小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1994年5月15日号/トピック店舗:トピック店舗:プレイシティキャロット四日市店(三重県)

(ゲーメスト 1994年5月15号より)

 

創刊直後の期間を除いてこれまで月刊誌であったゲーメストですが、対戦格闘ゲームの記録的ヒットにより発行部数を大きく伸長させたことを背景として、通巻114号である今号から毎月15,30日の月2回発行へと発展することとなります。

 

(ゲーメスト 1994年5月15号より)

 

そして「めざせハイスコア」コーナーについてもこれまでの月1回集計から2回集計へと変更されることのなるのですが、それに伴い今後の集計方法に関するルール説明に誌面が割かれています。

 

ただその内容についてはハイスコア掲載店やプレイヤーからすればこれまでと特に大きな変化はなく、月2回化により改めて周知を図るということが主旨のように感じられます。

 

(ゲーメスト 1994年5月15号より)

 

また記事中には、月2回化に伴いこれまでのハイスコア争い振り返りとして、現時点での各タイトルにおける最終のスコアと、そのスコアがどの店舗から排出されたのかをランキングとして提示しています。おおよそ80年台後半~90年台前半にかけてハイスコア有力店と評された店舗が並んでいます。

 

あくまでも「最終スコア」の店舗別保持数であり、毎月の集計におけるトップ数(☆の数)ではないことに注意が必要です。

 

 


 

(ゲーメスト 1994年5月15号より)

 

そしてその「最終スコア」の一覧が誌面に掲載されました。

 

当たり前といえば当たり前ですが、集計対象となっていた全てのタイトルに対し「これ以上のスコアが出れば全国トップ」が一目で分かるようになっています。2026年時点では、この一覧情報が随時確認出来ないことがハイスコア集計における課題のように思います。

 

そしてこれら特集記事は、ゲーメスト創刊の大きな目的でもあったハイスコア争いが対戦格闘ゲームの隆盛で下火となりつつあったことを憂い、再度活性化を図るべく誌面を割いたものと認識しており、以降の誌面においても度々ハイスコアにスポットを当てるような記事が掲載されるのですが、対戦に傾倒していたゲーマーの関心を再びハイスコアへ向けることにはなかなか繋がらなかったのではないかと思われます。

 

また今号はこれら特集記事のためスコア集計が実施されていないことから、集計店マップはアップしていないことをご了承願います。

 

トピック店舗:プレイシティキャロット四日市店

ゲーメストもトピック店舗を三重県へと移します。

 

三重県唯一のナムコ系掲載店となる「プレイシティキャロット四日市店」をピックアップします。

 

(ゲーメスト 1993年2月号より)

2025年8月10日撮影

三重県の県庁所在地は津市ですが、県下最大の人口を誇るのは四日市市です。

 

伊勢湾沿岸の重化学工業地帯が有名で、かつては「四日市ぜんそく」の発生地として公害都市の不名誉なイメージもありましたが昔話であり、三重県最大の都市として特に近鉄四日市駅周辺には規模の大きい繁華街が広がっています。

 

その四日市市に唯一存在したハイスコア掲載店が、ナムコ系キャロット店舗である「プレイシティキャロット四日市店」です。

 

(ゼンリン住宅地図 四日市市南部1988年より)

住宅地図は1988年です。

所在地の「ロイヤルマンション東海」は2026年時点でも建物は健在です。

店舗は1階に並んでいる店舗スペースの最も北側で、写真のシャッターの降りている場所との情報を頂いています。

最寄駅は近鉄四日市駅なのですが、場所は駅周辺に広がる商業地域からは少々離れており徒歩だと10分程度は掛かります。かつては駅付近に広がる商店街にも複数のゲームセンターが存在し、駐車場もないため集客においてはかなり不利な場所だったと思いますが、都市型店舗でも繁華街は微妙に外してくる当時のナムコの出店思想が反映されたのでしょうか。

 

そしてハイスコアの掲載はベーシックマガジンからスタートしました。

(マイコンベーシックマガジン 1988年6月号より)

1988年6月号が初掲載なのですが、既にキャロットブランドの出店は下火となっていた時期で、ナムコ系店舗ではかなり遅い掲載開始となっています。

 

この最初の掲載は3年後の1991年7月号をもってストップしてしまいますが、ゲーメスト1993年2月号にて誌面への掲載が復活、その後ベーマガも1994年3月号から掲載が再開されダブル掲載店となります。

 

この時点でベーマガのナムコ系掲載店は20店を切り全盛期の1/3以下、ゲーメストも10店を割り込んでおり貴重な存在でした。その後ゲーメスト1995年8月30日、9月15日号付録の「全国ハイスコアゲーセンマップ」にも掲載され、ハイスコアに対するお店のモチベーションが高かったことが窺えます。

(ゲーメスト 1995年8月30日、9月15日号付録「全国ハイスコアゲーセンマップ」より)

 

貴重な店舗外観写真も掲載されています。

 

駅から遠いことは紹介記事内でも触れられており、1プレイ50円を前面に打ち出して集客を図っていたのであろうと思われます。

 

この記事の時点ではベーマガは既に掲載が終了(1995年4月号まで)しておりゲーメスト単独掲載店でした。その後ゲーメストも1996年5月30日、6月15日号を最後に掲載を終了しています。閉店によるものでした。

(ゲーメスト 1996年4月30日号より)

(ゲーメスト 1996年年5月30日、6月15日号より)

 

閉店告知は最終掲載の1号前である1996年4月30日号にて発表されており、そこから閉店日が1996年3月31日であることが確認出来ます。

 

ちなみに私が四日市市の「セガワールド生桑店」に店長として勤務していた時代、会社の寮がすぐ近くで恐らく徒歩で2分も掛からない場所だったのですが、既にキャロットは閉店後だったようで残念ながら店舗営業時に訪問することは叶いませんでした。

 

【前記事】

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1994年5月号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1994年5月号

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ハイスコア集計店マッピングプロジェクト ゲーメスト1994年5月30日、6月15日号

ハイスコア集計店マッピングプロジェクト マイコンベーシックマガジン1994年6月号