで記事中で記されたドリームイン河原町に対し、立地的に劣るジョイプラザ21はテーブル筐体オンリーとなっており、常連客が系列店へ流れているようだとの当時のタイトー京都営業所長の回答があります。
その影響もあったのか、1988年の住宅地図ではジョイプラザ21の場所は「珈琲 青山」となり店舗は消失、そしてドリームイン河原町は「ジョイランドタイトー河原町店」と名称を変え存続しています。
(精密住宅地図 京都市中京区1988年より)
その後「ジョイランドタイトー河原町店」の時にはゲーメストの店舗紹介記事でも取り上げられました。
(ゲーメスト 1989年8月号より)
この頃になると繁華街店舗らしく大型筐体やメダルゲーム中心の構成となっていたようで、1985年当時のビデオゲーム主体の店舗から様変わりをしていたようでした。
そして2024年時点では両店共に既に店舗の形跡はなく、ドリームイン河原町の跡地は周囲の複数の店舗も含めて1階が店舗スペースの「ホテルミュッセ京都」となっています。またジョイプラザ21は昔の住宅地図と比較すると恐らくは写真の「サンマルクカフェ」の場所が該当すると思われますが、建物が当時のままなのかどうかは外見からは判断できませんでした。
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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年4月号
ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年4月号
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