小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年12月号/トピック店舗:今市ゲームセンター(栃木県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1992年12月号)

ゲーメスト1992年12月号(第7巻第14号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は83で先月比±0、新規店の掲載もありません。

 

 

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1992年12月】

ゲーメスト 1992年12月号より)

 

名古屋イエローハットのハイスコア通信欄に「今のオススメはガンバスターの対戦」のコメントがあります。

 

タイトーが1992年に発売したガンシューティングゲームですが、2画面及び最大で2対2の4人対戦まで可能となっています。

筐体外観やゲーム内容の紹介がゲーム基板販売店の「ひげねこ堂」のホームページにありますので以下引用します。

www.higenekodo.jp

ゲーム最大の特徴は「自機とガン照準の操作が別々」なことで、そのため照準移動用のガンとは別に自機移動用のレバーも付いています。筐体外観はこの操作系が4人分並んでいるため横幅が広く、ごつい印象となっています。

 

ガンとレバーの両方を扱う必要があるため操作のハードルが非常に高いのですが、ひげねこ堂の紹介にもあるように操作に慣れると自由度の高いゲームを楽しむことが出来ます。特に対戦モードは1人プレイとは全く別内容となり、固定された4種類のマップ上にて1対1(2対2)で相手と撃ち合うというもので、現在のFPSの始祖とも言えるものでした。

 

当時自分のホームゲーセンだったハイテクノーベル神保町でも常連間で対戦がブレイクし、最盛期はストⅡよりもこちらの対戦ばかりやっていたものです。名古屋に居た際のホームだったイエローハットでも対戦が流行っていたようなので、不思議と縁のあるゲームだと感じています。

 

しかしタイトーの大型筐体は直営店以外で見かけることが少なく、名作との呼び声の高いナイトストライカーでさえも流通に泣かされた経緯がありますが、こちらも操作のとっつきにくさに加えて流通も非常に少なく、結果としてマイナーゲームの域を脱することが出来なかったことは非常に残念です。

 

トピック店舗:今市ゲームセンター

トピック店舗は継続して栃木県の店舗から、今市市(現日光市)の「今市ゲームセンター」をピックアップします。

 

ゲーメスト 1990年10月号より)

 

2024年12月28日撮影

現在の日光市は2006年に周辺5市町村の合併にて誕生していますが、合併前の旧今市市の中心である東武鉄道下今市駅前に立地していたのが今回紹介する「今市ゲームセンター」です。

ゼンリン住宅地図 今市市1991年より)

1991年の住宅地図にて所在を確認しています。駅前ロータリーにほぼ隣接する場所です。

1,2階を両方使用していたことが分かりますが、1階には「いろはにほへと」という店舗が別途存在していたようで、面積的には2階がメインだったと思われます。

 

2024年現在ですが、東武鉄道下今市鬼怒川温泉間にてSLの運行を始めた影響で駅付近が整備されており、1991年時点で駅前に存在していた「東武スイミングクラブいまいち」は建物が存在せずロータリーが拡幅されています。

 

そして今市ゲームセンターの場所には1階が不動産店、2階が美容室の写真の建屋がありましたが、2階店舗への入口が完全に別となっていること、また建屋の外観や造作から定礎は発見できませんでしたがどこかのタイミングで建て替えられているように思えます。情報をお持ちの方は是非ともコメントをお寄せ願います。

 

誌面への掲載ですが、ベーマガ1986年4月号が初となっておりゲーメスト創刊以前からの履歴を持っています。

マイコンベーシックマガジン 1986年4月号より)

 

これで1986年時点では既に店舗は営業されていたことが分かりますが、1986年の住宅地図では今市ゲームセンターの場所に存在を確認出来ませんでした。

ゼンリン住宅地図 今市市1986年より)

 

薄くて見ずらいですが、青枠の箇所には「2F 喫茶カントリー」の文字があります。喫茶店からゲームセンターへ転業した可能性が高いと思われます。

 

その後ベーマガへは1987年4月~10月と長期の休載の後に11月号から復活したものの、翌1988年2月号にて一旦掲載が終了、その後1992年1月号から再掲載を果たした後に1996年2月号までの掲載を確認しています。

 

一方のゲーメストですがベーマガから遅れること4年以上の1990年10月号から掲載が開始されます。こちらは特に大きな休載を挟むことなく1999年3月30日号まで8年以上に渡って掲載が継続されました。ベーマガから通算すると13年に渡る長期掲載店となっています。特にハイスコア通信欄等で告知も無かったため閉店時期は判明していません。

 

ゲーメスト誌面に店内ハイスコアボードの写真が掲載されていました。

ゲーメスト 1992年4月号より)

 

手の込んだボードからわかるようにハイスコア熱が高いお店で、立地的に厳しい地方ながら特に90年台前半は時折全国トップスコアも輩出されており、店舗名を認識していたスコアラーも結構いらっしゃったのではないかと思います。

 

また入場時間に関する案内板がセガの備品タイプとなっており、セガ系列店である可能性を窺わせますが証拠となる情報を確認するには至っておりません。こちらも情報がありましたらお寄せいただきたくお願い申し上げます。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1992年11月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1992年12月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1993年1月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1993年1月号