ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジント1992年12月号)
マイコンベーシックマガジン1992年12月号(第11巻第12号)のハイスコア集計店マップとなります。
掲載店総数は88で先月比-1、4店の新規掲載があります。
・セガ系
渋谷会館B1セガ(東京都)
・その他
プレイシティ24(北海道)
ガリバー目白店(東京都)
タウンスポットプレイランド(大阪府)
(マイコンベーシックマガジン 1992年12月号より)
2013年まで営業が続いた渋谷会館ですが、かつてこの地下1階はセガ運営となっており、ハイスコア掲載を行っていた時期があります。ただ新宿のスポット21同様にスコア掲載店のイメージは全く持たれていないと思われます。
そして北海道第二の都市、旭川市に久々に登場したベーマガ集計店が「プレイシティ24」です。
「プレイシティキャロット旭川店」はゲーメスト単独掲載店だったため、1985年11月号にて「アドベンチャー」が姿を消して以来実に7年振りとなります。
「ガリバー目白店」は、既に掲載されている「ガリバー柏店」「ガリバー熊谷店」と同一系列です。先月号にて熊谷店のスコア担当者が目白店に異動したとチャレハイ通信欄にあるため、異動した担当者によって目白店でも掲載が開始されたようです。
「タウンスポットプレイランド」は1990年10月号よりゲーメスト掲載店となっているため、2年遅れで重複掲載店となっています。
以下スコア欄を掲載します。
【チャレンジハイスコア 1992年12月】
(マイコンベーシックマガジン 1992年12月号より)
チャレハイ通信欄にて気になった店舗が、千葉県市川市の「市川ゲームスポット」です。
1992年というビデオゲームがほぼストⅡ一色の時期に、「ストⅡもストⅡダッシュもない」という店舗はなかなか厳しいものがあります。
場所はJR市川駅前ダイエー地下で立地は良かったのだろうと思いますが、メーカー系(ナムコ)であることに加え営業時間的な制約もあったためなのか、あまり他社新製品の供給を受けられなかったのかもしれません。
トピック店舗:日立キャロットハウス→プレイシティキャロット日立店
トピック店舗は引き続き茨城県のナムコ系店舗から、「日立キャロットハウス→プレイシティキャロット日立店」を取り上げます。
(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年9月号より)
(ボウリング場)
(別館)
2024年11月23日撮影
日立製作所の企業城下町として有名な茨城県日立市。
市街地はJR常磐線の日立駅と、ひとつ手前の常陸多賀駅付近に分散していますが、丁度その2駅の中間付近に現在も営業が続けられているボウリング場「日立ボールクレーン」があります。開業は1971年と50年以上の歴史を誇ります。
ボウリング場のレーンがある建屋(写真1~4枚目)の裏側に駐車場と合わせて別館(同5~10枚目)があり、その別館内にキャロットが存在していたようなのですが…
1985年の住宅地図となります。
誌面への初掲載はベーマガ1984年8月号のため、1985年時点では既に店舗は存在していたはずですが、日立ボールクレーン本屋及び別館の箇所には「ゲームセンター」や「キャロットハウス」といった単語はありません。
1991年の地図も参照してみました。
こちらでは別館に「キャロット」の文字が確認出来たため、所在の根拠としています。
別館ですが、2024年時点で1階は営業を休止しているダンスホール、2階はカラオケ店となっています。
建屋正面側には店舗の存在を窺わせるものはなにもありませんでしが、裏側へ回ると1階への出入口が残っており、そして視線を上に向けたところ建屋壁面にうっすらと「CARROT」の文字を消した跡を確認することが出来ました。アップしたのが10枚目の写真です。
こういった残骸を発見できるのが現地調査を行う醍醐味でもあります。
ただ前述の通り1985年の住宅地図では別館にキャロットの存在を確認出来ていません。
一般的にボウリング場に併設されているゲームコーナーは、ボウリングの待ち時間に遊んでもらうことが主目的であることから、レーンの場所から大きく離れていないことが普通です。
2024年ではゲームコーナーはボウリング場の建屋に併設されています。
2024年11月23日撮影
ビリヤードコーナーの奥にはバーカウンターがあり、かつては飲食の提供があったようです。住宅地図でも「レストラン」の記述があることから、かつてレストランとして運用されていた場所をビリヤード、及びゲームコーナーとして使用していると考えるのが自然ですが、以前からこの場所はゲームコーナーだった、あるいはこの場所がキャロットだったのが別館に移った、というような経緯があれば情報提供を頂きたくお願い申し上げます。
そして「日立キャロットハウス」の名称にて開始された誌面への掲載ですが、他のキャロットハウスという名称の店舗同様に1990年3月号から、「プレイシティキャロット日立店」と変更になります。
(マイコンベーシックマガジン 1990年3月号より)
その後1991年7月号をもって一度誌面掲載が中止されます。
(マイコンベーシックマガジン 1991年7月号より)
その時のチャレハイ通信欄ですが、「2階に床がボディ・ソニックのカラオケができた」とあるため、この時点で別館1階がキャロットとなっており、現在のカラオケ店は1991年から存在したということが確認出来ます。住宅地図ではカラオケ店の表記がないため、2階をカラオケ店とする前の一時的な状況において地図作成の調査が行われたのであろうと推察します。
ところが1993年1月から誌面への掲載が復活、その後1994年5月号まで掲載された後に誌面から姿を消しています。
気になって掲載が一旦中止される前後のスコア欄を確認したところ、1991年7月号までは連射装置の設置等がされていたのに対し、復活以降はそのような形跡を確認出来ませんでした。憶測ですが店舗管理者によるゲームマニア排除、スコアを管理していたスタッフの退職等の要因で一度スコア掲載が中止され、連射装置等も撤去されたものの、集客や数字に影響が出たため掲載を再開させた、といった所でしょうか。
2度目のスコア掲載中止後も店舗の営業は継続されており、2000年のナムコ広報誌「NOURS」に店舗写真が掲載されていました。
(NOURSバックナンバー No.27 2000年春号「全国ナムコ店舗ガイド 北関東編」より)
この写真を見ると、現在のダンスホールの入口は元々キャロットの入口ではなかったことが分かります。ダンスホールにする際に正面側は入口の変更も含めて大きく手が加えられているようです。むしろキャロット文字跡や使用されず傷んだ裏口が残る建物背面側に面影が残っています。閉店時期は不明です。
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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年11月号
ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年11月号
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