小人閑居して不善を為す chapter3

一介のプレイヤーからハイスコアラー、そしてゲームセンターの中の人を経てアーケードゲームと関わること40年以上、その普通とはかなり異なるゲーマー人生を回顧するべく記事を綴っております。

私のアーケードゲーム履歴書 ティンクルスタースプライツ その1

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ADK/SNK 1996年発売

 

名古屋に赴任した後は、学生時代の古巣であるイエローハットで旧知の店員氏と呑みながら細々とゲームをやってましたが、近隣で今でも「ゲームボックスQ3」として現存する「トンガ王国」という店舗があり、昔から「イエローに入荷しないゲームをトンガでプレイする」という不文律が存在しました。

 

丁度、このゲームがトンガにのみ入荷しておりスコアを狙いたくなったのですが、生憎連射装置が付いていない。

そこで、昭和区いりなかの「オレンジペコ」に連射装置付きで設置されているという話を聞きつけ、会社への通勤ルートからは外れてしまうもののそちらへ通ってプレイするようになります。

1プレイ100円が基本だった名古屋駅界隈の店舗に対して、学生街のいりなかは1プレイ50円。交通費を払っても財布に優しいことや、何故か元々のオレンジペコ住人にも私が名古屋でプレイしているという話が伝わっていたらしく、程なく住人に加えて頂いた私は以後こちらに入り浸るようになるのでありました。

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ゲームとしては対戦シューティングという前例のないジャンルの意欲作でしたが、楽しめる良作として評価が上がってきたのはずっと後のこと。

当時はネオジオといえば対戦格闘ゲームという時代で、マザーボードをこのゲームのために費やしてくれる店舗は少なく、また今のような萌えキャラ文化が一般的ではなかったため見た目で敬遠されていたこともあり、正直流通は良くなかったんじゃないでしょうか。勿体ないゲームだったのではないかと思います。

 

 次回はスコアアタックについて掲載します。

その2へ続きます。