小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1993年12月号/トピック店舗:ハイテクセガ広島店/ゲームセンターJOY呉店(広島県)

ハイスコア集計店マップ(マイコンベーシックマガジン1993年12月号)

マイコンベーシックマガジン1993年12月号(第12巻第12号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

総掲載店数は86で先月比-1となります。

新規掲載が1店あります。

 

・その他

メガテンマック(岡山県

マイコンベーシックマガジン 1993年12月号より)

 

岡山市繁華街の表町にはベーマガ掲載店としてこれまで「プレイシティキャロット表町店」「ハイテクセガ表町」そして「ゲームスポットパスカル」の3軒の履歴がありますが、うちメーカー系列の2店は既に掲載を終了していました。

 

メガテンマック」の掲載開始で、パスカルに続いて2店目のメーカー系列外掲載店が誕生することになります。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【チャレンジハイスコア 1993年12月】

マイコンベーシックマガジン 1993年12月号より)

行きつけのゲームセンターをハイスコア集計店にするため、プレイヤー本人や知り合いがバイトとしてお店に入ることが手っ取り早い方法としてあります。

 

ルーチンワーク以外は何をしても咎められない寛大(放置)な店舗であれば、ハイスコア集計、装置導入、コミュニケーションノート設置といった対応を行っても何も問題は発生しないのですが、必ずしも店舗の利益に直結しないため、管理者や他のバイトから理解を得ないと継続が難しくなることも事実でした。

マイコンベーシックマガジン 1993年12月号より)

 

今回のチャレハイ通信ではそのような悲劇で集計掲載が中止に至ってしまった赤裸々な実例がありますが、ここ以外でも表に出ないだけで同様の事例は多数存在したのではないかと思います。

 

トピック店舗:ハイテクセガ広島店/ゲームセンターJOY呉店

 

トピックは広島県店舗を継続しますが、90年台のベーマガ中期掲載店へと移ります。

「ハイテクセガ広島店」「ゲームセンターJOY呉店」の2店をピックアップします。

 

【ハイテクセガ広島店】

マイコンベーシックマガジン 1990年7月号より)

2025年5月6日撮影

 

【ゲームセンターJOY呉店】

マイコンベーシックマガジン 1990年7月号より)

2025年5月6日撮影

 

最初に取り上げる「ハイテクセガ広島店」は広島市中心部の堀川町、地場百貨店「福屋」の八丁堀本店も面するアーケードのえびす通り商店街内に存在しました。

ゼンリン住宅地図 広島市西・中区1990年より)

 

1990年の住宅地図にて、福屋八丁堀本店の向かいに店舗住所の「広島コアプラザ」を確認しています。建物は2025年時点でも存続しており、1,2階が業務用食料品店となっています。

 

ハイテクセガは2階となっていますが、3階には「プールイン セガ」の文字があるため同一建物内でセガがビリヤード場も運営していた形跡があります。

 

調査したところ、こちらは当時のセガ・エンタープライゼス社総合レジャー開発本部が発行したパンフレット「SEGA EN-JOINT(アミューズメント・ビジネスのご案内)」内にてモデルケースとして店舗が紹介されており、当時の店舗内装を確認することが出来ました。

(株式会社セガ・エンタープライゼス発行「SEGA EN-JOINT(アミューズメント・ビジネスのご案内)」より)

 

住宅地図の通り2,3階が店舗となっており、2階がビデオゲーム及びカラオケ、3階がメダルゲーム及びドリンクカウンターによって構成とあります。ビリヤードの記載はなく、改装オープンから1990年の間に3階の運営形態が変更された可能性がありそうです。

 

こちらによればオープンは1986年12月19日となっていますが、「リニューアルオープン」とあるため改装前から店舗は存在したような記述となっています。

 

ちなみにゲームマシン誌1987年3月1日号「全国市街地ゲーム場 広島・流川」にて広島市中心部のゲームセンターが特集されていますが、その中には該当店舗は存在しませんでした。

(ゲームマシン 1987年3月1日号より)

 

リストではセガ運営の店舗が3店ありますがいずれも住所が異なっています。

場所的に最も近いのは10番の「ナショナルプラザ」ですがこちらは1990年の住宅地図にも店舗が存在するため、異なる店舗であることは間違いありません。

 

ゲームマシン誌の記事が1987年2月15日号/3月1日号であり、改装オープンが1986年12月のため丁度取材期間が改装時期と重なっていた可能性が考えられますが、記事内には特にその旨に関する記載はありませんでした。

 

そしてベーマガ誌面への掲載は1990年7月号からとなっています。この時点で改装から3年以上の期間が経過しており、連射装置も導入されていることから改装当初のゲームファンにあまり訴求しない営業スタイルを転換させていたのかもしれませんが、3か月後の同年9月号をもって早くも誌面掲載は終了してしまいます。

 

9月号のチャレハイ通信欄にコメントが掲載されていることから特に掲載終了の雰囲気はないため、会社側から掲載にストップが掛けられたのではないでしょうか。改装当初の店舗コンセプトと営業場所、そして当時のセガの店舗運営姿勢の変化を考えるとあり得る話ではないかと思います。

 

そしてもう1店の「ゲームセンターJOY呉店」は広島市から離れ、元軍港で有名な呉市の中心商店街「れんが通り」に位置していました。

ゼンリン住宅地図 呉市1993年より)

 

こちらは1993年の住宅地図です。

かつては良く見られた、1階がパチンコ店となっている複合レジャービルの2階がゲームセンターという構成です。

 

2025年時点では該当箇所は「プローバ呉店」というパチンコ店となっていますが建屋は平屋となっており建て替えられているようです。

 

現在のパチンコ店運営会社のホームページに企業沿革があり確認すると、この場所はグループ創業地で建て替え前は本社機能も兼ねていたようです。その後本社は広島市へ移転、建物は2016年まで店舗として使用されていたことを確認しています。

www.provanet.co.jp

(プローバグループホームページ ニュースリリース2016年8月1日より)

 

なおグループ会社により引き続きゲームセンター事業は運営されていますが、一部を除いてほとんどはショッピングセンターゆめタウン内のファミリー向け店舗へシフトしているようです。

 

そして改めて1993年の住宅地図を見ると、隣接した場所には「タイトーインぷらんたん」の文字が、そしてその向かいには「ウェルタイトーイン」の文字も見えます。この界隈だけで3軒のゲームセンターが集中していたことが確認出来ます。

2025年5月6日撮影

 

そのうち「タイトーインぷらんたん」のアーケード店舗看板のみ残存していましたが、店舗敷地は更地となり駐車場と化していました。

「ウェルタイトーイン」は名前からして元はウィルトークたっだのではないかと思われますが、2店の営業を並立させていたということはかつてはそれだけの需要がこの場所に存在していたのでしょう。「ウェルタイトーイン」の方は店舗の形跡は何も残っていませんでした。

 

ハイスコアの誌面掲載はベーマガ1990年7月号からとなりハイテクセガ広島とは同期です。こちらは3か月で掲載終了ということはなく、1994年2月号までの掲載を確認しています。閉店時期は不明ですが、上記2016年のニュースリリース写真でアーケード看板に「JOY」の文字があり2階への入口と思しき場所があるもののシャッターが降りているため、この時点で既にゲームセンターの営業はされていなかったと思われます。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1993年11月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1993年11月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1994年1月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1993年12月号