小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1993年3月号/トピック店舗:ゲームセンターダイエー→ゲームインDAIEI(千葉県)

ハイスコア集計店マップ(ゲーメスト1993年3月号)

ゲーメスト1993年3月号(第8巻第3号)のハイスコア集計店マップとなります。

 

掲載店総数は81で先月比-2となります。新規掲載はありません。

以下スコア欄を掲載します。

 

【めざせハイスコア 1993年3月】

ゲーメスト 1993年3月号より)

 

今号で創刊号(1986年5月号)から掲載が続いていた貴重な集計店である長野県駒ケ根市の「がらんがらん」が姿を消します。これで創刊号から継続している店舗は東京都の「ゲームプラザ・ザ・ゴリラ」のみとなりました。

 

トピック店舗:ゲームセンターダイエー→ゲームインDAIEI

 

トピック店舗は引き続き千葉県の店舗から、市川市の「ゲームセンターダイエー→ゲームインDAIEI」をピックアップします。

 

ゲーメスト 1987年1月号より)

2020年8月8日撮影

JR総武線、及び都営地下鉄新宿線本八幡駅南口駅前に存在したお店です。

 

初めて誌面に登場したのはゲーメスト1987年1月号なのですが、その際の店舗名称は「ゲームセンターダイエー」となっています。

ゼンリン住宅地図 市川市1988年より)

誌面掲載翌年の1988年住宅地図です。「ゲームセンター大栄」という名称にて所在を確認しています。

 

ダイエー、DAIEIという名称は「大栄」を表したもので、当時のダイエーレジャーランドとは無関係であることがわかります。

 

この時の掲載は単発にて終了してしまうのですが、4年以上の期間を経たベーマガ1991年5月号から「ゲームインダイエイ」の名称にて改めて誌面に登場することとなります。

マイコンベーシックマガジン 1991年5月号より)

 

そしてベーマガに遅れること2か月の1991年7月号からゲーメストへの再掲載を果たしダブル掲載店となります。

ゲーメスト 1991年7月号より)

 

再掲載の際ですが、店名だけでなく住所表記も若干異なっています。

 

ゲーメスト1987年1月号

 市川市南八幡4-1-3

②ベーシックマガジン1991年5月号~1992年1月号

 市川市南八幡4-1-10

ゲーメスト1991年7月号以降、及びベーシックマガジン1992年2月号以降

 市川市南八幡4-1-7 駅南(駅前)ビルB1

 

ゼンリン住宅地図 市川市1992年より)

 

再掲載後にあたる1992年の住宅地図も確認しましたが、1987年と同一箇所は「本八幡駅南ビル」となっており上記③の住所と一致しています。

 

ただテナントのB1FにはゲームインDAIEIの表記がありませんが、2020年時点の写真では居酒屋「はなの舞」となっている場所が元々DAIEIの場所であったことを確認しています。(2024年時点はレンタルスタジオ)

ゲーメスト 1995年8月30日、9月15日号より)

こちらはゲーメスト1995年8月30日、9月15日号付録「全国ゲームセンターマップ」に掲載された当時の紹介記事です。はなの舞の入口部がDAIEI入口となっていることが確認出来ます。

 

また1987年の地図では建物2階までの表記しかないことから、1988年以降から1991年までの間に建物が一度取り壊され、同じ場所に再建された現在の本八幡駅南ビル内にて再度ゲームセンターの営業を開始した、というのが真相と思われますが要追跡調査となっています。

 

誌面掲載のその後ですが、1991年以降に先に開始されたベーマガは1992年3月号をもって掲載終了したため1年未満の期間に留まりました。

 

一方ゲーメストは1998年4月30日号まで掲載を継続しています。

 

ただ歴史あるハイスコア掲載店だったものの、対戦格闘ゲームの登場以降店舗運営のウエイトは完全にそちらにシフトしていたようです。

ゲーメスト 1992年4月号より)

 

初代ストⅡの頃から大規模な対戦大会を実施していたことで有名で、当時のゲーメストライターによる対戦大会も実施され上記の記事にもなっています。記事中には当時の店内の様子もあります。

ゲーメスト 1992年7月号より)

 

そして対戦格闘へのシフトはハイスコア欄にも表れており、上記のように「常に対戦でインカムを上げてほしい」と店舗側の本音がハイスコア通信欄に掲載される程でした。

ゲーメスト 1997年11月30日号より)

 

また1997年11月30号では、「ハイスコア集計を行うための店舗環境が整えられない」という事由で休載を宣言、その後休載は最終掲載となる1998年4月30日号直前まで続きました。最終掲載時も特にスコア掲載を中止する等のコメントはありませんでした。

 

当時のビデオゲームの売上構成を考えると対戦格闘ゲームを中心に据えるのは当然と言えば当然で、店舗にとってハイスコア掲載は「ゲーメストへのお付き合い」程度の位置付けだったのかもしれません。

 

しかしゲーメスト休刊後、その後を継いだアルカディア誌がハイスコア集計を開始すると三度店舗欄が復活、今度は2000年8月~2002年2月号の間で掲載されています。そのため所々途切れた時期はあるものの15年に渡ってハイスコア集計を維持したことになります。閉店時期は判明していません。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1993年2月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1993年3月号

【次記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1993年4月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1993年4月号