小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年9月号/トピック店舗:ハイテクセガ桐生/ハイテクセガ太田(群馬県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1992年9月号)

ゲーメスト1992年9月号(第7巻第9号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は87で先月比-1、新規掲載はありません。

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1992年9月】

ゲーメスト 1992年9月号より)

 

先月から掲載が開始された静岡県の「ハイテクセガ三島店」のハイスコア通信欄のコメントが目に付きました。

ゲーメスト 1992年9月号より)

このコメントを見てから当月のスコア欄を改めて眺めると、非常に味わい深いものとなっていることが分かります。

ゲーメスト 1992年9月号より)

 

4~6項にグラディウスシリーズのタイトルが並んでいますが、備考欄には「10時間ねばる」「開店から閉店まで」の文字が。

当時からオールドゲームを入荷した際の長時間プレイは店舗にとって問題であり、1日で100円しか売り上げがない傍らで格闘ゲームの対戦台が1日10,000円以上を平気で稼ぎ出すことを考えれば、対戦ゲームにタイトルシフトが進むのも宣なるかなという状況でした。

 

ただ特にメーカー系列店は新製品の入荷に限りがあり、対戦格闘ゲームばかりを揃えられないことからオールドゲームも店舗ラインアップに取り込まなければならない事情があったのも事実です。しかし苦言を呈する位ならわざわざスコアを店舗欄に載せなければ良かったのでは?というのが正直な感想です。


トピック店舗:ハイテクセガ桐生/ハイテクセガ太田

 

トピックは引き続き群馬県から、両毛地域の掲載店である「ハイテクセガ桐生」「ハイテクセガ太田」の両店をピックアップします。


【ハイテクセガ桐生】

ゲーメスト 1987年10月号より)

2024年10月13日撮影

【ハイテクセガ太田】

ゲーメスト 1990年2月号より)

2024年10月13日撮影

今回紹介する2店は共に両毛地域の鉄道駅前に位置していたセガ系店舗で、特徴も非常に似通っていたのではないかと思われます。

 

先に誌面に登場したのは、絹織物とパチンコメーカーの街である桐生市の「ハイテクセガ桐生」です。ゲーメスト1987年10月号からの掲載となっています。

ゼンリン住宅地図 桐生市1988年より)

 

1988年の住宅地図ですが、桐生駅前交差点に面している「金子ビル」に「HI-TECH」の表記があります。JR桐生駅から至近距離であり、また4枚目写真に映る矢印案内板にもあるように信号を渡って200m程度で上毛電気鉄道西桐生駅もあります。電車通学の学生であればどちらの駅を利用していても通いやすい場所だと思います。

 

そして2024年現在は建物1階に居酒屋の魚民、及びサウナの2つのテナントにて使用されています。入口は別々に存在していますがどちらをセガが使用していたのかは判断が付きませんでした。また「金子ビル」という名称も確認には至っていません。

 

一方、SUBARUのお膝元で有名な太田市の「ハイテクセガ太田」ですが、こちらはハイテクセガ桐生から遅れること約2年半後の1990年2月号から掲載が開始されました。

 

場所は太田市の中心部である東武伊勢崎線太田駅前で、こちらも桐生店同様に駅前ロータリーを出て直ぐの場所にありました。

ゼンリン住宅地図 太田市1990年より)

 

こちらは1990年の住宅地図となります。

 

現在太田駅は高架になっていますが高架工事が完成したのは2007年であり、1990年当時はまだ地平駅でした。

高架完成後に駅北口は整備され、1990年の駅前ロータリーの場所には現在太田市図書館、美術館が建っていますがセガのあった区画は手が付けられておらず、まだ当時の建物が残存していました。2024年時点では地元社会人サッカーチームである「邑楽ユナイテッドFC」の事務所として使用されているようです。

 

こうして1990年はゲーメスト誌面上に2店並んで店舗欄が存在していましたが、1990年10,11月号で掲載店が大幅に入れ替えられたことを受け、比較的距離が近く店舗の性格も近似していた両店は合同集計へと舵を切ることになりました。1990年12月号から開始されています。

ゲーメスト 1990年12月号より)


その後合同集計は1992年4月号まで継続しますが、翌5月号から太田店が外れて再び桐生店の単独掲載に戻ります。しかしそれも長続きはせずちょうど今回取り上げている1992年9月号が桐生店最後の掲載となっています。太田店は2年程度ですが桐生店は5年以上の掲載期間となり、セガ系の店舗としては比較的長期に渡っています。

 

連射装置の取付やストⅡの大会といった施策も行われていた形跡があり、地域のゲームファンを積極的に取り込む努力が垣間見えますが、90年台以降のセガ店舗の郊外化で地方の駅前や繁華街の店舗は急速に数を減らしており、その波に飲まれたのではないかと想像しています。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年8月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年9月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年10月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年10月号