ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1993年11月号)
マイコンベーシックマガジン1993年11月号(第12巻第11号)のハイスコア集計店マップとなります。
掲載店総数は87となり先月比+1となっています。
2店の新規掲載があります。
・その他
IC中央林間店(神奈川県)
扇が丘レジャーセンター(石川県)
(マイコンベーシックマガジン 1993年11月号より)
「IC中央林間店」ですが、同じく神奈川県の小田急沿線にあるベーマガ掲載店「プレイ・アイシー鶴巻店」の系列かと思ったのですが、主に都内世田谷区にて展開されていたICチェーン(砧、経堂、千歳船橋、狛江)の店舗です。こちらの掲載開始で系列店で3枠を確保するに至っています。
「扇が丘レジャーセンター」は説明不要でしょうか。ゲーメストでは1990年7月号から掲載されているため3年以上遅れてのベーマガ掲載となりました。
以下スコア欄を掲載します。
【チャレンジハイスコア 1993年11月】
(マイコンベーシックマガジン 1993年11月号より)
1993年6月号にて、甲府市の「朝日町キャロットハウス」が約3年振りに単発とはいえ復活掲載されましたが、今号の「プレイシティキャロット函館店」は、店名変更前の「函館キャロットハウス」時代に最後に掲載された1987年4月号以来空白期間は実に6年半にも及んでいます。
トピック店舗:鯉城/PLAY SPOT KING
トピック店舗は広島市中心部の初期ベーマガ掲載店より「鯉城」「PLAY SPOT KING」の2店をピックアップします。
【鯉城】
(スーパーソフトマガジン⦅マイコンベーシックマガジン別冊⦆1984年9月号より)
2025年5月2日撮影
【PLAY SPOT KING】
(マイコンベーシックマガジン 1986年4月号より)
2025年5月2日撮影
最初に紹介する「鯉城」は「りじょう」と読みます。広島城の別称であり「鯉城通り」「鯉城高校」などで現在でもその名を目にすることが出来ます。
1984年の住宅地図です。テナントリストに「ゲームクラブ・鯉城」の表記があるためこちらで間違いないと判断しています。
こちらは店舗名からは判断出来ませんがタイトー系店舗だったようです。
(ゲームマシン 1987年2月15日号より)
ゲームマシン誌1987年2月15日号の記事「全国市街地ゲーム場 広島・流川」にて広島駅周辺のゲームセンターが紹介されていますが、同一箇所が「ウィルトークタイトー」に変わっており、また記事中にも1986年12月にゲームクラブ鯉城から改装したとの記述があります。
記事内には店舗入口や店内の画像がありますが、当時のウィルトークによく見られた白を基調とした内外観を写真から想起することが出来ます。
また1991年の住宅地図でも同一場所が「タイトー」の表記になっています。
しかし2025年で該当場所は地場百貨店の「福屋広島駅前店」となっています。
1984年の地図を見るとわかりますがこの付近は以前は所有者が小さく区分された戦後の闇市跡地でした。
51年前の広島駅前の風景。
— 中井かんいち (@ichikawakon) June 12, 2023
1972(昭和47)年前に撮影された写真。撮影者の詳細は不明。
広島駅ビルから、広島駅南口の風景を撮影した写真である。
引用元は本ツイートのスレッドを参照してください。 pic.twitter.com/pWcLwVfpZw
時期的には1972年と少々古くなりますが、広島駅ビルから撮影された区画の写真がありました。写真左側に映る「広島百貨店」の裏手が倉本ビルの所在になると思われます。
そして1999年に再開発により福屋が入居する「エールエールA館」となり現在に至っています。そのため店舗や建物について面影は一切残っていません。再開発直前まで店舗が残存していたのかは確認が取れていません。
誌面への掲載はベーマガ1984年8月号から、他に全国複数のタイトー系列店舗が同時に掲載をスタートしていることから歩調を合わせる何らかのアクションがあったのかもしれません。しかしスコアが掲載されたのは翌9月号までの僅か2回のみで、10~12月号は休載表記となり1984年内をもって姿を消しています。同時に掲載を開始したタイトー系店舗では、実質掲載店が代替された京都市の「ジョイプラザ21」を除いて最も早い掲載終了となってしまいました。
もう一方の「PLAY SPOT KING」は前回紹介した「プレイシティキャロット流川店」と同じく歓楽街の流川通り沿いに立地していました。
こちらは1990年の住宅地図です。流川通り沿いでも北側に位置しており飲食店が最も集中している場所です。
こちらもゲームマシン誌の記事内に掲載がされていました。
(ゲームマシン 1987年3月1日号より)
記事内にて「十年近く営業」の記述があるため、スペースインベーダーブームの1978年前後から営業がされていたようです。
また住宅地図には「2F 麻雀 流川クラブ」の表記がありますがこちらも同一会社にて運営がされていたとのこと。
そして2025年では該当場所は写真の「サクセスビル」となっています。定礎や不動産情報は確認出来なかったのですが「麻雀 流川クラブ」が6階での営業となっていることからビルは建て替えられており、1996年の住宅地図では同じ場所に「建(建設中)」の表記を確認しています。サクセスビル1階にてゲームセンターが営業がされていた履歴は確認出来ていません。
誌面掲載はベーマガ1986年4月号から開始されますが、こちらも同年8月号までと短期間の掲載に留まっています。ゲームマシン誌上では新風営法の適用で24時以降の営業規制が痛いとの店舗管理者インタビューにあり、夜間帯の営業が大きなウエイトを占めそうな立地のためスコア掲載にあまり意義を見出せなかったのかもしれません。
【前記事】
ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1993年10月号
ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1993年10月号
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