小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

ゲームセンター回顧録 デイトナⅢよ永遠なれ! その1

写真は全て2023年3月3,25.26日撮影

 

2023年3月26日、とあるゲームセンターがその歴史に終止符を打ちました。

その店舗の名は「デイトナⅢ」。

直近まで私がホームとしていたお店です。

 

 

閉店は2023年3月1日に突如と告知され、私と同じく店舗の常連であったD助氏のツイートからゲーセン閉店botに捕捉され広く周知されることとなりました。

 

まだ閉店から時間が経過しておらず喪失感に溢れており、回顧録など書きたくないのが本心なのですが、ここでこのお店の記録を残すことが自分の責務と思いエントリーすることとしました。

蕨駅東口駅舎です。

店舗住所は埼玉県川口市ですが、最寄駅が蕨駅のためほぼ全てのプレイヤーが「蕨デイトナ」と呼んでいました。

 

駅前通りを進むと写真の六叉路にあたるのですが、この交差点を斜めに横切る道が蕨市川口市の市境となっており、店舗は交差点を渡った先にあったため川口市でした。

 

そして程なく現れるこちらの「星野ビル」地下1階が店舗です。

ビル正面左側に専用の入り口が設けられています。

 

そして店舗入口部分。

ビル自体も年季が入っているのですが、こちらの入口も看板や装飾に時代を感じさせます。

ちなみに看板やアーチ部分にはネオン管や装飾用の電球が付いているのですが…

 

最末期はご覧のようにアーチ部の電球1個を除いて全て切れていました。

この店舗がいつオープンしたのか、正確な情報は把握していません。

ただハイスコア集計店として、ゲーメスト誌へ1999年7月15日号から掲載されたことを確認しているため、少なくとも20年以上は営業が続けられていたことになります。

ゲーメスト 1999年7月15日号より)

 

晴れてハイスコア掲載店としてデビューしたのも束の間、1999年9月30日号をもってゲーメスト誌が休刊となってしまうため、この時には僅か3回の掲載に留まりました。

その後ゲーメストの後継誌として創刊された月刊アルカディア誌によってハイスコア掲載は再開されますが、再開時には掲載は無く1年程度経過した2001年11月号から掲載が開始されています。

アルカディア 2001年11月号より)

 

ゲーメスト誌への掲載以前に近隣には「GAME INN SAM 蕨店」という店舗がベーマガ末期にハイスコア掲載店として名乗りを上げており、スコアラーはSAM、対戦や音ゲーデイトナと客層がある程度分かれていたようです。しかしSAMの閉店後はスコアラーもデイトナに流れ、追ってこちらもハイスコア掲載店として認知されることとなりました。

 

その頃私は関東におらず、またハイスコアからも若干距離を置いていた時期なのですが、当時店員有志で作成されていたデイトナⅢのホームページが存在していたことを確認しています。

そこは当時の設置機械の情報や店内写真の他にも、オフィシャルページでないことを良いことに常連スコアラーが当時店内に設置されていたメダルの競馬ゲーム(蕨競馬場とページ内で呼称されていました)の結果やメダル払い出し音ばかり気にしているとか非公式だからこそ書ける面白いネタが転がっており、よくページだけ眺めて笑っていた覚えがあります。

ページを閲覧出来れば当時の雰囲気を感じられる貴重な資料だったのですが現在はキャッシュさえも残っていないようで、残念でなりません。

 

その後店舗オーナーの変更やメダルゲームの撤去など紆余曲折があったようですが、スコアラーが集うお店としてはアルカディア2006年1月号にて個別店舗のハイスコア欄が廃止されて以降は若干沈静化していたようです。

 

そして以降この店舗は「ぷよぷよ通」の強豪プレイヤーが集う店として一躍全国区の知名度を誇ることになります。

igcc.jp

 

上記2018年の「ゲーム文化保存研究所」の記事に、当時のデイトナⅢの店内写真が数点掲載されています。

私がデイトナへ通い始めたのはこの頃ですが、ぷよぷよ通の対戦台が2セット常設されており、週末に対戦会が実施される時は更に増台されて多数のぷよらーが対戦に興じていました。

対戦台の付近には元コンパイル社長の仁井谷氏の色紙や対戦会実施時のタイムスケジュール等も掲示されており、上記igccの記事内にも薄っすらとその場所が写っています。

 

またぷよぷよ通以外でも、ときめきメモリアル対戦ぱずるだまや、対戦格闘系ゲームでも複数のタイトルで対戦会が行われていました。

 

プレイの録画や配信も可能で、筐体は時間制のレンタル、人数が多ければ増台対応も行ってくれたこの店舗の対応は、様々なプレイヤーのコミュニティを惹き付けて止まず、スコアラーのみならず多方面からその閉店を惜しむ声が上がったのも当然だったのです。

 

その2へ続きます)