小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年11月号/トピック店舗:AMUSEMENT HAUS/アビニョン(宮城県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1991年11月号)

ゲーメスト1991年11月号(第6巻第11号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

総掲載店数は93となり前月比+1、新規掲載店はありません。

この頃は90~100店の間で振れ幅の大きかったベーシックマガジンと比較して、ゲーメストは90店前後で安定した掲載数となっていました。

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1991年11月】

ゲーメスト 1991年11月号より)

 

ヒットゲームベスト10のランキングですが、まだストⅡが登場して1年も経過していないこともあり対戦格闘ゲームとされるタイトルはデータイーストの「デスブレイド」のみと思いきや、プレイヤー人気ランキングにおいては「格闘ゲームが5種類」と表記されています。

「クライムファイターズ2」「D.D.クルー」挙句は「ファイナルファイト」までもが「格闘ゲーム」として扱われていました。

 

まだ「対戦」格闘ゲームがジャンルとして確立する前のことで、ベルトスクロールアクションゲームでも攻撃がパンチ/キック系のタイトルをゲーメストでは「格闘ゲーム」として当初は分類していたことが分かります。

 

トピック店舗:AMUSEMENT HAUS/アビニョン

 

トピックは引き続き宮城県ですが、仙台市以外のスコア掲載店よりゲーメスト初期に掲載のあった「AMUSEMENT HAUS」「アビニョン」の2軒を取り上げます。

 

【AMUSEMENT HAUS】

ゲーメスト 1986年9月号より)

2022年9月18日撮影

 

アビニョン

ゲーメスト 1987年4月号より)


2024年6月22日撮影

「AMUSEMENT HAUS」は仙台市の南隣である名取市にありました。JR東北本線で駅4つ分、時間にして15分程度の仙台のベッドタウンです。

 

名取駅を降り線路沿いに5分程度徒歩で南下すると店舗のあった場所になります。昔は多かった小規模店舗が連立する長屋形式の建物でその一角だったようです。周辺は他に店舗は少なく住宅地となっており、付近を通る電車の音が時折響き渡る程度で「大手町」という住所から連想される雰囲気とは異なっています。

ゼンリン住宅地図 名取市1986年より)

 

1986年の住宅地図では4軒並んでいるテナントの南側2店目に「アミューズメントハウス」の文字があります。この配置が間違いなければ4枚目写真の「海鮮旬彩 みよし」の場所が該当箇所となります。

 

住宅地図では同一場所に「頭のシェイプアップ」の店名がありますがゲームセンターとの関係は不明。建屋2階部分は完全に住居のため2階のテナントとは考えにくく、恐らく同一敷地でゲームセンターと合わせて別の店舗が運営されていたと思われます。ただ写真を見れば分かるように店舗は相当に小さく、どのような店内構成になっていたのかはもはや知る由はないのかもしれません。

 

誌面への掲載はゲーメスト1986年9月号から開始されました。

翌11月号は掲載が継続したものの1987年に入ると5月号に掲載されたのが唯一となり、計3回の登場に留まっています。

 

店舗備考欄を見るとほぼ全てのタイトルにおいて「ノーエブリ」「2ランクアップ」といった厳しい方向への設定変更が行われていた形跡があり、ハイスコアの掲載こそ行われていたもののあまりプレイヤーには優しくないお店だったのかもしれません。

 

そしてもう一軒の「アビニョン」ですが、こちらの住所である「登米郡迫町」は2005年に迫町を含んだ近隣9町の合併により現在は登米市となっています。仙台市からは北東方向へ60㎞程離れており岩手県に隣接した位置となります。

 

店舗は旧迫町の中心地であり現在登米市役所も立地している佐沼地区に位置していました。

ゼンリン住宅地図 迫町1989年より)

 

1989年の住宅地図ですが、誌面住所の場所は「おもちゃのアビニオン」と表記されています。

80年台のアーケードビデオゲーム華やかしき頃は、おもちゃ屋が収入増の一環としてゲーム機を設置することが多かったのですが、恐らくここもその事例に該当するのではないかと想像します。

 

そして現在は写真のように板金塗装業者となっていました。隣接した「食堂 入汐」の建屋が健在のため、場所はこちらで正しいと認識しています。また建物も年季が入っているため建て替えはされておらず、アビニョン時代のものがそのままなのではないでしょうか。

 

誌面掲載はゲーメスト1987年4月号からスタートしました。

時折休載があったものの1988年末まではコンスタントに誌面に登場していましたが、1989年に入ると一転して5,9月号の2回しか掲載がされませんでした。

ゲーメスト 1989年5月号より)

その1989年5月号の「ハイスコア伝言板」のコーナーに店内写真が掲載されていました。元がおもちゃ屋とはいえダライアス筐体の姿もあり、また壁にはタイトルイラスト入りハイスコアボードが飾られるなど結構本格的なゲームセンターであったことが垣間見えます。制服姿の学生が多いのは近隣に宮城県立佐沼高校があったためでしょうか。

 

掲載間隔が開くとそのままフェードアウトすることが多いのですが、1990年に入ると4~6月号と連続して掲載され復活を予感させたものの、結局は1990年8月号を最後に以後誌面に登場することはありませんでした。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年10月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年11月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1991年12月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1991年12月号