ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1991年7月号)
ゲーメスト1991年7月号(第6巻第7号)のハイスコア集計店マップとなります。
掲載店舗数は90で先月比+3となりました。
新規掲載店が2店あります。
・その他
プレイランドアタック(宮城県)
ファンタジアキャロットたまプラーザ店(神奈川県)
(ゲーメスト 1991年7月号より)
ベーマガでは1991年5月号から登場した「ファンタジアキャロットたまプラーザ店」がゲーメストでもスコア集計が開始されダブル掲載店となります。
ファンタジア「キャロット」という店舗名はナムコ系を連想させますが、長崎県の「ゲームキャロット住吉」同様ナムコとは無関係であることを確認しています。
また、新規掲載ではありませんがゲーメスト初期では主要広告主でもあった山梨県の「ニュースターグループ4店」が、今月から「ハイテク遊園ニュースター」として合同集計を解除し単独店舗掲載となっています。
(ゲーメスト 1991年7月号より)
そしてゲーメスト1987年1月号にで単発で掲載された「ゲームセンターダイエー」が「ゲームインDAIEI」と名称を変え実に4年半振りに再登場となっています。
(ゲーメスト 1991年7月号より)
こちらは店舗名もそうですが住所も微妙に異なります。
末尾地番の差異のみであり、住宅地図でも2軒店舗が存在した形跡は確認されていないため同一店舗として扱っています。
以下スコア欄を掲載します。
【めざせハイスコア 1991年7月】
(ゲーメスト 1991年7月号より)
ゲーメストにおける「ヒットゲームBEST10」のランキングは、スコア掲載店からの申告を元に集計されていたため当時の人気状況をかなり正確に捉えており、そこで人気、インカム共に1000点満点で過去最高の900点以上の点数を叩き出したストリートファイターⅡというタイトルの当時の人気度を映し出しています。
そしてゲームの人気度はプレイヤーの多さにも直結、ハイスコアを狙うプレイヤーも多くも各キャラともに熾烈な争いが繰り広げられました。
現在対戦格闘ゲームのハイスコア狙いといってもなかなか理解され難いですが、ストⅡ発売当時はまだ2人「協力」プレイは認知されていたものの2人「対戦」プレイはドライブゲーム程度しか普及しておらず、ストⅡにおいても1人プレイでクリアを目指すという価値観が一般的でした。そのためゲーメストの攻略記事においても各キャラでクリアを目指す内容が主体となっています。
トピック店舗:メディアインオビヤ/ウィルトークタイトー高知店(高知県)
四国シリーズで香川→愛媛と続いたトピック店舗は高知県へ場所を移します。
「メディアインオビヤ」「ウィルトークタイトー高知店」の2軒をピックアップします。
【メディアインオビヤ】
(ゲーメスト 1987年7月号より)
2023年5月4日撮影
(ゲーメスト 1988年6月号より)
2023年5月3日撮影
ゲーメスト初期において、スコア掲載が行われたものの1年以内の短期で中止された店舗が高知県は4店と比較的多数確認されています。
「メディアインオビヤ」は4店のうち最初の1987年8月号より誌面に登場しました。
「オビヤ」とは高知市中心街の帯屋町のことを指しており、店舗の面する帯屋町商店街は1枚目写真のように全蓋式アーケード街となっています。
1987年の住宅地図で所在を確認しています。文字が擦れていて見ずらいですが、赤枠内の左側に「メディアインオビヤ」の文字が見えます。
交差点に面するビル(住宅地図上の「オビヤ角ビル」)の隣の建屋のため、2枚目写真の3軒並びの中央、シャッターの閉まったビルの位置が該当箇所となります。2024年現在は高知県の就業支援センターとして使用されているようです。
こちらはタイトー系の店舗という情報があり、掲載ゲームタイトルもタイトー作品に寄っている面がありますが、現時点でまだ確証には至っていないためマップ上はタイトー系列店に分類していません。情報をお持ちの方は是非ともお寄せ下さい。
誌面へは前述の通りゲーメスト1987年8月号からスタートしますが翌9月号では早くも店舗欄を欠き、その後も時折休載を挟みつつ1988年5月号をもって姿を消しました。掲載期間は1年未満に留まっています。
そしてもう1軒の「ウィルトークタイトー高知店」は店舗名の如くまがいのないタイトー系列店です。
こちらは高知市郊外の朝倉地区に店舗を構えていました。
近隣に高知大学が立地しており、学生向けの需要があったものと思われます。
1990年の地図で存在を確認。地図左下が高知大学の敷地となります。現在建屋は女性向けフィットネスジムとなっています。
写真にも写っていますが、店舗の目の前に路面電車(土佐電気鉄道、現在のとさでん交通)の軌道があり店舗の目の前を電車が通り抜けていきます。
1990年頃に高知駅から夜行列車に乗車する前に朝倉駅付近でゲームセンターを探してこちらに辿り着いています。大学が休み期間でかつ深夜帯であったことも手伝ってか店内の客はまばらだったと記憶しています。
誌面へは丁度「メディアインオビヤ」と入れ替わるようにゲーメスト1988年6月号から登場しますが、掲載は翌7月号までの僅か2か月間に留まりました。80年台のタイトー系店舗は掲載が不規則だったり短期で終了してしまう店舗が多かったのですが、こちらも同じような経緯となっています。
【前記事】
ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年6月号
ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年7月号
【次記事】