小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年11月号/トピック店舗:筑波学園キャロットハウス→プレイシティキャロット筑波学園店(茨城県)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジント1992年11月号)

マイコンベーシックマガジン1992年11月号(第11巻第11号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は89で先月比+3、2か月連続で増加しています。

今月も2店の新規掲載があります。

 

・その他

ゲームプラザコトブキ(埼玉県)

 

プレイランドスカイシアター(埼玉県)

マイコンベーシックマガジン 1992年11月号より)

 

「ゲームプラザコトブキ」は、都市規模の割にハイスコア掲載店に恵まれなかった埼玉県浦和市(現さいたま市)初の掲載店となりました。ベーマガが先行しましたが追ってゲーメストにも掲載されることになります。

 

また「プレイランドスカイシアター」は90年台のハイスコア界では著名なお店。こちらはゲーメスト先行でベーマガが後追いの掲載となっています。

 

この2店の追加で埼玉県の掲載店が今号で5軒まで増加しますが、そのうち「ハイテクセガ東松山」は今号が最後の掲載となっています。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1992年11月】

マイコンベーシックマガジン 1992年11月号より)

 

スコア解説欄でも触れられていますが、キャラ別集計タイトル専用ベージが追加されたためトップスコア紹介に合計3ページが割かれています。

 

一方で店舗欄は6ページに減少していることから、かつての100店オーバーのような集計店舗数はもはや確保できないという意思表示になっているように感じます。

 

トピック店舗:筑波学園キャロットハウス→プレイシティキャロット筑波学園店

 

トピック店舗です。引き続き北関東方面の初期ナムコ系掲載店から、場所を群馬→栃木から茨城へと移し「筑波学園キャロットハウス→プレイシティキャロット筑波学園店」をピックアップします。

(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年3月号より)

2024年11月23日撮影

筑波大学や国の研究機関が多数立地する筑波研究学園都市

計画都市として整然と配置された街区が広がっていますが、その一角に意図的に集められたような所謂「繁華街」に該当するエリアがあります。

飲食店やスナックが立ち並ぶその区画にナムコのキャロットが存在していました。

研究学園都市の主要施設は、南北方向に走る学園東大通りと西大通りに挟まれたエリアに広がっていますが、その2本を東西方向で繋ぐ学園北大通りに面した場所になります。

ゼンリン住宅地図 桜村1985年より)

 

住宅地図は1985年ですが、この年はちょうどつくば科学万博が開催された年です。

その時はまだ現在のつくば市は誕生しておらず、キャロットの住所は合併前である「新治郡桜村」となっています。つくば市の誕生は1987年となっており、合併に合わせてキャロットの住所もつくば市へ変更されるのですが、合併前は唯一「村」に存在したハイスコア掲載店であり、またここ以外に行政区分が村に存在する店舗は現れませんでした。

 

キャロットの周辺は前述のように繁華街エリアとして小規模なスナックや飲食店が林立した場所で、それは2024年時点でも大きくは変わっていません。

 

ただ既にこの場所に街が出来てから半世紀近くが経過しており、空き店舗や古くなった建物のリニューアルや再建築が所々に見えるようになっています。キャロットの入っていた「河田ビル」も再建築され現在はアパートになっていました。2022年のGoogleMapで建築中の光景が映し出されていたため、2020年頃までは建屋は残っていたものと思われますが、既に跡地から存在を認識できるものは何も残っていませんでした。

 

誌面への掲載は前回紹介した「宇都宮キャロットハウス」と同じく、ベーマガに初めて掲載店が追加された1984年3月号からスタートしています。

そしてゲーメストは創刊号の1986年5月号から掲載が開始。創刊号にて掲載された店舗は次号まで4か月期間が空いてしまう関係で半数以上が掲載店から脱落してしまいますが、1986年9月号以降も掲載が続けられました。

ゲーメスト 1986年5月号より)

 

ゲーメストへ掲載を開始したことの反動か、ベーマガは1987年に入ると3,7月号の2回のみの掲載となりゲーメスト単独掲載へ移行するのかと思いきや、1988年3月号にて復活すると以降は重複掲載店として両誌ともに安定した掲載が続きます。

 

そして1990年10月号にて店名が「プレイシティキャロット筑波学園」へと変更されます。前後して一部を除いて都市型店舗の名称が「プレイシティキャロット」に統一されつつあり、その流れに準じています。

マイコンベーシックマガジン 1990年10月号より)

 

その後、1988年以降1度も休載の無かったゲーメストへの掲載が1992年10月号にて終了し、ベーマガ単独掲載店へと戻ります。

 

最終掲載は1998年10月号となっています。チャレハイ通信欄で閉店の告知が掲載されていました。トータル15年に渡る長期掲載店となっています。

マイコンベーシックマガジン 1998年10月号より)

 

キャロットとしては比較的後年まで残存していた店舗なのですが、店舗の外観や内部が記録された写真は探した範囲では見つかっていません。

唯一、ゲーメスト1991年1月号の「ハイスコア店訪問激走ツアー 筑波、群馬、東京、神奈川編」に店舗が取り上げられていました。(この場合の「筑波」って地域名は自動的にこの店舗を指す言葉ですよね…)

ゲーメスト 1991年1月号より)

 

建屋が消失してしまった現在、掲載されている店舗写真が入口上部の看板しか写っていないのが非常に残念です。

また記事内に「駅からバス」とありますが、つくばエクスプレスが開通したのは2005年のため、1998年の営業終了まで公共交通機関ではバスで行くしか方法がありませんでした。そのアクセスの悪さ故に、筑波大の学生以外にこの店舗をホームとするプレイヤーは少なかったのではないでしょうか。

 

最後に、研究学園都市内のお店という場所柄、筑波大学学生新聞会が発行する「筑波学生新聞」(2007年廃刊、現在も続く「筑波大学新聞」とは異なる)内に店舗広告が掲載されていたため、確認ができたものを以下抜粋します。

(筑波学生新聞 1987年10月号より)

 

(筑波学生新聞 1990年4月号より)

 

(筑波学生新聞 1991年4月号より)

こういった媒体にゲームセンターの広告が掲載されることは非常に珍しいと思いますが、顧客の大半を学生が占めていたであろうこと、また店舗のアルバイトを確保する目的でも広告を掲載する効果が期待できることから、店舗予算として認められていたのではないかと思われます。入荷タイトルの案内に時代を感じることの出来る貴重な資料となっています。

 

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年10月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年10月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年11月号